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 王忠が曹操にもった第一印象は、



「貧相な男だ」



 という至極平凡なものだった。口にこそしないが、顔色を繕うこともしないでいた。

 曹操は王忠の顔をまじまじ見つめていた。その眼差しに気がつくと、わざとらしく愛想をし、



「貧相な男だな」



 と遠慮会釈なく言う。

 奇しくも二人の貧相な男たちは立場や身分こそ違えど、同じ感想をもったのだった。



「それでよく兵士がついてきた」



 曹操は言ってから少し後悔した。

 いつもの通りならば誉め殺して賞し尽くす。しかし王忠に対しては何故だか意地悪をしたくなったのだ。

 自らを訝しむまでもなく、その正体は人食いへの生理的嫌悪だと悟る。気づくことが出来れば訳もない。そんなものは巧みに押し殺して隠し通せる。

 だが、口にした言葉はもう回収できない。言葉の上塗りで繕おうしても無駄。寧ろ悪い。

 曹操はここまで考えて、居直った。この男がどう応ずるのか見てやろう。

 当の王忠は嫌な顔一つしなかった。俺と同じことを考えていやがったのか、と驚き感心するばかりだ。

 拍子抜けしたのは曹操である。失敗を逆手に王忠の器を見てやろうという、傲慢にも似た企みはいとも簡単に崩れ去った。

 眉をひそめたり、大物ぶって笑ったり、恐縮してみたり、普通はするものである。目の前の飢民はどうだ。口元には喜色さえ浮かべていた。何を考えているのか見当もつかない。

 やり返されたのはいつ振りだろうと考えてみたが、王忠当人にそんな自覚があろうとは思えないから、ますます自分が浅ましく思えた。

 人とは計り難い、と教訓にしてみるが、王忠を見、そんな大層な箴言をこの貧相な男から取り出すのもなんだか負けた気がしてならない。



「いやまぁ、連中は兵士ではないので」



 思い出したように回答する。

 見当違いな答え―――いや、言葉の額面通りなら強ち誤りではないが―――は更に曹操の感情かき混ぜた。いよいよ分からぬぞこの男、と思う。

 しかしすぐに思い直す。阿呆なだけではないか。曹操は自らの惑乱を恥じた。英知は暗愚に似、暗愚は英知に紛う。これこそこの男から得る訓戒に相応しいと思った。



「そうか。まぁいい。我が領に逃げ込んだのは何故だ?」

「それは―――」

「待て。試しに私が当ててみよう」

「はあ」



 暗愚だ、と断罪してみたものの、やはり底知れぬ感じがした。

 曹操は王忠と話しがしたいと思ったのだった。猛者でも知者でもなさそうなこの男が、何故この愚か者が、三千もの民の統率者となり三輔からここまで来れたのか。人の不思議を見ることができる気がした。



「我が軍の兵糧にありつこうというのだろう。劉表を頼ったが人食いを犯した貴殿を、腐れ儒者の劉表は受け入れなかった。……どうだ」



 これが妥当だ。外れても構わない戯れではあるが、まぁ万に一つも違うまい。



「婁圭を破ったのは、復讐。公あなたを頼ったのは、そこに漢帝がおわすからです」



 王忠は呟くように言った。



「張済殿には人食いわれらを受け入れてくだすった恩義がありました。そして我ら三輔の民は本を正せば帝の藩翰。これすなわち天子の民に他なりません」



 うわ言のように言う。



「依るべきは土地ではなく、心です。帝の膝元が、我らの耕す地。本に還るのです」



 曹操は目を瞑って静かに聞いていた。小さく鼻を鳴らして笑う。



「そう言って騙くらかしてきたのか、民を」

「いいえ。民だけでなく、私をも」



 曹操は、人とは弱いものだ、という信念があった。それを如何にして繕うか、それが問題なのだ。

 或いは無双の肉体で、或いは鋭敏な智略で、或いは不撓の精神で、或いは不埒な欺瞞で、自らを欺き自信をつけて人に臨む。こうして人に頼らず生きようともがく。自分であろうとする。

 こういう自覚のある人間は多くはないだろう。だが『強い者』、或いは『強くあろうとする者』は誰しも例に漏れず克己に悶えて自活に苦しむ。

 王忠は違う。『強くある』ことを強要されていた。苦悩とか煩悶とか、それら全てを押し付けられていた。投げ出せばいいものを、王忠はそれらを律儀に漏れなく受け止めた。その元凶は他でもなく民だ。抱える民のためには『強く』なければならない。王忠は荷を下ろしたがっている、と曹操は解した。



「王忠、貴殿を中郎将に叙す。以後我が側にあり、我が命を奉じよ」

「ありがたき幸せ」

「民三千は皇室の管轄下に入れる。租税は漢室に直納せよ」



 かくて、王忠と民の長い旅は一応の終わりをみたのであった。
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