小説家になる


 この記事は、Kumano dorm. Advent Calendar 2021(https://adventar.org/calendars/6338)の1日目の記事です。例によって遅れての投稿です。お待たせしました。結果として僕の読書遍歴を振り返るという面白みのない記事になってしまった。自分のために書いたものだと思ってほしい。

 小説家になるということを当然のように思って生きて来た。小説家になることが自分にとって当然一番良くて、当然なれるものだという確信を持って生きてきた。
 小説との出会いは小学三年生、友達のMが図書室で星新一のショートショートセレクションを薦めてきたことから始まる。それまでは分厚い本が読めなかった。分厚いと言っても、せいぜい百頁くらいの本でも読めないし、ハリーポッターなんてとんでもない。僕は元来集中力がない。小学二年生の読書感想文で『紅はこべの冒険』を選んでしまい、八月の終盤に泣きながら読んで、それでも読みきれなくて、その後どうやって感想文を書いたのかは憶えていない。星新一は周知のように一話一話がとても短い。落ちがある。断然おもしろい。貪り読んだ。ショートショートセレクションは子供向けの作品を編集したもので、十巻ほど学校の図書室にあった。それを読み終えたらMが文庫本を貸してくれた。今では角川からも星新一のショートショート集は出ているけれど、当時は基本的に新潮文庫だった。新潮文庫の表紙、挿絵は真鍋博と和田誠。小学生の僕には真鍋博の絵は怖かった。自分でも文庫本を買った。少ない小遣いからちょっとづつ丁寧に買った。文庫本には大人向けの作品も入っている。僕は性的な描写が極度に嫌っていた。好奇心よりも拒否感が先に来る。星新一は生々しい描写はしないけれど、それでも心臓がばくばくして嫌な気持ちになった。星新一を読み過ぎたからか、僕は催眠術は普通に存在していると思っている。SFへの耐性もここで身につけた。我慢して読み進めればその先に快感があることも星新一で覚えた。Mと星新一の魅力を話していた時に「星新一って無駄なことをいっぱい書いてるよな。そこがいいけど」と言ったのを憶えている。星新一の描写は簡潔だから、今から見れば僕は正反対のことを言っているのだけれど、絵本から卒業するときの子供はそういう感想を抱くのだろう。
 初めての大人向けの小説は、小学四年生の時に父と兄に薦められて読んだ誉田哲也の『武士道シックスティーン』だ。『武士道シックスティーン』は二人の剣道に打ち込む高校生を描いた作品で、視点人物がこの二人の間で交互に切り替わる。初めに切り替わった時、何が起こったのか分からなかった。少ししか知らない言語を読んでいるみたいだった、という言葉に今ならできる。小説の文法を僕はまだ殆ど知らなかった。小説を読む人間はセンター試験小説の最後の設問みたいに作品の文法を問う問題を間違えない。視点が入り交じったり、時間が入り乱れても焦ることはない。日本語が読めるからと言って、小説独特の文法の能力は容易に身につくわけではない。実際僕はかなり悩んだ。頁が抜けているのではないかとか、さっきまでのお話は終わっていて新たな短編が始まっているのではないかとか。この時僕は『武士道シックスティーン』を読破できなかった。文字が小さくて長過ぎたから、図書館の二週間の貸出期間では難しかった。
 ダレン・シャンの『ダレン・シャン』十二巻を読み終えたときの達成感は大きかった。上橋菜穂子『獣の奏者』はまだ闘蛇篇、王獣篇の二巻しかなかったけれど、夕方は友達と遊ばずにワイドショーばかり見ていた出不精の僕はヨジョとアルハンの関係を、軍隊を持たない日本と自衛隊・アメリカの関係に重ね合わせて読んでいた。現実の問題が主題になっているように思えたこと、蜂や王獣の描写、そこから立ち上がる世界の鮮やかさに圧倒された。初めて小説を書こうと思ったのはこのときだと思う。でもノートに一頁ほど書いて力尽きた。あれだけ湧いていた創作意欲が一瞬にして崩れ去った。「生命線」という天まで続く柱が、全ての生命に活力を与えているのだが、近年その力が弱まっていてという出だしだったはずだ。明らかに映画「ゲド戦記」の影響を受けている。僕はいわゆる児童文学を殆ど読んでこなかった。その事情は上に述べた通りで小さい時には本を読むのが苦手で、逆に本を読み出すとすぐに大人向け小説を読むことを覚えたからだ。アーシュラ・K・ル・グイン『ゲド戦記』を読んだのも、学部三回生の時に課題で読んだのが初めてで、映画「ゲド戦記」が何故あそこまで貶められているのかも知らなかった。ヤングアダルト作品については読んだような気もするし、読んでいないような気もする。村山早紀『黄金旋律 旅立ちの荒野』はポストアポカリプス作品で、長い眠りから目覚めた少年が荒廃し感染症が広まる世界に戸惑いながら旅をする話だったと思う。明日にでも核戦争が起こって、黄金旋律のような世界が来るのではないかと思って寝られない日々が続いた。他に覚えているのは那須田淳『一億百万光年先に住むウサギ』か。
 中学ではかなり読むものが広がったと思う。重松清はまず『きよしこ』を、次に『カシオペアの丘』『きみの友だち』を読んだ。『舞姫通信』や『疾走』のような、人間の暗部を露悪的に描く重松清を知るのは大学に入ってからだ。中二で村上春樹『1Q84』が話題になっていたから読んでみた。初っ端からエロい。その卑猥さも今まで出会ってしまったものと段違いで驚いた。でも好奇心も大きくなっており、気持ち悪さを持ちながら一巻の半分くらいまでは読んだはずだ。最終的に卑猥な描写が許せるようになったのは後に恩田陸の『蛇行する川のほとり』の中で、主人公が同じような嫌悪感を抱いていたけれど、それは省くことのできないものだと気付いてから大丈夫になったという一節を見つけたときだ。毎日図書室で本を借りて、就寝前、休み時間、授業時間も読んで読んで読んだ。印象深いものを挙げると、浅田次郎『終わらざる夏』、大石英司『神はサイコロを振らない』、荻原規子『空色勾玉』、万城目学『鹿男あをによし』『鴨川ホルモー』『プリンセス・トヨトミ』などなど。思った以上に思い出せないな。
 人生で一番影響を与えられたものは何かと聞かれれば、Mに星新一を薦められたことと、中学で森見登美彦と出会ったことの二つが甲乙つけがたい。中学時代の僕の成績は上の下ないし、中の上くらいだった。同じ学年には僕より成績のいい人間が十人以上はいたし、京大に自分が行くことになろうとは夢にも思っていなかった。京大はただの雲上の存在で、賢いことを表す記号みたいなものだった。森見登美彦を読むまでは。初めに読んだのは『走れメロス 他四篇』、韜晦な文章と滑稽さと無駄さ、汚らしさが僕に刺さった。もう既に僕の中に有益なものに対しての敵対心が生まれていた。それを「阿呆」と呼び、肯定するではないが憎みつつ愛する態度は僕の周りにはないものだった。京大は阿呆の集団ということに僕の中でなった。『夜は短し歩けよ乙女』で偽電気ブランに憧れ、『四畳半神話大系』や『四畳半王国見聞録』で四畳半と怪しげな団体に憧れ、『恋文の技術』で研究の大変さを知った。これを読んで京大へ行きたいと思わないわけがない。僕が京大に来たのは完全に森見のせいだ。良くも悪くも。文学部という有益なことを何一つしないところに僕がいるのも有益嫌いを刺激した森見のせいだ。結局、僕は森見世界と二重写しになった京大という場所をどう抜け出すのかとか、どう変えていくのかとか、どう守っていくのかを今考えてもがいているんだろうと思う。
 高校は純文学分野の開拓期と位置づけられると思う。これまで上げた書名を見れば分かるように、僕はそもそも推理小説を殆ど読まない。高校以降はさらにエンタメ作品全般を避けるようになった。エンタメにさえも有益性を幻視し始めたのか。確実に言えるのは、純文学好きというアイデンティティーで他人と自分を区別することができたということだ。川上未映子『すべて真夜中の恋人たち』は英語の先生の薦め。他人に対してつぶさに観察して的確な評価を延々と心のなかで述べていくのにげんなりした。僕は他人に興味がない方なのだろうと思った。だから他人からの評価も気にしない。小川洋子は『博士の愛した数式』から入ったけれど、『猫を抱いて象と泳ぐ』とか『貴婦人Aの蘇生』『原稿零枚日記』『ブラフマンの埋葬』『密やかな結晶』みたいにどんどんと良くない方向に静かに落ちていく物語が癖になった。落ちていくからこそ輝く日常を愛おしむ描写にうっとりとした。宮本輝は「蛍川」の綺麗さに魅了され、『青が散る』の青春の重々しさにしんどくなった。だんだんと山も落ちもない物語を読むこと自体に悦びを感じるようになった。究極は円城塔だ。高校では部活をやらなかった僕は図書室に入り浸った。早弁して昼休み全部を図書室で過ごし、放課後も閉室まで粘った。図書委員をやって当番でなくてもカウンターに座っていた。次第に図書室の主として全校に知られるようになった。『これはペンです』は図書室に平置きされていたので読んだ。めちゃくちゃ面白かった。衒学的を通り越して多分殆ど嘘を言っているSF性と内容のど阿呆さ。「道化師の蝶」になるともう何がなにやら。同じく図書室にあった長野まゆみの『新学期』で僕はアレに目覚めることになる。長野まゆみは漁り読んだ。長野まゆみの話はもっとしたいけれど恥ずかしいのでやめよう。翻訳文学は苦手だったけれど、一年生のときの読書感想文は『罪と罰』で書いた。その感想文がクラス代表に選ばれて校内読書感想文集に載った。嬉しかった。
 高校入試と大学入試が近づくにつれて、中学生と高校生の僕は創作意欲が湧いていった。入試という篩で自分が蹴落とされる前に小説家としてデビューして勉強地獄から抜け出すんだと思って書き始める。でも始めの数頁で手は止まってしまう。そうこうしているうちに入試本番が近づき、夜ずうっともっと前から書く努力をすれば良かったと後悔し眠れない。朝起きれば一年前に戻っていてくれればいいのに。結局、高校までで完成させることができたのは短編一つだけ。正月の朝に気がついたら歌留多に変身してしまった人が美貌の少年に取られること夢見る物語。そんな僕だったが、自分が小説家に将来なるだろうということは揺らいでなかった。ただ生きてるだけで小説家になれるのだと思い込んでいた。そうではないということに気付いたのは大学に入ってからだ。
 大学に入るとそこは森見登美彦の世界とまでは行かないがサークル勧誘、集会、ゲリラ演劇、ゲリラ鍋みたいにカオスな世界が広がっていた。僕は京大の「自由」に満足した。「弾圧職員」なんてまだ存在しない頃の話だ。図書館はでかいが、大学図書館と言うだけあって専門書が多く、小説の単行本は殆どない。そこで僕は雑誌コーナーの『文藝』『群像』『新潮』『すばる』『文學界』みたいな純文学雑誌を読んで、より純文学趣味が昂じた。村田沙耶香は『消滅世界』から『殺人出産』『しろいろの街の、その骨の体温の』を読み、自分のリベラルさが生温いことを自覚した。滝口悠生の『死んでいない者』のゆらゆらと進む文体も、視点が曖昧で、曖昧な中で人生が交錯する感じが好きだ。法事小説は笙野頼子の「二百回忌」が愉快だ。親しい者の死は悲しいけれど、僕にとって法事はお喋りの場で死者を悼みながら自分たちの生活を回復するための愉快でもいい場所だ。
 綿矢りさを読んだのは一回生の夏で衝撃を受けた。『インストール』で綿矢りさが文藝賞を受賞したのは十七歳のときで、今の自分よりも若い人間がこれを書いたのだ。なのに文体の完成度、お話の面白さ。とても僕には書けないと思った。そりゃそうだ。僕は才能も無ければ、努力もしてないのだから。小説家と自分の間に初めて大きな壁を感じた。津村記久子は非正規雇用の閉塞感を丁寧に見つめる。『ポトスライムの船』『浮遊霊ブラジル』『ウエストウイング』。人は有益にならなければ生きてはいけないのだ。資本の搾取という大きな物語も勿論必要だけれど、一人一人の人間に向き合うことはもっとすべきことだ。小説にはその力がある。浅原ナオト『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』には自分の書きたかったことが全部書いてあった。しかもめちゃくちゃ面白かった。
 結局僕は小説家になりたいという気持ちをずっと持ち続けると思う。そのための努力もやり続けるかもしれない。でも小説家以外の実現性が当然になっている。自分の夢が実はあまりにも壮大な才能と努力の上に成り立っているものだと気づく瞬間が多くの人にはあるのだと思う。僕が気づくのが遅過ぎただけだ。小説家は小説を書くことが当然上手いのだ。
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