バクトレウマ娘化SSその4


 僕がトレセン学園に配属されるための手続きは滞りなく行われた。トレーナーになるための資格は取得したが、僕が秋川理事長から求められている役割は教官補佐となる。生徒たちを指導する以上トレーナーの資格は必要ではあるのだが、あの有馬記念の控室で言葉を交わしたトレーナーたちのように誰かの専属として受け持つことはなく、教官たちの事務処理の手伝いや彼らの生徒たちへのカウンセリングの代理などが業務の中心であり、僕には主にカウンセリングで生徒たちへの受け皿や緩衝材となってほしいということを秋川理事長と駿川理事長秘書両名から説明されている。
 とはいえ、今はまだ右も左もわからない状態だ。学園側も新任のトレーナーたちへはすでに結成されているチームのサブトレーナーとして経験を積むことを推奨しているようで、僕もそれに倣い、教官のもとにつき補佐をこなしながら生徒たちへのトレーニング方法を学ぶことになる。トレセン学園というものは、人間とウマ娘とを問わず、実に──強調表現がこれで足りるとは思わないが──個性にあふれている。その環境に馴染む為の準備機関も含めているであろうことを考えれば、なるほど合理的であるだろう。
 仕事を覚え、学園に慣れ始めたころに、僕が師事している教官から選抜レースを観てみないかと誘いを受けた。
 選抜レースとは、トレーナーと契約していない、チームに所属していないといった生徒たちが参加する、トレーナーたちにスカウトされるためのアピールの場であり、1年に4回行われるそれに一縷の望みをかけて走る生徒も多いとは教官の談だ。「誰の目にも留まることのなかった子たちの指導をするのが教官の役目であります」と彼は言う。
 含みのある言い方だと感じた。今の言葉は、と口を開きかけたところで、前から歓声が沸いた。
「着いたでありますよ」
 教官の言葉であらためて前を見遣れば、ちょうど選抜レースがスタートしたところらしかった。慌てて観戦しているトレーナー達に話しかければ、彼らは親切に今回のレースが長距離レースであることを教えてくれた。
 レースに目を向ければ、先頭で後続を引き離す生徒が目についた。
「あの先頭の生徒は?」
 僕の疑問は、彼女のスタートダッシュに沸いた歓声にかき消された。近くのトレーナーたちも彼女の加速力に驚嘆しているようだった。
 だが、第4コーナーを回るころ、先頭を駆けていた生徒はずるずると失速し、12着という結果でレースを終えた。
 すわ緊急かと近寄れば、たまさか近くにいたと思われる眼鏡をかけているトレーナーに朗らかに話しかけており、何事もないようだった。思わず出た嘆息と共に安堵したところで観戦していた別のトレーナーが僕を追い抜いて件の生徒に話しかけ始めた。これがスカウトというものだろうか。
 しかし、スカウト中にトレーナーから「スプリンターとしてスカウトしたい」と聞くや否や、生徒の表情はほんの少しだが険しくなり、断ってしまった。その勢いたるや、取り付く島もないを地で行くようなものだった。
 スカウトしようとしたトレーナーが去ると、スプリンターになにやら含むものがあるらしいその生徒は僕と眼鏡のトレーナーに向き直り、スプリンターとしてスカウトするつもりかと問うてきた。
 勢いに気圧され返事に窮していれば、畳みかけるようにして「短距離だけに絞るのはできない」とその生徒は言う。
 曰く、「学級委員長として生徒の模範となるならば、全ての距離を制覇してこそである」ということらしい。正直、学級委員長のくだりはまるでわからないのだが、ここはトレセン学園だ。きっとそういうこともあるのだろう。
 確かにあのスタートダッシュとトップスピードの速さは目を見張るものがあった。あの速度を長距離でも維持し続けることができるならば全ての距離を制覇するというのも夢ではないだろう。
「……君のあのスタートダッシュからのトップスピードは見事だった。もしも……」
「はい?」
「もしも、あのスピードが最後まで持つようになれば……誰も追いつけないだろうな」
 思ったままの言葉を告げる。隣の眼鏡のトレーナーも同意するように頷いている。
「君のあのスピードがさらに極まれば……」
 もしかしたら。根拠のない希望的観測。だが、目の前の生徒は、それを成し遂げられるような気がした。
「できるかもしれないな」
「えっ!?」
 生徒と眼鏡のトレーナーが驚いた声を出す。それほどまでに見当違いな発言だっただろうか?今更ながら不安が過る。
「そ、それはつまり……あらゆるレースをスピードで制す!そういうことですか!?」
「ん?あぁ……そういうことになる、だろうか」
「学級委員長としてッ!!皆さんの模範たる走りができると!!そういうことですか!?」
「そういうことになる……のか?なる、のかもしれないな」
 学級委員長としてはわからないが、仮に実現したならば、多くの生徒たちの目指すべき目標というかたちにはなるだろう。
「──決まりましたッ!!!」
 感極まったかのように生徒が叫ぶ。彼女は僕をまっすぐに見据えてさらに続ける。
「なにとぞ!ご指導ご鞭撻よろしくお願いしますッ!!私のトレーナーさん!」
 どういうことだろうか。彼女は僕に向き合っているが、理解しきれない。思わず隣のトレーナーを見る。
「……どういうことでしょう?」
「えっ。スカウトに来たのでは?」
「えっ?」
「えっ?」
「こうしてはいられません!早速!トレーニングを始めましょう!!行きますよッ!トレーナさん!」
 気が抜けていたところで急に手を引っ張られ転びかけてしまう。なんとか持ち直したがウマ娘の疾走についていくのは生半可なことではない。そもお互いの自己紹介すら済ませていない。息を切らせながら問いかける。
「ま、待ってくれ、自己紹介がまだだったろう。君の、名前は?」
「ハイッ、サクラバクシンオーです!」
 それが、サクラバクシンオーとの出会いだった。
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