ロージャがモダモダするロジャ→グレ、いいよね……


私自身の最初の自覚的な変化って、グレッグに対してダーリンって呼ぶことに躊躇するようになったことだと思うんだ。
いつもみたいに窓の外見てボーっとしてるグレッグの煙草の灰がずいぶん長かったから、教えてあげるつもりで「ダーリン、床焦げちゃうわよ?」って言おうとしたんだけどね。でもなんかその日に限ってはちょっと照れくさくなって、グレッグ、って呼んだんだ。それで、グレッグも「本当だ」なんて呟いて、携帯灰皿にギュッと半端な煙草を押し込んでそれでおしまい。
うん。本当にそれだけだった。それだけだったんだけど、私の頭の中でみょーに引っかかっちゃったんだよね。そのこと。
グレッグをたまにダーリンって呼ぶの、完全にその場のノリでしかない筈なんだ。呼ぼうとした切欠なんて大層なものはないんだもん。でも、誰を呼ぶかって考えたらグレッグじゃない?おちびちゃんはダーリンって感じじゃないし、他の連中もさ、ほら、ムルソーにダーリンなんて言ったら「私は君の配偶者ではない」とか真面目に返すに決まってるでしょ。イサンさんもわたわたしそうだし。グレッグはね、そういうのないし、話しやすいし。だからなんとなくなのよ、ホントに。
なのに、私が勝手に呼んで、グレッグも普通に返事してくれるだけの渾名が急に喉から出てこなくなっちゃったの。
だから何って話よね?普段からグレッグって呼ぶほうが多いし、私がそう呼ぶの止めたところでだーれも何とも思わないに決まってるでしょ。実害なんてあるわけないじゃない。
困ってるのは私の頭の中だけなの。
……はぁ。ここまで言ったらわかるでしょ?ダーリン、もといグレッグに対して私が勝手に意識してるだけって。
要するに……好きになっちゃったんだよね。
そりゃあ、まともに考えればグレッグは都市一般的に見たら優良案件とは言えないわよ?こんな会社に入っちゃってるし、虫の右腕は慣れはしたけど気持ち悪いし、別に顔もカッコいいってわけじゃないし。嘘がヘタで、ちょっとくらい隠し事できないの?って思うし、すっごい小さいことでいちいち落ち込むし。
でも、一緒に居ると落ち着くんだよね。
隠し事が下手なぶん、本音で言ってくれてることってすぐにわかるの、疲れないっていうか。当たり前のように理不尽なことにも嫌だって思ってくれたり、ちょっとしたワガママだって聞いてくれちゃったり、昔は英雄みたいなことしてたらしいけど、すっごくフツーに優しいし。うん、フツーなんだよね、グレッグ。色々酷い目にばっかり遭ってるのに、柔らかいまんま、不器用に笑ってこっちのこと気遣ってくれるんだ。
この前、嫌なことがあって部屋の中すっごい吹雪いちゃったことがあって。グレッグってば、普段はビールばっかりのくせして私の好きなウォッカ持ってきてくれたんだよね。あったかい自分の部屋に連れて行くとかじゃなくて、寒い私の部屋でコート被りながら私が喋り始めるまで黙って一緒にいてくれてさ。お腹の奥底がぎゅーってなるんだよね、ああいうの。
あー、思い出したら顔熱くなってきちゃった。嫌になるよね、前の私だったらハグして「ダーリンったら優しい~!」って言えたのに。恋だの愛だの甘ったるいこと考える人生でもない癖に、いざ当事者になったらこうなんて、安いドラマに脚本ベタとか笑えやしないじゃない。
(だからこういうこと思い出しちゃうと上手くいかないんだって……)
考えないようにすればするだけ余計に色々頭に浮かんで、お昼のハムハムパンパンのベーグルサンドを噛みながら心の中で呻く。お気に入りのサーモン入りのやつ、すっごくおいしいのに味わう気分じゃないの勿体ない。
「ロージャ、具合でも悪いのか?」
「ぅひえっ」
頭の中からひょいと抜け出てきたような茶色い頭に、びくっと全身を硬直させる。グレッグがバスの明かりを背負って、私の視界に影を作る。
「な、なんで?」
「お前さんが余ったサンドイッチのじゃんけんに参加しないの、早々ないことだからな」
ドキドキしてるのを気付かれないように問いかける。言われて後ろを振り返って見れば、ヒースとおちびちゃんが熾烈なバトルを繰り広げていた。あぁ、確かにいつもはそこに私が加わってるもんね。今日はそれどころじゃないだけで。
「うん。えっと、今日はいいかな」
「……本当に大丈夫か?」
ハッキリしない私の返事を聞いたグレッグが眉間に皺を寄せた。風邪でも引いてるのか確認しようとしてくれてるのか、顔をちょっと近づけてきて、ううっ、ちょっと、近い!
「駄目そうなら管理人の旦那に今日はサポートに回すか部屋に戻らせてくれって早めに言った方が……」
「大丈夫だってば!」
動揺が限界に達して、つい声が高くなった。
グレッグは眼鏡の奥の目を丸くして、ぱちぱちと瞬きして、へらっていつもの下手くそな笑いを浮かべた。……もしかしてこれ、やっちゃった?
「あ、あのね、グレッグ」
「大丈夫なら安心したよ。邪魔したなぁ」
全然安心って顔じゃない口の片方だけを上げた笑い顔モドキのまま、グレッグは自分の席に戻っていく。その背中が明らかに傷付いた感じがしていて(本当にわかりやすい!)私はハッキリ自分のやらかしを思い知った。グレッグ、只心配してくれただけじゃない!
頭を抱えたいけどそうしたら余計心配かけちゃいそうで、全然味がわからなくなったサンドイッチを泣きそうな思いで胃の中に詰め込んだ。


「ロージャさん……その、グレゴールさんと喧嘩してたりしますか……?」
「へっ?どうしてそう思うの?」
「僕の勘違いならいいんですけど、最近、あんまり喋ってないなと思って」
イマイチ寝付けない夜、お腹がいっぱいになればなんとかなるでしょと食堂室でお湯を沸かしていたら、同じく寝れなかったらしい大人しい方のおちびちゃんがやってきた。余ったお湯でお茶でも飲みなとカップにティーパックを放り込んであげていたら、控えめな声でその質問がきてしまった。
気のせいでしょ?って言うには、おちびちゃんは私ともグレッグとも喋る事が多い。ついでに、おちびちゃんは気にしいだから空気読まないで踏み込んでくることだって殆どない。その彼が言うんだから、私の態度はあからさまなんだろう。
「はぁ~……そんなにわかりやすい?」
降参のポーズ代わりに問いかける。おちびちゃんは言うのを迷ってくれたのか、ちょっぴり間を開けて「みんなが気付いたわけじゃないですけど」って前置きをした。
「グレゴールさんもなんだか元気がないですし、ロージャさんもちょっと様子が違いますし、二人だけ違うならそうなのかなって」
「グレッグは悪くないのよ~!」
お茶のカップをおちびちゃんに渡して、向かいに座る。お湯を注いだカップ麺のいいにおいに、そこまでお腹がすいてるとは思ってなかったけどくうとお腹が鳴る。食欲はいつも通りなんだけどなあ。
ずずっと麺を啜る。うん、これおいしい。……そうじゃなくって!
「喧嘩してるわけじゃないのよ。ただ、ちょっとね。考え事してて。グレッグに話せる話題じゃないから、喋りにくいのよねぇ」
「悩み事ですか……」
とりあえず喧嘩じゃないことだけは伝えて、溜息をつく。グレッグもだけど、おちびちゃんも結構私の心配してくれるよね。嬉しいけど、こういう時ってどこまで言うべきなんだろ?
「仲間に言いにくいことだったら、管理人さんに相談するのはどうですか?」
「えぇ~ダンテ?もっと無理でしょ、記憶がない人に恋愛相談なんて……あっ」
「恋愛!?」
口が滑ったと慌てたら、おちびちゃんの顔がびっくりするほど赤くなってる。ヤバ、って思ったら、私もじわじわと耳が熱くなるのが分かった。
もう、こんなの誰って言ってるようなものじゃない!
「あ、ああ……成程……そういうことですか……」
「あのね、おちびちゃん。これ、みんなに内密に。ねっ?カップ麺残りあげるから!」
「殆ど残ってないじゃないですか!」
ずいずいとカップを押し付けると、おちびちゃんは嫌そうな顔になった。一口分とスープは残ってるじゃない。断られたなら全部私のものだし、全部飲み干しちゃう。顔じゃなくて体全体がちょっと温かくなって、落ち着いた気がする。
「ごほん。でも、ロージャさんだったら……ええと……普段通りアタックかけるタイプに見えたんですけど、意外です」
それ、暗にグレッグが好きってバレてるって言ってない?
「私だって自覚するまで黙ってる方がバカみたいじゃないって思ってたのよぉ~!
 頭で普通通りって考えたら考えるほどね、『普通』がわかんなくなっちゃうものなの。おちびちゃんだってそういう経験とかしたでしょ?」
「ぼ、僕はしてませんよ!」
ちょっと意地悪い言い方をして、おちびちゃんを慌てさせて話題をわやわやにする。
温くなったお茶を一気に飲み干して、おちびちゃんは「僕もう寝ますね……!」と慌てて去って行った。
残された私は、空っぽになったカップ麺の容器の底をつつきながら、静かな部屋でぶーんと鳴る冷蔵庫の電子音を聞いていた。
「……もういっそ、開き直って普通以上にしたほうがいいのかしらね?」
直ぐ誰に取られるってこともないだろうけど、ぼうっとしてると誰かが彼を好きになっちゃうかもしれない。それは、ちょっと、結構、嫌だ。
呟いた言葉がただ誰もいない場所に放られる。おちびちゃんが帰っちゃった部屋では、もう誰も返事なんかしてくれなかった。


「はぁ~……ロージャがねえ」
シンクレアが俺の不寝番の日に珍しく裏口から出てきたと思ったら、「相談があります」なんて真面目ぶって言うもんだからさ、ついつい身構えたら俺じゃなくてロージャのことについての話だった。
多分、ロージャに俺が避けられてるのを気にしてくれたんだろうな。
彼女だって俺とばっかり連むのに嫌気が差すことだってある――ビンボウのチキン酒場の時だって近すぎるから距離を置こうとか言われたし――と気にしないようにしていたんだが、シンクレアのことだから心配してくれたんだろう。
しっかし、ロージャが恋煩いするなんてなあ。まあ、彼女は傍から見たら見目を引く容姿だし、いい人ができるのは悪いことじゃないだろう。
誰の事なんて不躾に訊けやしないが、相談されたシンクレアを除いたらバスのなかのやつらだって諸々問題はあるけど悪くないんじゃないか?ヒースクリフとは気が合うみたいだし、ムルソーと並んでると絵になるし、イサンさんやホンルさんは優しいし。少なくとも、俺が止めとけって思うやつはいないかな。
ああ、それとも、あいつかな?
「あれじゃないか。確か、ほにゃほにゃみたいな名前のやついたよな?」
「ほにゃ……?」
「ちょっと違うかもしれないけど……ほら、あいつだよ。黄金の枝譲ってくれた、ロージャの昔馴染み」
「もしかしてソーニャさんのこと言いたいんですか……?」
「多分そいつ」
記憶力いいよな、シンクレア。
ともあれ、自分のことが一段落ついたことだし、バスの長い長い移動時間に暇を持て余して考える時間がたっぷりあるんだから、つい昔のこととか思い出すなんてこともあるんだろう。
「男前だったし、向こうからも脈合ったように見えたしな。
 よりを戻すのは確かに難しそうだから、悩むのもわかるよ」
「……。グレゴールさん………………マジで言ってます?」
「勿論想像でしかないけどさ。想うのは仕方ないことだろ?」
シンクレアだってカルトの彼女と因縁があったりしたし、旅中で出会う味方じゃないやつらに対して思うことはあるだろう。俺だって昔は仲が良かった戦友に今じゃ軽蔑の眼差しを向けられたり敵対したりしているけど、嫌いの一言で切り捨てるのはひどく難しい。そういう中で、叶わない好意を持っちまうのだって、誰も責められないことだろう。様子がおかしくなるまで相談しないで黙ってるってことも合わせてみれば、余計にそうじゃないかって思う。
納得した俺に対して、まだ若い目の前の坊ちゃんは、なんだか呆然としてる気がした。
「僕、結構キレそうになってます……」
「落ち着けって。何が起きるってわけじゃあないし、理解できなくたってそっとしてやるべきだ」
「いやグレゴールさんにです」
「俺!?」
釘と金鎚の人格を被った時みたいな目で睨み付けられる。理不尽にも程がある八つ当たりをされそうになって宥めてみるが、ギラギラした目つきが収まってくれない。正直怖い。
育ちがいいだけあって潔癖なのか?
シンクレアは野犬じみた呻きを暫く漏らした後、がくっと肩を落とした。
「はぁ…………いいです。僕、ロージャさんを全面的に応援しようと思います」
「最初から俺もそう言ってるんだけど」
「黙っててください」
だから怖いって。若いやつの考えることは本当にわからない。
でも、まあ、何だ。
……どうやら、俺がロージャに嫌われたわけじゃないみたいだ。そこだけホッとするくらいは、構わないよな?
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