バクトレウマ娘化SSその2


 神社の一件から数日を経て、一本の電話があった。発信元は中央トレセン学園。用件は、先日は大変お世話になった、直接お礼を申し上げたい為都合の良い日を教えてほしい、というものだった。
 本来ならば、会うべき理由などない。断る言い分はいくらでも用意できる。だけど僕は、予定の空いている日時を伝えていた。なぜかは分からないが、会うべきだという予感めいたものがあった。
 そうして約束の日に、僕はトレセン学園にやってきた。受付で許可証をもらい、案内してもらう。トレセン学園には、見慣れない来訪者に好奇の目線を向けるもの、挨拶をするもの、そして特に気にしないもの。ほかにも様々な生徒がいた。しかし皆晴れやかな顔で、あのときの彼女のような思い詰めているような子はおらず、そしてまた、僕とは関わることもない縁遠いものであるように思えた。
 案内役から通されたのは理事長室と書かれたプレートのある部屋だった。そして、部屋の中には二人の女性が迎えてくれた。
「感謝ッ!!忙しい中時間を作っていただき誠にありがとう!わたしは、トレセン学園理事長の秋川やよいだ!そしてわたしの隣にいるのが──」
「理事長秘書の駿川たづなと申します」
 僕も名乗り互いに名刺を交換し、席に座って出された茶を一口いただく。正直、意外だった。秋川やよい、駿川たづな。……僕はトゥインクルシリーズなどは疎い方だが、この巨大なトレセン学園のトップにあたる人物が僕にわざわざ面会する理由がわからなかった。あの子は──言い方は悪いが──宝石のごとき逸材というわけでも、あるいは学園にとって重要な人物であるようには思えなかった。
「ふむ、なぜ私が貴殿に直接会うのかわからない、といった顔だな?」
「……ええ。失礼ながら、僕はてっきりあの子の担任の教諭と話しておしまい、と考えておりましたから」
「うむ、それについてもこれから説明するぞ。しかしッ!まずは──」
 言うや否や、秋川理事長は椅子から立ち上がると、深々と頭を下げた。
「深謝ッ!!この度は、わが校の生徒に対し、傷病の手当てに加えわが校への連絡、救急車の手配等手を尽くしてくれたこと、本当に感謝する!!」
「私からも、ぜひお礼を言わせてください。彼女を助けていただいたこと、本当にありがとうございました」
 秋川理事長にあわせるように、駿川理事長秘書が深く頭を下げる。
「あ、頭を上げてください。僕は……」
 二人に急に頭を下げられて、僕は面食らってしまった。誰に何を言えばいい?秋川理事長の頭の上の猫を見やっても、にゃあとひと鳴きするだけだった。
「……僕はただ、あの子を救急隊に預けただけです。それ以上の、それほど深く頭を下げていただくようなことは、僕は、何も──」
「──そこまでッ!!」
 思わず口を突いて出た言葉が、がばりと顔を上げた秋川理事長からの一喝で遮られ、肩が跳ねる。
「わたしはたづなとともに彼女から、先日の一件について聞いている。結論としては、貴殿のしてくれたことは我々が直接礼を伝えるべきだと判断した。わたしもたづなも、そして彼女も、みな本当に感謝しているのだ。どうかそのように、卑下しないでほしい。」
 秋川理事長は、一喝した時の表情からは一転、やわらかな笑みをたたえてなだめるように話した。隣の駿川理事長秘書を見やれば、同意するように頷いた。
「彼女からも言伝を預かっていますよ。『子守歌のおかげで久しぶりによく眠れた気がします。"魔物"に負けないように、他の人に助けてもらおうと思います。ありがとうございました』とのことでした。それで、その、一つお伺いしたいことがありまして」
 何だって?彼女は今"魔物"と言ったか?嫌な予感がする。しかし、ここで突っぱねることはできなかった。
「……なんでしょう?」
「彼女の言う"魔物"とはなんでしょうか?彼女に聞いても、『あの人に聞くといいですよ』と、はぐらかされてしまいまして……」
 なんということだ。僕は思わず天を仰ぎ顔を覆った。まさか、ほとんどでまかせで話した"魔物"の話が、さも意味ありげなものとしてトレセン学園のトップにまで伝わったとは。秋川理事長に一喝されたことなど吹き飛ぶようなショックだ。これも彼女の悪戯のひとつなのだろうか。しかし、なんと説明しようか……。
「……なんと言ったら良いでしょうか。あれは、いうなれば御伽噺のようなものです。なんだったか……そう、ブギーマンが近しいでしょうね」
「ブギーマン?悪さをする子のもとにやってくるという、民間伝承のブギーマンですか?」
「ほう、ブギーマン!俄然興味が湧いたぞ!是非ッ!!わたしたちにも、その"魔物"の話を聞かせてほしい!」
 ああ、その場限りのほら話のはずが、こんなことになるなんて。興味津々という言葉がこれ以上なく似合う秋川理事長の瞳がまぶしい。だが、聞かせてくれと言われても、元がでまかせのようなものだから細かい内容はもはやあいまいだ。それに、"魔物"の話をするとなると、前後の状況についても話す必要があるだろう。気が重いが、どうしようもない。少し冷めた茶を飲み込み、僕はあの日のことを話し始めた。
「──なるほど、そのような経緯で、"魔物"の話につながったのだな。それで、貴殿はあの子を背負って下山したと」
「ええ。そのとおりです」
「うむ、うむ。──たづな」
「……はい、理事長」
 うんうんと頷いていた秋川理事長は、何か言いたげな駿川理事長秘書と見合ってからこちらに向き直ると、咳ばらいをしてから話し始めた。
「これは彼女より話を聞いてから考えていたことだが――貴殿よ!」
「なんでしょうか?」
「請願ッ!!このトレセン学園に、貴殿の力を貸してはくれないだろうか!」
「……なんですって?」
「わたしは、貴殿を中央トレセン学園にトレーナーとして迎え入れたいと考えている!」
 その言葉は、今まで出くわしたことのない大きなショックを僕に与えた。思わず俯いて抱えた頭の中を言葉が走り抜けて、その跡にミミズ腫れのように疑問が膨れ上がってくる。なぜ僕が?トゥインクルシリーズと今まで関わったことのない人間をトレーナーとして迎え入れるなんて。そもトレーナーとは資格の取得が必要なのではないのか。頭の中を埋め尽くしても収まりきらなかった疑問が僕の口からこぼれ出た。
「……なぜ、僕を?僕はトレーナーとしての知識など持ち合わせてはいませんし、お渡しした名刺を見ていただければ分かる通りトゥインクルシリーズはおろかレースとは関わりのほとんどない会社に属する身です。それになにより──」
 そうだ。僕はトレーナーではない。そして、僕はトレーナーになるべきではない。
「──なにより僕は、レースを知らず、あの子や他のウマ娘の子たちがレースに懸ける想いを知りません。そのような部外者が彼女たちと関わるべきではないでしょう。それがトレーナーになるなど……この話はお断りさせていただきます」
 考えれば考えるほどばかげた話だ。僕は席を立ち退室しようとしたが、扉をふさぐように秋川理事長が駆け込んできた。
「ま、待っていただきたいッ!どうか、話を聞いてほしい!」
 そういって秋川理事長がまた頭を下げる。なのになんの感慨も浮かばないことをどこかで感じている僕がいた。
「トレセン学園でトレーナーが足りないなどということはありますまい。カウンセラーか、あるいはコメディアンが必要ならば雇えばよろしいでしょう」
「い、否ッ!!わたしが欲しているのはカウンセラーでもコメディアンでもないのだ!」
 何が違うというのだ。ただの部外者をトレーナーとして迎え入れるなど、それこそコメディだろう。まるで正気とは思えない。酔狂にしたって限度がある。けれど、顔を上げてこちらを見据える秋川理事長の瞳はまっすぐで、どこまでも澄んでいた。
「このトレセン学園の抱えるトレーナーたちはみな優秀だ。だが……だが、みながみな生徒たちにずっと寄り添えるわけではない。専属契約がある、性格が合わない、時間がどうしても足りない、他にも理由は様々だが、そういった理由から、トレーニングの指示やメンタルケアが行き届かない生徒が増える。そしてそのうちに──」
「──”彼女”のように落伍する生徒が出てくる、と?」
「……その通りだ。一度故障してしまえば怪我のリスクはより高まり、それはずっとついてまわる。そうなった生徒たちはどうなるか?より優先順位が下がり、レースで結果を残せなくなり……ひとり取り残されて誰からも手を差し伸べられぬまま、涙を流しながらこの学園を去る生徒が何人いたことか!!わたしはッ!!」
 瞳に涙を浮かべて、秋川理事長は声を荒げる。
「──わたしはあらゆるウマ娘を支えたい!!だがわたしでは……わたしでは何もしてやれない。故に、懇願ッ!!どうか、どうか貴殿の力を貸してはいただけないだろうか!」
 三度、僕に頭を下げる秋川理事長を見て、ようやく理解できた。どうしてこんなにも僕の心は冷ややかだったのか。これは嫉妬だ。自分にできることを探し続けて、どうしても手が届かなくても諦めず、こうして頭を下げることも厭わない。僕がどうしようもできないと思い込み最後には諦めて妥協したのと比べて、この人はどうだ。会ったこともない他人をここまで信じ、何度も頭を下げている。誰かを切り捨てたりなどせずあがき続けている。僕は何ができる?何をするべきなのか?いや、答えは初めから提示されていた。
「……秋川理事長、貴女のお気持ちは、理解しました。」
「!で、では──」
「──しかし、先ほども申し上げたように、僕はレースのことも、彼女たちのこともわかりません。だから……」
 僕がすべきこと、僕ができること。新しく示されたそれがあることが、今はうれしかった。
「だから、僕に彼女たちのことを教えていただけないでしょうか。どうか、お願いします。」
「おお──感謝ッ!!感謝ッ!!!!」
 僕が頭を下げると、秋川理事長は僕の両手を取り、痛いほどぶんぶんと上下に振り回す。駿川理事長秘書に目線で助けを求めたが、彼女はただやわらかく微笑むだけだった。この光景をいつか懐かしく思うようになるのだろうか。
「うむ、うむ!ところで貴殿よ、貴社では警護業務を扱っているようだが、少数での警護は可能だろうか!」
「状況にもよりますが、可能ではあります。しかし、なぜ今そのようなことを?」
「妙案ッ!!レース場にわたしが赴く際、身辺警護として貴殿に来てもらうのだ!さすれば、安全を確保しつつ彼女たちのすばらしさを貴殿に説くことができ、そのうえ全員でレース観戦もできる!これこそ一石三鳥というものだ!はっはっは!」
「は……?」
「理事長!?」
 突拍子もない提案をする秋川理事長の発言に駿川理事長秘書とともに唖然とする。きっと、頭を抱えることにも慣れ親しむことになるのだろう。そんな予感がした。
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