人の性(中編)


―――夕も超えた夜。 かれこれ十日。いや、俺が斬られてから、あと半日も経たず十一になる。




人影が玄関の戸を叩く。背が高いので正雪ではないのは瞭然だ。例の ”浪人衆 ”も今や残党すら残らずちり散りになっているだろうし、あのような目に遭わされて今さら報復というのも考えづらい。
とはいえこちらは未だ手負いなことに違いはない。右手で柄を握り、若干の痛みに耐えながら左手で勢いよく戸を開ける。すると、知古の顔が現れた。









「鄭か!?」

「久しぶりだな伊織。見たところ傷も深くはなさそうだな。どれ、共に酒を飲んで語ろうではなないか。」

意外な客だった。異国の将軍、鄭成功。アーチャーを失っても尚キャスターと再契約し、国の復興のため身も心も焦がし続けた男。敗れたのち、俺に別れの文を送ってきた。顔を合わせるのは国へ帰って以来になる。
その男が酒の入ったでかい徳利(とっくり)と少々のつまみを携えて、俺の長屋へと訪れたのだ。魔術道具を介しての会話を除けば、ここに招くのは初になる。土間に足を下ろしながら畳に腰かけるや、俺達は晩酌と歓談を始めた。

「別件でこの国へまた立ち寄ったが、――例の幽霊長屋の世直し浪人が斬られたらしい――などと小耳に挟んでな。色々と部下に職務を丸投げして、こうして飛んできたのだ。仰々しい噂と違って、ずいぶん元気そうで何よりだ。」

「…正直言うとな。てっきり、恨まれているものと思っていたのだ。貴殿の故国と民草に向けた時と情熱を、俺は自らの一時の感情でたった一人の女子を救うことのみに使った。こうして会いに来てくれたこと、心から感謝する。」

「なに、いつまでも嘆いてはいられんよ。それに過ぎた事を延々と根に持つほど、俺は女々しいつもりはないぞ。」

仮にも俺は、鄭の願望を完膚なきまでに台無しにした張本人だというのに、邪気の一つも放たん。相も変わらず、言葉を交わしていて快活な男だと思えた。そして、どうやら政の一環で参ったらしい。忙しいところをわざわざ暇(いとま)を作ってまでやって来てくれたようだ。

「しかし人生というのは分からんものだ。まさかおまえがその由井正雪と懇意の仲にまでなっていたとは。いやいや人の縁というのは時に奇なるものだな。はっはっはっはっはっはっ!」
愉快そうに笑う鄭。

「それで、もう婚姻はしたのか?」

「いや、まだだ。既に贈り物こそしたが。」

「ほほう、存外…と云っては何だが、お主もやるではないか。俺にも息子が一人いる。子どもは良いぞお。特に、自らの分身の成長を肌で感じられた時などはな―――」
酒が少し回ったことで更に機嫌が良くなった鄭は、嬉しそうに我が子の自慢話を始める。

「俺にとってはまだまだ先の話に思える。正雪にそのような兆しもないしな。」

「ま、これはお主も人の親になってみればいつかは分かる。しかしあの手の女子は芯が強いぶん、気難しく骨が折れる手合いだぞ。俺も伊達に妻を娶ってはいないので判る。あれほどの女傑、一体どうやって口説き落としたのだ?」
爽やかな笑顔で中々に生々しいことを聞いてくる。たしかに鄭からすれば、俺と共闘したとはいえ元は敵同士だった正雪との縁が物珍しく映るのは致し方ないことだ。現に頑固なところに未だ手を焼いているのは、紛うこと無き事実だ。この男は確かに人を見極める目を持っている。

「成り行き…、でな。」

「ふむ、”成り行き”とは?」

俺は鄭に、正雪を救って以降の経緯を話した。他人に打ち明けるつもりなど無かった赤裸々な内容だったが。酒の勢いと口八丁に乗せられて此迄の出来事をぺらぺらと事細かに口から滑らせてしまった。どうにも聞き上手で悪意を感じさせないこの男には、隠し事を出来る気がしない。


「ほう、あの女子がなあ…。弄じていた策と同じく大胆というか何というか。だが話を聞くにお主…。恋文はおろか、是といった口説き文句や愛の句すら直に聞かせてやったことは無いのか?」

「そういった仲になるには、その様なものが必要になるのか。正雪から求められたことは是迄無い。」
すぐさま切って返した俺の言葉を聞くや、鄭からは大きな溜め息をつかれた。

「なるほど…。どうやらお主ら二人の仲は、相当な比による正雪殿の譲歩で成り立っているようだな…。」
まるで我が事のように頭を抱え、鄭は尚も続ける。

「いいか伊織。女というのはな、褒められてこそ真に輝くのだぞ。これは国が変わろうと決して揺るがぬ、人共通の心理よ。あの女子が人並みと異なる出生なせいで、世の浮き話に無頓着だというのも勿論あるのだろうが。しかしならば猶の事、一男(いちおとこ)としてお主が先んじて喜ばせて教えてやらねばな。これから一緒になる女の心を磨いてやるのも、 ”男の甲斐性 ”と心得ることだ。」

なるほど、妻帯者であり人の上に立つ者の云うことだけはある。此れを鄭が口に出したことで、更に言葉一節一節に力強さが籠められてるように感じた。

「俺に言葉を飾るといった才はない。ましてや正雪は俺より学問に長けていて賢いのだ。付焼刃な知識などすぐに見破られ、安く受け取られるだけだ。」

「なに、難しいことは無い。あの女子をお主がどのように好んでいるのか、面と向かって発するだけでいいのだ。褒められて嬉しくない女などこの世には居ないぞ。話を聞くかぎり、おまえの言葉そのまま聴かせてやったほうがいい。しかしまったく、知らぬも罪とはよく云ったものだな。」
確信に近い助言と共に笑っている鄭。最後の言葉の意味は分からなかったが。


語り合いの最中、鄭の笑い声が部屋から止むことは無かった。そして持参してくれた酒を飲み干すと、俺は見送りに出る。

「年長者からの助言、随分と為になった。忝(かたじけな)い。」

「気にするな。友の困りごとに手を貸したまでのこと。何の気兼ねも見返りも要らぬ。それに、次はいつ来れるかもわからんからな…。」

「もう、国を発つのか。」

「ああ、さんざん世話になった徳川殿への礼と報告も済ませたからな。あとは細かな用事だけだ。おそらく近いうちに、我が郷国にて合戦が始まるだろう。もしやすると、今日が最後に顔を合わせた日になるやもしれん。だが、実に楽しい語らいだったぞ!愉快な話も多く聞けた。こうして無理にでも足を運んだ甲斐があったというものだ。」

そう云い終わると背を向ける鄭。どこぞに控えていた側近が現れ、傍に付かせるや歩き出す。

「伊織。先達としてのあの助言、忘れてくれるなよ。くれぐれも将来の妻を幸せにしてやるのだぞ。 ではな!はっはっはっはっは―――」


気前のいい笑い声と共に。赤い衣の好漢は夜へと溶け込んでいった。




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