みずも図書館より【一章まとめ】


自転車で坂道を下る。
初夏の風が頬を伝った。
*
「みずも図書館」
そこは、館長みずもさんが趣味で行っているキャンピングカー型の図書館。
みずもさんとは、通い詰めるうちにいつの間にか仲良くなっていた。
「どうも」
すだれから顔をのぞかせると、みずもさんは工藤直子の詩を読んでいた。
私の存在に気付くと、
「あら京子ちゃん、いらっしゃい」
とにこやかに笑った。
そして詩集にに目を移したが、また思い出したように私の顔を見て
「京子ちゃん、あのね。あなたの借りていたその本を探していた人がいたわよ。」
と言った。
「え、そうなんですか?じゃあ返しますね」
私は本の後ろについてあるカードに名前を書くとパタン、と静かにカウンターへと置いた。
「みずもさん、来ました?」
どことなく大人っぽい雰囲気の男がやってきた。
「あ、純くんじゃない、今返ってきたばっかよ」
「ありがとうございます。この子ですかね、借りていた京子ちゃんって」
「そうそう。」
しばらく他愛のない会話が続いた。
私は会話に入れず気まずくなったので、適当に目についた本を抜き取って帰ることにした。
「君が京子ちゃん?アイスおごるから、一緒に話そうよ」
純という男と目が合った。
5月なのに、夏がもう来ようとしていた。
夏疾風が私の体をなでるように包んだ。

その純という人は私の借りていた本を返却待ちしていた。
だから本来なら私が買うべきであるはずなのに、
「いいよいいよ、いいのいいの」
とくすぐったく笑って綺麗な色のアイスキャンディーを買ってくれた。
*
スーパーを出た所にあるベンチに座ると一気に視界が低くなって、幼少期の自分をふと思い出した。
止まない立ち話と蝉の音が弾けて空へこだまする。
「アイスどーぞ。俺の事は純でいいから、何て呼べばいい?」
一瞬考えてしまった。
友達なんていないから、あだ名なんて分からなかった。
とりあえず「きょう」と親に呼ばれている名前を答えておいた。
「きょうって、みずもさんの所、いつから通い始めてるの?」
「えっと、週一ペースでできた頃からかな」
できた頃というのは嘘だった。
「そうなんだ、いいね」
アイスキャンディーの味が凍りすぎてよくわからなかった。

純は用事があるからと言って走って帰っていった。
アイスキャンディーのシャク、という音が聞こえ、地面を見た。
アイスキャンディーはただ、地面の上で溶けているだけだった。
疑問が私の頭の中をぐるりと駆け巡っている。
「人はなぜ傷付くのに恋をするのか」
それは日常をより良いものにしたいからであろう。
でももし、浮気などされていれば人生の大半はそれで悩まされるのではないか。
それは「自殺」しているのと同じではないか、と。
自ら死を選択しているのではないのか、と。
私は恋をした経験はないが、恋はしないと決めていた。
なのになんだろう、このもやもやした気分は。
いつも困ったときはみずもさんに相談している。
みずもさんはいつも、厳しくはないけれど心に響くような的確なアドバイスをしてくれている。
私は、またみずも図書館へと寄ることにした。

「みずも図書館」
そう書いてある木の看板はいつもと変わらなかった。
そして、みずもさんも何食わぬ顔でまた、工藤直子の詩集を読んでいた。
「あのっ、みずもさん」
「あらっ、京子ちゃんじゃない、いらっしゃい」
みずもさんは弾けたように笑った。
まだ舌にアイスキャンディーの食感が残っていた。
*
「恋なんてしたくないのに恋してるっぽい、です。」
私はすべてを話し切った。
「可愛いね、女の子って。深く考えなくてもいい。深く考えすぎるからダメだと思うんだ。考えすぎたらもうそれでゲームオーバー。少しは気分転換にコレ」
みずもさんは読んでいた詩集をブックカバーから外し、私の肩をポンと叩くと
「彼女いないらしいよ」
といって詩集と共に私の背中を押した。
みずもさんのささやいた声が優しくて、暖かくて、詩集を開く暇もない程に惚れてしまった。

クッキーと紅茶のにおいがした。
どこか懐かしいその匂いにつられて私はふら、ふらと部屋を出た。
匂いの正体は姉の凛子が焼いていたお菓子だった。
「あ、言っとくけどこれあんたのじゃないからね」
名前通りの凛とした目つきで私を見つめた。
「じゃあ逆に聞くけど、誰のなの?」
急に目つきを変えた姉が
「ふふ、彼氏が来るの」
と言った。
それと同時にチャイムが鳴った。
「あんた出てよ」
そう言われガチャっとドアを開けると見覚えのある男の顔があった。
「あれ、きょう?」
昨日ぶりだね、と社交辞令のように言い、純は廊下を歩いて行った。
*
お姉ちゃんの彼氏は純だったことが衝撃で部屋に駆け込み泣いてしまった。
恋している感覚ってこんな感じなんだ。
今日初めて知った。
あ、考えすぎてちゃダメなんだ。
恋なんてしてもいない相手を想いすぎてちゃダメなんだ。
みずもさんの教えをきちんと守ればいいのだ。

「貴方は思わせ振りをしたのですか」
独り言ノートをつけるのは私の日課だ。
それは昨日のワンフレーズ。
でも、それは思わせ振りでは無いと今更ながら思う。
私が勝手に思い込んでいただけで純に被害がいくのはおかしい。
ただ、姉に彼氏がいたのか。それだけが頭の中をぶらぶらぐるりと一回転した。
凛子は可愛さはそこそこあるし性格も良い。
何故だろう、何故だろう。
なぜ純と付き合えるのだろう。
今日は詩集を返しにみずもさんのところへ行く予定なのでとりあえず支度をした。
*
みずも図書館の看板はやはりいつもとは変わらずに堂々と、だけどどこか淋しいようにぽつりと置いてあった。
中に入り、
「みずもさんいますかぁ」
と言うと
「あら、きょうちゃん!なになに、どうしたの?」
と返された。いつもの事である。
「詩集を返しに来たのと...あと...」
みずもさんは顔色一つ変えずに私の目を眺めた。そして何かに感付いたように
「分かった、とりあえず座りなよ」
と言い、よいしょと椅子を出してくれた。年季の入った古い木の椅子だった。
「あのねぇ、言っちゃ悪いんだけど京ちゃんの恋は叶わない、かな?」
遠慮がちな言葉に私はびっくりした。
「どういうことですか。私の恋は叶わないんですか?そもそも恋なんかしてませんよ?何言ってるんですかみずもさん?私の事一つも知らないくせに何言ってるんですか?」
少し目が涙ぐんでいた。
「そういうことじゃない。」
状況が分からなかった。
ただ私は夏颯の香りを吸い落ち着くことしかできずにいた。気が付けば涙がこぼれていた。

「きょうちゃん、ごめんね。」
私は涙ぐむ。みずもさんはただ私を見つめる。
「な...にがっ...で...すっかっ...」
過呼吸気味になる私をみずもさんはじっと見つめる。
「こっ...ころの...せいりをっ...するじかんをっ...くれなくて...だっいじょぶでっすっ...」
「きょうちゃんの恋は...なんというか諦められないのは分かる。すっごいわかるの。でもね」
「やめてください!結末は分かってます。どうせ頑張ってとか言うだけなんですよね?叶わないんですよね?純なんて好きじゃないですよ」
「じゃあ泣かないでしょ」
核心を突かれた。
「好きじゃない相手をこんなにも思う為には好きって感情がないと原則無理。」
みずもさんは、ね?という表情を見せる。
「わかるね?泣き止みなさい。可愛くない。」

みずもさんは私が帰る時にいつも背中をポンと押してくれる。
そのポンは毎回違ってその毎回毎回にメッセージだったり、ファイトだったりをくれる気がする。
今日は軽めのポンだった。
でも背中には重みが残っていて、みずもさんの何かを感じる。
私の家に着いた時、マンションの清掃員さんが掃除をしていた。
「ここのマンション潰れるんだよね。だから、県外に引っ越すんだってね。」
*
家に入るともうすでに純は帰っていた。
母はいなかったので姉に聞いてみることにした。
凛子は食器をカチャカチャと片付けている。
「ねえ、引っ越すの。」
あまりにも唐突な質問だったので、凛子は驚いた顔をした。
大きい目がまた少し大きくなったのが分かる。
「その話、どこで聞いたの。何で知ってるの。」
少し動揺したようで、泣きそうなかすれ声になっている。
「あ、清掃員さんに聞いたの」
「その人の話はやめて。引っ越すからもう会うのが難しいねって別れたばっかなの。」
...純と?そんなの嘘だ。
「私だって別れたくなかった。純だって。」
「じゃあ別れなきゃよかったじゃん。高校だって今のとこ通い続けるんでしょ?」
「違うの」
*
姉の泣き顔を見たのは祖母の葬式以来だった。
大切な存在、でもないのに体から憎悪感があふれ出てくる。
ちなみに引っ越しまであと一か月らしい。
心の整理もまだ整っていない。
みずもさんにも言わないといけない。

気が付けば、朝だった。
ベットに、しょっぱい味が残る。
「ん...?」
触ってみる。すごく濡れていた。
それは涙だった。
私は、泣いていた。
引っ越すことへの葛藤や悔しさがこの粒になったのだ。
泣いてもどうにもならない。
私は昔からそう思っていた。
泣くことは「弱虫」がすることだと思っていた。
でも、泣いてしまう。
泣いてしまう自分が嫌いだった。
みずもさんの前でも、今も。
恥ずかしくても、自然とその雫は私を伝うのだ。
バカバカバカ。
私はかちゃりとドアを開けた。
凛子が寝ていた。机に突っ伏したまま。
彼女のまつげは美しいく、ため息が出るほどに長い。
凛子が起きないようにそっと洗面所に行く。
鏡を見ると、そこには泣きはらした私の顔だけがあった。
*
「京子さんが転校することになりました」
担任の森本が静かな声でそう言った。
私は特に目立つ人気者でもない。
クラスカーストでいう、中間層の下あたりの位置に立っている。
勿論、分かっている通りクラスメイトの反応ときたらみんな素っ気ない顔で森本を見ているばかりだった。
すると、クラスの中でも生真面目な石井がこう言葉を発した。
「京子の送別会はするんですか。」
「するにきまってるだろう。多数決でどうだ。じゃあしたい奴」
5人。
「しない奴」
25人。
「え...」
思わず本音が出てしまった。
「クラスの一員だったんだし、送ってあげよぉよぅ」
クラスの主要人物である南がこう喚起を施す。
「多数決なんだし、いいだろ。5人でしろ。」
「あーはい」
5人中5人、偽善者というか、同情票というか、そういう類の者だってことくらいは分かっていた。
だから余計辛かった。
その中に石井が入ってなかったのもショックだった。
私はそんなつまらないお通夜みたいなしーんとした送別会は嫌だったので森本に私は
「そんなんだったらやらなくて大丈夫です」
といい、訳も分からずに筆箱を投げつけ、泣き、学校を出て行った。
門を出た。
解放感がすごかった。
自由の身なのかといわれると、それはわからない。
とりあえず、みずもさんの所へ行くことにした。

お久しぶりです!!無題ちゃんです~🙇🏻‍♂️
一章をすべてまとめてみました!
少し変えた部分もありますが、ぜひ読みなおしていただけると嬉しいです🤍🥺
「群青の空の下で」と、「みずも図書館より」は同時進行で投稿する予定です...
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