忍ぶれど色にいでにけりわが恋は


 名は体を表すがごとく、雪のように白くて儚い一人の女の意識が、カルデアという場所で明瞭になってから暫く経つ。
女は、自身のことを英霊たる夫の霊基に、ひっそりと紐づけられた風が吹けば飛んでしまうような矮小な存在と定義していた。
女の名前は、【宮本雪】 かつて汎人類史において小倉藩の筆頭家老を勤め上げ、そして今この時地球白紙化へと立ち向かうカルデアにキャスタークラスの英霊として召喚された宮本伊織の妻であった人間、――否、森宗意件なる人物に作り上げられたホムンクルスであった。雪は自身の死の間際に強く離別の否定を願い、夫と己の魂を密やかに結び付けた結果が今の彼女である。


 だが自身のことを矮小な存在と定義するだけあり、今の彼女の霊基は非常に不安定で、カルデアの関係者やサーヴァント一同どころか夫にすら認識および観測をされていない状態であった。
それでも雪は、死の間際の願いが成就した結果に満足をしていた。……いや、一つ二つは少々思い悩むことはある。
いくら自分が些細な存在とはいえ、これほどまでの沙汰を黙って行ってしまうまでに愛した夫に認識をしてもらえないことは、流せるものなら涙が出るとわかり切っているくらいには寂しい。
 そしてそんな夫の近くには、辿った経緯は違えど並行世界の自分【由井正雪】がいるではないか。
――私の夫【伊織殿】の隣に立ち並び戦え、私よりも創造主と長い時を親とも師とも仰いで過ごし養子先で疎まれもせず、あまつさえ並行世界の宮本伊織まで傍にいるとは!
……本音を口にするのなら由井正雪が嫉ましいし憎らしいのかもしれない。だが雪の短い生で、夫や我が子から与えられてきた温もり以外には思い通りになることなぞ殆どなく、そもそも人の感情はもちろんのこと自身の感情にも疎いと自覚しており、なればこそ己だけで飲み込んでしまうのが一番早くて誰にも迷惑をかけないことを痛いほど身に染みて理解をしているので。
それでもまるで幼子のような甘え方と解っていてはいるものの、夫が身にまとう着物の裾を掴み軽鴨の雛のように後ろをついて回れることが、雪の心をずっと小さく照らし温めている。



 今日もそうやって、雪は夫の後ろにひっそりとついて回り周囲の様子を静かに眺めているのだが、創造主の手元にあった頃を過ごした町とも、養父母に引き取られた先の駿府、夫と祝言を上げた頃の江戸、そして終の棲家となった小倉ともまた違う。人々が行き合い通い合う賑やかさと華やかさが、このカルデアにはあった。
おそらく雪としての霊基が確立していても、己が交流の輪の中へ混ざれることなんて無いのだろうけれど、俯瞰して見ている分には一つの絵巻物のようで面白おかしくて無聊の慰めになっていた。
自分が他所を見ている合間に夫は目的地にたどり着いていたようで、その場所は食堂であり、……あの由井正雪と約束をしていたらしい。
また胸にずきんとした痛みが降り積もるが、贅沢を言ってはいけない身ゆえ距離を置くだけに留める。どうせ彼と長く離れては動けぬ身なのだ。頃合いを見て戻ることにして、どこか人気のない場所に行こうとしたその瞬間――

「おや?旦那様の傍におられなくて良いのですか?」

 銀の鈴を転がすような愛らしくもどこか妖しげな色香を纏った声が背後からかけられる、自分に話しかけられるだなんて一寸たりとも考えたことが無かったゆえにないはずの心臓が飛び出そうな心地がした。しかし呼び止められた以上無礼があって失望させてはいけない、声の主とその顔色を早く見なければ。
そうして其処に居たのは艶やかとした桃色の髪に毛の一本一本まで整えられた狐の耳と尾を持ち、巫女服と称するにはいささか肌の露出が多い衣を身に纏った絶世の美女、名を確か

「私(わたくし)、玉藻の前ですわ♡ お気軽に玉藻でも、タマモちゃんでもお呼びくださいましね? 貴女は宮本伊織様の奥方でいらっしゃいますよね」
「は、はい……宮本雪と申します、あの……」
「同じカルデアにいる身ですもの、親しみを持って接してほしいな~って」
「いえ、それよりもなぜ私が視えるのかをですね」
「ああ、私(わたくし)これでも神様 ですので☆ 悩める乙女はこのタマモちゃんアイできゅぴーんとしっかりバッチリ見定められちゃうのデス!
ほらこちらにささっとお座りくださいまし恋バナしちゃいましょ!」

 玉藻の前はそういうと食堂の人目につきにくい隅の席を確保したうえで、雪の肩を掴み座らせようとしてくる。
何を云っているのかとなぜ急にこのようなことをしたのかは測りかねるのだが、ここには神と呼ばれし類のモノは数多く在るがため目の前の存在が神性であるのは重々理解していたため、雪は困惑と細かな疑問は飲み込むことに決め、しずしずと差し出された椅子に腰かけて玉藻の前と話す覚悟を決めた。


「なるほどぉ、旦那様のお隣に異性がいてもやっとしちゃーう!ですか」
「はい、……いえ、夫の人付き合いの輪が広がるのは良いことだと思うのです」
「うんうん、良妻は旦那様の人間関係に気を配ってこそですものねぇ」

 最初こそ強引と呼べるものであったが、玉藻の前は想像以上に聞き上手であり、大して話すのが得意でもないしつまらぬものばかりと自負をする雪の話を丁寧に汲み上げてくれる御仁であった。“神”と云う名乗るだけあり、どのような理が働かせているのやら彼女が差し出した緑茶と数種類の茶菓子は雪にでも手を取り口にすることもできる。
だからだろう、ぽつりぽつりと本音を零してしまったのだろうか

「……私は、欲張りですね、生前だけじゃ飽き足らずここまで押しかけてきて、それでもそれ以上を願ってしまう」
「んー、人間としては普通のことだと思いますけれどねぇ 雪さん自然の嬰児のようですしぃ、そう思っちゃうのかナ?」
「?! わ、私がなぜホムンクルスなのかご存じで」
「あ、まぁ神様ということでお許しください♡ それよりも、そろそろ旦那様行っちゃいますけれどぉ」

玉藻の前が指さす通り、食事を終えてもしばらく話し込んでいたらしい伊織が先に席を立つらしい正雪と別れている様子が伺える。
彼も茶を啜ってはいるがもうすぐこの場を去るのだろう。

「……本当ですね、あの、お茶や甘味の類を馳走になりました」
「いえいえ、……では参りましょうか☆」
「えっ あの、私だけ旦那様の元へ行けばよいだけ、では?」
「まあまあお気になさらず~」

ぐいぐいと玉藻の前に押されて行き、とうとう食堂から出て行き人気のない通路へと差し掛かる伊織の前にたどり着いてしまった。何時もならこのまま後ろに回りついていくだけのことだろう。
けれど、けれど今日この日は違った。

騒がしさを察したのか伊織が歩みを止め、振りむいた。じっと何もかもを見通すかのような視線で玉藻と雪の方を見分する。そして厳かに口を開く。
「………? もしや、 雪か?」
彼の口からまろびでたのは、自分の名前であることに雪は今度こそ心の臓が凍り付くような心地になる。

「…………!」
「ふむ、玉藻の前、貴殿が何やら細工でもしたのか」
「もー!人聞きが悪いですねぇ!以前言いましたでしょう、宮本さん以外の気配があるのでそれを見やすくしただけですわ。というわけで私はこれにて」

 用が済んだとばかりに軽やかに立ち去っていく貴人の背中を眺めながらも、雪にとってはそれは初耳であった。もしや、もしかして以前からこの様子は見られていたということ?急に恥ずかしさのあまり顔中が熱くなり、穴があったらすぐにでも野兎のごとく埋まりたくなった。名前通りの存在なら我が身は今頃無残に溶けて水になっていることだろう。

「いや、お前が見えたのは今日が始めてた」
「そうなのですか……?」
「何か言っているようだが、今の俺には聞こえぬな……すまぬ雪」

 生前見たことが無いかもしれないほどには肩を落とし、申し訳ないという雰囲気を全身で示してくる夫だがこちらの勝手な所業のせいでもあるのだし、彼には気に病まないで欲しくある。雪にとって何より大切なのは、大変気恥ずかしい想いはすれど、言の葉が通わすことが出来なくても、自身の存在が伝わっただけでかつての自分が報われたことのだから。

「いえ、いえ……充分すぎるほどです旦那様……」
「そうだ、手を握ってもよいか雪」
「……はい!」

おずおずと差し出した雪の手は、伊織の両手で宝物のように包み込まれ絡み合う。再び確りと繋がれた手は、かつての最期に貰えたのと変わらぬ温もりなのが伝わったその瞬間。思わず涙が溢れてしまうほどには、かけがえのない雪の幸せであった。













―――
特に読まなくてもいい裏設定

玉藻ちゃんはずーっと雪を知っていて、今回お茶とお菓子に伊織に見えるよう呪術を仕込んでる。玉藻ちゃん以外はよほどの高ランク神性かつ日本に縁がある。もしくは同族ぐらいしかわからんと仮定してます。おてんとうさまはみているというやつです。
汎伊織殿は時折懐かしい気配がすると召喚された時から感じ取っていたところ、ホムンクルスについての資料を見たり、タラスクの案件を知りもしや?と妻に行きついた。
言ってくれれば生前のあの時でも了承をしたのになと、妻の最期の最期まで変わらなかった部分に少し寂しくなっている。そこを玉藻ちゃんに声かけられた感じ
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