中国におけるヌオー


 ヌオーは中国において古代から、幸運と富の象徴として人気である。
現代でも中国では大都市から小村にいたるまで、ほとんどの場所でヌオー廟があって、供え物が尽きることはない。

 なぜ、これほどまでに人気なのかといえば、ヌオー達は古代中国において重要視された治水と都市運営に多大な貢献をしたからである。
日照りの際には“雨乞い”をし、川が氾濫すれば鎮め、疫病が流行れば薬壺を持って治療にまわったという伝承は無数に残されている。
ときにヌオー達は、生活雑貨や遊具、大きなものでは都市までも造っていたのが、遺跡の発掘で近年になって明らかにされた。

 彼らは恵みの象徴であるがゆえに、古代中国の人々はヌオー達に残留してもらうために、様々な手を考案して実行した。
その一つが孔子によって書かれた論語である。
論語の中で孔子は、「かっての徳に満ちた君子達の時代にはヌオーは、どこでも見つけられた。 しかし現代では、ヌオー達は聖なる河川や泉でごく稀にしか見られない。 また、見つけたヌオー達も、君子達が治めていた時代とは違い、いつもあくせく働いている。 これは現代の為政者達が君子足らざるがゆえに、ヌオー達に負担をかけているのが原因だ」と述べている。
つまり、ヌオー達が安心して暮らせる国にするのが為政者の仕事であり、そのためには為政者は徳を積んで君子にならなければいけないと説いたのである。

 「君子、怪力乱神を語らず」と説いて、世の迷信を批判した孔子ですら、ヌオー達をその対象にしなかったほどに、当時の中国でヌオー達は慕われていたことがうかがえる。

 また老子も、ヌオー達とよく交わり、晩年は彼らとともに暮らしていたのだとか。
老子が理想の国のありかたとした“小国寡民”という言葉は、ヌオー達の生活様式がもとだと考えられている。

 このように、儒教と道教の開祖はヌオー達に好意的だった。
また仏教の開祖である仏陀も、ヌオー達に苦行で死にかけた際に助けられた経緯があるからか、ヌオー達には好意的であったとされている。
中国における三大宗教の開祖がヌオー達に好意的だったことと、民衆からの人気も絶大であったことから、ヌオー達に歴代王朝は配慮した。
宮殿には、ヌオー達の憩いの場である、池を造園することが義務とされ、それは清代までほぼ行われていた。
まあ、歴代の皇帝がヌオー製の品々を愛好したというのも大きいのだろうが.

 歴代王朝の中では意外なことに元帝国では、ヌオー達に領土を寄進してまで、広大な池を造園した。
現代でも跡地は残っていて、観光名所となっている。
いわく、太祖チンギスが苦難にあえいでいたころに、ご馳走や見事な武器や馬具の数々を譲ってくれたからだという伝説からだそうだが……
真偽は今となっては不明だが、モンゴル地方では今でもそう信じられているそうだ。

 ヌオーが重要視されていた証拠としては魏志倭人伝もあげられる。
この書物では、その内容の半分が倭に生息するヌオー達について割かれていた。
その部分を要約すると
なぜ倭にはヌオーがあんなにいるのか?
あのヌオー達のなつきかたを考えると、卑弥呼なる女王は高位の女仙なのか?
どうにかして、ヌオー達を陛下のところにまで連れてこられないか、さすれば陛下も大喜びだと思うのだが。
というか、これだけのヌオーがいれば繁栄は約束されたようなものではないか。
じつに羨ましい。
以上である。

 中国においてヌオーの始祖は后土(こうど)なる女神か西王母のどちらかとされることが多い。
どちらも道教においては最高格の女神であることからも中国でのヌオーの扱いがわかる。
他にも、それぞれの土地で人気の高い女神がヌオーの祖とされることが多い。
 
 このように、中国におけるヌオーの祖は、女神への拍づけに使われている。
ある意味、他の神話体系のヌオーの祖たる神々と比べると、個としての存在感は薄い。

 ただし、魔術の世界においては彼女の存在はあまりにも有名だ。
その理由は、彼女こそが現代でも活動を続ける最後の神だからである。

 彼女は神代が終わることは受け入れられても、その果ての人類も星も死に絶えた“鋼の大地”は認められなかった。
そのために、地上で活動用の肉体を作り出した。
その後は“人理”に影響をもたらさないように注意しながら、“鋼の大地”にいたらないようにするための対策をこうじていると地上での活動理由を述べている。

 とはいえ地上において、最高位の仙女が、力を制限したとはいえ存在していることの影響は甚大であった。

魔術協会は彼女を捕獲しようと、無数の刺客や魔術を使ったが失敗し、やりすぎて疲弊した家も出て勢力図を大きく変えたりもした。

聖堂教会も、代行者を無数に派遣したりしたが、失敗したどころか、裏切り者さえ大量に出たことから、現在も最優先抹殺対象としている。

 “女神の掌(てのひら)”は彼女に最高位への就任を要請して、たまにしか顔を出さないことを条件に了承してもらえたので、急激に勢力を拡大して魔術世界の秩序を揺るがした。

 螺旋館と山嶺法廷は組織としては不干渉だが、高位の者達が彼女への謁見を申し出ることは度々ある。
また両組織の重大な決定にさいしては、彼女が招かれることも多いのだとか。

 それ以外にも表の世界には極力手を出さないが、裏の世界ではわりと大きな活動もしている。
それは“人倫”を無視した行為や、抑止力が発動しそうな事態への対処だったりが該当する。

 また表の世界でも、絶滅が確定した国家や文明の指導者の前に現れて。
「このまま絶滅するか。 それとも一部だけでも生かして、後世にかけるか。 どちらかを選びなさい」と二択を迫る姿が時々見られる。
指導者が前者を選べば、何もせず。
後者を選べば、住民達を彼女が用意した異界に連れて行くのだという。

 彼女に上記の行為の理由を聞くと「生き残った文明が最善とは限らない。 そもそも前提条件次第で最善も最悪もいくらでも変わる。 それが文明を保存する理由。 あなたたちは、私に保存されないようにしてね」と答えるだろう。

 以上のように、彼女は現代でも活動しており、魔術師が出会う確率は低いが、皆無ではないだろう。
その際には彼女の瞳は決して見てはいけない。
あの虹色の輝きを見てしまえば、あなたの魂は永遠に彼女に囚われてしまうのだから。

余談

 “彼女”
 中国におけるヌオーの祖。
地上での活動の際には、17、8の金髪で虹色に輝く瞳ときめ細かく透き通るような肌の割とスタイルの良い美少女姿となる。
時にはヌオー姿でくつろいでいることもあるそうだが、その姿を見られるものはごくわずかである。
思想魔術を中心に様々な魔術を習得しており、時には神代の失われた魔術まで使うという。
名前を問われれば“后土(こうど)”もしくは“西王母”と答えるだろう。
どちらも彼女が人間から送られた大事な名前だが、女神としてではなくヌオーとしての名前のほうが好きなようだ。
そちらの名前は、地上における活動を辞められた時に名乗ることにしているのだという。

 ろくヌオーの中では一番奉仕願望が強く、本人的には口数が多すぎるので自制しているつもり。
なお、ヌオー同士だと意思疎通に問題はないが、他が相手だと明らかに言葉がまるで足りていない。
立場等も加味すると、壮大な陰謀を目論んでいると考えられて当然である。

 彼女としては人類が無事に、星からの宿題を成し遂げ、星々の海に旅立つ日を待ち望んでいる。
基本的に彼女の行動は上記の願いを達成するための行動である。

“彼女”の関係者

 ムシキ
 私からすると可愛い弟子なのだけれど、あの子からすれば私は「この世で一番美味しい果実」と食料扱い。
かなりショック。

 マリスビリー
 私の瞳を奪おうとした人。
この瞳には“何の力もない”から売り物にならないと言ったら苦笑された。
なんだったんだろう。

ハートレス
 私の瞳を奪おうとした人。
神霊を求めているみたいで、そのために必要だったのだそう。
ごめんなさい、おそらく私の瞳を使うと、あなたの望んでいない神霊が来てしまうわ。
そう言うと、一連の行為を謝罪して立ち去った。
悲しい目をしていたなあ。

女神エレオス
 “わたしたち”の中でもとくに仲の良い相手。
やっぱり、あなたといる時間はとても心地良い。

虞美人
 仙女仲間として仲良くしたいが、どうにも拒絶されて困っている。
嫌われているわけではないようだが……
「あなたの姿は痛々しすぎるのよ……」
どういうことだろう?

妲己
 私のことを激しく憎んでいる、友人の分身でお母様の使い。
その理由はわからないが、処刑の際に私に言った、溢れんばかりの憎悪に満ちた言葉が耳を離れない。
「あなたの愛は永遠に報われない、永劫の果て、すべてが死した大地で孤独に苦しみなさい」

太公望
 立派な人。
あの時はあまり役に立てなかったが、カルデアではせいいっぱい手助けしようと思う。

“女神の掌(てのひら)”
 みんな真面目で良い子達なんだけど、顔を出すと熱狂しだすのが苦手。
というか私はエレオスの姉妹みたいなものだけど、本人ではないのになあ。

后土(こうど)、西王母
 私の大事な妹達。
地上で活動する私を心配して、名前を貸してくれた。
安心して、お姉ちゃんは必ず、やり遂げてみせるから。
お知らせ
実務でも趣味でも役に立つ多機能Webツールサイト【無限ツールズ】で、日常をちょっと便利にしちゃいましょう!
無限ツールズ

 
writening