3年間寿命が伸びる禁煙方法


ムチャッムシャッモチャッ…!

「チ、チリちゃん。そんなに食べるとむしばになっちゃいます!」

モッチャモッチャゴクン…

「あーポピー大丈夫やでー…。チリちゃん…無敵や…さかい…。」

脳を焼き尽くすような、とてつもない眠気や喫煙欲と戦いながら、チリは力なくデスクに突っ伏した。

禁煙初日にアオキが差し入れた徳用のゼリービーンズ1kgのボトルは、3日目にして早くも底が見えてきた。

「ドラゴンの神様!芸術の仏様!チリを!いつものふざけた彼女に戻してくださいませ…!」

喫煙とは無縁のハッサクは、まるで病人のようなチリの憔悴ぶりに天を仰ぎ、目を潤ませながら祈りを捧げている。

「チリちゃん…、四天王で…いちばん、ふざけてへんけど…。」

反射的なツッコミにも覇気がない。

その時、うつ伏せのまま手探りでまさぐろうとしたチリの右手が、ゼリービーンズの大きなボトルを倒してしまった。

デスクと椅子の下を色とりどりに染める、散乱したゼリービーンズの雪崩。

「うぼおおい!おいおい!いっそ今すぐニコチンを摂取して楽になってしまえばよろしいものをッ!」

不治の病に冒されたヒロインに自決を勧めるように、ハッサクが両目を覆って泣き出した。

「大声で誘惑すんのやめてーな…。倉庫からホウキとってきますわ…ついでに売店でガムも買うてきます…。」

ゆらりと立ち上がったチリは、
想い人に負けない猫背と、焦点の合わないクマだらけの目で、おぼつかない足取りとともにオフィスを後にした。


全ては想い人――アオキの一言から始まった。

アオキとチリが両思いなのはリーグ内でも周知の事実である。が、当の二人は、自分たちの関係が気づかれている事など知るよしもない。

いち早く彼らが恋人だと気づいた者たちの多くは、肉欲まみれのオフィスラブでは?いや、大人しいアオキさんをチリさんが無理やり手篭めにして…!などなど、いかがわしい邪推を立てていた。

だが、いざコッソリと探りを入れてみれば、アオキとチリの交際は初心な中高生のごとく健全そのものであり、

仕事の休み時間だけでなくプライベートな時間も共にするが、手を繋いで歩くのがやっと。

噂によれば営みはもちろん、キスさえもロクに交わした事がないらしい。

そんなじれったさに母性や父性、庇護欲その他をくすぐられた同志によって

秘密結社「アオキさんとチリさんのゴールインを全力で手助けする同好会(通称アオチリ同好会)」が発足するまでに時間はかからなかった。

そして、偶然を装ってアオキと廊下で接触した「アオチリ同好会」の女性が、勇気ある質問を彼に投げかけた。

「アオキさんって…入籍はされないんですか?」

一瞬ギョッとして、目を泳がせたアオキ。

「入籍…?それは、結婚ですよね。自分が、ですか…。い、一体だ、誰と?」

よく見ると、ポーカーフェイスなアオキの耳と頬がうっすら赤くなっている。
これでもチリとの関係を本人は大マジメに隠しているつもりなのが、アオチリ同好会を悶えさせる一因である。

どもったアオキを見逃さず、女性は質問を畳みかけた。

「アオキさんほど緻密な勝負をする人なら、きっと将来の設計図もしっかり描いてるんだろうなあと思いまして!人生勉強のために、ぜひお話を聞いておこうかなって!

もし、良い人がいたら!の話ですけど!アオキさん的に、どんな家庭を築きたいですか?たとえばお仕事は?もしお子さんが生まれたら…」

まくし立てられたアオキは、両手のひらで女性を制した。

困りきったアオキの大きな瞳が、自販機の影を見やる。

するとそこには、青いメーカーロゴのてっぺんからチラチラと覗く、見慣れたグリーンのアホ毛。

(もしかして、この人はチリさんから相談でも受けたのでしょうかね。それで自分の価値観を探りに…。)

と誤解し、アオキは目をつぶって長考したあと、質問への答えを淡々と口にした。

「…もしもの話ですが…万が一、自分に伴侶がいたとすれば…」

自販機の影に貼り付いたチリと「同好会」の女性の喉が、同時に鳴った。

「…やはりタバコを吸うのはいただけませんね。せめて、子どもを授かってからはやめてもらいたい。」

(まさか、2年にもなるのにアオキさんと深い仲に進めんのは…!)

偶然たまたま居合わせ、とっさに隠れた(つもりの)チリは涙目で顔を覆った。

(チリちゃんがヤニ臭かったからかいな…!)

「なるほど!たしかに色んな悪影響がでるって言いますしね…。」

「あとは味覚ですね。自分も喫煙をやめたクチなのですが、かけそばの出汁の香りやおにぎりの甘みが格段に感じとれるようになりました。」

チリの存在を意識してか、話を止めたアオキは鼻から大きく息を吸った。

「…あとは何より」
「すごく納得しました!そっか〜…やっぱりチ…あの人タバコ吸うんだ〜…」

「あ」

アオキの沈黙を会話の終わりだと判断した「同好会」の女性は、ブツブツ独りごちながら廊下を後にした。

「…まあ、本人がいる所で言うのは恥ずかしいですし…」

(バレとる!!)

チリのアホ毛をため息まじりに一瞥したアオキは、青い自販機をワザと掠めるように通り過ぎ、隣の階段へ姿を消した。

アオキの靴音が遠ざかるにつれ、自販機に張りついたままのチリに炎が灯る。

ガッツポーズの右手が布ずれの音を鳴らした。

「禁煙や…!中身も美人さんになって、絶対アオキさんと籍入れたる!」

チリは、残り数本の箱をスラックスのポケットから取り出すや、明日から本気を出そうと心に決め、いそいそと喫煙所へ向かったのだった。

「……」

オフィスを出たチリの頭には、もはやタバコの事しかなかった。

寝起きに一服した時の、食後や1杯やりながら燻らせる時の、こわばった神経が溶かされるようなニコチンの快感を渇望している彼女の脳。

チリたち四天王のオフィスは二階。同じフロアにある倉庫を通りすぎ、一階の売店でタバコを求めようと彼女はエレベーターの前に立った。その時。

「チリさん、お疲れ様です。」

「ゲッ…!」

「禁煙は順調ですか?」

チリは思わず顔をしかめた。何という絶妙なタイミング。チーンとベルが鳴り、まるで彼女が目の前にいるのを察したようにアオキが現れた。

「…ぼちぼちですわ。今から売店にガムでも…。」

「その様子だと、ゼリービーンズが底を尽きましたか。」

エレベーターから出てチリと向き合ったアオキは、背広の懐から二本のガムを取り出した。

カフェインが入った目覚まし粒ガムと、カイスのみ風味の児童向け板ガム。

「どうぞ。これには自分もお世話になりましたから。」

「お、おおきに。さすが準備がええわあナハハ!」

チリは内心で歯ぎしりした。売店に行く口実が無くなってしまったではないか!

「…チリさん。ここからが正念場です。」

考えを見抜かれたように両肩を掴まれ、不意をつかれたチリは顔を赤らめた。

「山は3日目、2週間目、それから1ヶ月目。最後が半年目。そこを越えれば吸いたい欲求はマシになります。」

顔を寄せられ、チリの顔がますます沸騰していく。品のいい柑橘系のヘアトニック。彼女が去年の誕生日にプレゼントしたのと同じ匂いだ。

「ですが、喫煙欲は完全に無くなる事はありません。
自分は7年経ちますが、未だに吸いたくなる時があります。ニコチンとは恐ろしい。自分の意思ではどうにも出来ません…今がまさにそうです。」

いつにもなく饒舌になりながら、アオキの顔がますます詰められた。互いの鼻先どうしが触れ合うほどの距離。

「ですので…」

2人の唇が一瞬だけ重なった。

「…自分が思いつくかぎり、一番の禁煙方法を試してみました。」

かすかにニヤけたアオキの顔が離れ、何が起きたかを1拍おくれで理解したチリは、オクタン顔負けに耳の先まで顔中を真っ赤に染めた。

「い、い、い、いきなり何すんねん!?」

動悸がとまらない。アオキからプロポーズを受けた日以来の口付け。チリは後ろの壁にへばりついた。

「…これは、自分なりのケジメと言いましょうか。」

いつもと変わらないトーン。しかし業務開始のように太い眉を怒らせて、アオキが粛々と告げる。

「伴侶にも禁煙してもらいたいのは、自分より先に逝って欲しくないからです。自分を看とるのは貴女でなければ。」

か細いテノール。だが、キッパリと言い切ったアオキに、チリの赤い瞳が揺れた。

「約束しましょう。半年です。
何度リタイアしても構いません。ですが、もし一口も吸わずに半年耐えたなら、その時は…」

2人の黒い手袋が1つに重なり合う。

「その時は、貴女のご両親へ挨拶に行かせてください。」

いつもの脱力しきった姿からは想像もつかない握力。

「…やっぱアオキさん、営業向いとるわ。」

口を尖らせたチリは、そっぽを向きながら漏らした。

「……15分。15分しか持たへん。」

アオキは、いつもより幾分かキリッとしながら彼女を見つめたまま。

「せやから、デスクの片付け終わったら、また……くれる?」

ボソボソと紡がれた言葉に表情を緩めたアオキは、

「…手伝いましょうか。」

ニパッと輝いたチリの微笑みに目を細め、

組まれた両手を恋人つなぎに変えると、廊下を見回しながらチリとともに倉庫まで連れ添った。
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