三人の花嫁


――この部屋は、だめです。この部屋は。


<比率>
0:0:1

<時間>
15~20分


<登場人物>

作家
【作家(さっか)】性別不問
「あなた」が手に取った「作品」の作者であり、語り部。



<利用規約>
https://writening.net/page?bmsmZi


------------以下台本—----------


作家:

愛しき読者へ。
もしかしたらこれは、少し、気持ちの悪い物言いかもしれない。
けれど、これを手に取って読んでいるということは、私の話に、ひいては私自身に惹かれたということになるだろう。私はそれが嬉しい。なぜなら私は、作家だから。だからつい、このような大げさな表現をしてしまったことを、許して欲しい。

早速、本題に入りたいと思う。
長々と関係のない話をしていては、興が削がれてしまうだろうし、なにより前置きがだらだらと冗長であるのは、作家である私自身が許せない。
だから安心して、ページをめくってほしい。

【間】

四月二十七日。
取材と執筆のため、郊外のとある宿に数日間滞在することとなった。
宿自体はいたって普通の、古き良き旅館といった風情だ。

が、通されたその部屋だけが、どこかおかしかった。

床の間にはたくさんの人形や花が飾られており、その中央には、何故か水の入ったグラスが、ぽつんと置かれていた。宿である以上、毎日掃除が入っているはずだろう。それなのにグラスの周りはうっすらと埃が積もっており、水は真白に濁っている。まったく交換されていないのではないだろうか。そもそも、この水は一体なんのために置かれているのか。
さらに言うなら、そこは、室内の他の場所に比べると妙に暗く、じったりと、肌にまとわりつくような湿度を感じさせた。
「この辺りは、あまり使わないでおこう」――そう思ったのは、あながち間違いではなかったらしい。
チェックイン直後に部屋にやってきた担当編集は、私が扉を開けるのと同時に血相を変え、強引に私を部屋の外に連れ出すと、こう言ったのだった。

「この部屋はだめです。この部屋は」

彼は数分間、額に脂汗を浮かべてそればかりを繰り返していたが、やがて思い出したように、手にしていた、おそらく私への差し入れであったはずの麦茶を一気に飲み干した。

「あの部屋は、だめです」

同じ言葉を繰り返すと、彼はようやく言葉を続けた。

「あの部屋は、呪われています」

陳腐な怪談話のようなことを、担当は至極真面目な顔で言う。しかし、あの床の間の異様さを体感したばかりの私は、それを笑い飛ばすことができず、沈黙でその後を促した。

「私には、ほんの少しだけ、『見る』力があります。ですが、そこから理解できることはごく僅かです。そのごくわずかなことだけでも、あの部屋がとてつもなく危険であることは分かります」

例の部屋の外にいるというのに、私の背にはあの床の間の空気がべっとりと、粘膜のように張り付いているような気がした。そして、つうっと糸を引いてあの部屋と繋がっているような。
担当は、空になった麦茶のペットボトルを握りしめた。べこり、とペットボトルが悲鳴を上げる。

「過去に何があったのかは分かりませんが、あの部屋には、三人の花嫁装束の女がいました。彼女たちは、全てを憎んでいます。彼女たちの愉しみは、生者に、想像を絶するほどの恐怖を与え、地獄へ引きずり込むことだけです」

ごくり、と鳴ったのは、私の喉だっただろうか、それとも担当の喉だっただろうか。

「あれはもう、誰の手にも負えません。恐らく旅館でもあらゆる手を尽くしたでしょう。それでも、あれはだめだったのでしょう。ええ、だめでしょうとも」

つまりその言い方からすると、私はまるで――

「先生は、生贄のようなものです」

ふうっと、彼は息を吐く。吐きたいのは、私の方だ。

「定期的に部屋に客を入れて、彼女たちを満足させておくことで、他に害が及ぶことを防いでいるのでしょう。申し訳ありません。私の落ち度です。そんな曰くのある宿だったなんて」

今からでも宿を変えることはできないのか、そう尋ねた私の目を虚ろに見つめ、担当は首を横に振った。あの部屋に踏み入った時点で、「はじまり」なのだそうだ。誰にとっての、そして何の「はじまり」であるのかは、さすがに聞かずとも分かった。しばしの沈黙の後、「逃げきれるとしたら」と彼は口を開く。先ほど麦茶を飲んだばかりだというのに、その声はひどくがさついていた。

「いいですか?決して、彼女たちとは目を合わせないでください。彼女たちが視界に入ったとしても、反応してはいけません。床の間に並べられたものに不用意に触れてもいけません。とにかく、彼女たちのことなど見えていない、気付いていないという振りを続けてください。でないと……」

担当はそこで、言葉を切った。もったいぶったわけでないのは、さすがに私でも分かった。単純に、恐ろしいのだ。その言葉が。私も、彼も。が、きっとそれは、口にしなければいけない言葉だ。私は待った。

やがて、くっと目を見開き、彼は一息に言った。

「でないと、死にますよ」

【間】

四月三十日。
その時から、私の孤独な戦いが始まった。
視界の隅には常に女が三人いた。担当が言っていた通りの、花嫁装束の女が、三人。眼窩(がんか)に眼球は存在せず、暗い闇が広がっており、口元には笑みを湛(たた)えている。その口角は、限界まで引き上げられており、果たして「笑み」と呼んでよいのかも分からないほどだった。

花嫁たちは昼夜を問わず、私の目を自分たちの方に向けようと仕掛けてきた。
耳元に吐息を感じることもあれば、「見えてるんだろォう?」と囁かれることもあった。
部屋の隅あたりから聞こえる、がりがりという音の方を横目で見やれば、花嫁たちが笑いながら畳に爪を立てていた。
備え付けの冷蔵庫の中身はすぐに腐り、部屋の中は常に腐臭が漂っていた。

担当は、というと、この部屋には一歩も入っていないというのに、この数日の間にすっかりと衰弱し、ついには担当を降りてしまった。

「見る」というのは五感のひとつだ。つまり、「見える」人間は、本能に近い動物的な感覚が、常人よりも鋭いと言えるのではないだろうか。彼はあの日、恐らく、部屋の扉を開けたあの一瞬で、致死量に近いほどの悪意を浴びてしまったのだろう。

五月一日。
運転すらできないほどに弱っていたらしい担当は、迎えに来た家族の手で車に押し込まれ、宿を去っていった。彼は、車の扉が閉められるまで、ずっと青い顔のまま、両肩を限界まで内側に寄せて「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返していた。

五月二日。
宿に比較的近いところに住むという別の担当が、子連れでやってきた。

「すみません、旦那も義理の両親も、ちっとも頼りにならなくって」

ふっくらとした、快活なその女性は、利発そうな子供の手を小さく振りながら、そう言った。そして、その快活さの裏返しの鈍感さで、私の部屋にずんずんと子供と手を繋いだまま入って行くと、床の間のグラスに視線を止めた。
喉元まで出かかった制止を、私は飲み込んだ。卑怯者と、言われるだろうか。だとすれば、彼女を制止すれば、私が花嫁たちの存在に気付いていると知られてしまうという、その恐怖が、私を卑怯者にしたのだ。卑怯者でもいい、私は、助かりたかったのだ。

「いやだ、なんでこんなに汚い水をほうっておくのかしら。宿の怠慢ですね」

からからと笑うと、彼女はグラスをひょいと掴むと洗面所に向かい、真白く濁った水をばしゃりと洗面所に流してしまった。

「はい、先生」

手渡されたグラスの中で、新しい、澄んだ水が揺れている。水面には、彼女と、その背後で彼女を飲み込まんと、大きく口を縦に開き、眼窩の闇をかまぼこ型にした花嫁たちが見えた。

五月三日。
彼女の子供が死んだ。彼女の目の前で、足のつく深さの浴槽で溺れて。
彼女はすぐに子供の手を掴んで浴槽から引き揚げようとしたが、抱きかかえなれているはずの子供の身体は、庭石のように重く、子供の吐く泡が少しずつ小さくなってゆくのを、悲鳴を上げながら見ていることしかできなかったそうだ。
半笑いで語る彼女を、私は見つめることしかできなかった。

そういえば、前の担当はあの部屋のことを彼女に伝えなかったのだろうか。もっとも、伝えたところで、彼女がそれを素直に信じるとも思えないが。
いや、もしかしたら、私の身代わりにするために、全てを秘していたのかもしれない。この宿を取った自分の責任を、果たすために。ただの都合のいい、私の妄想かもしれなくとも、そうであって欲しいと、思った。

五月四日。
彼女は一晩中、狂ったように笑い続け、笑顔のまま、自室のドアノブで首を括った。

もしかしたら、これで私は解放されるかもしれない。

が、私の淡い期待は、耳元で大音量で笑う花嫁たちの声で、ぱりんと、いとも簡単に打ち砕かれた。

もうだめだ。逃げよう。
この部屋に入った時点でおしまいだと例の担当は言っていたが、車で遠く離れてしまえば、呪いとて薄まってゆくのではないだろうか。ずっとこの宿に巣食っているものたちであれば、なおのこと。その証拠に、部屋にいないときは、何も怪現象は起きなかったではないか。そうだ、どうしてその可能性に気付かなかったのか。あれだけの現象に遭遇しながら、何故耐える選択しかしなかったのか。素知らぬ顔をして、あたかも急用ができたかのように宿をチェックアウトし、そのまま遠方に逃げればよいのだ。

私は早々にチェックアウトを済ませ、車へ向かった。部屋を出てしまえばこちらのものだ。
車の鍵はいとも簡単に開き、アクセルを踏めば、エンジンは拍子抜けなくらいすんなりと音を立てた。車は順調に滑り出す。あとは、逃げるだけだ。

宿はいつしかバックミラーから消えていた。私はハンドルに視線を落とし、ほっと息をついた。なんだ、こんなにも簡単だったんじゃないか。安堵して、視線を前に戻す。

十字路のど真ん中に女が三人、立っていた。

「轢いてしまう」と、状況の異常さを訝(いぶか)しむよりも先に、ブレーキを踏んだ。前につんのめりはしたが、衝撃はなかった。よかった、なんとか事故は回避出来たようだ。もう一度安堵のため息をつき、改めて十字路を見ると、

女たちが、けたけたと笑っていた。

やがてその姿はぐずぐずと崩れ、すぐに粘土細工を作るようにぐにぐにと、あの三人の花嫁の姿に変わっていった。

……ホォら、やっパり見えテタ。

みえてたみえてたみえてたみえてたみえてたみえてたみえてたみえてたみえてたみえてた
みえてたみえてたみえてたみえてたみえてたみえてたみえてたみえてたみえてたみえてた
ミエテタミエテタミエテタミエテタミエテタミエテタミエテタミエテタミエテタミエテタミエテタミエテタミエテタミエテタミエテタミエテタミエテタミエテタミエテタミエテタ

喉の奥に溜まった血をがらがらと鳴らすようなその声に総毛立つ。私は、獣のような唸り声をあげると、勢いよくアクセルを踏み、そのまま花嫁たちに突っ込んだ。

どん、ぐしゃりと、今度こそ衝撃を感じた。フロントガラスには、鮮血が飛び散っている。なるほど、今度はその手で私の心の隙をつこうというのか。なんともご丁寧なことだ。だが、私は逃げ切ってみせる。

緊張で、ハンドル操作が覚束ない。限界までアクセルを踏み込んだ車は、右へ左へと蛇行する。それでも、走っている。大丈夫だ、負けるものか。私は生きる。生きるんだ。

花嫁たちは、幾度も私に幻覚を見せた。
横断歩道の真ん中で呆然と立ち尽くす老人や、蛇行する車から逃げ惑う若い男女。彼らと衝突するたび、どん、ぐしゃり、どん、ぐしゃりと、衝撃がてのひらに、足の裏に伝わる。だが、もうこわくなどない。一度見せられた手のうちだ。怖いはずがあるものか。無視だ。無視を続けろ。

幻覚の頻度が増し、ハンドル操作はますます覚束なくなってゆく。フロントガラスは、蜘蛛の巣のようなヒビだらけで、そこに流れ込む鮮血が、蜘蛛の巣を真っ赤に染めていた。

信号機の標識に、見慣れた町の名前が見えた。ああやっと帰ってきた。もう大丈夫だ。
最後の悪あがきか、花嫁たちは、私を宿に連れてきた担当の幻覚を見せた。宿を出た時より少し顔色が良くなっていた担当は、ああ、とその口を大きく開けていた。
惑わされるな。もう少し、あと少しで私は帰れるんだ。

どん、ぐしゃり。
どん、ぐしゃり。

ほら、私の勝ちだ。

【間】

愛しき読者へ。
いかがだったろうか。私の話は。恐ろしかっただろうか。いいや、恐ろしくなくては困る。
全身の毛穴が縮み、産毛の一本まで残さずに立ち上がるほどの恐ろしさを与えたくて、私はこの作品を認(したた)めたのだから。これは、作家としての本懐でもあるだろう。

三人の花嫁たちは、今日もあの部屋で、清浄と生命をことごとく蹂躙しながら、笑っている。
今になって知ったことだが、あの部屋には花嫁たちに捕らわれた魂たちが、びっしりと隙間なく詰め込まれ、イソギンチャクのように蠢いていた。そのくせ、互いの存在は認識することができず、彼らは常に孤独と恐怖にすすり泣いている。あの日死んだ女性とその子供も、きっと部屋のどこかで、なんなら隣り合った状態で、互いを呼びながら泣いているかもしれない。なんと悲しく、恐ろしいことだろう。

花嫁たちは時折、憐れな魂を、戯れにひと撫でする。花嫁たちのひと撫でで、その魂は千々に裂け、血を流す。そして、死してなお犠牲となった魂を、花嫁たちはぺろりと、「喰う」のだ。喰われる瞬間の魂は、それこそ筆舌に尽くしがたいほどの、おぞましい恐怖の悲鳴を上げる。その様は、まさに魂の踊り喰いだ。そして、飲み込まれた犠牲者たちの新鮮な恐怖が、花嫁たちをさらに邪悪にする。

恐怖は、生物としてはあまりにもか弱い人間が、この自然を生き延びるための防衛反応だそうだ。つまり、人間が人間として存在している以上、恐怖は常に付きまとう。それなら確かに、それを喰らうこの三人の花嫁たちは、誰の手にも負えないだろう。実際、もはやあの部屋は、花嫁たちには手狭なようだ。

私は、卑怯者になることにした。いや、私はすでに、生き汚い卑怯者だった。なにせ、女性と子供の魂を「売った」のだから。

愛しき読者へ。
それにしても、宿泊先の部屋のテーブルに無造作に置かれたノートというのは、何故こうも、手に取って読みたくなるのだろうか。
まったく、好奇心というのは「恐ろしい」ものだ。

愛しき読者へ。
もう一度質問させてほしい。
私の話は、恐ろしかっただろうか。この際、ほんの僅かでもいい。小さなシミのような恐怖でも、その心に落とせれば、私は十分に役割を果たしていると言えるだろう。
最後まで読んでくれてありがとう。だからどうか



わたしをひとりにしないでほしい。





【幕】
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