チリ婦人とドッペル婦人 part5 前編


「ククク……ようこそ4人のレディよ!」

1階の実験室。

「これから始まるのは単なる実験ではない。ミサだ!ヒャハハハ!!」

リップとキハダ、そして2人のチリは、聴くものを蝋人形に変えてしまいそうなジニアの高笑いに迎えられた。

「何故ならオマエたちは、これから起こる……であろう奇跡の伝道師となるのだからな!」

ジニアのテンションに恐れをなしたリップはキハダの二の腕にしがみついている。

「ごたくはいい……リップだけではなくリーグの連中まで呼ぶとは、いったい何を企んでいる」

カミソリのようなキハダの眼光。初めて見る者は縮こまってしまうほどの気迫にもひるまず、ジニアは大仰に両腕を広げた。

「人聞きが悪いなあ。2つの悩みを解決できるチャンスなんだぞ?それも同時に。

オマエの幼なじみからの依頼、そしてトップチャンプから聞いた……平行世界からの来訪者」

「平行世界?来訪者だと?」

黒板の前に並んだ大きな机には、すでに四天王の面々が揃っている。

「おや、ミス・ゲンガー。わたくしたちが選んだ衣装は?」

「ああ、いや。ちょっと暑くなったんで脱いでもうたんですわ」

「そ、そうですか……」

しょげるオモダカにナハハと苦笑いして、ドッペルは後ろのリップとキハダを見やった。

「それに。ジニアさんはともかく、この2人には直に見せた方が手っとり早いと思うて」

「たしかに、この場に限っては変装しておく方が回りくどくなるでしょうね……」

アオキの後押し。ハッサクとポピー、オモダカも無言で頷いた。

「……リップさん、キハダさん。驚かんといてな」

すっかり言いなれた前置き。ドッペルのポンチョが脱がれるや、幼なじみたちは同時に刮目した。

「まいど、チリちゃんやで〜」

両手で塞がれた口から息を漏らしたリップ。入口のドアにガタンと倒れかかった彼女を、キハダが力強く抱きとめた。

「チ、チ、チリちゃんが、ふた、ふた、」
「貴様の名はリカではなかったのか!四天王が五天王に……!」

「そうです。非常に嬉しくて厄介な事に」

「『五天王』とは。なかなか的を射た表現をいたしますね、キハダ先生」

2人のリアクションが期待通りで、オモダカとハッサクはクスリと笑った。

「リップからの依頼。トップチャンプならびに我が友フトゥーから託された、チリにまつわる答え合わせ!……今日の宴にはメインディッシュが2つあるな。ヒヒッ、ヒャハハハ!」

教壇につきながら、高笑いとともに両手を擦り合わせるジニア。フトゥーといい彼といい、パルデアのエキセントリックな者たちは、皆このクセを持っているのだろうか。

「さあ席につけ!ミサの開始だ!」

ニヤけたジニアの目線に追われながら、4人は空いている席に座った。教壇がよく見えるように、前列の2テーブルに分かれて。

2人のチリは、アオキとポピー、オモダカと向き合って5人がけ。そして隣の机には、リップとキハダがハッサクと対面して3人がけ。

「まずはリップのお悩みを解決……と行きたいところだが、その前にオマエらに問いたい事がある。」

ニヤついていたジニアの表情がキリッと整った。

「……アレ、誰がやらかしたか知らないか?」

黒板そばの窓を指さしたジニア。ビクッと肩を上げたチリとポピー。ドクロマークの試験管があった場所だ。

「いや、怒ってるワケじゃないんだ。ガキどもの好奇心は計りしれない。脅しの貼り紙など効果がない事は予想していた。」

『入ったらマルノームのエサ』

取り除かれた窓は、ガラスの代わりに透明なセロファンで塞がれているようだった。

「ただ、命拾いしたなと感心しているのさ。強い悪運の持ち主とでも言うべきか。もちろん犯人がな」

ジニアを凝視しながら、ポピーは「えっ」と口の中で囁いた。

チリも「(゚д゚;)……」と、言葉の続きをおそるおそる待ち構えている。

「緑色の煙が充満していたが、あれは反応が不完全だった証なんだ。」

「「……ゴクリ」」

「つまり、完全には混ざりきってなかったってワケだな。マタドガスの毒ガスを科学的に再現した薬液どうしがね」

「(º言º) ゾッ」
「マ、マタドガ……!」

ジニアの目がポピーに刺さったが、とっさに口をとがらせてそっぽを向いた事で、何とかやり過ごせたらしい。

「……続ける。
でだ。あのガスが発生した時。おそらく犯人は、とてつもなく良い香りを覚えたに違いない。森林浴や……そう、入浴剤のようにね」

首を縦に振りたくなる衝動を、ポピーは必死にこらえた。

「そりゃそうだ。マタドガスの毒ガスは、薄めると香水の原料になるからな。」

「たしかに。リップのオキニのコロンも、マタドガスのガスが原料ね……」

「そうとも。緑の煙は、ガスの濃度が低かった証拠さ。つくづく犯人は命拾いしたなあ。ヒヒヒ」

「あ、あのー、つかぬ事をうかがいますが」

「なんだいサラリーマン」

もう聞きたくない。さっさと本題に入れ。嫌な予感しかしない。ポピーの危険本能が、悪寒と冷や汗になって全身をつたい始めた。

「もし全てのクスリが完璧に混ざっていたら、どうなっていたんですか?」

「うん。アカデミーが死者の山になっていただろうな。VXに匹敵する猛毒が発生してね」

笑みさえ浮かべて、サラリと答えたジニア。

目を見開いたアオキのアゴが、地面につくほど唖然とした。さすがの皮肉屋ハッサクも、チリを見つめたまま真顔でフリーズしている。

「そ、そ、そんなモノ部屋に置いて行くなあああ!!」

キハダのツッコミが冴えわたる。

「だって、校舎には誰もいないと思っていたんでね。油断したなあ。ククク」

(誰でも入れるところで、化学兵器なみのシロモノ作っとったんかジニアさん……!?)

ドッペルは、キハダが彼を危険視する理由が分かった気がした。

事の大きさが分からないのか、オモダカはキョトンとしている。リップも同じく。

そして、皿のように大きな目を潤ませて、真っ赤な頬を極限までパンパンに膨らませたポピーは、

「チチチチ、チリさんチリチチチ……コ、コ、コイツううう……!!」

「♪~(´ε` ;)」

己を殺しかけた目の前の緑オタクを睨みつけ、ありったけの怨嗟をぶつけていた。
早すぎる閑話休題。騒ぎ声が収まるまで、しばし講義はストップした。


「……ではオマエら!これよりベイクジムのリーダー、リップへの実験を開始する!名付けて『人格改変』!!」

「「「人格改変?」」」

数分後。落ち着きを取りもどした実験室では、聞きなれない単語に、数名の声が輪唱した。

「まずはこれを見ろ」

教壇の下に潜ったジニアは、両手で抱えた七色の塊を教壇においた。

「あの女博士(ドクトレス)を止めるべく、パルデアのトレーナー全員で乗りこんだ際、エリアゼロから拝借してきた物だ。

リップ。これが何か覚えてるかな?」

「テラスタルの結晶、よね?エリアゼロの木や底の方にビッシリ生えてた……」

「その通りだ。そしてトップチャンプ達にも見覚えがあるはず」

「ええ。わたくし達も、あれ以降エリアゼロには何度も視察に……」

「……違う。違いますトップ!」

大きめのイシツブテほどはある塊をしげしげと眺めていたアオキが口を挟んだ。

「この七色の光……エリアゼロ以外に、この神秘的なかがやきが放たれる場所を、自分たちはもう1か所知っているはずです!」

「……てらす池!」

思い至ったオモダカは、ハッと息を吐いた。

「ご名答!今から行うのは、キタカミのてらす池を擬似的にシュミレートする試みでもある!キヒヒ!」

下卑た笑いとともに、もう一度かがみ込んだジニア。彼の足元からは、今度は大きな金ダライが持ち上げられた。

「軽そうで意外と重いんだな、これが」

ヒョイとだき抱えられた結晶の塊が、タライの中にズシンと鎮座する。そして、いったん準備室に引っ込んだジニアは、大きなペットボトルを2本持って実験室に戻ってきた。

「この水の中には、様々な成分が含まれている。100mlあたりにナトリウム1.0mg、マグネシウム0.2mg、カリウムが0.5mg……」

「つまり、何だと言うんだ」

「分からないのか。てらす池の水質を忠実に再現したものだ」

ジニアにピシャリと言いこめられ、キハダは仏頂面になった。

「では、このタライにキタカミの人工水を4リットルほど注ぎまして……と」

トポトポトポ……

水に満たされた金ダライからは、結晶の塊が水面から10cmほど顔をのぞかせている。

「んでもって、部屋を漆黒に染めてもらおうか!」

ジニアに促された一行たちは、窓側と廊下がわ、計9枚のカーテンを全て締め切った。すると……

「(*゚Д゚) ホオォォ...」

「この神々しい光は……!」

チリとオモダカが、いつぞやの夜と同じように嘆息した。

「サイズこそ違えど、自分たちが目にした池と瓜二つ……!」

教壇から放たれる七色の光に、アオキたちも見入った。

「まるで、あの夜の池を切り取って、ここに持ってきたみたいですわね……」

「……なるほど。合点が行きましたですよ。
ジニア先生。あのチルタリスの放屁のような霧が生まれた原因は……」

「いかにも!十中八九、テラスタル結晶のしわざだと我は推測している!」

ジニアは両手を腰にそっくり返った。

「……だが、整ったのは舞台だけだ。

どんなに素晴らしい具材を手に入れても、それらの利用方法や持ち味を知らなければ、サンドイッチが作れないように。

肝心のレシピ――すなわちトリックを解き明かす必要がある!」

薄暗い実験室。水に沈んだ結晶の塊だけが光源である。

「さあリップ。こちらにおいで」

懐の懐中電灯で足元を照らしながら、彼女の手を取り、優しげにエスコートするジニア。

警戒して何度も前につんのめるキハダへ、これ見よがしにニヤついている。そろりそろりと教壇に歩を進めたリップは、ジニアの横に立った。

「きれい……」

「それだけじゃない。もっと驚くべき現象が起きる……かも知れないぞ!ヒヒヒ」

七色のほのかな光にぼんやりと浮かび上がるジニアの笑顔。手を擦りあわせる姿は、明るい部屋で見るよりもいっそう不気味だ。

「さてリップ。オマエに要求するのは1つだけ……なりたい自分を想像するだけだ」

「へっ?」とリップのまつ毛がパチクリとまたたく。

「目を閉じて。深呼吸して。自分の理想の姿をまぶたに思い描け」

腕ききのカウンセラーや催眠術師を思わせる、落ち着きはらったジニアの口調。心に染み入るジニアの声に従うまま目をつぶったリップは、鼻でゆっくりと息をし始めた。

「何が見える?」
「……真っ暗なだけ……」

リップに集まる部屋中の目。響いているのはジニアと彼女の一問一答だけ。

「結晶に手を触れてみろ。水に手を突っこんで構わない。濡れるのが嫌いでなければね」

ゆっくりと頷いたリップは、目を閉じたまま手探りでタライに両手を突っ込んだ。チャプ、と音を立てて水面に波紋が広がる。

「……ジニア、これは何を」
「シッ」

静寂に耐えかねたキハダを、引き締まった顔でジニアが制した。

「リップ。オマエはどうなりたいんだ?念じろ。想像するんだ。なんなら口に出してみても良いかもな」

「リップは……」

瞑想したままのリップが、つややかな唇を折りたたんだ。

「リップは、強くなりたい!勝負だけじゃない!身も心も!」

気弱な彼女からは意外な、ハッキリと澄んだ叫び。

「キハダちゃんは優しいから!嫌な事があったらいっつもリップを守ってくれる!
でも、それはリップのメンタルがゲキヨワだから仕方なく……」

業界用語など挟む余裕もない。直したはずのメイクの上を、一筋の涙が流れていく。

「そんな事はない!貴様は十分たくましくなったじゃないか!」

「そんな事ある!!リップは1人で歩きたい!キハダちゃんの手をわずらわせるのは、もうウンザリなの……!」

リップのアイラインは涙で完全に崩れてしまった。キハダはへの字に眉をひそめた。

自分では老婆心のつもりでも、幼なじみには負担だったのだろうか……

チリのミニで泣いた時に負けないほど嗚咽するリップ。
その裏返った泣き声が高まるとともに、金タライの光が徐々に強くなってきた。

「その調子だリップ!もっと己を解放しろ……ヒヒヒ!」

「誰からも認められる、キハダちゃんにふさわしい、ゴイスーでパーペキなジムリーダーになりたいよぉ……!」

暗がりの中に浮かび上がる、小さな七色のてらす池。

(チリちゃんらが見た時とおんなじ……!たぶん、こっちの世界のチリちゃんらが見たのともおんなじ光り方や!)

「自分を卑下するんじゃない……!ワタシだって、お前がどんなに羨ましいか……。
誰が何と言おうと、リップは最高の親友だ……昔も今も……だから……もっと自信をもってくれ……!」

顔をしかめたまま涙ぐんだキハダが、とぎれとぎれリップに呼びかけた。その瞬間。

「……ずいぶんと湿っぽくなりましたですね」

「グスッ……ええ。お2人のやり取りに、わたくしも思わず涙が……」

「違いますよトップ。物の例えではなく、本当に部屋の湿度が上がっております」

「ケホッケホッ……それに、何だか煙っぽいです……何が起きているのか、暗くてよく分かりませんわ」

真っ先に異変に気づいたのはハッサクとポピーだった。

「あっ……ハッサク!まだ我のミサは……」

「『さま』を付けなさい、アホのジニア先生」

毒づきながら、暗い室内を迷いなく進んだハッサクが、入口そばのスイッチをパチンとつけた。

「!!」

明かりが戻った実験室。キハダやリップ、ジニアに至るまでもが目を見開き、全員がいっせいに教壇へ注目した。

「これはまさか!ポピーたちがドッペルさんと出会った時の……!」

「小生たちを包んだ、チルタリスの屁!」

それは、2人のチリと四天王、そしてオモダカにとって大きな因縁がある現象。

濃く白い煙が金ダライから溢れだし、全員が座る机までもうもうと漂っていた。

「リップ、逃げろ!!」

椅子から立ちあがったキハダが吠える。

「ひっ……!」

甲高く鳴くが早いか、リップの身体をあっという間に飲み込んでいく白い霧。

「クソッ!」

スラッとした白衣をはためかせて、キハダが教壇に突っ込んだ。

「何をやってる!リップ!さっさとタライから手を引っ込めるんだ!」

「怖いけど離したくないの!リップが生まれ変われるラストチャンスかもしれない……!」

「これも有毒ガスならどうする!言ったろう!?ジニアは狂人だと!」

「人聞き悪いなあ。人体には無害だよ。霧を浴びたはずのリーグの連中がピンピンしてるのが、その証だろうが」

呆れた口ぶりでたしなめるジニアは、ちゃっかりセロファンの窓ぎわに逃げている。白い霧の中から、「手を抜け!」「嫌だ!」というキハダとリップの問答が聞こえること1分ほど。不意に口論が静まった。

「……静かになりましたね」

「アオキさん、見て!霧が晴れていきますの!」

シュウウ……と音を立てながら、たちこめた霧がどんどん薄まっていく。テラスタル結晶の頭は、元通りに水面から覗いていた。

「「……」」

金ダライの前で棒立ちの2人。うつむいたまま一言も発さない。

「……なんやなんや、気味悪くなってきたわ」

「(;゚Д゚) キ、キハダ、リップ……ターミーネーター、トゥー?」

「わたくしのお家でチリと一緒に観ましたね!彼が溶鉱炉に沈んでいくシーンは、ティッシュが1箱では……」

「チリさん、トップ。私語はよしなさい!
……ですが、確かにお2人とも壊れたロボットのように動きませんね……」

語気つよく2人をたしなめたアオキ。ハッサクとジニアは、険しい表情でリップとキハダを見守るばかりだ。

「ジニア先生。何をやらかしたのかは知りませんが、これは失敗では?」

「バカを言うなハッサク……先生。このレディたちは、じきに動き出す……事をオマエらも祈れ」

さすがに年長者への呼び捨ては反省したのか、申し訳ていどに『先生』を付けたジニアだが、

先ほどまでの自信はどこへやら、六角形のメガネ越しの瞳がしきりに泳いでいる。

「ま、まさか死ん……」

「ダメですよポピーさん!縁起でもない事を!……こ、この場合は病院に担ぎこむのが正解でしょうか、ハッサクさん!?」

「警察に通報が妥当では?業務上……もとい、イカれメガネ過失致死で」

「ま、待ちたまえオマエたち!まだミサが失敗したわけでは……!」

ハッサクの言葉にジニアが両手を伸ばしてたじろいだ。その時。

「んふっ。よかった。チリちゃん見つかったみたいね」

「他のジムリーダーや先生がたはどうしたんだ?パルデア中が全員集まっていると聞いたんだが……?」

顔を上げた2人が、同時に口を開いた。

「おい、身体に異変はないか!どこかが割れるように痛むとか!」

「お、おう。ど、どうしたジニア先生?今日は一段と押忍がみなぎっているな!」

キハダの白衣の肩を掴み、キハダをゆさゆさと前後させるジニア。

リップが目を覚ました事に安堵したチリも、ぴょんと席を飛び上がり、遊び友達にハグをしに行った。

「ヽ(;▽;)ノ リップ! リップ!」

「あらあら、チリちゃん。さてはロストしてる間に、リップに乗り換える気になった?」

ドッペルには聞き覚えのあるフレーズ。リップの目ったらアナフシね……

アナフシて……

「\(*ˊᵕˋ* \ )」

喜色満面のチリが、ハイタッチの体勢に構えた。

「んふふ。今日のチリちゃん、ビューティっていうよりプリティーね。じゃあ、再会を祝して♪」

チリとリップの両手が、軽やかにパチン!と重なった。

「( ゚д゚)……!」

「リップさん……?」

同時に固まるチリとオモダカの顔。

「?……あっ、もしかして痛かったかしら?」

リップの不安をよそに、チリは呆然と手のひらを見つめている。

「メンゴ……手袋とってみて。お肌に痕がないか……」

「おそらく違います。チリが欲しかったのはハイタッチではありません」

リップを凛と見つめるオモダカも、チリと同じ違和感を覚えた様子だ。

チリと仲の良い者なら誰もが知っている、彼女特有のスキンシップ。

「チリは、指を絡めて手をギュッとしてあげると喜ぶんです。彼女とよく遊んでくれているアナタが知らないのはおかしいでしょう?」

「へ?へ?オモダカちゃん、言ってる意味がワケワカメ……」

「……いや違う。フトゥーの理論が正しければ、コレは『改変』ではなく『交換』!

キーとなるのは、もしや願いか!」

キハダとリップ、そしてチリを流れるように目で追ったジニアは、窓際から教壇に戻り講義を再開した。

「リップ。キハダも席に戻れ。いや、席につけ。ハッサク……先生の前だ」

「なんだか……いつもより怖いというか、とっつきにくいというか……いくら急を要するとはいえ、ジニア先生が誰かを呼び捨てなんてありえない」

席につきながら、少し不快そうにキハダがボヤく。

「リップちゃん。見て。もっとゲキヤバな事が起きてる……」

リップのしなやかな指が、向かいの席を差した。オモダカとアオキの隙間から見える、チリとチリ。2、3秒ほど目を凝らしたあと、キハダは両脇をあけて大げさに驚いた。

「そ、そっくりさんか何かか!?」

「そうではない。2人とも本物だよ」

ジニアが素っ気なく否定する。

「え、ええ。とても厄介で困った事に」

今度の相づちは、2人の新鮮なリアクションに困惑したポピーのものだった。

「……さてと。リップからの依頼は、まあ多少のイレギュラーは発生したが半分成功。

ここからはミサの後半戦。すなわち、もう1人のチリを元の世界に戻す手助けをしてやろうと思う。

我からすれば心底どうでもいいのだが、友であるフトゥーからも請われたとあっては放っておけない」

ムッとしたドッペルやアオキをフォローするように、ジニアは付け足した。

「それに。リップと、ついでにキハダの様子が変化した現象にも大いに関係がある……と我は推測するからだ」

「変わった?何を言っているんだ、ジニア先生?今さっきここに来たばかりなのに……って、わたしはいつの間に白衣を……」

「もう、さっぱりイミフ。2人のチリちゃんに、リップからの依頼?モデルの仕事をドロンして来てるんだから、言いたい事があるならナルハヤで頼めるかしら?」

リップの口ぶりに、少しずつ苛立ちが滲んできた。
「安心なさいリップさん。やりがいのある仕事の合間を抜けて講義を受けにきたのは小生たちも一緒です。ありきたりなカス映画や、新興宗教より胡散くさい美容グッズのイメージキャラクターよりは気に入ってもらえる案件ですから、素直に協力してくださいませ。ギャラは食堂のサンドイッチでご勘弁を」

「お、お口チョベリバ……」

皮肉たっぷりになだめるハッサクと自身の知るハッサクとのギャップに、口を開けたまま呆然とするリップ。

彼女の怒りがぶり返さないうちに、ジニアが柏手をうって話しだした。

「……では、実験(ミサ)の後半戦といこうか。ククク 」

白衣のポケットから抜き取られたもう1枚の紙が、ジニアの手元で三つ折りを解かれた。

「ここに、我が友が記した紙が2枚ある。1枚目の紙いわく、オマエらが遭遇した現象はこういう事になるな」

黒板に書かれた2本の直線。1本線で繋がったあみだくじ。四天王たちがブルーベリーで見せられたのと同じ図である。

フトゥーと同じ概要を語るジニアの言葉を、リップもキハダもおぼろげながら理解は出来たらしく、時おり首をかしげつつも口を挟む事はなかった。

「ようはだな。先ほどの実験によって、A世界のチリをこちらに呼んだ時と極めて似た現象が起きたわけだ!
だが、存在を交換するには至らなかった!と、我は推測する!

この結晶の量では、パワーやエネルギーが足りないせいだ!」

「パワー?エネルギー?一体何のでしょうか……?」

質問したアオキに、チョークを持ったジニアの右手が勢いよく指された。

「願いを叶えるパワーだよ!

レホールともフィールドワークで何度か見たが、てらす池の底に輝いていたのは、間違いなく莫大に堆積したテラスタル結晶だ!」

「……そういや、チリちゃんらが池を調べに来たのも不思議な話をハルトから聞いたからや!

てらす池には、願いごとを叶える力があるかもしれへんって!」

「願いごと……」

呟いたポピーは、腕を組んで宙を見た。
同じく腕を交差させ、アオキとハッサクも考えこむ。

タライから覗く結晶、キタカミの人工水。こちら側のリップの嘆き。

バラバラだったはずのピースが、四天王(マイナス1人)、そしてオモダカの脳内で1つになりつつあった。そして。

「「「あっ」」」

アオキとポピー、ハッサクは一瞬のズレもなく声をそろえた。

「「「チリ(さん)が、もっとしっかりしていればなあ……」」」

てらす池を去ろうとした時、3人で(全くたまたま同時に)願ったチリへのボヤき。

「(/ω\*)」テレッ

「チリさん褒めていませんわ。まさか……てらす池は、ポピーたちの愚痴を願いごとだと勘違いして……」

「仮定としてはありえん話でもないだろう。
……だが、それならば、2人のチリが入れ替わらなければならない。

メンタルが強い女になりたいと願ったリップが、その結果――人格のみだが、Aの彼女と交換されたように」

ハイテンションが鳴りをひそめたジニアは、
ギャラドスのように鋭い目で、手もとの紙と2人のチリを代わる代わる観察している。

「うんと、その……あの、つまりジニア先生がおっしゃりたいのは……」

眉間に人差し指、額に手のひら、某ボウルジムリーダーのように側頭部を両手で抱え、

「リップさんと……キハダ先生の変化を見るに、チリが増えた原因がさらにある?」

目まぐるしくポーズを変えながら長考したオモダカが、瞳をギュッとつぶってしぼり出した。

「よく絞りだせたな!そうとも!褒めてつかわす、トップチャンプ!」

「考え事は、苦手です……」

ふうふうと荒く息をしながら机にうつ伏せたオモダカの背中を、身を乗り出したチリが不安げに撫でた。

「ちょっと。ジニアちゃん?だったかしら。
メンタルも才能も、自分の力で磨き上げなくちゃ意味がない……誰かの魔法に頼るわけないでしょう?」

「……ほほう。なるほどねえ。つまり、我々の世界Bに住むリップの願い『だけが』叶ったと……」

気だるい口調で、だが凛と自分を向いたリップの言葉に、うす気味わるい笑顔を浮かべたジニア。

「ですが、キハダさんは願いなど唱えなかったはず。どうして彼女まで性格が入れ替わったのでしょうか?」

アオキの言う通りだった。

変化前のキハダは、霧に巻きこまれた親友を助けようと必死で願いごとを口にする余裕などなかったはず。

「……日ごろから悩んでいたとすれば?」

だが、長らく沈黙していたハッサクには、思い至るフシがあったらしい。

「ハッサク……先生。話の意図が分からん」

「はあ……アホのジニア先生。実験の最初、リップさんに瞑想させていましたよね?理想の姿を思い描けだの。

それと同じように、キハダ先生には悩みごとが……つまり、日ごろから願いを念じていたのかも知れないという意味ですよ。

霧に包まれた瞬間まで、ずっとね」

「キハダの悩みだと?」

ボサボサの頭を指先でときながら、ジニアの顔がしかめられた。

「そういえば、以前キハダ先生から相談を受けたことがありましたね……」

「ど、どんな?どんなカミングアウトをしたんですか、わたしは!」

着慣れない白衣の感触に左右の肩を回しつつ、耳をすませようと身を乗り出したキハダ。

口はニッコリほころび、その目は友人の恋バナでも待ち構えているように爛々と輝いている。
机に両手をついて半立ちになった彼女の体勢に苦笑いし、オモダカは続けた。

「その、そういう話ではありませんでした。相談を受けたんです。
『生徒から慕われる教師になるには、どうすればいいのか』と」

感情豊かで気立てのいいオモダカはもちろん、

まるでおとぎ話のような語り口と明るく優しい性格で万人から親しまれているレホール。

荒々しくも生徒1人1人を大切に想っている熱血なタイム。

皮肉や毒舌でやる気を試すものの、それに耐えきって懐いた生徒には懇切丁寧に指導し、すでに将来の教師やジムリーダー候補を何人も育てているハッサク。

オモダカいわく
「他の教師やリップと違って自分には何も無い。イヤな女だから生徒も怖がるんだ」とキハダは理事長室で泣き崩れたという。

「……いい教師なんて、目指してなれるものではないと思う」

自分では想像もつかない悩みに、Aのキハダはかしげた頭にハテナを浮かべた。

「小生も似たような事をBのアナタに言いました。

こっちだって、好きこのんで毒づいているわけではないと。

小生のように厳しく当たっていても、心に愛着があれば生徒は必ず気がつく。キハダ先生は、そんなに教え子が信用できないのですか?とね」

こちらのハッサクも、口こそ悪いが指導者には向いているようだ。

初めはハッサクのギャップに戸惑ったリップもキハダも、その言葉には大きく頷いた。

「……まあ、そう言ったら彼女、かむりを振ってボロボロと泣きだしまして。
これは手に負えないと思い『トップに相談したら?』丸投げしたのですがね」

もがいて伸びをしたハッサクは、照れ隠しに「ははっ」と笑った。

「……ククッ!ならば、我の予見した通りかもな!」

そして、不敵な声が一同を教壇へと注目させた。

「リップ!それにキハダ!2人が『交換』だけにとどまった理由は、願いが一方通行だったからだ!!」

Aのリップもキハダも、願いごとなどしていない。Bの2人の願いに巻き込まれただけ。

「ところがだ。チリの場合、Bの四天王どもと全く同じタイミングで池に立っていた、Aの何者かが願った内容まで同時に叶ってしまったワケさ!」

講義を清聴していたドッペルの胸が不意に痛んだ。チクリ。

「Bの池ではチリの人格改変が願われた。
だが、それならば2人のチリは存在が交換されなければ不自然だ!

Aの彼女が流入したならば、代わりに我々のチリがAに送り出される。という具合にな!」

チクリ。

「と、いうことは!」

「「「と、いうことは?」」」

何度目か分からない数名の合唱。チクリ。

「Bの世界で、チリの失踪を願った者がいる。と我は推測する」

「ッ……」

ズキリ。

『チリちゃんなんか大嫌いですの゛っ!!!どこかに行っちゃえっ!!!』

ドッペルの耳にこだまするポピーの怒号。

本当に彼女と仲直りできたかも疑わしくなってきた。

あの瞬間まぎれもなく、ポピーは本気でチリに消えてほしいと願った事がハッキリ分かってしまったのだから。

手を組んだヒジを支えにドッペルは頭を垂れた。

「……そちらのポピーさんと大ゲンカ、でしたっけ……」

アオキのいたましげな問いかけに、ドッペルは力なく首を振った。

(ポピー……会いたいけど、会うの怖いわ……)

尻ポケットから気だるい手つきで取り出されたポピーとのツーショット。

それを見たとたん、チリの赤い瞳はギョッと丸くなった。

「ジ、ジニア先生!これ!!」

「どうした……これは!」

教壇の外を回ってドッペルの側にきたジニア。

彼はドッペルから写真をパシッと取り上げるや、六角形のメガネを直しながら食い入るように写真を観察した。

「Aのチリよ!オマエ、無かったことになりかけているんだよ!」
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