チリ婦人とドッペル婦人 part7 前編


午後4時40分。タイムリミットまで6時間を切った一行。

「ああ……自分とした事が……!異性に何とはしたない真似を……!!」

「だ、大丈夫よアオキさん!

あんなに重たい鎧を……しかもスーツの上から着て勝負なんかしたら、誰だって疲れちゃうもの!遠慮なく枕にしちゃってて良いのに!」

ハッコウシティの北口すぐそば――ポケモンセンター真横にあるタイル地の溜まり場に停まったミニ。

その後部座席では、右側で背筋をのばしてペコペコと陳謝するアオキを、隣のレホールが懸命に制している。

「訴訟でも示談でも何なりと!どんな裁きでも受ける所存です!」

「いやいや!本当に気にしてないから!だから落ち着いて!ね?」

自身に顔を向けたまま、45度に腰を曲げたアオキに、アタフタとかむりを振るレホール。

この暑苦しく生真面目なサラリーマンは、

北の急勾配から街に入ったときの衝撃で車が揺れ、(目覚める直前、ほんの10秒間だけだが)彼女の肩に頭をもたれさせた事を謝罪しているのだ。

「よかったあ……いつものアオキだあ……!」

チャンプルタウンを出てからというもの、

悪人になってしまったアオキに気落ちして怯えていたオモダカが、青い両手の隙間からしゃくりあげ、ポロポロと泣きはじめた。

「え?あ、ああ!ご心配おかけしましたね!
しかし、もう大丈夫です!

自分を操っていたバルカン星人の洗脳は、ドッペル婦人が解いてくれましたから!」

「まあ!」

オモダカの泣き顔が快晴にもどった。

サンタクロースを未だに信じる彼女のなだめ方を、長い付き合いになるアオキは熟知しているらしい。

開け放たれた助手席の窓。弾んだハスキーな声が、ミニの周りで休憩しているモトトカゲたちに炸裂した。

「ありがとうございます!!ミス・ゲンガー!!」

「うおっ!何ですのん?唐突に!」

ハッサクの後ろでビクッと肩を跳ねたAチリ。
彼女の疑問に答えることなく、オモダカの顔面は右前の車内に引っこんだ。

「何かを盛大に勘違いしたり早合点すると、トップ、たまにああなりますわよね」

「おおかたアオキかレホール先生が、彼女に何かを吹きこんだのでしょうかね」

モトトカゲを降りながら、ハッサクと彼に抱えられたポピーがヒソヒソと見合わせる。

それに続いてAチリも地面に立つ。他のモトトカゲ達、そしてグリーンの車内からも降り立った一行は、モトトカゲを各々のボールに収めた。

「(*´﹃`*)」

「ダメです!さっきハムタマゴを食べたばかりでしょ!」

スラックスのふくらはぎに追いすがったポピーが、ビルの軒下にあるアイス屋台に行こうとするBチリを止めている。

そのやりとりに、「あっ、そうでした!」とオモダカからアオキに包みが渡された。

「マリナードのジムチャレンジで作ったハムタマゴです!わたくし達は、ここへ来る間に食べましたので!」

「おお!これはこれは!自分の分、取っておいてくださったんですか!」

どうもご丁寧に、と包みを両手で受けとったアオキが直角に腰を折ったところで、モトトカゲを収めた一行はゾロゾロとバトルコートを目指した。

……モンスターボールの形に入り組んだアスファルトの路地。その外周をワラワラと回っていく12人に、住民たちの興味の目線が刺さる。

これでも十分に大所帯であるが、(すでに同行しているアオキとリップを除いて)さらに3人のジムリーダーたちの加入が確定している。

そのうちの1人、ナンジャモからのメッセージは一言のみ。

バトルコートにて待つ。

Bチリは、自分たちを見下ろす巨大な電光掲示板たちに大はしゃぎだ。

「(*゚0゚*) ホオオ! リップ!コルサン!」

「自分のキメ顔を自分で見るのって、ちょっぴりハズいわね……」

「チリさん!リップさんも!ナンジャモさんが待ちくたびれますわよ!」

2人のために立ち止まった一行の中から、ポピーのお叱りが飛ぶ。メンゴメンゴ……と、Bチリの手を引いたリップが一団に戻った。

「コルサさんって、いつ見てもパーペキなスタイルよね!」

「いえいえ。リップさんのルックスと写真うつりには敵いませんよ!流石は本職ですよね!」

「いやあ、じーつに素晴らしい!さあカエデよ!我がハイダイ倶楽部の宣伝も流していただくよう、ナンジャモ氏に掛け合うがいい!」

「な・ん・で!わたしが言うのよ!?」

リップとコルサ、ハイダイとカエデが歓談しながら、ゆるゆると動きだした一同。

リップ監修の化粧品、コルサの展覧会、有名なスポーツシューズの宣伝、ニャオハ、ホゲータ……交互に流れる広告の中から、Aチリの目は異形のモノを見いだした。

「アオキさんやん!?」

今度はAチリの叫びが一行を止めた。

A世界のアオキは、公共の場に顔出しなど滅多に行わない。

だが、コルサとリップの広告の間に映っていたのは、炎と煙を立てて爆発する背景の前で、くの字に曲げた腕の甲を見せながらガッツポーズする凛々しいアオキの姿。

「……もしかして、宝食堂かいな!」

半袖の白い割烹着を着たアオキの下には、力強い毛筆のフォントで店名と住所、そして「この方もご用達!!」というキャッチコピーがデカデカと記されている。

「いやあ、いつもお世話になっているお礼にと引き受けまして!パッと見、アンタの宣伝になってるじゃないかと女将さんからクレームが来ましたが……」

照れて後頭部をかいた本人いわく、B世界のアオキは、誰かのためなら顔を晒すのも惜しまないらしい。

「活きがいいアオキさんって、やっぱチリちゃんには不気味や……」

「ハハハ!活きがいいとは!そんな、食材のようにおっしゃらなくても!」

アオキが闊達に笑うのと同時に、画像に釘づけになっていたAチリと一行は再びバトルコートへと歩みを進めた。

二本の桟橋に繋がれたバトルコートの中心には、Aチリにもおなじみのストリーマーが待ち構えていた。

「……来ましたね」

大きなコイルの髪飾り、パステルカラーに染まった豊かな髪の毛。どぎつい黄色と黒のツートンカラー。

一行に背中を向けていたナンジャモは、落ち着きはらった声で振り返った。

「し、四天王とジムリ達!アカデミーの者ども〜!/// お、お、おはコンチャロ〜!///」

明朗に笑いながら、上着の両袖をフリフリと一行に振るナンジャモ。

Aチリもよく知る挨拶だ。が、やはり様子がおかしかった。

まず。Aチリの知るナンジャモは、決めゼリフをどもったりはしないはずだ。

そして、Bジャモの顔はオクタンにも負けないほど真っ赤に茹だっている。

「インナーもおかしないか……?あと下も」

ファスナーの閉まった上着から覗くのは、黒いネックホルダーとシルバーのノースリーブ……ではなく。髪と同じ、淡いピンクの肩先だ。

「この子が下に履いとるん、絶対アレよな……」

そして、下半身にいたってはパンクな上着と完全にチグハグだ。

Aチリの頭に浮かんだのは、カントー地方のとあるジムリーダーや、ホウエン地方の達人が履いている正装――袴だった。

「あ、あなたの目玉をエレキネット……」

キュピーンという擬音が似合う、Aチリも見知ったポーズを決めるナンジャモ。

だが、一度感じた違和感はぬぐえない。

「アナタも大変ですねえ。トップの思いつきに振り回されて……」

「な、何もんなんじ……」

皮肉屋の彼には珍しい、本気で憐れむような優しい口ぶり。ハッサクがナンジャモの挨拶をさえぎった。

「昼すぎにも伝えたとおり、『普段の』アナタでかまいませんよ」

バンザイをしたまま固まったナンジャモ。彼女の顔から、徐々に赤みが抜けていった。

「……そうでした。この外套を着ていますので、つい配信モードに……」

スっと棒立ちになったナンジャモ。

「……えっ?その、もしかして自分、演技っていうか…キャラ作っ……」

気まずそうなオモダカを一瞬だけうかがい、コクリと頷くナンジャモ。それきり俯いた彼女を、Aチリはポカンと見つめた。

A世界の記憶では、オフでは多少マジメとはいえ、配信での振るまいも素の彼女に近いはず。

「オフにも関わらず……なぜ、その妙ちきりんなジャケットを羽織る必要が?」

「鍛錬のためです」

ハッサクの問いに顔を上げ、キッパリと答えるナンジャモ。A世界と性格が異なるなら、口調も真逆だった。

「繊維に特殊な金属が混ぜられていまして、重量が50kgあるんですよ」

「「ご、ごじゅっ!?」」

Aチリとアオキの驚きが重なった。

「頭上に浮かんでいる、この子たちも同じく」

垂れ下がった右袖が、己の頭上を指した。

「それぞれ30kg。いつ何どき頭に落ちてくるか分からないという恐怖に耐え、ここぞと言う時に怖気づかないための鍛錬なんです」

「「「ひ、ひぃぃ!?」」」

「な、なんと非科学的な……」

「じ、自分など、その髪飾り1つの重さで精一杯だったのに……!」

カエデとリップ、そしてオモダカは抱き合っておののき、

キハダはアングリと呆れ、アオキは、その小柄な身体からは想像もつかない彼女の馬力に身震いした。

「では、ドッペル婦人……でしたっけ。よろしくお願いしますね」

「お、おう。よろしゅうに……」

真顔でピシッとお辞儀したナンジャモに戸惑うAチリ。ナンジャモの一挙手一投足は、張りつめた武人のようにきびきびとしている。

背中合わせに離れ、お互い位置についた2人。

バトルコートに群がっていた残りのメンバーもAチリの後ろ――コートの端に退避している。

「……じめんタイプにでんきタイプは、圧倒的不利……。

でも……エリアゼロの戦いでボロボロになった私を助けに来た時、グルーシャ兄様が教えてくれました」

目を閉じ、直立不動で精神統一しはじめるナンジャモ。

配信より何倍もおごそかな調子で、口上が粛々と述べられていく。

「手持ちを愛し、己を信じ。人事を尽くす!そうすれば、ひらけぬ道は無いと!!」

無表情でクールだったナンジャモの声が、熱を帯びていく。

言い切った刹那。彼女の頭から落ちたコイルの髪飾り。

ズドォン!!

ナンジャモの両足を挟んで、バトルコートに2つのクレーターが生まれた。

轟音で目を丸くするAチリ。観ている一行も同じく。

「見ていてください兄様……!どんなに厳しい勝負であっても、私は一歩も引きません!」

しかし、一瞬で真顔に戻ったAチリは、目を閉じたままのナンジャモを睨んだ。

Aチリの気迫に射抜かれると同時。ナンジャモの瞳もカッと開く。

「それが!真の強さへの道しるべ!」

ジッパーが外された上着から袖をぬくナンジャモ。

着ていたままの膨らみを保ち、鋼鉄の上着がナンジャモの背後へ垂直に落ちた。

ズゥゥン……。

衣服とは思えない地鳴り。Aチリの目が、また一瞬だけ点になる。

「それが私、不肖ナンジャモの信念なのです!!」

あらわになった、ピンクの着物に紺の袴。さながら合気道の拳士だ。

「素顔で戦えるのは、いつぶりでしょうか!!

私は真の強さの探求者!さあ、ドッペル婦人!これ以上の言葉は無用!あとは勝負で語りましょう!!」

凛!と微笑んだナンジャモは、配信用ではない、一同――ハッサクやキハダでさえ息をのむ美しい全力投球で、切り札のムウマージを繰り出した。

Aチリも無言で手袋を引き締める。

それに合わせて、手刀よろしく反り立ったナンジャモの両手が、すり足とともに前後へ構えられた。

「参ります!ムウマージ、マジカルフレイム!」

「ドオー、まもる!」

ムウマージのマジカルフレイムを、ドオーが弾いた。

「今です!ムウマージ!シャドーボール!」

「くっ!ドオー!アクアブレイク!」

ムウマージの攻撃が下がる。だが、とくしゅ技が主体のナンジャモの切り札には、さほど堪えてない。

おそらく最初のマジカルフレイムは、いわゆる積み技や防御技に対する牽制や、PPの温存だったのだろう。

バトルコートには、切り札と技の名前のみが響き渡っている。

「やはり本気のナンジャモさんは凄すぎる……」

「同感です。技や戦術のキレに、ますます磨きがかかってますね……」

半分こにしたハムタマゴを片手に並びたち、食べる事も忘れたアオキとコルサが呟く。

とくせいのせいで、ナンジャモのムウマージにじしんは効果がない。

そのうえ、でんきタイプに変わるよりも有利だと見たのかテラスタルを敢えて行わないムウマージ。

タイプ一致のシャドーボールが、ドオーの特防を着実に下げ、ジワジワと追いつめていく。

「ナンジャモさんの動き、全てにおいて計算されつくしています……!」

「さーなーがーらー、こだわり抜かれたカロス料理を味わっているかのよう!」

「きっと計算や理屈だけじゃないわ。

あの子、勝負のコツを本能に叩き込んでるような動きよ。そう、職人さんの勘とかみたいに」

「当然です。人格、強さ、勝負への姿勢……小生ですら非の打ち所を見つけ出せない優秀なトレーナーなのですから」

感心しきるポピーとハイダイ、レホールに、腕を組んで勝負を見つめるハッサクも誇らしげだ。

オモダカやリップ、カエデなどは、言葉を出す余裕もなく、ただ愕然と2人を見守るばかりだ。

「ドオー、どくどく!」

アクアブレイクでの力押しでは倒せないと判断したAチリは、お得意のからめ手を選択した。

「ムウマージ、シャドーボール!」

Aチリとナンジャモの叫びは、ほぼ同時。彼女の逡巡の早さもAチリの脅威だ。

一度でも読み間違えれば負ける。

居合の達人どうしの取組を思わせる緊張感。だが、勝負が進むにつれ、Aチリの心は怯えるどころか、ますます高鳴っていった。

楽しい、楽しい。楽しい!

仕事として行った、ハルトとの勝負を上回るほどの高揚感。

「ドオー!まもる!」

「ムウマージ!マジカルフレイム!」

「ドオー!アクアブレイクや!」

息を荒らげながら獰猛な笑みを浮かべたAチリの全身は、久方ぶりに感じた強者と渡りあう歓喜に粟だっている。

勝負で語り合う。ナンジャモの燃えたぎる闘志が、Aチリにも伝播している。

四天王の1番手、面接官……。

さまざまな虚飾は崩れおち、いまやAチリは、目の前の乙女によって1人のトレーナーに還っていた。

切り札は、ともに体力があとわずか。ドオーもムウマージも、ぜえぜえと身体を揺さぶっている。

「…………」

イッシュのガンマンよろしく半分かがみ、ジリッと床を踏みならすAチリ。しとどの汗が顔を濡らす。

「…………」

勝負の間じゅう武術の構えを崩さないナンジャモも、息をわずかに上げ、額のところどころに露を浮かべている。

胸で手を結んで祈るオモダカも。2人と2体の対峙を、ひたすら凝視する一行も。

「マジジャモちゃんが勝負してるよ!!」

「うわっ鬼レアじゃん!」

と途中から集まってきた大勢のファンたちも。

バトルコート中が直感していた。

次の一撃が勝敗をにぎる。

「……ムウマージ」
「……ドオー」

ギャラリーが一斉に喉をならした。

「マジカルフレイム!!」
「アクアブレイク!!」

たがいの指示に目を見開く両者。
ナンジャモは初めて読みを外したウカツさに。そしてAチリは、耐えきる光明を見出した事に。

「ムゥ……マアアアッ!!」
「ドォッ!!」

最後の気力を振りしぼった2体の技が、雄叫びとともに交差した。

きりもみしながら襲いかかる炎をくぐり抜け、猛スピードでムウマージを貫くドオーの身体。

ムウマージは、衝撃のあまりコートの外まで跳ね飛ばされた。

「ド……」

その場で弱々しく全身を笑わせるドオー。もはやAチリの足元に戻る力もない。だが、コンマ1ミリでひんしを免れたらしい。

「ム……マ……」

ナンジャモの背後――桟橋の前で地にしぼんだムウマージも同じだ。助けようと思わず手を伸ばす近くの観客に、着物の背中から「手出し無用!!」と激が飛んだ。

どうにか浮かぼうとするムウマージだったが、横たわって上体を起こそうとするうち、もうどくのダメージを受けた。

「マ……」

細い声でパタリと倒れたムウマージ。
うつむいたナンジャモが、しなやかに構えを解き、直立不動に戻った。

肩ごしに向けられたボールが後ろのムウマージを吸い込む。

そして。凛とした笑みを浮かべたナンジャモの、

「……あっぱれです!」

晴れやかな一声。バトルコート中の絶叫が天に轟いた。

号泣したオモダカがAチリに飛びつく。リップも続いて駆けより、彼女を抱きしめた。

「しゅごいい……!!今世紀で最高の勝負が、また1つうう!!」

「やったやった!ガチのジャモちゃんに勝つなんてオッタマゲ!ドッペルちゃん!テラゴイスーよ!!」

「ナ、ナハハ。PPケチらんと、あそこでシャドーボール出されたら負けとりましたわ」

もみ合う3人に詰めよる観衆。

「うわわっ!何すんねん!ちょい待ちーや!」

スマートな体躯が持ちあがり、あれよあれよと胴上げが始まった。

わーっしょい!!わーっしょい!!

「ちょいちょいちょい!気い早いわ!まだジム巡り残っとるってば!!」

緑の後ろ髪と黒いカッターシャツが、何度も宙を舞う。

「……私も、まだまだ未熟ね」

先ほどまでとは異なる、慈しむような微笑みを浮かべたナンジャモは汗ばんだ正装姿のまま胴上げの輪に入った。

「自分たちも祝しましょう!ドッペル婦人の勝利を!!」

「うふふ。よくできました。バンザーイ!」

「しゅ、衆目の前ではしゃぐのは柄に合わないんだが……バ、バンザーイ」

アオキとレホール、そしてキハダに合わせて、他のメンバーも大小の万歳をおくる。

「ミス・ドッペルゲンガー。小生のどぎついお眼鏡にかなったのはアナタが5人目です。アナタは紛れもなく『本物』」

ハッサクは腕を組んだまま。だが、そう言って控えめに微笑んだ顔は、A世界の彼を連想させる
温かさだった。

午後5時30分。

「またせたな〜……」

北口に停められたミニのもとに、ナンジャモに付き添われAチリが戻ってきた。

「( ᐛ ) オヤ?」

運転席からBチリが首をかしげる。

「ナンジャモくん。その……もう少し住人の統制をですね……あれではガラルのフーリガンです」

「返す言葉もございません。ドッペル婦人。お洋服を台無しにしていまい、大変な失敬を……」

「あ、ああ、いや。もう済んだ事やし……ナハハ」

勝負時の正装のまま、後部座席のハッサクにペコリと謝ったナンジャモ。

その隣には、彼女と瓜二つの袴を身につけたAチリの姿が。だが、色は上下ともに濃紺。

ハッコウジムでシャワーを借り、その際に譲られたものだ。

『わーっしょい!わーっしょい!』

決着がついた後、密集した無数の住人たちとナンジャモ、オモダカらによる胴上げは延々と続いていた。

『あ、あの!チリちゃんら、残りのジム行かなあかんし!そろそろ降ろしてーな!』

たまりかねて身じろいだAチリを真下の何人かが掴みそこねたのだが、そのせいで後続のバランスが崩れ、舞いあがる彼女の身体がコートの端にどんどん寄っていった。

『……!み、みなさん!ダメ!!』

勢いづいた胴上げのペースは簡単には緩まない。ナンジャモの静止は、わずかに遅かった。

『わーっしょい!わ、あ!!』

何人かの群衆が事態に気づいて手を止めたが、すでに手遅れ。

『わっ!?アカンアカンアカンアカン!!どわあああ!!』

コートの縁に極限まで迫ってしまったAチリのスレンダーボディは、コートの上から真下の水面に勢いよく投げ入れられたのであった。

「明日にでも、配信を通じて厳しく言っておきます……もちろん、キャラなど抜きで」

「で、ですが、とっても似合っていますよ……あっ、そういえばお写真は!?」

「(* ˊ꒳ˋ*) oh!」

相変わらず助手席に座るオモダカの言葉に、Bチリが彼女ごしにパシャリと1枚。

「あっ!!」

そういえば、チャンプルジムを出てから返してもらっていなかった。

「……ったく……それさえあれば安全機能で……!でも、どのみち沈んだかも分からへんし……スマホもイカれとったかも知れへんし、ああもう!」

幸と不幸を天びんに掛けたAチリは、頭をかかえて嘆いた。

「(´・ω・`)…イル?」

「……いや、任せとくわ。残りのジムでもベストショット頼んだで」

ヘロヘロと顔を上げ、引きつった笑みを浮かべたAチリ。おそらく、怒りのやり場が見つからなかったのであろう。

「……いえ、違います!ほら!あちらのポピーさんとの写真ですよ!」

2人のやりとりに気を取られていたオモダカが我に返った。

「ああ!ちゃんとあります!」

Aチリは、袴の隙間からソレを抜き出した。

(余談だが……袴にはポケットがある事を、Aチリはナンジャモに聞いて初めて知った)

水に沈んだ際、とっさに尻ポケットから水上に引き上げたため、表面が湿っている以外には無事だった。

そして。

「……見てください、ミス・ゲンガー!」

オモダカの叫びに、ミニの周囲でモトトカゲを撫でている一同も写真に集まった。

「こ、これ!」

Aチリの顔がほころんだ。

「見て見て!アナタの姿が!」

まだハッキリには程遠い。だが正午の実験室で見たAチリの髪の毛だったはずのシミに比べれば、頭と顔の輪郭が、ややハッキリと認められる。

「……ジニア先生の言葉を借りるなら、これは推測だけど……」

目を閉じたレホールが、ピクピクと跳ねる横髪をいじりながら考えこんだ。

「ドッペルさんが、勝負を繰り返してるおかげかも知れないわね」

ポケモンセンターのソファーから飛ぶ声。長い脚をクロスして座るレホールへ、一同が同時に顔を向く。

「……車の中で読んだ、他の地方での言い伝え。悪の組織による事件……。それらには全て『戦い』が関わっている……」

教え子を相手にする時とは違う、考古学者としての推論。

大地の化身と海の化身。
2体の争いと、それに呼応して降りそそぐ無数の隕石を鎮めんと舞い降りた、救いのドラゴン。

世界の始まりの日、強い光から生まれた神の分身。1人の男が招いた深き影と対峙し、その怒りを鎮め、あるべき世界を取り戻した1人のトレーナー。

たった1つの軋轢が生んだ、長い長い双子の闘争。それに終止符を打たんと怒り狂い、文明を焼きつくした2体のポケモンたち。

「……それだけじゃないわ。

大きな戦で愛するパートナーを失ったがために暴走し、不老長寿の秘法を手に入れた王……。1人の若者と、葛藤する親子を救うべく蘇った太陽の守護者……。

ブライアさん達の史料からワタシが推測するに、

ポケモンどうしの、そしてトレーナーどうしの心からの激突は、時に想像もつかない大いなる現象を生む!」

言い切るが早いか、目を開けたレホールはスクっと立ち、ピンと人差し指を立てた。

「つまり……?」

「……あなたは何がおっしゃりたいのよ」

難解な言いまわしに目を白黒させるオモダカの疑問を、

自身のモトトカゲの横腹に背中をあずけたカエデが仏頂面で引き受けた。

「ああ!ややこしくってごめんね!
つまり!この調子で、勝負やジムチャレンジを全力で楽しみましょうって事!」

考古学者のいかめしい顔から教師に戻ったレホールは、花咲く笑みで答えた。

「楽しむ……」

すでにキハダの後ろにまたがっているリップが
、モトトカゲの背中を見つめて固唾を飲んだ。

「そう!自分らしくね!」

「自分……らしく……」

名実ともに四天王であるAチリを相手に、ナンジャモにも負けない勝負ができるのだろうか。

ジワジワと湧きあがるプレッシャーを噛み潰すように、リップの唇が一文字に結ばれた。

次は6番目。ベイクタウンジムである。

……ハッコウシティを出た一行は、同行を名乗り出た数名を残してひとまず各地に散った。

アオキを含めたジムリーダーが散開した理由は2つ。

まず、ハッコウシティからベイクへと行くは、パルデアの端から端までをほぼ横断する。

現在かなりの大所帯になり、移動に支障をきたしかねないと判断したポピーやキハダの提案によって。

そして何より、
Aチリを除く全員にオモダカが耳打ちした、とあるサプライズに備えるためであった。

「( *¯ ꒳¯*) 」

海沿いの断崖を行くミニ。運転手もニヤつきが抑えられない。

「チリ。気持ちは分かりますが、こらえてね?」

助手席からBチリに肩をよせたオモダカの囁き。

だが、お茶目に微笑む彼女も、弾んだ語気を隠しきれていない。

「おん?何やろ?総大将とウチ、えらい楽しそうやん」

ミニの車内でクスクスと笑いあう2人を、モトトカゲにまたがるAチリが、敬礼ポーズで目ざとく気にとめた。

「ふふ……一体なんでしょうね。あのお2人、お箸が転んでも笑いますから」

背中のAチリを向きやり、ほのかにおどけるナンジャモ。着物の長い袖をはためかせる彼女も、当然オモダカから聞かされている。

ミニの後ろについて洞窟に入る2匹のモトトカゲ。1匹の背中から垂れ下がるのは、色違いの着物の長い袖が4つ。それに並走するもう1匹は、不安げな面持ちのキハダが1人で駆っている。

「……他の人には決して言いませんが、アナタに関してはもっと自信を持ちなさい。

ミス・ドッペルゲンガーに勝つよりも、子供のお手玉や三輪車のほうがずっと難しい。そう己に言い聞かせるのですよ」

車内の後ろでは、運転席の後ろでガチガチに強ばるリップを、隣のハッサクが独特の言い回しでなだめていた。

「違うの」

リップの控えめな否定に、オモダカがミラーを覗く。

「……負けるのは……怖くないんです」

みずみずしい唇から、ポツリポツリと紡がれていく。

「リップが怖いのは、サーナイトからも見放されるようなしょっぱい勝負にしちゃう事……」

毒舌の矛を収めているハッサクも、助手席の大きな目も、無言で聞き入る。

「今までのジムリーダー、どの人も最高にイカしててゴイスーだった。ドッペルちゃんと一緒にリップもジム巡りしてみたいって思うくらい、楽しそうで……」

淡いマニキュアの両手が、ドレスのミニスカートを握りしめた。

「だから、とっても怖いの。

ドッペルちゃんも街の人たちも……ヘタこいて失望させたらどうしようって」

「アナタほどの実力なら、そんな心配など無用だと思いますがねえ……。しっかりすべき面々など他に山ほど……」

「ねえ!リップさん!」

「え?」

ハッサクに割り込み、口を挟んだのはオモダカだ。

「わたくし、ずっと悩んでる事がありまして!」

悩みなどとは程遠い活発な口調でオモダカが続ける。

「素晴らしい勝負、いい勝負って一体何なんでしょうか?」

「へっ?」

無垢で無邪気な彼女から飛んできた、禅問答のような質問。

面を喰らったリップは、キョトンとミラーを向いた。

「えっ。ああ、いえ!こ、今度、アカデミーの朝礼で月に一度のお話をする予定なんです!

よ、よかったらリップさんの意見を伺おうかなって!」

だが、今月の朝礼はすでに済んでいたはずだ。

しかも、彼女が話した内容は『ハムタマゴのタマゴは完熟派かトロッと派か』。

ニッカリと歯を見せているオモダカの目が慌ただしく泳いでいる。

彼女なりにリップを励まそうとしているのだろうか。

ハッサクはデタラメに気づいていたが、メンタルケアについてはサッパリだと思い直し、頭の後ろに腕を組んで寝たフリをした。

「いい……勝負……」

力?

一撃も喰らわず一体も倒されず、圧倒的な力で勝つこと?

それとも、技?

技やポケモンのタイプ、道具やきのみの効果その他を狂いなく暗記しつくし、機械のごとく緻密に戦うこと?

シンプルな質問。だが、考えれば考えるほど答えから遠ざかっていく感覚。

悶々と悩むうち、はたとリップは思い至ってしまった。

助手席に座る乙女からジムリーダーを長らく任されておきながら、確固たる自分を持っていない……。

コルサさんもカエデさんも、ハイダイさんもアオキさんも、そしてナンジャモちゃんも持っていた『答え』。

己の欠点ズバリその物を言い当てられた心地がして、リップは頬に一筋の涙を流して絶句した。

「あああ!すみませんすみません!」

後ろに身を乗り出したオモダカが、オタオタと両手をかざす。
スーツの懐からリップに差しだされた白いハンカチ。

「責めるつもりなんか微塵も……」

目元をぬぐうリップ。返そうとするハンカチを制し、オモダカが続けた。

「そうですねえ……さっきの勝負、どうでした?」

「……ナンジャモちゃんの事?」

「はい!お2人とも、なんかこう、すごくアレだったじゃないですか?」

「う、うん。その……2人とも強くって、美しくって、技の組み合わせとかタイミングとかもすっごく考えられてて」

「そうじゃないんです。いえ、まあ、そうでもありましたけど……その、なんと言うか……」

助手席の豊かな髪が左右に傾いて数秒。オモダカが言葉を選びとった。

「とっても……楽しそう!じゃありませんでしたか?」

「……!」

トップチャンピオンの美声が、ある1ヶ所のみを強調している。

質問と同じくシンプル。だが、リップには盲点だった答え。

ミラーをボンヤリと見つめていた彼女の目に焦点が戻った。

思えば、自分が気にして怯えていたのは周りの反応ばかり。

どうすれば周りに一目おかれるか。

どうすればキハダちゃんに釣り合うか。

どう振る舞えば一部のチャレンジャーたちから侮られずに済むのか。

「……とっても……とってもソーリーなんだけど……リップ、ジムリになってから楽しかった試しなんて、1回もなかった」

「じゃあじゃあ!嬉しかった事でもいいですよ!」

相手次第では、反抗的な態度に取られかねないリップの返答。

しかし、途切れ途切れの言葉も意に介さず、オモダカはワクワクと問い返した。

「……嬉しかった事……」

スカートに顔をうつむけたリップ。彼女の脳内のスクリーンに、己の半生が流れだす。

自分をからかってくる男児たちを木の棒で追い払うキハダ。

大人たちに内緒で出かけた2人きりの洞窟。

恐怖に必死で耐えながら、キハダの手持ちを借りてゲットした、人生で初めてのポケモン。

「……山ほど、あるわよ……」

キハダが猛勉強のすえ博士号を取った日、自分の家で朝まで泣き明かした事。

視察に来た四天王たち――とくにオモダカとアオキから、住人たちが丹精こめて焼いた絵皿を絶賛された事。

そこでBチリと出会い、意気投合してキハダ以外の友達が増えた事。

ボウルタウンの迷路で、サインに飛び上がって喜んでくれたキマワリ達。

自分の弱音や決意に、黙って耳を傾けてくれたAチリ。

そんなAチリが、四天王さえ上回ると評される本気のナンジャモを打ち破った瞬間。

「ある……!あるわオモダカちゃん!リップにもある!

ちっぽけな不安も哀しみも忘れちゃうくらいの、カイデーな喜びが!」

キッと上がったリップの顔。

浮かんでいたのは、まるで宝物のありかを探りあてたような、驚きと確信に満ちた笑顔。

「そうでしょう!あとは、その気持ちを全力でミス・ゲンガーにぶつけるだけです!

リップさんのお手並み、とっても楽しみです!」

「……まかせて」

オモダカの力強い後押しに、大きく頷くリップ。

彼女の不安は、跡形もなく消え去った。

とろけるような、だが芯がある目つきは、Aのリップと瓜二つだ。

「リップさんはエスパータイプやんな……ドオーはどくタイプ持ちやし、初手でテラスタルせな速攻で負けるかも……」

「それから、複合タイプのポケモンや多彩な技で、相手の弱点を突くのがお上手な方です」

「そうだ。気をつけろ。かなり強い。

以前、アイツから『あの時は手加減したのか』と聞かれた時には、さすがに叱り飛ばしてしまった……どれだけ自信が無いんだと」

ミニの車外。グリーンの車体の後ろでは、3人による(ジム巡りでは恐らく初めて)まっとうな勝負談議が開かれている。

なだらかな斜面を登りおえたミニ。
そして2匹のモトトカゲは、洞窟を抜け、茜色の空に出迎えられた。
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