蘭太の話


 思い返せば、数奇な人生であった、と、思う。
 禪院蘭太は禪院の傍流の出だ。禪院の名を冠してはいるが京都の宗家の出ではなく、数代前に地方へ鎮撫のために下向した分家の生まれである。
 本来は其の儘生家で育ち、禪院分家として割り当てられた区域の警邏と祓除を任されるはずであった。が、自らの数奇と関わることとなる転機は六つのときに訪れた。
 術式判明とともに、宗家の預かりになったのである。
 禪院は、往古来今一門総じて戦闘一族である。禪院にあらずんば呪術師にあらず、呪術師にあらずんば人にあらず。禪院の家に生まれたからには呪術師として生涯を家のため国のために尽くせと宣う家である。
 そんな土壌を持つ家であるから、禪院は術師の発掘と育成に並々ならぬ意欲を注いでいる。宗家は炳や灯、躯倶留隊といった戦闘部隊すら持っているほどだ。特に炳は準一級以上の実力ありと認められた術師たちで構成された最高位の戦闘集団。他には類を見ない規模と練度で祓除を生業とする禪院に、集団として比肩しうる組織は他にはない。
 とはいえ、禪院の係累であるならだれでも宗家で訓練を課す、というわけにはいかない。禪院の役儀と目的はあくまで祓除による世界の保護であり、育成は手段なのだ。人員が必要であれば既に基礎のできている者を集めて調練するほうが効率的なのだから、よほどのことでもなければ分家の人間を徴収してまで基礎から育成するということはない。ここでいうよほどのことというのは、禪院の相伝を持っているだとか最初から準一級以上になれる見込みが立つだとか、はたまた宗家の内政の力関係をどうこうするために送り込まれるとかそういう事であるが、残念ながら蘭太はそのどれでもなかった。
 だから、数奇の中心は影も形もないけれど、蘭太の宗家行きは転機と呼んでも差し支えないだろう。

 
 
 二度目の転機は一度目から遠く、実に八年後になる。
 柔らかな新緑がその色を深くしはじめ、陽光が日増しに輝きを増すような、そんな初夏のある日だった。
 滅多に鳴ることのない半鐘が午後のけだるい空気を揺らして、丁度任務も訓練もなく休んでいた蘭太は飛び起きた。
 宗家に異常事態が起きたことを知らせるその鐘の音を聞いたのは、この時で二度目であった。
 初めてその鐘が鳴った日のことは、今思い出しても空恐ろしさが拭えない。人智を超えた暴風が気紛れに通り過ぎていったような、そんな記憶だ。人智を超えた力を鍛え、操り、退けている家でなお、理解できぬ異質な存在。あれがもし破壊する意思を持っていれば、禪院家も自身も今ここに存在してはいないだろう。
 その恐ろしい記憶の再来を告げるかのような鐘の音。けれどあれから早数年、蘭太は訓練を積んだし、成長した。所属はまだ灯だが、近いうちに炳へ上がれるのではとまで言われる程度には実力を身に着けている。今度こそはという意気込みと、克己の機会だという二心でもって、元凶への対処へと飛び出した。
 そうしてこの時初めて、蘭太は自らの数奇の中心と相対することとなった。
 初めてというには聊か語弊がないでもない。実際には、数度遠目で見たことのある相手ではあった。そしてそれ以上に、よく噂を耳にする存在でもある。
 禪院家の忌み子、宗家から出た禪院の汚点。家の奥の座敷牢に飼われている、治癒の力を持つ受肉体。
 季節外れな深緑の長着に紺の袴。禪院の本家筋というには随分と色のない伸ばしっぱなしの髪をひらと靡かせ舞うように駆けてくるそれは、明らかに、脱走していた。蘭太と同じように飛び出してきた同僚たちと一瞬視線を合わせ、皆が同時に確保に動く。
 結論から言うと、蘭太は周囲の同僚たちと共にまとめて瞬く間に無力化された。状況判断も作戦立案も連携も、咄嗟だったとはいえ完璧にこなしたはずだった。互いが互いに実力と術式と役割を共有し、言葉や時間がなくとも阿吽の呼吸で事に当たる。軍隊である禪院ならではの戦い方は教育としてしっかりと行き渡り、実を結んでいた。抜き打ち訓練であれば満点な対応であっただろう。
 惜しむらくはこれが抜き打ち訓練などではなく、相手が誰より禪院としての戦い方に精通していたことだ。
 しゃん、と神楽鈴の音が一つ。居場所を常に知らさせるためにつけられているはずの枷をものともせず、猫のようなしなやかさで、鎌鼬のような素早さで、それは駆け抜けていった。置いて行った音は涼やかな鈴の音ひとつきり。
 何が起こったのかを後から思い出して整理すれば、たぶんこうだ。前衛を買って出た二人をあえて後ろに下がって受け、蘭太の視線を切りつつ力みすぎたところで脇を突破。蘭太の無力化を最優先に懐に飛び込み、猫だましの要領で術式を阻害しつつ投げ飛ばす。そのまま蘭太を前衛にぶつけて人雪崩を引き起こさせているうちに置き去りにして駆け抜ける。
 とはいえ当時の蘭太の視点では、それを捉え切れなかった。ただ憶えているのは実戦たたき上げのしなやかな野生と、研ぎ澄まされた集中力。正面からぶつかった、目的を果たさんとする真っ直ぐな眼差し。負けたとはっきり悟った時には既にその姿はなく、気を取り直して騒動の中心地に駆け付けられたのはすべてが終わった後であった。
 ほんの一瞬の邂逅でしかなかったが、確かにここが転換点であったのは間違いない。



 三度目の転機は、今度は程近かった。
 半鐘事件から数日後、蘭太は炳への昇格と共に一つ任務を仰せつかった。世紀を跨いだ二度目の禪院家抜けで大暴れした忌み子の世話係である。
 件の忌み子はと言えば、家の奥の座敷牢から躯倶留隊、灯、炳と全抜きして正門まで迫り、御三家会合からとんぼ返りした当主たち幹部と正面切って対峙した結果、家の奥から駆け付けた人員を加えた大人数に押され辛くも捕まるという大捕り物の末投降したのだという。前回と違って怪我人らしい怪我人を誰一人として出さずに速度で引き離した故の結果らしいので、もし駆け付けられる人員がなかったら取り逃していたかもしれない、らしい。現在は長寿郎の術式で座敷牢よりさらに奥にどおんと封印用の離れを建て、その奥深くの封印部屋に有りっ丈の札と枷で戒めて厳重に保管しているところだそうだ。
 その忌み子は、元は優秀な次期当主候補であったという。現当主と同じ相伝を継いでいるのみならず、齢6つにして扱いの難しい相伝を使いこなしてみせ、きっちり実力で他の候補と肩を並べて見せたとか。なるほど、数年間軟禁されていてあの身のこなしなのだからさもありなんというところである。
 しかし、7つほどのころより呪物を呑んだか神にとられたか、人が変わったようになったという。なんでも見通しているとばかりに不吉な未来の予言をし、人の心を見透かすような話し方をしだした、と。
 とはいえそれだけで斯様な大事になろう筈はない。こんな家業であるから、どこかから呪いでも貰って来たり神隠しに遭ったりなどないわけではないのだ。もしほんとうにそういった類であったならば、解呪ならずとも不気味な子供よと遠巻きにはすれど大人がその言葉を真に受けることはなく、封印処置に至るほどの要警戒物にはならなかっただろう。
 問題の骨子は、どこまでもその忌み子が本人同様だったことである。呪いの残穢も神霊の気配もなく、ただ時折見透かすような不気味な発言を繰り返す子供。そのうえ質の悪いことに、この忌み子は人と時を選んで立ち振る舞いを変え、明確に目標と策略をもって行動するのである。誰彼構わず“予言”を振り撒くのであれば子供の戯言か狂人の妄言と捨て置かれただろうし、突発的に牢を破り抜け出そうとしただけであればこれほど強固な封印などには至らなかっただろう。だがその忌み子は次期当主候補としての地歩を固めてから当主と他候補にだけ予言を開示し、御三家会合で幹部が本家を離れるのを見計らって脱走を試みた。
 呪詛を受け、神に拐かされて理知を失ったものであればありえぬ行動。よって、忌み子は本人の記憶と知能を持った本人ではないなにか……すなわち受肉体ではないかと判断された。
 ではさっさと秘匿死刑にでもして仕舞えば、との声もあるだろうが、こちらもそう単純にはいかない。忌み子はあくまで受肉体疑いであって、受肉体とはっきり決まったわけではないのだ。因果が分かってさえいれば解呪なり秘匿死刑なり打つ手もあろうが、現状は呪物を呑んで乗っ取られたと推測されるなにか、でしかないのである。呪術総本家のひとつとして、推測のみで処断してしまえば分家への示しがつかぬ。而して、正体が何であるか、呪物の出所がどこかなども分からないなど、御三家の名折れであるというのもある。貴重な相伝を失うわけにはいかず、はっきりと受肉体であると言い切れぬから消すわけにもいかない。しかし、高い知能と得てはならぬ情報を持ち合わせる正体不明の存在は危険で、とはいえその身に宿された反転術式の利用価値は高く。
 斯様な事情により、表に出せぬ忌み子は封印処置と相成ったのである。
 蘭太の役割は、その忌み子を死なさぬように給餌しつつ、制御することであった。曰く、回復のためにその力の一部が必要であるからいつでも使えるように最低限の栄養は与えておきたいが、口は塞いでおきたいと。現在は厳重に口枷を嚙ませているが、流動食や点滴で身体を持たせるのは難しいだろうという判断の上だという。故に、実力も申し分なく、術式的にも最適な蘭太に白羽の矢が立ったということであった。
 蘭太は一も二もなく拝命し、即日任地へと赴いた。
 そこに居たのは、人形のような子供だった。蔀と襖に何重にも立て切られ、注連縄と呪符に雁字搦めにされて世界から切り離されたような仄暗く澱んだ空気に満たされた一室。その中央に引き据えられるようにして枷に縛られ、すっきりと背を伸ばして端座している人影は、あの陽光の元とは打って変わってひどく薄く、華奢に映った。
 色素の薄い伸ばしっぱなしの髪、服の上からでも分かる薄い肩や首筋、そしてそれらを押さえつけるかのような厚く重たげな枷の数々。仄暗い行燈の灯りに照らし出された忌み子は、抑圧された無力な子供であった。
 ただ、あの時正面からぶつかり合い息を呑んだあの瞳だけは、何の変わりもなく強い意志を反映して行灯の仄暗い光にキラキラと輝いて。
 油断は、していなかったはずだ。受肉体かもしれない忌み子の封印は禪院の者として急務で、万一にでも同情したりしてはならぬと肝に銘じていた。それに、短い時間だったとはいえ実際に一度対峙し、敗北を喫した相手であるのだ。数々の呪具や符で封印されているといっても、侮れる相手ではなかった。
 話させない、声を聞かない、耳を貸さない。
 教えてもいない名前を呼んだ忌み子を術式で締め上げ、口を開こうとすれば箸を突っ込み、身体を動かそうとするのに合わせて枷ごと捩じり上げ、伸ばそうとする手を叩き伏せて、結果。
 初めて会ったあの時とまったく同じ方法で、真正面から突破された。
 条件はあの初対面時よりもはるかに悪かったはずなのに。呪力も術式も使わず、体術も枷で封じられている状態で、技術のみで術式を阻害し蘭太を下したのである。
 術式を破られた反動で蟀谷を押さえる蘭太に、やって蘭太くん俺に勝てたことあらへんかったし、と事実なのであろうが気に障る一言を置いて、忌み子は箸を要求した。ついと伸ばした、木枷に戒められた手で、さらりと目に治療を施しながら。
 初めて聞いた、耳慣れぬのになぜか馴染む京訛りに、どこかから日常が崩落する音が聞こえた気がした。

 

 四度目以降は、もう転機と呼ぶべきか怪しい。
 自身から話す権利を勝ち取った忌み子――直哉は、実にいろいろなことを教えてくれた。家の外の話、呪術の話、武術の話、派閥の話、遊戯の話、――、そして、禪院家と日本が辿る未来の話。話せさえすればあとはどうでもいいとばかりに、食事の度のべつ幕無しに言葉と情報を浴びせてくる以外は静かなものだった。出せと騒ぐことも、縄や枷を解けと要求することも、札を剝がすように懇願することもなく。一時は外してもらえる口枷ですら、嫌がることはなかった。堅牢で物々しいそれはかなりの負担になっていたであろうに、拒否する素振りがないどころか協力的ですらあって。毎度口枷を嵌めなおさねばならぬ蘭太のほうが、気が重くなるほどであった。
 むろん、一度術式を破られた後も数度は抑制を試みた。しかし直哉はその度に一枚上手を行っては真正面から受けて立ち、そして突破した。
 敵意や害意がないのはもちろん、甘言で人を篭絡するような、隔意を含んだ騙し討ちのようなことはせず。その名の通りに、毅然とした直球勝負でしかぶつかって来なかったから。
 だから蘭太は、直哉を信じることにしたのだ。
 とはいえ、蘭太にそう大層なことができたわけではない。何せ蘭太自身がまだ10代も半ばに差し掛かるか否かといったあたりの青二才である。直哉本人が禪院家を完全に敵に回して捨て置くという選択を望まなかったというのもあって、衣服や寝具を替えたり、枷を少し緩めておいたり、そういった細々としたことばかりにしか手が届かず。
 直哉はそれで十分だと笑ってはいたが、それが事実ではないことなど一目瞭然であった。
 蘭太が世話係を言付かったあの時点で既に病的な薄さをしていた直哉の身体は、成長期であることも手伝ってゆっくりと、しかし着実に削がれていった。ふと気を抜けば枷の下に擦過傷と鬱血が増えて、体温が下がり手足の先がつめたくなり、髪からはすっかり色が抜け、日に当たらぬ肌はそれだけでは説明のつかない白さを帯びて。最初はいつも起きて蘭太を迎えていた彼が、時折とはいえ眠り込むようになるまでそう長くはかからなかった気がする。
 それなのに直哉は、蘭太と腕を比べては術式を生かせぬことを惜しみ、ちょっとした傷を癒してはもっと修練したいと口を尖らせ、紙を折って式の素体を作っては呪力を扱えぬことに落胆して。どうしても、彼自身ではなく自身が何をもって禪院に、呪術界に資することができるかにしか目を向けていなかったので。
 世話を焼き、話を聞いて、共に日本を救うため力を尽くすと約束して。蘭太は、空回りして失敗した。
 直哉が彼自身に注意を払わぬのであれば、蘭太が彼を取り巻く環境をどうにかするしかないと思ったのだ。しかし炳に配属されたとはいえまだ若輩者の蘭太には頼れる人脈などなく、裏で密かに根回しするにもうまく立ち回ることは出来ず。あっさりと幹部たちに目論見が見破られた蘭太は忌み子に篭絡されたと判断されて世話係を外され、直哉に自ら近寄らぬようにと釘を刺された。
 そうして一度は諦めようとしたものの、蘭太はどうしても直哉を捨て置くことは出来なかった。とはいえただの分家の一男子である蘭太には政治力などは無くて。ならばと体術を鍛え、術式を研鑽し、ひとつひとつ実績を積んで。

 
 そうして、そうして。
 

「……忌み子に、魅入られおって……」
 苦々しげに吐き捨てられたその言葉を否定したくとも、喉が破れて声が出ない。ごほ、と喉に絡まった血の塊が逆流して、自らの死期を悟った。
 禪院にとってこの拷問は規律を乱す異端者の排除であって、矯正のためではない。ならば、直哉は呼ばれぬだろう。蘭太はここで処分される筈だ。この選択を後悔はしていない。恥ずべきは道半ばで倒れることではなく、進み続ける選択ができぬことだ。自身の意志と決断に従った結果なのだから、これで構わない。直哉には迷惑がかかるやもしれないが、彼の相伝する術式と反転術式が最後の一線を守ってくれるはずだ。……けれど、彼がすべてが終わってからこのことを知ってしまったら。
 ――直哉さん。どうか、信じて先へ進んでください。俺を信用しなくても、禪院を信用しなくてもいいんです。いくら利用して下すっても構わない。貴方自身を、直哉さん自身と直哉さんの選択を正しいと信じて、どうか、先へ。
 彼なら、何度だって立ち上がって前を向いてくれるだろう。苛烈な物言いで触れるもの皆切り捨てる勢いだったが、その刃を自身にも向けることを躊躇わない人だ。一度心に決めたことを、口に出したことを、ひっくり返すようなことをする人ではない。その意志の強さは知っているし、信用している。けれど同時に、彼がどこまでも人間であることも、知っているから。
 呪術師は、呪いを産まないという。それは半分正しく、半分間違いだ。呪力を感知できるから、それを制御するすべを持つ、ただそれだけのこと。ならば、制御を手放したこの祈りは、きっと。
 ――よろしく、おねがいします。

 高い位置にある狭く無骨な明かり取りの格子の向こう、金色の月が闇夜にまるく浮かんでいた。

 



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