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その男は、おれの隣でむしゃむしゃと肉を貪り始めた。口から汁が滴り、コンクリートにいくつも染みができている。
「お前、いつから食ってねえの?」
男は怪訝そうに言いながら、まだ血の滴る肉塊をずいと差し出してきた。おれは思わず口を押える。
「きみ、よくそんなものが食べられるな」
「うめえけどなあ。お前はえり好みしすぎなんだよ。美食家気取りか?そんなんじゃ生きていけねえぞ」
男の言う通り、おれの身体は栄養不足で骨が浮き出ているほどだった。血の気もなく、足なんかは棒のようだ。
「そんなんじゃ狩りもできねえだろうが」
「殺しだけが狩りではないだろう」
「ヴィーガン気取りか?」
男は鼻で笑い、ぷっと骨を吐き出した。何もないコンクリートの部屋の隅に音を立てて転がっていく。
確かに男の言うとおり、おれはもう4年も何も食べていなかった。渇きや飢えに苦痛を覚えながらも、男の食べる何者とも知れない肉を食べる気にはなれない。
「当てはある」
「本当か?」
「何なら今、見せてやってもいい」
「なんだ、燻製にでもして保存してたのかよ?教えとけよ、そういうのは」
「いや、そういうのではないんだ」
男は怪訝な顔をした。
「おれにはね、空腹よりも耐え難い欲があるんだ」
君にはあるかい?と言外に問うと、男はあからさまに気分を害したようだった。
その時、コンコンと控えめなノックの音が部屋に響いた。こんなところ、普通はだれもやってこない。だからこそ食卓としているのだが――。
慌てて食事の痕跡を隠そうとしている男を尻目に、おれは重たい鉄の扉を開いた。そこには人間がいた。
「こんばんは。あの…これ、クッキーです。前に食べたいと言っていたので…」
おれはありがとう言って受け取った。人間は嬉しそうに笑い、おれも微笑み返した。
「お前、それ…」
口の周りがまだ血だらけになっている男が怯えた声を放った。そうだ、せっかく来てもらったのだから紹介しなければならない。
「彼はアーノルド・ヴェーバー。27歳で、パン屋で働いている。性格は柔和で暴力を嫌う。趣味はピアノ。おれとは4年の付き合いだ」
「4年…?」
「はい。ホーキンさんとはお店で知り合いました。すごくよくしてもらって…。…あの…」
アーノルドは太い眉をハの字にし、笑顔を引きつらせながら聞いた。
「……どうしてここは血だらけで、人間の骨がたくさんあるんですか?」
その言葉を言い終わる前に、おれはアーノルドの首を掻っ切った。口からは言葉の代わりにに血の泡があふれ出て、それでも瞳が「どうして」と問いかけているのがわかる。
「アーノルドのピアノは…下手だったけど、おれは好きだったよ」
アーノルドの指は太く、ピアノを弾くのには向いていなかった。それを思いっきり手のひらから引きちぎる。ごぽりとアーノルドの口から血が噴き出た。まるでソーセージのような指を口に含むと、夢のような味がした。4年ぶりの食事だ。それも得体のしれない肉塊なんかじゃない。アーノルドの肉だ。涙が流れる。もうアーノルドのへたくそなピアノを聞くことはできない。パンを作る姿を見ることはできない。不器用な笑顔を見ることはできない。
「お前、おかしいよ」
男が叫ぶように言った。
「よくそんなものが食べられるな!友達…、友達なんだろ?4年!4年も人間のふりして、仲良くなって、そんでこんなことして…なんのためにやったんだよ。かわいそうだとは思わねえのかよ!」
「かわいそう?」
アーノルドの胸は肉厚だ。初めて見たときから食べがいがありそうだと思っていた。実際、これまで食べたどの人間よりも味わい深い。
「きみこそ、まるで家畜のように人を食べることに罪悪感は無いのか?彼らが築いてきた人生を知ろうとせずに顔を潰して体を分解してただの肉塊として食べているきみに、かわいそうだなんて言われる筋合いは無いと思うが?」
アーノルドの悲鳴が部屋に反響する。おれはそれを忘れないようにしっかりと聞きながら、彼を形作っていた身体を食べてゆく。涙がとめどなく流れた。
床にちらばった手作りのクッキーが、 ゆっくりと広がるアーノルドの血でじわりと赤く染めあがっていった。
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