はなうり


 足を踏み込んだ路地裏は、異様な雰囲気だった。
(本当にここに花屋なんかあるのか?)
 少し前に怪我をする前までは庭に控えめながらも美しい花壇を作っては愛でていたほど花を愛する母、そんな母の誕生日が近くどこかに良い花屋はないか。そう同僚に尋ねたのはつい先日の事。
 どこか怪しい笑みを浮かべた同僚が教えてくれたのが、この路地裏だった。曰く、一級品の花売りがいるらしい。
「……場所間違えたか?」
 思わずそう漏らすほど、どうみても花売りなんているようには思えない場所。
 くたびれ疲れ切った様子の人間が何人もぐったりとした様子で座り込み、嫌悪感を滲ませくせにどこかぎらついた目でこちらをちらちらと見つめてくる。大抵は女性で、稀に自身と同年代かそれよりも年若い男性も。
 ねっとりと身体にまとわりつく視線にぞわぞわとしつつ足を速める。もう少し進んで、それでも花売りらしき人物が居なかったらとっととここから去ろう。きっと同僚が勘違いして、間違った場所を教えたに違いない。

「……あ」
 そう考え足を速めて黙々と進んでいた先、開けた場所に出た。そして、足を止めた。いや、止まったといった方が正しかったかもしれない。
 薄暗い路地裏の中、建物の隙間から細く差し込んだ光の下に一人の少女が座り込んでいた。先ほどまで進んできた路地にいた人々と同じような雰囲気をまといつつも、彼女たちとは違って瞳にあたたかな光が残っていた。身なりも、他に比べれば綺麗に整っている。
「あ、あの……」
 異様な雰囲気の中じわじわと削れていた心が癒された気がするその姿に、ほっとして思わず声をかける。ちら、とこちらに視線を向けた少女の顔は高価なコーディネートを施したのか驚くほどに美しい。
「……」
「えっと、ここに、花売りがいるってきいたんだけど……」
「……ああ、私よ。一応、他にもいるけど」
 億劫そうに立ち上がった少女が、冷え切った声色で答えながら一歩二歩と足を進め近寄ってきた。彼女が歩くたびに、さらりとしたルビーのような紅髪がふわりと揺れる。
 まるで母が以前育てていた薔薇のようだな、とその色に懐かしさを感じた。花の様に美しい彼女ならなるほど、花を売るのはよく似合うだろう。
「それで?」
「あ、えっと…じゃあ、二束。赤っぽい花を中心にあとなんかいい感じに小花もほしいな」
「……は?」
「?もしかして売り切れちゃった?」
「……はぁ?」
 少女の様子に首を傾げれば、大きな瞳がころりと転がり落ちてしまいそうなほど少女が目を丸くして驚愕の表情を浮かべてこちらを見上げた。何かおかしなことを言っただろうか。
 しばらくそのまま視線をそらさず見つめていると、ぽかんと口を開けていた少女の顔が歪んだと思うと低く唸り、うつむいてしばし何かをぼそぼそとつぶやき始めた。
「……え~っと……」
「……花を、買いに来たの?」
「お、おう。だって、花売りなんだろ?」
「……」
 そう返答すれば、少女は少し沈黙し、次の瞬間大きなため息をついた。
 そしてうつむいていた顔を上げ、最初のころより少しだけ光の戻った瞳で見上げてくる。きり、と眉が吊り上がって勝気にもみえるその表情が、初めて会ったにもかかわらず少女に似合っているなとぼんやりと思う。
「悪いけど、今日は売り切れなの」
「えっ、まじ?」
「……ええ。だから、悪いけど」
「そっかぁ~。あ、じゃあ明日は?明日ならある?」
 思わずそう縋るように言ったのは、同僚がわざわざここを進めてくれたのならきっと美しい花があるだろうという気持ちと、目の前の少女がどんな花束を用意してくるのか気になったから。
 以前、母が言っていた。花束を包む時に、どんな花を選ぶかでその人の人となりがわかると。もちろん商売をしている花屋はそのかぎりではない、と前置きをされたが。それでも、この目の前の花売りらしい少女がどんな花束を用意するのだろうかと興味がわいた。
 自身の言葉に、己の口元に白く細い指をあてた少女が明日……とつぶやいた。
「……いいわ。明日なら、売ってあげる」
「本当か?」
「ええ、赤い花をメインに、だったわね」
「ああ。母さんが、赤い花を好きだから」
「そう」
「死んだ父さんとの思い出の花がたくさんあるらしいんだけど、赤い花ばっかりなんだって」
「……そう」 
 少し寂し気に相槌を打った少女の姿は、どこか迷子の様だった。 
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