人形の性


私塾の帰りに、祭りの出店にて私の地元の名産品である『兎餅』が売られているのを見かけた。あまり彼人(あのひと)はこういった催しに関心を示さぬ故、二人で食そうと長屋へと持ち寄る道中。伊織殿は普段より、――食を厚くすると代わりに財布が薄くなる――などと云って滅多にこういった甘味をお召しにならないが、果たして喜んでくださるだろうか。
心なしか、いつもより長屋への足取りが軽かった。





―――「あら。世の『太平』の次は、今度は男の『胃袋』を掴むのにご執心かしら。殊勝なことね。」


聞き覚えのある声に身が固まり、足を止める。声の方を見やると、其処に居たのは、常に他人を見透かしたような目をした、あの女人だった。











「…ドロテア殿。」


阿蘭陀という国の貴族であり、此の国に於いても貿易にて影響力を持つ、魔術家系の血を引く南蛮の者。
あの装いは此者(このもの)なりの、或いは家系の正装なのだろうか。久方ぶりに目にするが、まるで黄金蜘蛛(こがねぐも)の如き色合いと節足を想起させるような被り物は、いつになってもやはり見慣れるものではない。以前は伊織殿が仲介を為して下さり、辛うじて私は事なきを得た。帰国したと聞いていたが…。
ドロテア殿は物影より身を晒すや、茶屋の軒先に置かれた椅子へ腰掛ける。店の者に何やら注文を入れると、”微笑が描かれた面”を被せたようなあの顔を此方へと向ける。近くに配下が居るのか、周囲に魔術の罠の類でも施してあるのか。何にせよ、随分と余裕がある。

「私を捕えに来たのか。」
以前ならそれも運命として受け入れたろうが、今やそう単純ではない。
この者は油断ならぬ、やり手だ。私の姿勢が自然と低くなる。伊織殿と交わした約定もあり、己が血を流すような因果とは、彼人との初夜を最後に終いとしたかったが…。言問いの次第に依っては、差した刀を抜かねばならぬ。

「”捕える ”とは随分と物騒ね。 ”保護 ”と言って頂戴。…まあ、言い様は好きになさい。そうよ、そのために来たの、お忍びでね。こうして2人で ”お話し ”が出来るように。勿論、一度同意してもらえれば、 ”前回 ”みたいに逃げられないよう、拘束具まで態々用意してね。この数週間、アナタの動向をずっと監視させていたのよ。気付かなかったでしょう?」

「・・・・・」
此の者の怪しげな笑みがより深まる。そろそろと右手を刀に近づける。この女はそれを知ってか知らずか、店より供された団子を軽く口にすると、己が語りを続ける。

「なかなか独りになってくれなくて骨が折れたわ。なにせあの男と四六時中のようにくっついてるんですもの。ジョバンニも肝を冷やしただなんて、珍しく弱音を吐いてたわ。でも粘った甲斐あって、ようやくアナタが確実に一人になる時を把握できたの。だから私(わたくし)自ら、こうして直接足を運んだのよ。あの厄介な浪人は今、 ”魔術拠点跡 ”よね? 」

周到に我らの周囲を嗅ぎ回っていたらしい。なるほど、蛇使いであるアサシンのマスターだっただけあり、それに相応しき ”執念深さ ”だ。

「なのに。ここまで手間をかけたというのに。何、アナタのその姿は。あの内に秘めた膨大な魔力は一体どこに行ったの?まるで ”人間 ”そのものじゃない。回路は循環こそしているようだけど、随分と底が浅くなってしまった様ね。ふざけた『奇跡』だわ。
それに、すっかり人らしい『欲』まで覚えて、染まり上がっちゃって。それも『盈月』で得た恩恵による副作用? それともあの、おサムライ様から手取り足取り、 ”ご教授 ”して頂いたのかしら、由井正雪先生?」

ドロテア殿は目論見が外れた腹いせか、私へ悪態をつく。吐き出した嫌味の対価かのように団子を一気に平らげ、未だ些か不機嫌そうに尚も続ける。

「ま、私からすれば、どちらでもいいわそんなこと。ともかくそんな矮小な、魔力の残滓であるアナタを ”危険な存在 ”として連れ帰っても、大袈裟だと嘲笑されるだけだわ。家名へ泥を塗りかねない、とんだ恥さらしよ。たかが ”並の人間 ”に固執するほど私は暇じゃないの。だから見逃してあげる。ありがたく思いなさい。」

「…その言葉に偽りはあるまいな。」

「見下げ果てないで。私は自分の利と見るや言の葉を違える様な、そこいらの下衆な魔術師とは違うわ。そこまで無粋でもないしね。サーヴァントと自らやり合うような人物の『愛人』を攫って怒りを買うような真似、こっちだって極力したくないわよ。それに商社に『御礼参り』になんて来られたら、全く割に合わないもの。それこそ私は父と兄からまで不興を買いかねないわ。そこまで大きな博打に出てまで『時計塔』に献身する義理もないしね。私から、―― ”人形 ”は危険な魔力と共にこの世から居なくなっていた――とでも改めて報告しておくわ。」

本心で話しているのか私が判じかねているのを他所に、ドロテア殿は茶屋の勘定を済ませ、席を立つ。

「伝えたかったのは以上よ。大袈裟に目立つようなことをしでかさなければ、これからも目を瞑ってあげられる。せいぜい、あの男と慎ましく暮らして、『胃袋』だけじゃなく『女の幸せ』も掴みことね。まったく、とんだ無駄足だったわ。帰りに観光でもしないと帳尻が合わないわよ。」

それだけ吐き捨てると、ドロテア殿は私に背を向け、通りの人混みへと消えていった。
完全に姿が見えなくなった後、私は自身の手汗の量に驚く。他者を斬るのに躊躇いこそあれど、これほど手が震えたのは、初めて人を斬り殺したとき以来だった。



―――夕焼け時の長屋。戸が開く音に振り返ると、正雪だった。それはもはや日常の一部と化しており、俺はいつの間にか精々一声かけるだけになっていた。ただし普段と異なり、向こうが無言というのは珍しい。礼儀正しい正雪は、その日の最初の訪問時には必ず俺に挨拶と入室の断りを入れてくるのだが。

正雪は手に持っていた荷を置き、草履を脱ぐなり俺の方に駆け寄ってきたかと思えば、急に泣き始めた。

(わけがわからん…。)


―――いつもの長屋の光景と伊織殿の姿を目にするや、押し寄せた安心と不安の感情が、雪崩の如く私に圧し掛かってきた。あの場で連れて行かれたかと想うと、あわや今日が、伊織殿との今生の別れとなっていたのではないかと卒然に恐ろしくなり、畳に上がるや目の前の背中へと身を傾けてしまっていた。嗅ぎなれた着流しの匂いに、尚涙が止まらなくなる。二度と会えなくなるなど、考えたくもない。


―――伊織は尋常でない事態に理解が追い付かなかったが、理性よりも先に体が動いた。背中に寄りかかる正雪の左手を掴み、自身の向きを垂直に反転させる動きと併せて正雪を手元に引き寄せ、その顔を膝に乗せてやる。


―――正雪が泣くなど、夜床以外では珍しいことだ。外見こそ確かにカヤとそう変わらない小娘だが、その反面、気丈に振舞っては弱みを隠そうとする癖がある。こういう時、あまり自分のことを話したがらん。
大声で泣き喚くわけでもなく、静かに涙を流すのみ。感情が抑えきれんのか、肩を震わせたまま一向に泣き止まん。何か恐ろしい目にあったのかと憶測のみが募る。見たところ外傷もない。
そこらの柄の悪い浪人なぞ相手にならんであろう正雪がここまで臆するものが、俺の頭には思い浮かばなかった。だが、正雪が話したがらなければ、俺から何があったかを問い詰めることはしないよう心がけている。打ち明けられなければそれで終いだ。正雪は俺よりも賢く、必要に迫られれば自ら動く軍師でもあるからだ。そんな女が相談してこないということは、その必要がないということなのだ。
俺が知る限りの最善の手は、気の休まるまで宥め(なだめ)続けてやることだけだ。背中に手を置き、赤子をあやす様に時折優しく叩いてやる。
泣き声が聞こえなくなったのを見計らい、声をかける。


「落ち着いたか正雪。」

「…申し訳、ありませぬ、伊織殿。斯様な醜態を、晒して、しまい。お陰で、幾分楽に。」

目を腫らしながら正雪は涙声で謝ってくるが、何故謝られるのかも俺には皆目見当がつかん。

「気の済むまでこうしていろ。俺は別に構わん。」

「理由を、聞かぬのですか。」

「聞いてほしいのか。」

「いえ…。御言葉に甘えて、もう暫く、このままに。」

「そうか。」

―――伊織に介抱され、正雪は少しずつ落ち着きを取り戻していった。


―――今や当然のように過ごしてしまっている此の日々だが。万一、あの儀が執り行われていなければ。あの夜、ライダーを伴って伊織殿と馴れ初めていなければ。一介の”人形”として孤独に生を終えていたやもしれぬのだ。『女の幸せ』というものなど、人ならざる自身にとって絵空事だと、歯牙にもかけなかっただろう。
此人(このひと)が私を、使命で動く『人形』から『人間』に変えて下さったのだ。この御恩、生涯を以てしても返しきれるかどうか。


―――それでも正雪は、自身が夢想してしまった悪夢の光景が頭より払拭しきれずにいた。その不安と内なる禍根を取り払うため、正雪は思い切る。


「伊織殿。」

「なんだ、もう良いのかしょうせ―――」


伊織の膝を台にし、両手を伸ばしきり、正雪は伊織の顔へと首を伸ばす。僅かな時間に過ぎなかったが、互いの唾液が僅かに交雑した。

「未だ、受け取って頂けていなかったゆえ。」

態勢を変え、今度は伊織の膝に乗って寄りかかり、再度迫る正雪。先は不意を突かれた伊織だったが、正雪の意を受けてそれに応じる。伊織への恋慕で邪念を払い終えた正雪は、すっと膝から立ち上がる。

「急な事で、誠かたじけありませぬ。もう、大事ありませぬゆえ。実は我が地元の名産品である甘味を持って参ったのです。傷んでしまわぬうちに召しましょう。」

いつもの笑顔の調子に戻った正雪は、いそいそと土産を準備しだす。事態の急展開の連続に振り回され、若干ついていけてない伊織だったが折角の厚意ということで、正雪と並んで兎餅を堪能した。涙を枯らすほど泣いた正雪は、懐かしき味が殊更美味に感じられたのであった。












―――その夜。伊織の住む長屋を覗き込む役人が一人。

(い、伊織さんが幽霊の女と寝てるーーっ!? それは、やっちゃいけねえよ伊織さん!幾ら ”せいばあ”さんに逃げられたからって…。はあ、こんなことなら頃合いを見て、無理やりにでも吉原に誘うんだったなあ…。――連れ込んだ女剣士に鞍替えして ”しっぽり”やってる――、なんて噂を鵜呑みにするんじゃなかったぜ。とんでもないもん見ちまった、くわばらくわばら…。今夜、枕元に化けて出ないでくれよォ…。)
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