KOTY2020 総評案3


2019年のKOTYは、プレイヤーに並外れた苦痛を与える作品が揃っていた。
『サマースウィートハート』はこの年を「達成感がないシナリオを一年分延々と繰り返される」という「無と物量」を以て制した。
それと同時に、海外産のゲームのKOTY受賞は、グローバル化する時代を象徴する出来事になった。

「クソゲーなんて一本も出ないほうがいい。」
世界のゲーム市場が拡大する中、この願いが叶うときは来るのだろうか。
少しの哀愁と共に、2020年、KOTYスレは始まった。

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4月、静かだったKOTYスレに、本来現れてはいけないゲームが現れてしまった。
『Kentucky Route Zero:TV Edition日本語版』である。

『Kentucky Route Zero』についての説明を簡潔に済まそう。
米国で開発されたこのゲームは「文章で物語を語ること」にこだわったADVである。
その独創的な世界観は多方面から評価され、2013年のゲームオブザイヤーに選出されている。
プラットフォームを据置機に移した『TV Edition』も高評価で、2020年の英国アカデミー賞ゲーム部門の一部門の受賞を受けている。

なぜこのようなゲームが、KOTYの俎上に載ってしまったのか?
それは、海外産のゲームを日本で販売するときに欠かせない、とある作業が原因であった。

ケンタッキー日本語版のほぼ唯一のクソ要素は、翻訳の質が劣悪であることだ。
「では」→「でわ」と言った誤字や人名の「Cliff」を「崖」と訳すといったものは序の口であり、
主人公の名前が「コンウェイ」「コンウェー」「コーウェイ」というふうにブレる、「IRON PARIAH」など英文字のままの場所、
「頂点テクスチャフェッチの親密な暖かみから、後者は30フィート以上の垂直クリアランスを
 必要とする、悪名高い様相まで、アーティストの幅広いスケールとインパクトの範囲を表しています」
と言ったまるでもって意味不明な文章が加わる。
「文章で物語を語る」このゲームにとってはこれらの誤訳は致命的であり、世界観をぶち壊しにしている。

「訳が改善されたら喜んで選評を取り下げる」そう選評者は明言した。

このゲームは「日本語版のみがクソゲーであるゲームは扱うべきか」という論争を起こしたが、最終的には晴れて門番として話題作入りすることになった。

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「クソ翻訳」という唯一かつ最強の矛を持った門番を前に、3か月の間平穏が保たれた。
しかしそれ以上は続かなかった。7月、2本のクソゲーが来襲する。

一方は『Dreaming Canvas』である。
このゲームは説明を要約すると「5つのマップ(湖のある草原、滝壺、南国、砂漠、雪の降る街)を選び、散らばっている旅人に出会いながら名言を見つけキャンバスに絵を描くゲーム」である。
しかし、このゲームは、その存在意義を失わせる多数の問題点を抱えていた。

まず、絵を描くことはできない。
「は?」と思っただろうがこれは本当である。正確には、白いキャンバスを開く写真のような絵が描いてあり、ツマミで彩度や輝度などの5つのパラメータをいじるだけ。自分の好きな絵を描くことは不可能である。
次に、旅人はいるにはいるが、会話などはできず風景の一部である。名言を聴けると思ったらそうではなかった。
さらに、名言はマップの各所に散らばっているが、「絵を描くのは方法がわからないときは簡単ですが、行うと非常に困難です」というように、どれも直訳感満載で、芸術というものがいかに難しいかを我々に示してくれる。

さて、上記の説明から「絵を描く」「名言」「旅人」を抜いたら何が残るだろうか?

こうして毎年現れる「無」のゲームが危なげなく話題作入りを果たした。

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そして同時期に襲来した大作が、3DアクションRPGゲーム『ファイナルソード』である。
発売前からしょぼすぎるグラフィック等で見えている地雷と称され、発売5日後にBGMパクリ疑惑で販売停止され、大量のバグを用いたRTAが生放送で完走されるなど、いろいろな話題を提供した本作。
このゲームのクソ要素は、話題になるもの・ならないものも非常に多かった。

まず、異常なほど難易度が高い。
この手のゲームはダウン中無敵であることが当たり前だが、このゲームはダウン中も状態異常判定だけ命中してしまう。
そして、状態異常の一つ「凍結」はプレイヤーの食らい判定を復活させる上、凍結中に攻撃を食らうと解除時に食らいモーションが再生されるため、
ダウンする→凍結を食らう→攻撃を食らう→凍結解除と食らいモーション→モーション中に攻撃を…というループに簡単に陥る。
凍結抜きにしても雑魚の沸きはかなり早く、一匹の処理にてこずるようならあっという間に囲まれてしまう。
また、ボスキャラは当然のように執拗な起き攻めを繰り返し、一度ダウンになったが最後、一切行動できずに死ぬことも多い。

攻撃には剣を用いたものと魔法を用いたものがあるが、どちらも扱いづらい。
剣を用いた攻撃は判定が不明瞭で、見た目が当たっていても当たっていなかったり、なぜか一度に2ヒットしたりする。
魔法は操作が難しく「Rを押すと強制される主観視点で、左スティックで大量の数の雑魚の凄まじい攻撃を避けながら、使いたい魔法のセットされている十字キーを押して、当てたい敵の方向を向いて、Rを離す」という操作をとっさに行うのは至難の業である。

誤植も多く、ラスボスが主人公に「ここまで来るなんて…」と弱気を見せたり、途中まで丁寧語で話していた「神聖な木」が突然「ここは人間ごときがくる場所ではない。」と言い放つさまはシュールとしか言いようがない。

他にも地図や魔法が「何もないフィールドのど真ん中」に置かれているなど、プレイのカギとなるアイテムも手に入りづらい、メニュー画面が+を押してから少し経ってゲーム内時間が止まり、その間に攻撃を食らった場合はアイテムの使用ができない、会話や宝箱を開ける判定が異様に狭いなど、多数のクソ要素がプレイヤーに襲い掛かる。

これらを見るだけなら「プレイしたくない」という感想が先行するだろう。しかし実際に途中で投げ出した人は少なかった。なぜだろうか?
それは、このゲームが、珍妙な演出による「バカゲー」の側面を持ち合わせているからだった。
例として、あまりにもチープすぎる移動魔法と脱出魔法、「こんな死に方しました」という動画にして紹介したくなる落下死のパターン、レベルアップの演出はしょっぱいファンファーレと共に画面にデカデカと浮かぶ「LEVEL Up」の文字、そもそもなぜ「p」だけ小文字なのかなど、上げていくとキリがない。
このように、遊べば遊ぶだけ本来とは違う魅力…もといネタが大量に発見され、「クソゲーなのにやってみたい、続けたい」という感情を抱かせることになる。
「検証プレイで5周した」と言った選評者に、我々はその中毒性を垣間見ることができる。

こうして、最早懐かしいものとなった「笑えるクソゲー」がスレに迎えられた。

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12月、スレに1本のストロークが打ち込まれる。『テニス オープン 2020』である。
「本格テニスゲーム」を謳った本作だったが、そこには「本格テニス」という要素はどこにも見当たらなかった。

まず、移動操作は自動である。

大事なことなのでもう一度言う。移動操作は自動である。そのため、このゲームは「ただボールを打ち返す作業」にしかならない。
この時点で「本格」は破綻しているが、さらに追い打ちをかけるクソ要素もある。
なんと、自動操作の精度が悪いため、どうしてもボールが返せない位置に立つことも起きてしまう。さらに、弱いショットには自動操作は対応できず、自分も相手も弱いショットを打った時点でポイントが確定する、という惨状である。

ただただ左スティックだけを使ってボールを打ち返し、弱いショットでの得点は自己の技量によらないため虚無感が残り、スマッシュのような気持ちいい要素もなく、レベルの低い「ボール遊び」を強いられる。

誰が言ったか、「ゲー務」という言葉がこのゲームのすべてを物語っている。
こんなゲームでは「四大大会を勝ち抜く」という目標ですら、救済に感じるだろう。

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年が明け、もうすぐ総評の募集をしようという段階になって、あるゲームがスレに投下される。『爆丸 チャンピオンズ・オブ・ヴェストロイア』である。
アニメや玩具で名が知られている「爆丸」のゲームであり、開発はアメリカの会社。
つまりこのゲームは「キャラゲー」であり「海外産ゲー」でもあった。即ち、クソゲーになりえる要素は十分だった。
では、このゲームの内容を見ていこう。

まずこのゲームのジャンルである「RPG」としてはどうだろうか。
ストーリーは子供向けの王道ものであり、「爆丸は友達で、道具じゃない」といった話が展開される。
しかし、「爆丸とは何か」「ヴェストロイアとは何か」という話題は序盤では一切語られない。知っている人に説明する必要はないということなのだろうが、余計なお世話である。
また、戦闘は「爆コア」と呼ばれるものを拾うことで爆丸のアビリティがチャージされるが、爆コアの出現はランダムでありテンポが悪い。
CPUが弱く戦闘が易しいことも作業感を演出している。
アビリティには名称と効果やイメージが合致していないものが多く、その中でも高火力技である「スウォードパラージ」(sword parage)が強くこれだけで勝てるため、バフやデバフはほとんど意味をなさない。
他にもクソ要素は大量に存在し、RPGとしての作りはかなり甘いと感じられる。

次に「キャラゲー」としてだが、このゲームはキャラゲーではない。
「いやさっきキャラゲーって言ったでしょ」と言いたくなるだろうが、実際このゲームをキャラゲーと呼ぶことはできないのである。
なにしろ、原作の登場人物は主人公の「ダン」のみだからだ。しかもチュートリアルにしか出てこないし。
爆丸も「80種以上が使用可能」と紹介されているが、実際は16種類×5色の色違いであり、80種と呼ぶのは無理がある。
しかも16種類のうち半分が国内と名称が異なるとなれば、キャラゲーを名乗るのは不可能だろう。

そして、クソゲーによくあるテキストの問題も十分である。
例としてバス停で「地下鉄の営業が再開したぞ」と言っていたり、主人公の名前が「;プレイヤー;」と表記されていたり、開発会社が英語圏なのに中国語の文が残っている、文章を無理やり一行で表示した結果文字一つが1mmくらいの大きさになるなど、あまりにも粗末。
全体的に「低年齢層なら雑でも大丈夫だろ」という気持ちが見え隠れしている結果となった。

こうして、今年も現れた「クソキャラゲー」が滑り込みを果たした。

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以上がKOTY2020の対象候補5作である。
それぞれが別の方向にとがった作品たちは、2020年代という新たな時代を迎える今年にふさわしいものだっただろう。
そして、大賞に選ばれたのは―――

『ファイナルソード』である。

全体的に雑な作りが目立った今年の5作、『ファイナルソード』を除く4作は「読めない訳文」「何もできない空間」「単調な作業」「キャラゲーとしても不合格なシステム」と、クソ要素はそれぞれ苦痛を示す方向に向いていた。

しかし、『ファイナルソード』だけは違った。

先述のとおり、『ファイナルソード』は「クソゲー」としての面と「バカゲー」としての面を併せ持っている。
購入者はそれを「クソだわw」と言いながら嬉々として広め、それを見た人もこれは酷いと思いながら笑い、偶然目にした人や一見さんまで「これはひどいwww」「やってみたいwww」という感情を皆が一様に抱ける。
『ファイナルソード』はそんなゲームだった。
確かに難易度は理不尽に高い。調整不足の要素も多い。だからクソゲー。だがそれでもやってみたい。たくさんの人がそう思った。
よって「クソ要素が苦痛ではなく、笑いに繋がる」「もっとも多数のユーザーに、自分がクソゲーであることを知らしめた」という理由を以て、このゲームにKOTY2020対象を捧ぐ。

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思えば、最近のクソゲーは『MVT』などを筆頭に、プレイヤーに与える苦痛の大きさががクソ要素となっていた。
ゲー無しかり、ゲー霧しかり。

我々は「笑えるクソゲー」の存在を忘れていたのではないか?
「クソゲーと言えば苦しみ」とかかって考えていたのではないか?

確かにほとんどのクソゲーはプレイヤーを苦しませ、時に屈服させてきた。
しかし、『たけしの挑戦状』を始めとし、笑えるクソゲーの系譜は潰えていなかったのである。
『ファイナルソード』もそれらのように、我々を楽しませるクソゲーとして語り継がれていくだろう。
このようなクソゲーがもっと増えることを願いたい。といっても、クソゲーが出ないほうがよいのは自明の理であるが…

最後に、「史上最も愛されたクソゲー」である『デスクリムゾン』でのセリフを用い、KOTY2020を締めさせてもらおう。
こんな気持ちを持てるクソゲーが、また現れるように…

『『せっかくだから、俺はこのクソゲーを遊ぶぜ!』』
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