リハビリ正雪先生


「伊織殿……」
 俺——宮本伊織は正雪の望む通りに頭を撫でる。長く翠みを帯びた白い髪を解き、手を差し入れる。緩やかにその髪を手櫛していく。
 布団の上で正雪と向き合い座りあう。手を伸ばして、淡雪のような正雪に触れる。
「ふふっ、伊織殿」
 擽ったいのか正雪はくすくすと笑いを溢す。
 正雪の髪は綺麗だ。手櫛していても引っかかる事がない。幼い頃、カヤの髪を梳かしていたので髪の手入れが大変な事は知っている。正雪は髪の手入れを欠かした事がないのだろう。
 ずっと触れていたい願望を抑えて、手を止める。これ以上、正雪に触るまいと手を膝の上に置く。
「伊織殿、どうした?」
 不思議そうに正雪は首を傾げる。
 今までは何も言わずにこのまま目合う事が多かった。しかし、それではダメだ。
「正雪、今日はこのまま終わってしまおうか?」
「あ……、あぁ。わかった」
 しょんぼりと言わんばかりに正雪は微かに俯いた。
「そんな顔をしないでほしい。正雪が望むのであれば続けるが」
「わ、私が……?」
 正雪は明らかに動揺を見せた。
 今までは受け入れるだけで幸せそうにしていた正雪に是非を問う。そうしなければならない。
 正雪には己の欲を理解してもらわねばならぬ。道具ではないと自覚させる為。
「わ、私は伊織殿の望むままに」
「俺ではない。正雪の望みを知りたいんだ。続けるべきか? 否か?」
「………」
 正雪の目が泳ぐ。更に頬が赤く染まっていく。口はもごもごと動いているが、言葉は出てこない。
 そこに正雪の人間味を感じられて嬉しい。
「私は伊織殿が終わりだと言うのであれば終わりにする……」
「良いのか? では、明日も早いので俺は部屋に戻るが」
 士官してから大きな屋敷に住居を移した。そこで正雪を監禁したのだが、今は自由を与えている。正雪と俺の部屋はしっかりと分けられ、窓のなかった正雪の部屋は日当たりのいい部屋に移した。
「伊織殿は部屋に戻ってしまうか?」
 正雪は泣きそうだった。甘やかしたい衝動に駆られるのをグッと堪える。
「あぁ」
「……ぁ」
 正雪は僅かに声を溢す。俺の着物を掴む手に僅かに力が入った。
「正雪、着物を掴んでどうした?」
「あ、これは……」
 無意識だったのだろう。正雪は俺の着物を離すが、すぐにまた掴んだ。
「俺は正雪の望みが知りたい」
「……もう少しだけ、もう少しだけでいい一緒にいてくれ」
「相解った。いるだけでいいのか?」
 俺は正雪と向き合ってはいるが相変わらず手は膝の上に置いたままだ。
「………」
 正雪は応えない。
「………」
 正雪が応えないので、俺も無言を通す。少しと言われたので、このまま再び部屋を去るフリもできなくはないが、あまり度が過ぎると正雪が諦めて受け入れてしまう。それはダメだ。正雪が口を開くまで待たなくてはならない。
「伊織殿」
「なんだ?」
「……もう少し、もう少し、触れて……」
 ようやく口を開いた正雪は涙を溢した。
 道具としての自意識と人間性としての欲の狭間で揺れているのであろう。
「相解った」
 正雪の頬に手を伸ばして、涙をすくう。すると待っていたとばかりに正雪は俺に身体を預けてきた。胸元に正雪が顔を埋める。
「伊織殿……」
「どうした?」
「独りは嫌、なんだ……」
「あぁ」
「独りは……、耐えられない」
「ならば、そばにいよう」
 正雪の背に腕を回す。正雪はそれで許可を得たと思ったのか、同様に俺の背に腕を回した。
 ……今日はここまでだな。これ以上欲を口に出させたら、正雪が自己嫌悪で病んでしまう。明日はもう少し訓練を重ねよう。
 ならば、後は口にしない欲を汲んでやるだけだ。
 俺は正雪を優しく押し倒した。
 正雪は涙を流しながらも嬉しそうに微笑んだ。
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