二つの痕


「ね、トレーナーさん」
「エルダンか。どうしたんだい?」

アルダン──では、ない。容姿は言うまでもなく、声まで彼女に瓜二つの、エルダン。
そんな彼女に、俺は呼び止められる。

「ちょっとお話ししよっ?」
「…ああ」
「ほら座って座って」

促されて、トレーナー室のソファに腰掛ける俺。その横にふわりと、嫋やかに舞い降りる硝子ならざる令嬢。それが、メジロエルダンだ。

──メジロアルダンとメジロエルダン。鏡合わせのような双子。
その佇まいから儚げな印象があるが、エルダンの方が腕白というか…やんちゃではある。
ここにメジロラモーヌも加わるのだというのだから、凄まじい美人三姉妹がトレセン学園に在籍している、と噂が立つほど。
ただ、敢えて違いを出す為なのか、三つ編みカチューシャのアルダンに対して、特に髪を弄ったりなどはしていない。
なので、髪を下ろしているエルダンの方が、なんというか…若干幼いように見える。
髪型でこんな変わるものなんだなぁ、とちょっと感心したのを覚えている。

俺が担当しているのはアルダンだが、彼女の…エルダンのトレーニングプランも受け持っている。
彼女は硝子の足と呼ばれていたアルダンとは違い、体が強い。
俺の練るトレーニングに対しても、素直に従ってくれるし、改善点も挙げてくれる。
エルダンは勿論、アルダンのことを事細やかに把握しているので大いに助けてもらった。
二人三脚ならぬ、三人四脚で。割れない硝子へと成る事が出来たアルダンと共に、歴史をぶっ壊すことが出来たのだった。

───だが、そんな彼女は。未だに本格化が発生していない。

アルダンとの三年を駆け抜けても、尚。

…微睡む躰。本格化の有無は、レースにおいて明暗を分ける要素と言っても過言ではない。
いくらアルダンより体が強いとはいえ、本格化を迎えていないのであればレースへの参加は見送るしかない。

……もどかしい、と思う。けど、それはエルダンが1番理解している。
アルダンが、本格化を迎えてなお、トレーニングすらままならない体であった事を本当に口惜しそうに語っていたように。
彼女も──いつ起きる事が出来るか分からない泡沫の夢の中にいるのだから。

「…もうさ、三年一緒にいるでしょう?出会ってから」
「……そう、だね」
「お姉ちゃん、ほんとに綺麗になったと思う」
「私も、お姉ちゃんが元気になって、すっごい楽しくて。すっごい嬉しくて。」
「……きらきらと、輝いて。眩しくて。でも、私はあそこに居なくて」
「…うん」
「もしかしたらさ、本格化がこのまま、来ないのかもしれない」
「輝けないのかも、しれない」
「──────」

なにも、返せない。目の前の天真爛漫な少女が絞り出すような声に、言の葉を紡ぐ事が出来ない。何を言っても、今の彼女を癒すことは出来ないし、彼女を傷付ける刃にしかならない。
沈黙を…選択することしかできない。

「…あは。ゴメンね?いじわる、しちゃった」
「…そんな、ことは」
「私も、生きた証、遺したい。そんな想いがずっと燻ってるの。なんでか分からないけど、日増しに、強くなってて」

「潰れちゃいそうで」
「辛くて」
「苦しくて」
「……ラモーヌお姉ちゃんも、アルダンお姉ちゃんも狡いなって、そう思ってしまって」

「トレーナーさん」
「…なにかな」
「待ってて、くれる?」
「私が、目覚めるまで。夢から、醒めるまで」

そう、震えた声で、縋るように。ねだるように告げるエルダン。
そんな彼女の空色の髪の間から見え隠れする、此方を窺うように揺れるアメジストの宝石。
……ああ、知っている。
改めてトレーナー契約する時のアルダンも、この瞳を───

「今はお姉ちゃんに重ねないで」
「え゛っ」
「重 ね な い で」
「……ハイ」

俺の思考を読んで、そして遮るように。拗ねたような声で、拗ねたような表情でずずいと距離を詰めてきたエルダンから、思わず距離を取ってしまう。
そんな抵抗も虚しく、彼女の尻尾が俺の左手を絡め取り、距離は再び縮められる。
ふわりと、彼女の匂いが感じられる距離まで。

「……さっきのお願いのこたえ、きいてない」

ぷくりと頬を膨らませて、俺の返答を今か今かと待ち望むエルダン。彼女のこの顔に、俺はよわい。
…観念するしかないようだ。というか、答えは元より決まっている。
──あとは、伝えるだけ。ただひたすらに、まっすぐに。

「───ああ、待つよ。君を、必ず……迎えにいくから」
「…………うん。うん、うんっ……!」
「ありがとう、ね」
「大好きだよ、トレーナーさん…っ」

自らの手を優しく包み込まれて、握られて。柔らかな感触と、確かな熱を感じてしまう。
慌てて握られる手から目を逸らそうにも…目の前には、紫水晶の瞳から雫を溢し、顔を綻ばせている彼女がいて。

──綺麗だな、と思ってしまった。

そうして見惚れているうちに、エルダンは───

「…トレーナーさん。約束の証、残していい?」
「…あか、し?」

そう疑問を提示する間もなく、俺の手は、指は。彼女の手に包まれたまま、彼女の口へ運ばれていく。あまりに流麗な動きであり、咄嗟のことで、俺は──反応することができない。
俺の指が彼女の柔らかな唇に触れて、そこで初めて、何をされるかを理解する。

先程の美しい宝石のような顔から一転して、妖艶な怪物【おんな】の貌に成り果てたモノが…がぱりと顎を開く。

「……ッ!!待て!それは…待っ…………ッあ……」

鈍痛。ソレが走ったのは、左手の薬指、第二関節と第三関節の間。
その瑕は。決して消えぬほど、深く深く。

─────刻まれていく。艶かしい跡が。

満足そうな表情を浮かべる彼女のクチからずるりと、俺の指は解放される。

そうして──俺の指を喰らった怪物【おんな】は…恍惚とした表情で、揺れる髪の奥に座する紫水の双眸で此方を見据えていて。ぴとりと、指を唇に押し当て、微笑む。
まるで、先程までの獲物をじっくりと味わうかのように。そんな風に、指の腹で唇をなぞる仕草を、俺は─呆然と見届ける事しか出来ない。

「まずは、ごめんなさい。貴方の優しさを利用したことを謝らせてください」
「でも、待っててねっていうのは間違いなく本心だよ?本当に、嬉しかったんだから」
「…わたしね、お姉ちゃんみたいに綺麗じゃなくてもいいと思ってるの」
「誰かに遺る痕を。抜けずに刺さって、その疵を見て思い出してしまう醜い痕でもいいの」
「だってそれが、私が…貴方に残せる唯一のものかもしれないんだから」

「え、る」

「…このまま、もっかい。味わっても、いい?」
「もっと、遺したい」

ぷるんと蠢く唇。俺は、其処から目を離す事が出来ない。
…メジロラモーヌを彷彿とさせる魔性。それを遺憾なく発揮し、蠱惑的に微笑み…にじり寄ってくる彼女を、俺、は。受け入れるしか───

「そ・こ・ま・で・で・す」

「うひゃっ」
「うおわ!?」

この淫靡な空気を断ち切るかのような、鋭利で凛とした声がトレーナー室に響く。声の主は、勿論───

「『私』のトレーナーさんに何してるの?エル」
「いいじゃーん別にぃ…『私』のトレーナーにもなるんだしぃ」

…はい。俺の担当ウマ娘、メジロアルダン。
なんだろうな。助かった筈だ。はず、なのに…どうしようもなく、詰んだ予感がする。

「…エルに何かされませんでしたか?この子、分かってると思いますけ、ど………」
「ほらぁ♪トレーナーさんっ、隠して隠して〜」
「おいやめっ……おまっ…」
「…………へぇ」

アルダンの優しく儚げで、慈愛に溢れた瞳からは想像できない、絶対零度の視線が俺を刺している。
その視線の先には、俺の左手の中指に刻まれたあかい円環。慌てて手を覆い隠そうとするが、数手遅い。
だというのに、隣の小悪魔は…眼前に座する氷妃を煽るように、わざとらしく。嬉しそうに、俺の手を這うように、細く美しい手を重ねる。

……終わったな、これ。

どんな罵倒でも受け入れよう。最悪、契約解除もあり得るかもしれない。
そう、目まぐるしく変わる展開に揉まれている回らない頭で覚悟を決める。だが、アルダンから──彼女から紡がれた次の言の葉は。

「…私も、刻みます」
「………は?」
「私だって、我慢、してたんですからっ…!」

ぎしり。この三年間、三人で苦楽を共にした寝椅子に三つの影が重なる。
そうして、総てが終わったあと。俺の指には二つの赫い円環が刻まれていて──

「あうぅ…私、私っ…なんて、ことをっ…」
「お姉ちゃん大胆すぎてちょっと引いたわ」
「貴女と同じ事しただけだもん!」
「私でも噛んだだけだよ?舐め回すのはもうお姉ちゃんそうひゃあぁぁあ……」
「エ〜〜ルゥ〜〜………!!」

頬っぺたを引き伸ばされているエルダン。先程までの光景とは打って変わって、微笑ましい。
そんな風に、他人事のように和んでいると──

「「…ね、トレーナーさん」」
「「『わたし』と、これからも。歩んで下さいますか?」」

林檎のように真っ赤になったアルダンによるエルダンへのおしおきが終わったあと、振り返るふたり。一糸乱れぬ動きで、此方を見つめる二つの輝ける星。

──こえが、かさなる。俺の脳を揺さぶる鈴の鳴るような音色の旋律。
いやまぁ、多少惑わされるのはもう誤差だと思う。…2人の愛を、拒めなかった時点で。
逃れる事はできないし、するつもりもない。
俺はもう、未来が予約されてしまった──ふたりの所有物なのだから。

「──ああ、勿論。……でも、その為にも早く目覚めて貰わないとなぁ、エルダンには」
「そんな無茶言わないでよぅ…」
「まるで眠り姫みたいに言いますね?…案外、王子様の口づけで目覚めるかもしれませんよ?」
「………に゛ゃっ!?」
「……ふふふ♪ね、トレーナーさん」
「私達にも、お願いします」

ずきりと、疼く。2つの瑕が、熱をもつ。
今度はアルダンが──頬を染め、紫石英の瞳を三日月に細めて、そう囁く。

「トレーナーさんばかりに痛い思いをさせてしまうのは申し訳ないと思いまして」
「私も、エルも。貴方に刻まれたいのです」
「こんなにはしたない私達にも『おしおき』、して良いんですよ?」
「目覚めのキス…めざめの…えへへへへ……まずはぁ…こっちから、ね?」

差し出される二つの手。それは、隷属の合図。
俺が、ふたりの所有者になるという証を刻むことが出来る提案。
それに、俺は─────誘われるように。
あたかも、街灯の燈に狂わされた夏の夜の虫のように、ふたつの星の重力圏へと沈んでいく。



もういちど、みっつの影は重なった。
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