【星屑レイサSS中編】星追う黒猫※微調整


あるいは、どこかで。
注文するケーキの種類を間違えてしまったような。
そんなささいな掛け違えがあったなら。

D.U.地区に並ぶ高級住宅街。その一角が今炎に包まれていた。
「これは聖戦である!!貧富の差を悪戯に広げる愚かな権力者共への神判である!!」
キヴォトスでは珍しくもない事件──というにはいささか規模が大きい。既に幾つもの邸宅が焔にまかれ崩れ落ちている。
事件を起こした組織はヴァルキューレにもマークされていた危険思想団体だった。だが、規模としては数人のグループで、彼らにこれほどの被害をもたらせるほどの力も人員もなかったはずだ。
大した勢力でもない彼らのテロがここまで被害を大きくしたのはひとえに"最も被害の大きくなるポイント"を狙って放火が行われたからだ。
避難の誘導、延焼への対応、各所との連携。想定外の大事件にヴァルキューレの生徒は上へ下へとおおわらわ。最も重要な犯人の確保に手が回りきらぬ程。
だからこそ、彼女のような人間が立ち入る余地があるのだが。
燃え盛る炎を横目にパーカーをはためかせ黒猫が走る。その片耳にはジャラリと無数のピアス、アクセ。細いチェーンが風に靡いている。
「そこの生徒!ここから先は立ち入り禁止──」
「待て、あの人はいい」
彼女の行手を阻もうとしたヴァルキューレ生が相方に制される。先輩と、後輩だろうか。
「彼女は──キャスパリーグだ」
「あの……っ!」
呼ばれた名に彼女は不機嫌そうに眉を顰める。本来ならその名は一年以上前に捨てたはずのものだった。それが、今になって大勢の、それも当時とは真逆、警察官に呼ばれるようになるなど。
ましてや公の通り名として扱われるなんて。
「どーも」
敬礼をされたので小さく挨拶だけ返してから駆け抜ける。
彼女は杏山カズサ。キャスパリーグ。ヴァルキューレの外部協力者。
ある特定の危険犯の捜索においてのみヴァルキューレ捜査官に比する権限を認められたトリニティ総合学園二年生だった。

「フハハハハ!素晴らしい!燃えろ!醜く肥え太った金持ち共の油を吸って燃え広がれえ!」
キヴォトスではよく見かける細長いロボ型市民。大抵はスーツなどを着用しているがこの男は妙に薄汚れたぼろ布を纏っていた。
「持たざるものこそ正しいのだ!富という贅肉はここで全て焼き尽くさなければならない!!」
「ご高説は結構、もう店じまいの時間だよ」
誰に聞かせるでもない言葉に答えが返ってくる。気だるげな、少女の声。切れ長の目の鋭い眼光が男を貫く。
「なんだお前……なぜここに。他のものはどうした?」
「みんな捕まえてあんたで最後。って言ってもたった三人だけどね」
「ぬぅ、そうは見えないがヴァルキューレか?」
「その協力者、かな。けど正直あんたのことはどうでもいい。私がここにきたのはアンタを唆したバカがどこにいるのかを聞くため」
「な、ななな、なん、なんのことだ!?」
露骨に動揺を示す男の様子に目を細める。どうやら当たりらしい。
声に圧がこもり、マシンガンの銃口が男に突きつけられる。
「あんたが買っただろう奴隷女……"星屑"宇沢レイサは今どこにいる」

それは昨今のキヴォトスで囁かれる都市伝説だ。一部のものに探し求められ、また一部からは実在する危険と認識されるある少女の話。
「私はだだの星屑。ご主人様が望むままこの身を捧げます」
それはブラックマーケットのどこかで取引されている肉奴隷だという。あどけない姿に反して妖艶に振る舞い、求められるままその全てに応えるという。
文字通り全てを。
奉仕も被虐も加虐も肉体改造も、あるいは実験体や自らの一部を自分で調理させたなんて話も。
だが、肝心なのはそこではない。星屑は主人が壊したいものを教えてくれるのだ。心の奥底に隠していたもの、あるいはいつかと望みながら果たせずにいたもの。
「ご主人様、あなたならアレを壊すことができるはずです。大丈夫、私がお教えします」
星屑の体に溺れた主人は彼女の言葉で自身の望みを思い出し、彼女の言葉で望みを実現する。まるで願いを叶える流れ星のように。
流れ星と違うのは、星屑が叶えるのは何かを壊す願いだけ。
街で一番大きなビルを、密かに思いを寄せていた大切でけれど憎らしい思い人を、自分を虐げる周囲の環境を、忌々しい商売敵を。
星屑はどうすればそれらを壊せるかを実に的確に教えてくれる。そうして耳元で囁くのだ。大丈夫、あなたなら壊せます、と。
そうして主人が星屑の言う通りに願いを、破壊を成し遂げた時、星屑はいつの間にかいなくなっている。まるで願いを叶えた流れ星が夜空に消えるように。
残されるのは取り返しのつかない破壊とそれを行なったかつての主人だけ。
その頃には星屑はまた別の誰かに売られている。
今もソレはブラックマーケットのどこかで新たな主人に買われるのを待っているという。

D.U.地区のとあるホテル。
カズサはその一室を今日の宿としていた。あの後犯人たちを引き渡して、彼らのアジトにも足を向けたが、結局星屑──宇沢レイサの行方を掴むことはできなかった。
見つけたのはアジトの片隅に落ちていた小さな銀のピアスだけ。無理に引きちぎったのか血がこびりついていた。
「……」
夜の街を見下ろせる窓際に腰掛け汚れたピアスを夜景の明かりにかざす。
「なんで……」
静かな部屋にカズサの声だけが響く。誰にも聞かせられない、彼女の弱音。
「なんで、こんなことになっちゃったんだろうね……宇沢」

一年前の雨の日を思い出す。
アイリはボーッと呆けていることが増えて、ナツは塞ぎ込み、ヨシミはいつになく苛立っていた。心地よかった居場所がどんどんおかしくなっていって、けれどそれもきっと些細なすれ違いだからと、自分達なら大丈夫と、あの日までカズサはそんな風に考えてた。
「あんた……ヨシミに何したの?」
意識を失ったヨシミを足元に転がして、宇沢レイサは驚いた顔でこちらを見ていた。それから、あちゃーとまるで些細な失敗を誤魔化すように眉をハの字にして笑いかけた。
「あと少しだったのですが、うまくいかないものですね」
へへへと、いつも通りの笑い声。
いや、やはりその笑い方も何かがおかしい。そもそもカズサがこんな場面に居合わせたのも最近のレイサの様子に不信感を覚えたからだ。思い返せばアイリでもナツでもヨシミでもなく彼女の異変に違和感を覚えたのもおかしな話だけれど。
「何したのかって、聞いてるの」
「ヨシミさんが急に倒れたので病院に連れて行こうと──」
「宇沢」
「……そうですよね。ごまかせるわけないですよね」
そうしてレイサは全てを語った。アイリにしたこと。ナツを追い詰めたこと。ヨシミを煽り何をしようとしていたのかを。楽しそうに、嬉しそうに。まるでテストの点数を自慢するかのように。
最初は呆然とした。意味がわからなかった。言葉の意味も、それをレイサが話す意味も。別に特段仲が良かったわけではない。それでも長い腐れ縁だ。宇沢レイサがどんなやつかなんて充分過ぎるくらいに知っていた。
だから、尚更に混乱した。偽物なのだろうか。なにかのドッキリだろうか。あるいは他に原因があるのだろうか。
ただ──
「すごいかわいらしいんですよアイリさん。私のここにお薬垂らしたら、美味しい、美味しいってぺろぺろ舐めて。あっ♡まるで♡チョコミントをっ♡食べてる♡時みたいに」
確か、そのあたりだった。
我慢の限界がきたのは。
「宇沢ァ!!!」
叫んだ時には銃弾がレイサへ飛んでいた。
「ふへ」
それがわかっていたかのように、弄っていた股間から手を離してレイサは飛び退った。
何か、ひどく不気味な眼差しでカズサを一心に見つめながら。
「止めますか、私を?今ならまだ手遅れにならないかもしれないですよ」
ねぇ、と。
誘うように。
その時のカズサは完全に頭に血が昇っていた。それこそ、かつてキャスパリーグと呼ばれていた頃にすらなかったかもしれない程に。
理由も原因も思惑もわからない。
ただ一度目の前のアイツをぶちのめさないと気が済まないと。
もはや言葉はない。かつて不良たちに恐れられた魔猫の眼光で宇沢レイサに襲いかかった。
レイサは──思った以上に手強かった。まるでずっとこの状況を予見していたかのように行動に迷いがなく、身体能力もカズサの知るレイサより遥かに高い。
一方的にボコボコにしてやるつもりだった。それが、こちらが背筋に冷や汗をかくほどに食い下がってきたのだ。
だからだろうか。戦いの途中で既にカズサは怒りよりも疑念を強く感じていた。
「なんでっ、こんなことをしたの!」
公園だった。
雨は激しさを増していて、カズサもレイサもずぶ濡れだった。
体中から血を流しながらもレイサはまだまだ余力を残しており、だからこんなタイミングで足を止めて問いかけてきたカズサに目を丸くしていた。
「ひひ、改めて聞かれるとちょっと困っちゃいますね。壊したかったから、じゃダメでしょうか?」
「納得っ……できるかっての」
カズサの返事に困ったというように口元に手を当てる。その仕草はカズサのよく知るレイサのもので、だから尚更先程までの戦いに違和感が残った。
明らかに異常な戦闘能力。これまでのレイサからは想像できないほどの強さだった。その歪さが気持ち悪かった。
たがらだろう。
「あんた、本当に宇沢なの?」
そんな問いかけが溢れたのは。
彼女はそれににこりと笑う。
「はい、間違いなく私は宇沢レイサです!」
なんの衒いもなく、カズサのよく知る彼女のように。
「けど、あなたの知る宇沢レイサからは、少し変わってしまったのかもしれません」
その笑顔が少しだけ寂しげに曇る。
言葉の真意が分からず戸惑うカズサを前に、レイサは突然に服を脱ぎ始めた。あっという間に、上も下も脱ぎ去って。
「へ……は、はぁ!?何してんのアンタ!頭おかしく……とっくにおかしいけど、なんのつも──っ」
雨の中、晒されたレイサの体にカズサは絶句した。
小さな左右の胸の先にキラキラと光るシルバー。その間をつなぐように細いチェーンが垂れていた。それだけじゃない。体の各所、それこそ股の間にすら開けられたピアス。臍下のあれはタトゥーだろうか。
中学の頃にはカズサもそうやって体にピアスを開けたりタトゥーを入れたりする連中を見た覚えはある。別にそこに忌避感もない。
けれど──、眼前のそれはあまりに宇沢レイサという存在からかけ離れたものだった。
「どうです、すごいでしょう!ご主人様とお姉様に沢山沢山可愛がっていただいて、私の体もう他人が触れていないところなんでどこにもないんですよ」
なにをいっているのか。
ひどく艶かしい手つきで自分の体を撫でながらレイサはうっとりと語りかける。
「これは♡初めてご主人様♡をご主人様とお呼びできた時に♡ご褒美につけていただいたものです♡」
強調するように片方の乳房を自ら揉みしだきながらレイサは報告する。こんなにも冷たい雨の中だというのにレイサの吐息は熱を帯びている。
「こっちは自分が肉奴隷なんだって真に理解した証としてつけていただいて……あ、こっちは──」
レイサはひとつひとつ丁寧に報告していた。
カズサにはそれが意味のない音の羅列にしか思えなかった。聞きたくない、理解したくない。
「あ、杏山カズサ、あなたまだ処女でしょう。私もう処女じゃないんですよ〜」
楽しげに。
「私からおねだりして、罰ということでこんっな太い杭みたいなバイブをねじ込まれて、初めてだったから痛いし、血もたくさん流れて、けどご主人様はそんなことお構いなしにメチャクチャにして……あぅ、思い出しただけで濡れてきちゃいます」
嬉しげに。
「お尻の穴も弄ってるとどんどん気持ち良くなるんです。私はお姉様にたくさん可愛がっていただいて、最近だとスイーツ部の部室にお邪魔した時もアナルプラグ刺したままだったんですけど気付きました?私すっごくドキドキして──」
そうでないと。
「自分の子宮見たことあります?あれってひっぱり出せるんですよ。私もご主人様にやっていただいて……やっぱり内蔵なんですね、ピンクでテラテラしてて──」
生きていけないとでもいうように。
「もう、いい。もういいよ、宇沢」
「あれ?まだまだ話してない調教のネタたくさんあるんですけど。ほら今使ってるこの銃、シューティング⭐︎スターに」
「もういいって言ってんの!!」
「……そうですか」
まるで叱られたかのようにシュンとする。そういった仕草が昔の通りで、だから余計に作り変えられた体とのギャップが不協和音を奏でる。
「けれど、これでわかったでしょう?二週間くらいいなくなってた時期がありましたが、その時に私こうやって体も心もめちゃくちゃにされて、でもそれが堪らなく気持ちいいっ思えるようになっちゃったんです。あなたの居場所をめちゃくちゃにするのだってなんとも思わない……いいえ、すっごく気持ちよかった」
私を見てと言うように、レイサは両手を広げて胸を張る。胸の間のチェーンが雨粒を弾く。
「ねぇ、杏山カズサ。今の私どう思いますか?可哀想でしょうか?それともやっぱり憎らしい?そうですよね、あなたの大切な友人を傷つけたのですから憎くないわけないですよね。けど、私だって最初からこんな風になりたいと思ってたわけじゃないんですよ?ただ、もう今はそう言うのひっくるめて気持ちいいなって思うだけで」
「宇沢」
「……?」
「帰るよ」
「…………?」
カズサが差し出した手をレイサは未知の物体を見るかのように呆然と眺める。
「あんたがやったことは許されないけど、ちゃんとみんなに謝まろう。あんたを酷い目に合わせた奴らも捕まえて、それからどうするか一緒に考えよう」
カズサは真っ直ぐにレイサの目を見る。キラキラとした、けれど何かが決定的にずれてしまった瞳。彼女を救えるかなんてわからない。それでも、手を伸ばそう。
それはカズサが今の部活に入って、先生や友人たちから教えられたことだから。
「……なんで」
「どうしたらいいか分からないなら……まぁ、私も付き合うよ。これまで散々付き纏われてきたし、これも腐れ縁だよね」
「……」
レイサはそんなカズサの手をまるで美しい宝石でも見るかのように、じっと見入っていた。
「あ……」
レイサの手が伸びる。
けれど──それは──。
「あぁ、どうしてっ!どうして、どうして!!どうしてぇ!!?」
自らの顔を覆うため。
「壊れないぃ!!!なんで!スイーツ部の方が中途半端だったから?ううん、それでも致命的な傷はつけた。杏山カズサが私を許せるはずなんてない!今までと同じようになんてならない!私はっ哀れまれて、憎まれて!なのに、そんなっ、都合のいい……!」
それは鬼気迫る光景だった。血を吐くように何故とレイサは繰り返す。
「やり直す?そんなこと……なら、なんで……」
それでもカズサは手を差し出したまま動かない。レイサがこの手をとってくれると信じて。
だからレイサははらはらと涙を流す。
美しいもの、大切なもの。何より、愛おしいものなのだと今更に気がついて。
私はその手をとらないんですよ、視線で訴える。
あるいは、強引にこちらの手をとってくれるなら──それなら──もし、そうなったなら──。
額に爪を立てる。血が滲む。
そんな血も雨は流し去ってしまう。
「そうか、そういうことだったんですね」
そうして、静かに顔から手を下ろす。
涙はもう流れない。
レイサの結論は出ていた。
「スイーツ部なんて小さな世界を壊すだけではあなたとの繋がりは壊せなかった……そういうことだったんですね」
「何訳のわかんないこと言って……」
「この絆、繋がりを壊すなら、全て!そう世界の全てを壊さなければならない!!」
レイサの顔に啓示を受けたかのようなアルカイックスマイルが浮かんでいた。
「この学園も社会もキヴォトスもめちゃくちゃにして!全部全部壊しきれば!!」
そうすれば──
「そうすればきっとあなたは私を許しませんよね?杏山カズサ?」
「そんなバカなこと……!」
そこでようやくカズサは一歩を踏み込んだ。レイサへ、伸ばした手で掴みかかろうと。
「っ♡」
だが、咄嗟にレイサが身を引いたことで、届いたのは胸元のチェーンだけだった。
レイサが強く身を引いて、強引にそれを引きちぎる。ピアスごと肉を裂き、レイサの胸から血が滴る。
カズサの手には血濡れたチェーンだけが残った。
レイサは流れる血も気にせずカズサの手元を見て口の端を歪める。
「いいですね……それ。私からの挑戦状にしましょう」
「はぁ?」
「私はあなたに直接何かはしません。えぇ、そうすべきと気付きました。代わりにいつかあなた以外の全てを壊してみせる。方法は、これから考えないといけませんが……まぁ、なんとかなるでしょう」
迷いの消えたレイサの目に恐ろしいものを感じてカズサは生唾を飲み込んだ。なんとかなる。そんな軽薄な言葉に反して、何がなんでもやりきるのだとその目は語っていた。
「私を止めるというならそれも受け入れます。だから挑戦状です。私が世界を壊すのが先か、あなたが私を止めるのが先か」
レイサが脱ぎ捨てた制服に手を伸ばす。
身に纏うわけではなく、その中にあった──
「──しまっ」
それはレイサが自警団の先輩から護身用にと渡されていた閃光弾。
レイサの狂気に満ちた威圧に飲まれかけていたカズサは咄嗟の反応に遅れてしまった。
視界が戻った世界に残されていたのは血の流され切った細いチェーンと脱ぎ捨てられたレイサの制服だけだった。

思い返すたびカズサは思う。
あの時手を伸ばしたのが間違いだったのだろうか。全力でレイサと戦って、対話などせず何が何でも仕留めるべきだったのだろうか。
暗い部屋の中、自分の考えたもしもに頭を振る。意味のないことだ。カズサはレイサに手を差し出し、彼女はその手をとらなかった。それが全てだ。
だとしても。
アイリは今もレイサに与えられた薬の副作用に苦しんでいる。それでも少しづつ通学を再開し、ナツやヨシミもそれを助けている。スイーツ部は壊れてなんていない。たとえ壊されたって、やり直せるのだ。
それが都合のいい解釈だと理解している。たまたま、運が良かったのだと。いや、悪かったのか。
それでも、カズサはそのことをレイサに伝えたかった。あんたの居場所はここでしょうと手を引きたかった。
「……」
星屑の悪名は広がっている。都市伝説としてキヴォトスの各所で囁かれているし、連邦生徒会の上層部などはその実在を認識し捜査を続けている。カズサもその過程で有用と判断され今の立場を与えられた。あの雨の日、付き合いきれないと背中を向けることもできた筈だ。自分に何もしないというのならヴァルキューレに通報だけして、そういう選択を取ってもよかったとカズサは考えている。けれど、結局カズサはレイサを放っておくことができなかった。その結果だった。
レイサが裏にいる事件には派手なものも多く一般市民にも顔が知られてきてしまった。最近では小さな子供が自分を指してキャスパリーグと呼ぶことすらある。最早一周して笑えてくる。
まるで、ヒーローではないか。
そしてそれと比例する様に星屑の闇も深くなっていく。
「はぁ」
膝に顔を埋め、大きくため息をつく。きっとここにスイーツ部の面々がいればどうしたのかと尋ねてきただろう。ヨシミあたりはカッコつけてると煽ってくるだろうか。
カズサはレイサのことを宇沢と呼ぶ。レイサはカズサのことを杏山カズサと呼ぶ。あの頃は意識したことなんてなかったけれど、もし何事もなく、レイサがこんなことにならずに今を迎えていたら自分たちはお互い違った呼び方をしていたかもしれないと最近になって思うのだ。
スイーツ部のみんなと友達になっていった様に。その関係が友人かはわからないけれど違った関係を築いていたのではないかと。
全てはたらればだ。
星屑はあまりにも罪を重ねすぎた。
もう、あの時の様に手を差し伸べることは許されないのかもしれない。
それでも。
せめて最後までレイサを追いかけるのがカズサの決意だった。
「右耳……いい加減つけるとこないかな。じゃ、左耳?いや、でもなぁ」

「クソっ!何がそんな目的では予算を下ろせませんだっ!この!クソ!!」
「あっ♡あん♡」
「喜んでんじゃねぇぞ、メス豚ぁ!」
「ご♡ごめんなさい♡ご主人様のっごぉっ♡折檻を喜んでっ♡しまうぅ♡ メス豚で♡」
鞭の音が何度も繰り返す。
その度、白く滑らかなレイサの肌に赤い痕が刻まれる。赤く細い筋が交錯しまるでキャンパスに絵を描く様にレイサを彩っていった。その痛みにレイサは涎を垂らし、嬌声を上げる。
今回のご主人様はレイサをこうして痛めつけるのが趣味らしい。
レイサにとっては遊びのような痛みだ。支配され、与えられるのだからそれもまた幸せではあるのだけれど。
鞭に打たれながらぼんやりと後で証をおねだりしてみようかな、と考える。体を彩る装飾品の数は一年前とは比べ物にならない。が、杏山カズサへの挑戦状にと定期的に減っていってしまう。そろそろ新しいものが欲しい。
一時は自分で身につけることも考えたのだが、それはやはり違うように思えた。
誰かから与えられるものがいい。
レイサをめちゃくちゃに壊してくれる相手なら尚いい。
「ふー、ふー」
一息ついたのか主人は鞭の振るうのをやめて椅子に座り込む。その主人の足元にレイサは傅いた。
「本当に、酷いセミナー。ご主人様の崇高な研究を理解できず、それどころか辞めさせようとするなんて」
従順に、乞いへつらうように足を舐める。
今の主人はこういう振る舞いを許してくれるのでレイサとしてはとてもやりやすかった。
足を舐めるレイサの舌は二股に裂けていた。
スネークタンというやつだ。何度目のご主人様に裂かれたものだっただろうか。蛇の舌。今の自分には相応しいように思えてレイサはことの他この舌を気に入っていた。
「どいつもこいつも、協定だ協調だ協力だ何を寝ぼけたことを言ってるんだ。敵だろう、他校は!」
足を舐めさせるままにして主人は唾を飛ばして怒りを発散する。レイサに鞭打ちするだけでは収まらなかったらしい。
彼女はミレニアムの生徒で、他校を吹き飛ばすための超高性能爆弾を研究していた。彼女はミレニアムのことを誰よりも誇りに思い、だからこそそれ以外の学園を見下し、害悪とすら考えていた。
その考え方はミレニアム生の多くとはかけ離れている。
「大丈夫です、私がお支えします。ご主人様の研究が実を結ぶ時まで」
学園ひとつを吹き飛ばせる爆弾。そんなものが完成し、使われるようになればきっとレイサの目的にもグッと近づく筈だ。
「私はただの星屑。ですが、空を流れる星屑は流れ星となって願いを叶えるのです」
そう言いながら主人の足に額を擦り付ける。

いつからだろうか、レイサが直感的にものの壊し方を理解できるようになったのは。

いつからだろうか、レイサを買い上げた主人が誰も彼も破壊願望に取り憑かれ、より大きな被害をもたらす様になったのは。

いつからだろうか、主人たちに刻まれる大きな傷もあっという間に治るようになってしまったのは。

ちらりと薬指の欠けた左手を見る。
少なくとも、この指を自ら切り落とし調理した時にはこうではなかった筈だ。
麻酔もなく、腹部を解剖され、自分の目で自分の内臓を見せられた時はどうだっただろうか。
レイサはいつからか自分が変質してしまったように思えた。
あの二週間でそれまで積み上げられてきた宇沢レイサは完膚なきまでに壊し尽くされた。けれど、そうではない。
もっと根源的な質の部分。
きっと自分はもう生徒でも人間ですらないのだろうと、漠然とそうな風に感じていた。
それでもいい。
自分の存在がどうなっているかなどレイサには興味のないことだった。彼女が望むのはただ一つ。
「さぁ、爆弾の開発を続けましょう。資金は私が用意します。障害は私が排除します」
口にする全てを実現できるとレイサは確信していた。だってこれは壊すために必要なもの。それならば自分はなんだって実現できる筈。それが、その発想がもはや人のものではないのだと彼女は気づかない。
「ふふ……星屑なんてくだらない都市伝説だと思っていたが、お前を買ってから確かに風向きが変わってきたな。いいだろう、そうやって俺に尽くすならこうして可愛がってやろう」
「ごはっ……♡♡ありがとうございます♡ご主人様♡」
彼女を足蹴にする主人、そのヘイローがレイサのそれに侵食される様に黒く、黒く塗りつぶされていくことに彼女は気づかない。
彼女が見据えるのはただ一つ。世界を壊し、その果てに──

きっとたくさんの人が死にます。悪い人も。いい人も。関係ある人も。ない人も。
ねぇ、杏山カズサ?その時こそあなたは、どんな目で私を見てくれますか?
私が大切に思っているもの、愛しい繋がりを、あなたの手で壊してくれますか?
あなたが壊してくれますか?
杏山カズサ。

そこに在るのは破滅の星。いつか、誰かが予言した、滅びを告げる流星。そうなろうと願い諸共燃える星屑。
その星を指差し人は何を思うだろうか。
星にとってはどうでもいいこと。
ただ一人。
彼女の想う相手以外は。
お知らせ
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