「唯一の被爆国だからこそ、日本の政治家と左派メディアは核廃絶の『お花畑議論』をや めるべきだ」 (高橋洋一)


🖥



「唯一の被爆国だからこそ、日本の政治家と左派メディアは核廃絶の『お花畑議論』をや
めるべきだ」


1>>
唯一の被爆国だからこそ核廃絶の「お花畑議論」をやめるべき  高橋 洋一


 台湾有事の際に日本有事となる可能性は高い。もっとも困難な問題は、中国が日本に核攻撃を仕向けてきた場合
だ。いわゆる核抑止だ。日本が中国と同じく核兵器を持っているなら、戦争を抑止させることもできるが、日本は
核兵器を持っていない。米国の核の傘に頼らざるを得ない状況にある。

 産経新聞の榊原智・論説委員長は昨8月15日の第1面で、広島と長崎の平和宣言に言及し「はっきり言って、国民
の命と安全を脅かしかねない危うい主張である」(「首相は核抑止の重要性語れ 悲劇を繰り返さぬために」)と、
勇気ある筆を振るった。

 なぜなら、「現代の科学技術では、核攻撃をほぼ確実に止める手立ては見つかっていない」ことや、「本来であ
ればすぐにも廃絶したい核兵器を、自国または同盟国が戦力化しておかなければ、相手からの核攻撃を抑止できな
いというのが世界の厳しい構図といえる」と指摘し、「核抑止という概念自体は破綻していない」と喝破した。

 同感だ。これは、ロシアによるウクライナ侵略で、ロシアが核攻撃をにおわせたことを思い浮かべればよい。ウ
クライナが核を放棄しなければ、このような核威嚇は受けず、侵略自体もなかったかもしれない。核抑止という概
念は破綻していない。

 経済学者で嘉悦大学教授の高橋洋一氏も榊原論説委員長とまったく同じ観点から「原爆の日に毎年繰り返される
核抑止論の否定は、はっきり言って平和への貢献にならない」として、「日本は被爆国だからこそ、同じような、
またはもっとひどい惨禍を二度と起こさないために、核保有か核共有の議論を避けてはならないし、そう主張する
権利がある」と喝破する。

 高橋氏は、麻生太郎・自民党副総裁が台湾の講演で「われわれにとって今、最も大事なことは台湾海峡を含むこ
の地域で戦争を起こさせないことだ。抑止力は能力がいる。そして力を使うという意思を持ち、そしてそれを相手
に教えておく。その3つがそろって抑止力だ」と訴え、「お金をかけて防衛力を持っているだけでは駄目。それを
いざとなったら使う。台湾防衛のために。台湾海峡の安定のためにそれを使うという意思を相手に伝え、それが抑
止力になる」と明快に指摘したことにも言及し、「防衛力と同盟を前提として相手国に正しいメッセージを伝えて、
戦争を予防することが重要だ。それが抑止論だ」と剔抉。そして「この抑止論から言えば、麻生氏の発言は政府と
も調整済みの正しい外交的メッセージだ」と全面的に賛同する意を表している。

 下記に榊原智・産経新聞論説委員長と高橋洋一氏の論考をご紹介したい。

 なお、高橋氏の原題は「唯一の被爆国だからこそ、日本の政治家と左派メディアは核廃絶の『お花畑議論』をや
めるべきだ」ですが、長いため、本誌見出しでは「唯一の被爆国だからこそ核廃絶の『お花畑議論』をやめるべき
だ」として掲載しました。また、著者の高橋洋一氏の「高」は梯子(はしご)の高ですが、本誌では文字化けしま
すので、常用漢字の「高」としました。

◆首相は核抑止の重要性語れ 悲劇を繰り返さぬために
 榊原智(産経新聞論説委員長)
 【産経新聞:2023年8月15日】
 https://www.sankei.com/article/20230815-M6JD2NW5IVKCJBNJ3E3NVGW5Q4/

-----------------------------------------------------------------------------------------
唯一の被爆国だからこそ、日本の政治家と左派メディアは核廃絶の「お花畑議論」をやめるべきだ 
高橋 洋一(経済学者、嘉悦大学教授)
【現代ビジネス:2023年8月14日】
https://gendai.media/articles/-/114741

◆広島市長の「発言」に左派は賛同

 お盆の季節、わが国ではさまざまな式典が毎年執り行われる。8月15日には、全国戦没者追悼式が行われる。

 広島市の松井一実市長は、8月6日の平和記念式典で「核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるな
らば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くた
めの具体的な取り組みを早急に始める必要があるのではないでしょうか。」と述べ、日本は核兵器禁止条約の締約
国へなるべきだとした。

 この発言は、「政府批判」ともとれる。だが、立憲民主党、共産党、そして中国も特に意見を述べることもなく、
左派マスコミを中心に賛同的な報道をしている。

 ただし、今年は例年と違った政治家もいた。自民党の麻生太郎副総裁は8日、訪問先の台湾で講演し、「台湾有
事」を念頭に、「日本、台湾、米国をはじめとした有志国には戦う覚悟が求められている」「いざとなったら台湾
防衛のために防衛力を使う」などと訴えた。

 麻生氏の訪台・発言に対し、中国は9日、「強烈な非難」を表明して反発した。国内においても、立憲民主党の
岡田克也幹事長は8日、麻生氏の講演発言を軽率であると批判した。共産党の小池晃書記局長も8日、極めて挑発的
な発言と非難した。左派マスコミも、中国、立憲民主党、共産党に同調している。

 結論をいえば、こうした左派の反応は、すべて抑止論に対する誤解や無理解からきている。本稿では、抑止論と
その背景を考えてみよう。

◆戦争の確率を減らす

 筆者が、国会参考人陳述などの機会で繰り返して述べていることのひとつに「戦争の確率を減らすこと」の重要
性がある。かつて2015年7月20日付け本コラム「集団的自衛権巡る愚論に終止符を打つ!戦争を防ぐための「平和
の五要件」を教えよう」では、より一般的なフレームワークから戦争確率を減少させることを書いている。

 なお、今日的な問題では、そのうち(1)相手国が非民主主義国であること(2)防衛力のアンバランス(3)
同盟国がない、という事実が重要だろう。

 日本を当てはめると、北西方に、ロシア、北朝鮮、中国という核保有かつ非民主主義国がある。これはいかんと
もいがたい。そこで、防衛力のアンバランスをなくしつつ、日米同盟を強化するしかない。防衛力のアンバランス
をなくすために今年度から始まった防衛費のGDP比2%までへの引上げ、日米同盟強化のためには部分的な集団的自
衛権行使を容認した2015年の平和安保法制がある。

 次の手順として、防衛力と同盟を前提として相手国に正しいメッセージを伝えて、戦争を予防することが重要だ。
それが抑止論だ。

 その理論的基礎はゲーム理論であるが、2005年のノーベル経済学賞を受賞したトーマス・シェリングはその先駆
者だ。

 トーマス・シェリングは1960年の『紛争の戦略』でそのオリジナルの萌芽があるが、ゲーム理論の現実社会への
応用分析をしており、そのキモは、互いに相手の出方を考えながらそれぞれの行動が変わりうるというものだ。こ
の研究により、トーマス・シェリングは2005年にノーベル経済学賞を受賞した。

 トーマス・シェリングは、抑止論において重要なのはコミットメントであるとし、コミットメントをはっきりさ
せることで、相手国にメッセージを送り、これが戦争抑止につながるというわけだ。

 簡単に言えば、やられたら、倍返しするというメッセージを伝えるのだ。まさにこれこそが外交である。古くか
らの格言にも「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」というのもある。

◆核抑止論と国際関係

 今のロシア、ウクライナ、アメリカについていえば、バイデン米大統領がウクライナに米軍を派遣しないと言っ
たことが、ロシアに対する誤ったメッセージになり、結果としてロシアのウクライナ侵攻につながった。

 この抑止論から言えば、麻生氏の発言は政府とも調整済みの正しい外交的メッセージだ。

 シェリングは、抑止論においてコミットメントが重要だと言ったが、同時に信頼の重要性も指摘している。覚
悟があっても、それを裏付けるものがないと信頼できないのだ。

 そこで、確固たる防衛力、日米同盟の信頼性が問題になるが、政府は防衛費のGDP比2%に向けて動き出したし、
反撃能力についても閣議決定し、戦後からの「専守防衛」から一歩出ようとしてる。これらは正しい方向なので、
それらをさらに加速しなければいけない。

 抑止論を核問題まで広げると、いわゆる核抑止論がある。それは、核兵器による反撃を恐れさせることで攻撃を
思いとどまらせるという理論だ。

 冷戦下で重要とされた重要な戦略に「自動反撃機能」があった。これは、相手が核を発射したらこちらから核を
自動発射するということにすれば、共倒れとなるので米ソ両国は先制攻撃を控える、というものだ。

 この応用問題で、核保有国と非保有国なら、保有国が脅せば非保有国はなすすべがないばかりか、窮地に陥った
非保有国を助けようとする核保有国もうかつに手出しが出せなくなる。まさに、今のロシア、ウクライナ、アメリ
カの関係そのものだ。

◆「お花畑議論」はやめよ

 抑止論が破綻しているというなら、それこそノーベル賞ものだ。むしろ抑止論のロジックは今の状況である程度
妥当であると、ウクライナの例でもわかるだろう。ウクライナは核保有国だったが、非保有国になったために、今
日の悲惨が生じているのだ。

 アメリカとロシアにおいては、アメリカが通常兵器を惜しみなくウクライナに投入すれば、ロシアを撃退できる
だろう。アメリカがそれをやらないのは、ロシアが核兵器を保有しているからだ。

 さらに、この実例で、ウクライナを日本に置き換えるとどうなるのか。また、ロシアを中国や北朝鮮に置き換え
てもいい。

 広島市の松井市長は、これでも日本が核兵器禁止条約の締約国になるべきだというのか。なお、市長は平和記念
式典でガンジーの非暴力主義を例示したが、約50年前からインドは核保有国だ。

 日本において、もう相手国の出方を無視した「お花畑議論」はすべきでない。原爆の日に毎年繰り返される核抑
止論の否定は、はっきり言って平和への貢献にならないと筆者は考える。もっとリアルに状況を見るべきだ。

 ゲーム理論からの平和のための最適解は、日本も核兵器を保有する、もしくは核共有だ。中国、ロシア、北朝鮮
という核保有国に囲まれ、日本と似た状況の韓国では、既に国民の大多数がそう考えている。

 日本は被爆国だからこそ、同じような、またはもっとひどい惨禍を二度と起こさないために、核保有か核共有の
議論を避けてはならないし、そう主張する権利がある。

 安全保障は軍事分野だけにとどまらず、食料やエネルギーなど有事への備えは心許ない。海洋国家日本にとって、
シーレーンの安全保障は最重要課題であるが、台湾有事になったら日本のシーレーンの一部は寸断される。その備
えも行っておくべきは言うまでもない。

──────────────────────────────────────

2>>
日本に帰化した台湾出身の元文部官僚の光田明正氏「台湾は中国ではない」


 産経新聞編集委員の喜多由浩氏が2020年4月1日から2022年3月30日まで産経新聞に53回にわたって連載した「台湾
日本人物語 統治時代の真実」は、昨年6月に『台湾の日本人』として単行本となった。

 「日本人は真面目で、愚直なほど一生懸命に台湾統治をやった」ことを、後藤新平、新渡戸稲造、森鴎外とその子
の森於菟、磯永吉、末永仁、高野孟矩、斎藤茂、長谷川謹介、新元鹿之助、瀧野平四郎、吉村善臣など、人物を通し
て統治の実態を明らかにしてゆく。本書を読まずして日本の台湾統治を語るべからずの感さえ覚えるほどに、「志と
情熱や愛情を持って海を渡った日本人」の懸命な姿が生き生きと描かれている。

 本書の最後から2番目に、光田明正(みつた・あきまさ)氏を取り上げた「僕はずっと『日本人』だった」が掲載
されている。

 書き出しは「ひとりの男のことを書きたいと思う。光田明正(みつた・あきまさ)(85)。文部省(当時)留学生
課長、学術国際局審議官などを歴任した元キャリア官僚だ」と始まる。

 詳しくは本書を読んでいただきたいが、文部省時代の思い出として「人事で不愉快な思いをしたのは1度だけかな。
同期の中で課長になったのは僕が一番早かったし、留学生の倍増に取り組んだことなど、存分に仕事ができたと思っ
ています」と語り、台湾の日本時代については「基本は『一視同仁』。旧来の慣習や文化を尊重しつつ、徐々に内地
と同一化してゆく。欧米の植民地支配とは、明らかに違っていました」と語っている。
 
 この光田明正氏に台湾と中国の関係などをインタビューしたジャーナリストの高橋正成(たかはし・まさしげ)氏
は、「『カイロ宣言』で、台湾の中国帰属が一方的に宣言されたことや、今日の中国政府が強硬に主張する『台湾は
中国の不可分の一部』という主張には、実体験による『ノー』を光田さんは突き付けている」と紹介している。

 下記に、光田氏のプロフィールと、高橋氏の全文を紹介したい。

光田明正(みつた・あきまさ)
1936年、台北生まれ。1959年、東京大学経済学部卒業。翌年、文部省(当時)入省。留学生課長、学術国際局審議
官などを歴任。国際交流基金常務理事、長崎外国語大学初代学長を務めた。主な著書に『中華の発想と日本人』
『「国際化」とは何か』など。

-----------------------------------------------------------------------------------------
台湾出身の元文部官僚が語る��ぢ中華��ぢと��ぢ中国��ぢ 
戦前の台湾に生まれて戦後帰国した光田明正氏の体験
高橋 正成(ジャーナリスト)
【東洋経済ONLINE:2023年8月16日】
https://toyokeizai.net/articles/-/694299

 8月15日、日本はまた敗戦の日を迎えた。同時に、台湾など植民地にいた日本人や元日本人にも8月15日は人生
での大事件となっている。ここでは、台湾で敗戦を迎え、その後ようやく「帰国」、東京大学から文部省(当時)
に入省した光田明正さんの激動の人生と経験、中華・中国と台湾との関係を証言する。

 光田明正さんは戦前の日本統治下の台湾に生まれ、文部省(当時)で留学生課長、学術国際局審議官などを歴
任。国際交流基金常務理事や長崎外国語大学学長を務めた日本の国際化に貢献した第一人者である。

 祖先は中国大陸の福建から台湾に渡り、日清戦争をきっかけに日本国籍を選択した台湾人。日本が台湾を統治
するにあたり、政府は住民らに国籍選択をさせたが、光田さんの祖先は、近代化に成功した日本で日本人として
生きることを選択する。

 敗戦まで大日本帝国の領土は、北は樺太から千島、西は朝鮮半島、南は台湾から南洋諸島(委任統治)を含ん
でいた。日本はむしろ敗戦によってさまざまなルーツや文化と日常的に接する機会をなくしたと言える。当時、
光田さんら台湾人は「本島人」と呼ばれていたが、現代風に呼称するなら何々「系」日本人、つまり台湾系日本
人と呼べるだろう。

◆敗戦で中華民国国籍に変わる

 光田さんは自身のことを次のようにはっきりと言う。

「戦後の一時期、現実の国際政治上は日本国籍でない時期があったが、自分はずっと『日本人』だった」

 光田さんの父方の黄家は、1744年に中国大陸の福建から台湾に渡った資産家一族で、農場主として財を築いた。
一方で、曽祖父は官僚登用試験である「科挙」で合格するなど、当時の知識層の一族でもあった。

 母方の林家は、同じく福建のアモイの出身。長老派のクリスチャン・ファミリーで、祖父は英語を解し、イギ
リス系「ジャーディン・マセソン商会」(怡和洋行)に勤めていた。日本が台湾を植民地化する前に台北支店に
転任となり、台湾に移っていた。

 光田さんの両親は、日本の台湾統治が軌道に乗った後に生まれている。そのため、自らを日本人として疑うこ
となく生活し、父親は1928年に東京商科大学(一橋大学の前身)、母親は1930年に日本女子大学を卒業した。

 光田さん自身は1936年に生まれ、台北幼稚園から台北師範付属小学校へ入学。家庭内では日本語で会話し、友
人も日本人ばかりで、いわゆる差別をされたことや感じたことはなかった。

 ところが小学校在学中に敗戦を迎える。国籍選択のあった頃とはうって変わって、否応なく日本国籍を失って
しまったのだ。中華民国国籍となり、国民政府の教育を行う建国中学に入学することになった。

 教室での用語は日本語から中国語の世界に変わったが、同級生らとは教師の目を盗んで日本語で会話していた。
後にこの時の実体験に基づく言語の接触は、国の留学政策を取りまとめる仕事で大いに役立つようになる。光田
さんは著書で次のように記している。

「私は、英語、ドイツ語、フランス語を学んでいる。カナダに留学し、パリに3年住んだことがある。他方、私
は生まれ故郷、台湾の通常の福建語(●南語)は、17歳まで生活用語として用いていると同時に、北京語も台北
での中学・高校を通して学習用語、学校での通常会話用語として用いてきた経験がある。この経験を通してみる
と、北京語と●南語の距離は、英独の間よりはるかに大きく、英仏の距離にも匹敵するものと感じられる」
(『中華の発想と日本人』講談社、1993年)(●=門構えの中に虫)

 1947年2月28日に発生した「2・28事件」(大陸から来た人に対する台湾人虐殺事件)に代表される、戦後中国
大陸から渡ってきた外省人と呼ばれる中国人の台湾人へのさまざまな迫害が起きたため、日本人と認知して日々
を過ごしてきた光田さん一家は、日本へ渡ることを考える。

 しかし、国民党政権下の台湾でパスポートを取ることは容易ではない。親戚や友人らのさまざまな伝手を頼っ
て何とかパスポートを入手すると、そのまま日本大使館でビザを取得。一家はすぐに飛行機で日本に向かった。

◆すぐに日本国籍に変えられなかった

 1953年、当時17歳の光田さんは、日本に到着したらすぐに日本国籍に戻れると思っていたという。しかし、戦
後の日本は彼らを日本人とは見なさず、「5年以上」居住しないと国籍取得の申請ができなかった。そもそも国籍
は勝手に中華民国国籍に変えられたのにもかかわらず、だ。

 戦後の価値観の大転換で、自分たちはいつの間にか日本人ではなく「外国人」になっていた。今でも光田さん
は理解に苦しむ変化だったという。そのような中、私立の國學院大学久我山高校がなんら分け隔てなく受けいれ
てくれたことは大きな喜びだった。

 その後東京大学に入学し、卒業間際の1959年に一家の国籍取得が認められた。翌年、文部省に入省。心に決めた
のは、人を育て、東洋の伝統的価値観である儒教などの学問を中心とした人材育成を実践することだった。さまざ
まな文化や言葉に接していたからこそやり遂げたい仕事だった。

 光田さんの考え方の中でとくに注目したいのは、文明圏の人々としての「中国人」、あるいは「中華」という考
えと、国民国家あるいはその人々の「国民」を指す「中国」や「中国人」は明確に違うという点だ。

 それは、光田さんの先祖が中国大陸出身ではあるが、自身や家庭が台湾にあったことで、よりはっきりと区別で
きる状況にあったことが考えられる。つまり住民の意思をまったく顧みずになされたアメリカのルーズベルト大統
領らの「カイロ宣言」で、台湾の中国帰属が一方的に宣言されたことや、今日の中国政府が強硬に主張する「台湾
は中国の不可分の一部」という主張には、実体験による「ノー」を光田さんは突き付けているのだ。

 光田さんは今も少年時代に学んだ明治天皇御製の和歌「新高の山のふもとの民草も/しげりまさると聞くぞ嬉し
き」を心の支えにしている。また常々、「日本人がしっかりしないと、喜んで自ら日本人となった母や祖先がいた
たまれない」と語る。

 かつて「一視同仁」として他民族の文化を尊重し、日本人として扱っていた頃を忘れたのか。今の日本人に問
いたい光田さんの本音ではないだろうか。

「台湾からの大陸への投資について、『言語が同じ……、親戚がいるから』という報道を見かけることがある。私
にとっては理解しにくい説明である。滑稽でさえある。福建語を母語として共有する福建人の親戚がいるとしても、
台湾人にとっては、日本統治下の五十年近くを念頭においた場合、それは観念的な、少なくとも四、五世代前に戻
っての親戚である。大半は、それよりはるか前の移民の後裔であるから、日本の語感で言う『親戚』にはあたらな
い。二百年以上前に分岐した者同士も親戚であろうか」(前掲書)

 また光田さんは、戦前のほとんどの漢民族が日本に反対する「抗日」勢力に属していたにもかかわらず、台湾は
この陣営に加わらなかった。それどころか日本国民として中国大陸や東南アジアに出て行った。そして漢民族とし
ての古い歴史を共有するかもしれないが、1895年の下関条約以降は近代国家の国民として中国大陸の人々とは異な
る道を歩んだと述べている。

 そして、日本人が見落としがちな、文明は1つだが文化は多様であること。また大きな文明圏と付き合う際にマ
クロ的に文明圏を貫くものを見出す努力と多様性に目を向ける必要性を訴えている。

◆中国でも漢族とウイグル族とは違う

 例えば中華料理はフランス料理やイタリア料理とは明確に違う。この違いは文明と置き換えることができる。一
方で、中華料理の中にも四川料理があり、広東料理があり、浙江料理がある。これらは文化に相当する。

 これら多様な文化に通底するものは何か。各文明圏の中核的共通性、その中での多様な文化の独自性の探求が、
文明を理解することであり、多様な文化との付き合い方だということだ。

 国際情勢が大きく変化する現代において、光田さんが発した1つひとつの言葉と意味をしっかり考えたい。ちょう
ど2023年4月21日の衆議院千葉5区補欠選挙で自由民主党の英利アルフィヤ氏が当選した。彼女は日本生まれで、ウ
イグル人の父とウズベキスタン人の母を持つ。そのような経歴にさまざまな声が上がっていたが、光田さんは次の
ように語った。

「英利氏は完璧な日本語を使う。まぎれもなく日本国民である。しかし、両親より受け継いだ文化があるはずであ
り、それは日本文化をより豊かにするプラス要素として、社会的働きをすれば、他人にはできない貴重な貢献がで
きる。素晴らしいことではないかと期待する」という。

 また「一方、メディアはご両親について『中国ウイグル自治区出身』と報じることが多い。現在、ここは漢族も
多く住んでおり、ウイグル族か漢族かを判断することは難しい。英利氏は、『アルフィヤ』という名前からウイグ
ル族と推測できるが、ウイグル族(イスラーム文明圏)と漢族とでは異なる文明を背景に持っている。メディアは
この点に注意して報じたほうが良いと思う」と忠告した。




_φ(・_・
お知らせ
実務でも趣味でも役に立つ多機能Webツールサイト【無限ツールズ】で、日常をちょっと便利にしちゃいましょう!
無限ツールズ

 
writening