その、手を


――これは、どうしようもない俺と、どうしようもない君の、どうしようもない愛のはなし。


<比率>
1:1:0

<時間>
40~50分


<登場人物>

笠音
【笠音彰人(かさね あきと)】男性
会社員。しぐれの同僚。

しぐれ 
【三森しぐれ(みもり しぐれ)】女性
会社員。「手だけで抱かれること」に執着する女。


<利用規約>
https://writening.net/page?bmsmZi


------------以下台本—----------


―夜中の路上

(ぐったりするしぐれ)
(しぐれに肩を貸しながら歩く笠音)

笠音:三森(みもり)、大丈夫か?

しぐれ:う、ん……

笠音:大丈夫……じゃあなさそうだな。ほんと、どんだけ飲んだんだよ。水、飲むか?

しぐれ:いらない……

笠音:そっか。ああほら、家、着いたぞ。ここで合ってるか?

しぐれ:か、ぎ……

笠音:そうだな、鍵だな。ほれ、出せ。開けてやるから。

しぐれ:わかんない。

笠音:はあ?

しぐれ:か、ばん、のなか

笠音:ああはいはい、カバンの中な。ほれ、カバン。早く出せ。俺そんなに力ないから、そろそろお前支えてんのも、限界だわ。

しぐれ:どこ、わかん、な……

笠音:はあ!?

しぐれ:さがし、て。

笠音:いや、さすがに女のカバンの中を漁るのは……

しぐれ:も、むり……

笠音:ああ分かった分かった。ちょっと座ってろ。

(笠音、三森を床に座らせる)

しぐれ:ん……

笠音:……ったく。

(しぐれのカバンを開ける笠音)

笠音:うわ。お前、カバンの中意外にきたねえのな。

しぐれ:……

笠音:……なんだよ。

しぐれ:ううん。

笠音:……いきなりしゃっきりした目でこっち見んなよ。

しぐれ:かぎ……

笠音:え?あ、鍵、鍵な。ええと……ああ、あったあった!これだろ、鍵。

しぐれ:あけて。

笠音:ええ……

しぐれ:おねがい。

笠音:ああもう、分かった分かった。

(笠音、しぐれの家の鍵を開け、ドアを開く)

笠音:……はい、これで大丈夫か?

しぐれ:たてない。

笠音:まじかよ。

しぐれ:ん。

笠音:うわ、急にのしかかるな。バランス崩すだろ。……うわっ!

(笠音・しぐれ、しぐれの部屋にもつれこむ)
(弾みで閉まるドア)

(少しの間)

笠音:みも

(しぐれ、笠音に口づける)

笠音:みも、り……っ!

しぐれ:帰らないで。

笠音:は……

しぐれ:手、かして。

笠音:て?

しぐれ:手、だけでいいから。

笠音:手、って、どういう

しぐれ:いいから。

笠音:ちょっと

しぐれ:手で、抱いて。

笠音:え?

しぐれ:手で、抱いて。

笠音:まて

(しぐれ、もう一度笠音に口づける)

笠音:……

しぐれ:手だけで、抱いて?

(笠音、大きく息を吐く)

【間】

―翌朝/しぐれの部屋

(床で眠る笠音を見つめるしぐれ)

しぐれ:……

笠音:ん……

しぐれ:おはよ。

笠音:おお……おはよ。

しぐれ:何か、飲む?

笠音:頼むわ。床で寝たから身体もいてえけど、それ以上に頭がいてえ。

しぐれ:二日酔い?

笠音:いや、俺のは単なる疲労。

しぐれ:昨日の飲み会?

笠音:……お前、覚えてないのか?

しぐれ:ごめん、うち、炭酸水か牛乳しかないんだけど、どっちがいい?

笠音:……牛乳。

しぐれ:分かった。

(しぐれ、冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップにつぐ)

しぐれ:はい。

笠音:……さんきゅ。

しぐれ:ん。

(少しの間)

笠音:……なあ。

しぐれ:ん?

笠音:お前、ゆうべのアレ、酔った勢いじゃないだろ。

しぐれ:なにが?

笠音:さっき。

しぐれ:うん。

笠音:明らかに話、そらしたろ。

しぐれ:……どうかな。

笠音:お前、そんなキャラだったっけ。

しぐれ:そんな、って?

笠音:いや、なんていうか……

しぐれ:酔ったふりして男を部屋に引っ張り込むような?

笠音:まあ……そんな感じ。

しぐれ:地味で目立たないキャラだから。

笠音:あー……

しぐれ:いいよ、私も自分でそう思うもの。

笠音:だとしたら、余計に「なんで?」なんだけど。

しぐれ:言わなきゃだめ?

笠音:いや、言いたくなきゃいいけど。

しぐれ:……笠音(かさね)くん、やっぱりいい人なのね。

笠音:え?

しぐれ:ゆうべだって、ただの同僚でしかない私を、わざわざ家まで送ってくれたし。

笠音:普通じゃない?

しぐれ:そのあとも、結局何もしなかった。

笠音:アレ、何もしなかった、って言うか?

しぐれ:私がしてほしいことは、しなかったから。

笠音:……責めてる?

しぐれ:すこし。

(少しの間)

笠音:タバコ、吸っていい?

しぐれ:換気扇の下でなら。

(笠音、換気扇の下に移動する)

笠音:……三森、タバコ吸うの?

しぐれ:ううん。どうして?

笠音:灰皿。

しぐれ:ああ……

笠音:……

しぐれ:……

笠音:ゆうべの、あれ。

しぐれ:……どれ?

笠音:……「手だけで抱いて」ってやつ。

しぐれ:……うん。

笠音:この灰皿使ってたやつと関係ある?

しぐれ:……

笠音:そっか。

しぐれ:言ったら……

笠音:ん?

しぐれ:その理由を言ったら、手で抱いてくれる?

笠音:なんでそうなるの。

しぐれ:……

笠音:何があったか知らないけど、自棄(やけ)になるのは良くない、と思う。

しぐれ:じゃあ、昨日と同じ感じでいいから。契約して。

笠音:契約?

しぐれ:ゆうべみたいに、私が眠れるまで、私の髪を撫でるだけの関係になるっていう契約。

笠音:は?

しぐれ:別にそれ以上はしなくていいから。

笠音:いや

しぐれ:ゆうべは、「これくらいしかできないけど」って言ってたじゃない。

笠音:まあ、うん……

しぐれ:だったら、してよ。契約。

笠音:……

しぐれ:……

笠音:……なんで俺?

しぐれ:だめなら、別にいい。

笠音:あのなあ……

しぐれ:……

笠音:……

(少しの間)

笠音:……「契約」って言葉は、やめない?

しぐれ:なんで。

笠音:なんとなく、俺が嫌だ。

しぐれ:じゃあ、なんて言えばいい?

笠音:わかんないけど。

しぐれ:なにそれ。

笠音:俺の手が三森にとって必要なら貸すけど、別にそれ、友達として、ってことじゃだめなの?

しぐれ:ただの友達に髪なんか触らせない。笠音くんも、友達の髪なんて触らないでしょ?

笠音:まあ、そうか……

しぐれ:それに私たち、友達と呼べるほどの関係性でもない。

笠音:そこをすっ飛ばしてきたのはそっちだろ。

しぐれ:別に、友達が欲しかったわけじゃないもの。

笠音:でも、恋人が欲しいわけでもない。

しぐれ:気を悪くした?

笠音:別に。めんどくさいとは、思ったけど。

しぐれ:だから、いやならいいって言ったじゃない。

笠音:そういうところも、めんどくさい。

しぐれ:……

笠音:ただ、とりあえず俺がなんらかの形で必要なのは分かった。それにその様子だと、迂闊にほかの男にゆうべみたいなことをしかねないだろ、三森。

しぐれ:そんなこと、ないと思うけど。

笠音:断言できない時点でだめだろ。で、そうなったらおかしなことになる可能性もあるし、正直今は三森をほっとけない。だから、文字通り「手を貸す」。それでいい?

しぐれ:……わかった。

笠音:じゃあ、そういうことで……よろしく?よろしくでいいのか分からないけど、とりあえず、よろしく。

しぐれ:ん、よろしく。

【間】

―三か月後/しぐれの部屋

笠音:ただいま。

しぐれ:おかえり。

笠音:風邪、大丈夫?

しぐれ:今日一日休んだら、回復した。

笠音:そっかそっか。よかった。

しぐれ:うん。

笠音:プリン、買ってきた。

しぐれ:パステルのだ。

笠音:帰りに寄った。

しぐれ:あ……わざわざごめ

笠音:や、俺が食いたかったから。

しぐれ:……そっか。

笠音:食おうぜ。

しぐれ:ん。

笠音:牛乳、飲むか。

しぐれ:うん。

(笠音、冷蔵庫から牛乳を取り出し、グラスに注ぐ)

笠音:ほい。

しぐれ:ありがとう。

笠音:プリンも。

しぐれ:うん。

(しぐれ、プリンを頬張る)

しぐれ:おいし……。

笠音:……

しぐれ:なに?

笠音:いや、本当に好きなんだな、と思って。いつも美味そうに食うから。

しぐれ:そう?

笠音:好きなものに対してはめちゃくちゃ素直だよな、三森って。全部顔とか態度に出る。

しぐれ:……そう?

笠音:そう思うけど。

しぐれ:そっか。

(少しの間)

しぐれ:……笠音くんと暮らし始めて、もう三か月、だったっけ。

笠音:まあ、そんなもんかな。なに急に。

しぐれ:ううん、ただの確認。

笠音:まあ、まさか髪を撫でるだけの関係で、一緒に住むことになるとは思わなかったけど。

しぐれ:そう?

笠音:毎晩のことだとは思わないだろ、普通。

しぐれ:後悔してる?

笠音:別に。結果として三森の家に転がり込む形になったけど、元の俺の家より広いし、意外にも三森が俺にとって結構楽な相手だったから、むしろいい思いさせてもらってる、って感じ。

しぐれ:……だけど、まだ手で抱いてくれない。

笠音:また、それかよ。

しぐれ:だって。

笠音:それは「契約外」だっていつも言ってるだろ。

しぐれ:……「契約」は嫌だって言ったくせに、そういう時ばっかりその単語を持ち出すの、ずるい。

笠音:……なあ。

しぐれ:なに?

笠音:三森にとって、まだ俺は「手を貸してほしい」だけの相手?

しぐれ:……どういうこと?

笠音:そのまんまの意味。

しぐれ:……わかんない。

笠音:うそつけ。そこまで鈍いやつじゃないのは、もう分かってるつもりだから。

しぐれ:……

笠音:「契約」関係にしかない相手に、プリンは買ってこないぞ、俺。

しぐれ:そういうの、いらない。

笠音:……そっか。

しぐれ:もう嫌になったのなら、契約解消でいいよ。

笠音:それこそずるい言い方だろ。

しぐれ:……

笠音:……聞いてもいいか。やっぱり。

しぐれ:「言いたくなきゃ聞かない」んじゃなかったの?

笠音;それは、三か月前の話だろ。

しぐれ:……

笠音:……

(少しの間)

しぐれ:……好きな人がいるの。

笠音:そうか。

しぐれ:……

笠音:まあ、予測はしてた。

しぐれ:別れちゃったけど、ね。

笠音;それも、そうだろうな、とは思ってた。

しぐれ:そう。

笠音;ああ。

(少しの間)

笠音:どんなやつだったんだ?

しぐれ:私の好きな人?

笠音:そう。

しぐれ:……私の好きなものや好きなことを知りたがって、知ったそばから、いつもそれらを私に与えて、共有したがるような人。

笠音:……たとえば、パステルのプリンとか?

しぐれ;あとは、この部屋に飾ってある写真とか、今私の座っているソファとか、そこの本棚のシーレの画集とか。

笠音:……

しぐれ:いつも、かしずくように、私のそばにいた。こんな、なんの取り柄もないような、地味な女に。どうしてか。

笠音:それだけ、三森のことが好きだったんじゃないのか。

しぐれ:どうかな。

笠音:どうして。

しぐれ:……彼は、手でしか私を抱けない人だった。

笠音:それって、どういう意味。

しぐれ:いわゆるEDってやつ。

笠音:ああ……

しぐれ:私は全然そんなの気にしなかったんだけど。彼がいるだけで、じゅうぶんだったから。すごく、いい思いをさせてもらってたし。……なかなかないでしょ。そんな風に愛されることなんて。多分。

笠音:そうかもな。

しぐれ;でも、たまに、そう、セックス……この場合セックスって言っていいのか分からないけれど、とにかく、そういう時だけは、違った。

笠音:違った?

しぐれ:彼は私の全部をその手で強引に、力づくで暴きたがったし、実際暴いてみせた。私が悲鳴を上げるのを、こめかみに血管を浮かべて、目をこれでもかってくらい見開いて、眺めてた。酸欠みたいになっちゃってたことも、あったっけ。

笠音:……

しぐれ:でもね、それが快感なんだ、っていつも言ってた。

笠音:そうか。

しぐれ:思えば、私の好きなことやものを知りたがったのも、そのためだったのかもしれない。全部、全部絡めとって潰すような、そんなやり方で、彼は私を、手だけで抱き続けたの。

笠音:……

しぐれ:虫ピンを目の前にした虫のような気分だった。逃げられない。このまま死んでしまうんじゃないかって、いつも思ってた。

笠音:それが怖くて、別れた?

しぐれ:ううん、その逆。

笠音:逆?

しぐれ:私も、のめりこんでいったの。彼に暴かれることに。

笠音:え。

しぐれ:「死んでしまうかもしれない」――そんな、命綱のない綱渡りのような感覚が、たまらなく、快感だった。そのうち、彼のその視線だけで、私は簡単に、欲情するようになっていったの。

笠音:……

しぐれ:聞いてて嬉しい話じゃないでしょ、これ。笠音くんにとっては。

笠音:いいや。……続きを、聞かせてくれ。

しぐれ:それって、意地?

笠音:答えさせるなよ、それを、今。

しぐれ:……

(少しの間)

しぐれ:……あとはね、閉鎖空間の共犯感覚。

笠音:共犯?

しぐれ:普通の男のように女を悦ばせられない、そして悦べない男と、そんな男の必死なやり方にのめりこんでしまって、普通のやり方じゃ満足できなくなってしまった女の。

笠音:「きっと誰にも理解されない」「誰にも知られなくていい」「互いだけがいればいい」、みたいな?

しぐれ:そんな感じ。

笠音:そうか。

しぐれ:そんな閉鎖空間の、息が詰まるほどの湿度のなかで、私たちは過ごし続けた。時に姫と従者のように。時に虫けらと人のように。

笠音:本当に、それじゃあなんで。

しぐれ:振られたの。

笠音:は?
 
しぐれ:ある瞬間、怖くなっちゃったんだって。

笠音:向こうが?

しぐれ:そう。

笠音:なんで。

しぐれ:「なにもかも満たされすぎて怖い」って。

笠音:なんだよ、それ。

しぐれ:自分の愛し方は。自分が自分を認めるための、自己満足の塊でしかないのに、どうやっても私がよろこぶから、怖くなったんだって。

笠音:三森は、納得できたのか。

しぐれ:できるわけないでしょ。もらったもの全部、全部彼に投げつけて罵ったよ。ここまで来ちゃったんだから、その自己満足と恐怖を抱えたまま、私を愛し続けろって。

笠音:激しいな。

しぐれ:だって、私はもう、後には引けないもの。今更、戻れないもの。

笠音:……そうだな。

しぐれ:でも、だめだった。逃げるように、彼はこの家を出ていった。

笠音:……それで、三森は探し続けているってわけか。自分を満足させてくれる「手」を。

しぐれ:ひどい女だと思った?

笠音:要は、現実逃避だろ。

しぐれ:責めてる?

笠音:いいや。そんなのは、最初から気づいてて、その上で情に流されて「契約」したのは俺だから。

しぐれ:ねえ。

笠音:なに。

しぐれ:さっきからなんでわざわざ「契約」って単語、使うの?嫌いなくせに。

笠音:そういう言い方しないとやってられないからだよ。

しぐれ:……そっか。

笠音:……

しぐれ:ごめん。

(少しの間)

笠音:なんで、俺だったの。

しぐれ:もっと傷つくことを言うかもしれないけど、いいの?

笠音:今更だよ、もう。

しぐれ:……似てたの。彼の手と。決して大きくはないのに、分厚くて、野性的で。そのくせ指だけはやけに綺麗で。

笠音:……

しぐれ:だから、ずっと見てたの。

笠音:俺の、手を?

しぐれ:うん。

笠音:そうか……。

しぐれ:あと、なんとなく流されてくれそうな気がした。

笠音:失礼だな。

しぐれ:いい人だな、とは、思っていたから。

笠音:そう、か。

(少しの間)

笠音:正直、理解が追い付かない。

しぐれ:うん。

笠音:都合のいい男でも、こうして一緒にいればそのうち何かが変わるかも、なんて思ってたけど、そんな甘いもんじゃなかったな。

しぐれ:……ごめん。

笠音:俺が三森をよろこばせようとしたら、この手で――手だけで三森を抱くしかなかったってことだ。こんな、こんなプリンなんかじゃなくて。

しぐれ:そこまでは

笠音:同じだろ。

しぐれ:……同じじゃない。

笠音:同じだ。

しぐれ:同じじゃない。

笠音:同じだろ!

しぐれ:同じじゃない!

笠音:……

しぐれ:同じじゃ、ないよ。

笠音:じゃあ、なんだよ。

しぐれ:私にも、分からないの。

笠音:……は?

しぐれ:笠音くんは、彼じゃない。

笠音:当たり前だろ。

しぐれ:彼は、常に「させてくれ」の人だった。「君の欲しいものを与えさせてくれ」「愛させてくれ」「君の悲鳴を聞かせてくれ」「僕の手で身をよじる君を見せてくれ」。まるで、私を見ながら自分の自信を取り戻そうとするように。

笠音:……

しぐれ:でも、笠音くんは、違う。多分、きっと私のために買ってきたプリンを、私がごめんなさいを言う前に「俺が食べたかったから」って、私の口を、微笑みで塞いでしまう。

笠音:結局、これはこれで自己満足だろ。

しぐれ:でも、彼の自己満足とは、違う。

笠音:だからなんだよ。

しぐれ:私の髪を撫でる手つきも、全然違う。彼は宝石を磨くように私の髪を撫でたけど、笠音くんは、生まれたての子猫を拾うような手つきで、私の髪を撫でる。

笠音:……単に、危なっかしかっただけだよ、三森が。

しぐれ:全然違うのに、なのに、どうして私は変われないんだろう。

笠音:……

しぐれ:どうして、笠音くんの手しか、欲しくないんだろう。

笠音:みもり

しぐれ:ごめんなさい。ひどいこと言ってるって、分かってる。それでも私、笠音くんの手が、欲しい。その手で、手だけで、抱かれたいの。

笠音:三森。

しぐれ:……ううん、だからこそ、なのかもしれない。

笠音:なにが。

しぐれ:笠音くんが、私のことを愛し始めてるって気づいたから、なのかもしれない。だから、またきっと、彼のように必死で、私の全てを抱き潰そうとしてくれるかもしれない、なんて。

笠音:俺は、手だけでなく、全身で三森を抱ける。

しぐれ:知ってる。でも、だめなの。

笠音:どうして。

しぐれ:手だけだから、もっともっと、必死になれるの。愛することが簡単じゃないから、愛することに必死になれるの。

笠音:……

しぐれ:そんな愛され方されたら、戻れないよ。

笠音:愛されたいのか。

しぐれ:愛されたいよ。

笠音:そいつに、また。

しぐれ:それはもう、かなわない。

笠音:だから、俺なのか。

しぐれ:今は、笠音くんに愛されたいよ。

笠音:そいつと同じやり方で、か。

しぐれ:……

笠音:俺は代替品か。

しぐれ:違う。

笠音:だから、何が違うんだよ。

しぐれ:言ったじゃない。私にも、もうどうしたらいいか、わからないの。

笠音:三森……

(しぐれ、はらはらと涙をこぼす)

しぐれ:わからないの。

笠音:……

しぐれ:寒いの。ずうっと、あの日から寒いの。何かがずっと、足りないの。

笠音:三森。

しぐれ:あっためてよ。私の心とカラダ。

笠音:三森。

しぐれ:助けてよ、笠音くんなら、私を救える。そう思ったの。だから

笠音:三森。

しぐれ:愛してよ……私を、愛してよ……!

笠音:三森!

(笠音、しぐれを抱きしめる)

しぐれ:かさ、ね、くん

笠音:……わかった。

しぐれ:……

笠音:わかった。

しぐれ:ごめんなさい。

笠音:俺、三森が好きだから。好きになったから、三森のされたいように、三森を愛すよ。

しぐれ:ごめんな、さい……。

笠音:謝らないでいい。

しぐれ:……

笠音:自分がみじめで情けなく感じるから、謝らないでいい。

しぐれ:ごめんなさ

(笠音、しぐれに口づける)
(しぐれ、大きく息を吐く)

【間】

―しばらくの後

(横たわるしぐれと笠音)

笠音:……ごめん。

しぐれ:え。

笠音:やっぱり、無理だったな。

しぐれ:そんなこと

笠音:そんな顔をさせたいわけじゃ、なかった。

しぐれ:……

笠音:そんな顔、見せなかったろ。多分、そいつには。

しぐれ:自分じゃ、わからないよ。

笠音:そうか。

しぐれ:ねえ。

笠音:……

しぐれ:私は、どんな顔をしてた?

笠音:……少なくとも、綱渡りを楽しむ顔ではなかった。虫ピンを刺される瞬間を期待する、虫のような顔でも。

しぐれ:……

笠音:覚悟の決まらない死刑囚みたいな。そんな顔。

(少しの間)

笠音:タバコ、吸っていいか。

しぐれ:うん。

(笠音立ち上がり、換気扇の下へ向かう)

しぐれ:……その手は、やっぱり笠音くんの手なんだって思った。

笠音:当たり前だろ。

しぐれ:似ていても、似せようとしても、やっぱり違うんだ、って。

笠音:おせえよ。

しぐれ:……

笠音:ほんと、めんどくさいやつ。

しぐれ:ねえ。

笠音:なに。

しぐれ:もう一度、抱いて。

笠音:なんのために。

しぐれ:今度はちゃんと、笠音くんの手だと分かるように、笠音くんのやり方で。

笠音:……

しぐれ:私に残る彼の痕跡は、もうなぞらなくていいから。

笠音:無理言うなよ。

しぐれ:分かってる。私は、もうすっかり彼に作り替えられてしまったから。それは、分かってる。けど。

笠音:けど?

しぐれ:笠音くんに、愛されてみたいと思ったんだもの。

笠音:……

しぐれ:原型を留めないほど作り替えられてしまったものは、もう元には戻せない。でも、そのまま死んだように、作り替えられた時の手術跡だけ自分で撫で続けるのは、つらいよ。

笠音:自分勝手すぎるだろ。

しぐれ:……ごめん。

笠音:まあそれは、最初から、か。

しぐれ:……

笠音:……すげえいらいらする。

しぐれ:うん。

笠音:すげえ、いらつく。

しぐれ:……うん。

笠音:手だけでいいとか、必死に愛されたいとか。わけわかんねえ。

しぐれ:わかってる。

(少しの間)

笠音:三森、俺のネクタイ、取って。

しぐれ:え?

笠音:取って。

しぐれ:……

(しぐれ、笠音にネクタイを渡す)

笠音:俺は、そいつとは違う。

しぐれ:うん。

笠音:俺は、お前の顔は、見たくない。少なくとも、今は。

しぐれ:……うん。

笠音:そんな、俺に救いを求めるような顔は、俺の見たい三森の顔じゃない。

しぐれ:……だから、この部屋を出る?

笠音:いいや、こうする。

(笠音、しぐれの瞳をネクタイでしゅるりと塞ぐ)

しぐれ:笠音くん……?

笠音:いいよ、もう一度、手だけで三森を抱く。でも、お前の顔は、その目は見たくない。だから、塞ぐ。

しぐれ:……

笠音:俺は、本当は手だけなんて嫌だ。だけど俺の手からしか、お前が愛を得られないなら、ぶつけるよ。

(しぐれ、息を吐く)

笠音:これは俺の、自己満足だ。

しぐれ:うん。

笠音:三森が、好きだ。

しぐれ:……うん。

笠音:しぐれが、好きだ。

しぐれ:……うん。

笠音:だから、ぶつけるだけだ。作り替えられたしぐれの悲鳴を聞きながら、その視線からは目を背けながら、それでもぶつけたいだけなんだ。

しぐれ:いいよ。

笠音:……

しぐれ:それが、私たちの妥協点なら。それで、いいよ。

笠音:……

しぐれ:それが、いい。

笠音:ふざけるな。

しぐれ:え?

笠音:妥協点じゃない。

しぐれ:……

笠音:妥協点になんか、させない。

しぐれ:どういうこと。

笠音:俺がもう一度、作り替えるんだ。しぐれを、ここから。

しぐれ:……

笠音:身勝手だと思っていい。

しぐれ:思わないよ。

笠音:……

しぐれ:ねえ笠音くん。

笠音:なに。

しぐれ:私、今とっても期待してる。まだ何もされていないのに。

笠音:そうか。

しぐれ:この意味、分かる?

笠音:どうしようもない女。

しぐれ:これが、笠音くんの全力だって分かるから。そしてそれはきっと、私にしか通用しない全力だって、分かるから。

笠音:欲が深いんだよ、お前。

しぐれ:ごめんなさい。

笠音:本当に、いらいらする。

しぐれ:かさねくん。

(笠音、しぐれを抱きよせ、押し倒す)

しぐれ:かさ、ね、くん。

笠音:なに。

しぐれ:ごめんなさ

笠音:違う。

しぐれ:え?

笠音:……俺が、そうしたいだけだから。

しぐれ:……うん。

(笠音、しぐれに口づける)
(しぐれ、大きく息を吐く)

しぐれ:……ありがとう。



【幕】
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