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「ラモーヌ……赦しては貰えないだろうか?」
「あら?おかしいわね……どこかから声が聞こえるわ」
他に誰もいないというのに——メジロラモーヌは鈴の転がるような声で嘯いた。どうやらまだまだご機嫌斜めらしい。俺は歯を食いしばって眉間にシワを寄せた
ラモーヌは恭しく手を伸ばしテーブルからティーカップとソーサーを取ると紅茶を一口啜る。目を伏せ、茶葉の香りを味わうように息をつくその様は彼女らしく実に優雅であった

俺はさながら空気のようなものか——と、そんな考えが頭の中を支配していく
「んっ……座り心地が、悪いわね」
「!」
反応が遅れた。ラモーヌはいつの間にか紅茶をテーブルに置き、脚を組もうとしている。だが重心が不安定になってバランスを崩しかけていた
気付いた俺は咄嗟に"膝に乗った彼女の身体を"強く抱きしめて支える。左手は胴に回り、右手は背中を越して肩付近まで伸ばしたことでなんとか事なきを得た

「危なかった。大丈夫?ラモーヌ」
間近に迫った彼女の顔に呼びかけると目が合って——2,3秒ほどの沈黙が流れた。やがてラモーヌはゆっくりと瞼を閉じ、鼻から息を吐きながら背筋を伸ばしていく。俺の太ももの上で彼女の体重が動き、改めて座りなおしているのが分かった
「…………あら?貴方。いたのね」
……とりあえず存在を認めてはくれたらしい、一歩前進といったところだ
というか膝から降りはしないんだな……かといって話を振ってくれる訳でもない。ああ、でも座り方が変わっている。さっきまでは完全にこちらに背を向けていたが、今は横向きで、俺の方にいくらか体重を預けている
何を考えているか読み取れないかと澄ました横顔を見上げていたら不意にその口元が動いた
「いつまで」
「! 何だ?」
「いつまでそこに手を置いているつもりかしら」
手? おっ……と。むき出しの脇腹と肩口に手を巻き付けたままだった
「ごめん。無遠慮だった」
慌てて手を離し、少し迷ってからラモーヌの膝や腰に移す。安定させるならもう少し引き寄せたいが……いや、先に機嫌を直してもらってからの方が……

(——意気地の無い人)
「……?」
何か言っただろうか。よく聞こえなかった

◇◆◇◆◇◆◇◆

ラモーヌとそのトレーナーが静かな戦いを繰り広げている間、少し離れた茂みの中に3人のウマ娘が犇めいていた
「だ、抱き着いた!?」
「どうでしょうか。倒れないよう支えただけに見えましたわ」
「いえ、支え"させて"いるのではないかと……」
覗き見である。3人ともラモーヌたちの様子が気になり目を離せないでいる
最初はアルダンだけだったのだが、ライアンとマックイーンに見つかって事情を話すとあっさり見学隊に加わったのだ
「トレーナーさん、上手く挽回できるといいのですが……」
負い目を感じているアルダンは、心配そうに呟いた

◇◆◇◆◇◆◇◆

顔を再び上げるとラモーヌはお茶菓子をかじっているところだった。先ほどあわやという瞬間があったというのに一切の動揺も見られない。すっかり余裕を取り戻したようだ——いや、そもそも慌ててなどいなかったのだろうか
だが考えれてみればチャンスかもしれない。少なくとも今なら多少は会話をしてもらえる可能性がある
「悪かったと思ってるよ」
「そうね。耳を疑ったわ」
やはり返事があった。こちらを見てこそくれないが、ラモーヌは言葉を続ける
「不意打ちかと思ったら『あれ』だもの」
耳がピンっと天を向き、尻尾がふぁさりと揺れた。俺は反省していることをもう一度告げた
そもそも俺が一体何をしてしまったのかというと、少し前のことである

ーーーーー

(ほ、本当に後ろからラモーヌを抱きしめていいのか!?)
(はい!姉様もレースが一人で佇んでいたら後ろから熱く抱きしめるはずです…!ですので、そのように姉様を…!)
…………なるほど?
………………なるほどなのか?
先日のホワイトデーで、俺はバレンタインデーにラモーヌからもらったチョコのお返しに花と手紙を添えてお菓子を送った。その後休日を過ごしていたら彼女の妹であるメジロアルダンから連絡を受けたのである
曰く、メジロのお屋敷に来ることは可能か、と

「どうかしたのか?」
「姉様が物憂げでして……」
相変わらず巨大なお屋敷で、アルダンのところに案内してもらった俺は、彼女から要件を聞き拍子抜けした
「……物思いに耽るのはいつものことでは?」
——キッ
思わず本音を零すと少々棘のある視線を向けられてしまった
「姉様はトレーナーさんのことを考えておいでだと思います」
「トレーナーというと……俺かい?」
「はい。」
聞くところによるとここ数日のラモーヌは聊か上の空なことが増えたという。会話が不意に途切れたり、食事の途中で遠くを眺めるような目つきになったり、何もないときにクスクスと笑っていたり。正直どれも普段から見かける彼女の特徴な気がするのだが、姉妹の間でなら分かる雰囲気の違いのようなものがあるようだ
なるほど、それで俺が呼び出されたのか。アルダンは俺にラモーヌと話し合うべきだと考えているのだろう、本当に俺が原因ならばその対応は当然だ

「トレーナーさんは姉様をどのように思われていますか?」
「そりゃあ。完璧だと思っているよ」
競技者としても、名家のお嬢様としても。弛まぬ研鑽と深い思慮に裏打ちされた彼女の立ち振る舞いは常に完璧だ。見ていて不安になることなど無く、ともすればトレーナーなど付かずともトリプルティアラを戴くことができただろう。そしてメジロ家とその支援者たちに完璧なスピーチを披露していたと想像できる

「それは……存じております。それ以外の——その、例えばずっと傍にいたい、だとか……」
「愛が尽きない限りは」
そんな日は来ないだろうが——そう続けると漸く、アルダンの眼から険が取れた。次いで拳を握り興奮した様子で畳みかけてくる
「でっ!でしたら是非!姉様を抱き締めに行くべきかと!!」
…………なんで???

ーーーーー

その後とにかくこっちに来てくれと中庭のラモーヌが見える場所まで連れていかれ、彼女の背中を眺めることとなった
ラモーヌはイーゼルの斜め前に立ちいつも通り絵を描いて……いない。キャンバスは真っ白だった。確かにこれはらしくないと思う
(さあさあトレーナーさん。大胆かつ慎重に、情熱的にお願いします)
アルダンってこんな性格だっただろうか?一瞬疑問を感じたが、ラモーヌの背後に近づくほどにどうでもよくなっていく
なんだろう……確かに、後ろ姿だけでも雰囲気が異なる。目が離せないし存在感が段違いだ
一歩進むごとに緊張で鼓動が早くなるし喉が渇いてくる。落ち着け、何も疚しいことはない、ラモーヌがいつにも増して物憂げだから……一人で佇んでいて心配、だから——

(————っ)
えいやっ と彼女の手首を掴む。決心の重さに比べて実に弱弱しい握力だった
まずは絵の邪魔をしないように……と言っても白紙ではあるが、それでも絵具が飛び散らないように筆とパレットの動きを拘束した。次にもう一歩踏み込んで、尻尾が足に当たるのを感じながら彼女の腕ごと上半身を抱き締めた
「——急なのね」
「驚かせたかな」
「構いませんわ。……どうしたのかしら?」
わずかに振り向いたラモーヌの顔は穏やかだ。心なしか弾んだような声を聴いて心臓がドキリと鳴り、俺は咄嗟に浮かんだ言葉をそのまま発してしまうのだった

「あっ…アルダンに言われ……て……」

急激にラモーヌの眼が細くなる。ビシビシッ!っと音を立てて空気が凍ったような気がした

◇◆◇◆◇◆◇◆

「思わず気が遠くなりました……」
「はぁ」
「それは、なんというか……」
「やっちゃったねぇ」
アルダンから顛末を聞き、その他のメジロ家の面々は各々ぐったりとしたリアクションを見せていた。マックイーンは眉間に手を当てため息をつき、ライアンはラモーヌへの同情を隠せないでいる。ちなみにいつの間にかメジロパーマーまで加わっていた
「あれっ?見て、何かやってるよ」
そのパーマーがラモーヌたちの方の変化に気づき、小声で皆に呼びかける。4人ともすぐさま視線を戻し、固唾を飲んで何が起きるかを見守った

◇◆◇◆◇◆◇◆

「ラモーヌ?」
「……」
「あのっ」
「…………」
「た、食べさせてくれるのかくれないのかどっちなんだ?」
ラモーヌの食べるお菓子を眺めていたら気になるのかと聞かれ、会話の糸口を探していた俺は期待を込めて頷いた
俺の両手を一瞥した彼女は新たなクッキーを一枚手に取ると俺の口元へと運んでくる
(まさか手ずから食べさせてくれるのか?)
おずおすと開いた俺の口は……しかしあえなく虚空を啄むことと相成ったのだった
——ヒョイッ ——ヒョイッ
顔の周りを飛び交うクッキーに弄ばれる。どうしたのだろう……ラモーヌは確かに少々こちらを揶揄うところがあるが、こんな子供のような遊びなどするタイプだっただろうか。表情は色を持たず感情を窺えない
「欲しいのね」
「ほ……」
欲しい……。たかがクッキー1つだが、なんだか無性に食べたくなってきた。ここで諦めてはいけない気がする。ラモーヌの眼を見つめると大きな瞳が微かに揺れ……またすぐに無表情になった
「反省している、と言ったわね」
微妙に硬い声が降ってくる
「まだ内容を聞いていないわ」

重要な局面だ……ここで間違えれば今度こそ取り返しがつかない。『アルダンの名前を出したから』——では当然、ダメだろう。事実をそのまま話すのでは意味がない、ラモーヌは本質を欲する
慎重に言葉を選びたかったがそうは問屋が卸さない。ラモーヌは遠慮なく揺さぶりをかけてくるのだった

「"これ"がお望みなら。同じものがそちらにまだありましてよ」
そう言ってテーブルのお皿を指差してから、自分の口にお菓子を放り込もうとした。咄嗟に俺の右腕はラモーヌの身体を抱き寄せて、逆の手で彼女の手首を握りクッキーに齧りついた。口の中に香ばしい香りと甘さが広がる
咀嚼したクッキーを飲み込んで、小さく咳ばらいをする。喉の調子を整えなくては
「誤魔化そうとしたことだ」
目が細くなる。間違えてはいない……と思う。続けた
「言い訳をしてしまった」
「そうね」
「本当は……その、俺が、君を。君が寂しそうだったから」
——安心させたくて——
ラモーヌの顔を直視したらまた顔が逆上せる。我ながら台詞が少々気障過ぎではないか
硬直してしまった俺の肩にラモーヌの手が置かれた


「クッキーをくださるかしら」
……?
「貴方が食べてしまったでしょう」
——手を伸ばし、新たな一枚を摘まんで彼女に差し出す。パクっと一口で消えた
もぐ。もぐ。もぐ……ゴクン。白い喉の動きに目を奪われる

「『寂しそう』だなんて。初めてよ」
「傲慢かな」
「そうね。……そうよ。私は孤独なんて感じていないわ」
ラモーヌは視線を上げ遠くを見る——気づいているのだろうか?彼女の右手が、俺の左手を握りっぱなしでいることに。いつの間にか体重をすっかりと俺に預けていることに

◇◆◇◆◇◆◇◆

三度。茂みの中では必死に押し殺した黄色い歓声が上がっていた
ライアンは両手で口を塞ぎ、マックイーンは目を見開き耳を羽ばたかせている。真っ赤な顔でガチガチになったメジロドーベルとのほほんとしたメジロブライトまで参加している

一方で盛り上がっている5人とは対照的に慎重な顔つきの2人が囁き声を交わしていた
「大丈夫でしょうか……」
「どうだろう。でもラモーヌさんのあんな顔初めて見たけど……」
ラモーヌに何か"揺らぎ"が生じている。目敏い彼女たちはひっそりとトレーナーにエールを送るのだった

◇◆◇◆◇◆◇◆

静かに何事かを考えていたラモーヌはゆっくりと口を開いた
「——絵を描いていたの」
「見てたよ」
「なら分かるでしょう?」
彼女の視線の先を見る。既に片付けてしまったが、イーゼルの置いてあった場所だ
「何も描けなかったわ」
「ラモーヌ」
「私は完璧だったのに」
「変わっていないさ」
こちらを見る。瞳がまた揺れていた
「確かめてくださるかしら」
ラモーヌは俺の胸を手で押し、自分の足で地面に降り立った。流線型の尻尾が靡く
スタスタと歩いていき、イーゼルのあった場所の前で立ち止まる。俺に背中を向け——左手を曲げて手のひらを上に、右手はすっと窄めて何かを摘まむような形にした

(絵を描いている……)
——だが、手は動いていない。俺は息を整えてから彼女の背後に近寄る。脇腹に当たる尻尾がこそばゆかった


手首を掴み動きを拘束する。ずっと見上げていた顔が斜め下に収まった
「——遅かったわね」
「待たせたね」
「ええ。本当に。――ねぇ、やっぱり描けないわ」
「……筆を借りても?」
「嫌。どうしてもと言うならこのままで」
……手の位置をずらし、指同士が重なるように握った。形のいい爪が指先に触れる

パレットの形を想像して、筆で絵具を取る仕草をした。確かここにあったのは……紺と緑。正確な色の名前は分からない
キャンバスの中央に左上から右下に向かって斜めの線を引く。次いでその周りに細長い楕円を描いた
そして今度は赤い絵の具を筆に付け、最初に引いた線の左上に曲線を重ねていく。くるり、くるり。折り重なった渦巻のように。空想の絵画を描き進めた
「……薔薇ね」
「やっぱり分かりやすいか」
「いいわ。続けて」
花弁を描き切ったら今度は改めて緑と黒を混ぜる。赤みを残すイメージで……茎にちょんちょんとタッチを足していき、棘を描き終える
「バーミリオンはここよ」
ラモーヌが導いてくれる。日が傾き手元も俺たちの顔も橙色に染まっていく。思わず苦笑した
「考えてることがつつぬけじゃないか」
「あら。裏をかきたかったの?」
「…………」
よく考えてみてもラモーヌの予想を超えられる気はしないのだった。大人しく手を動かす

「————これが貴方の思う私なのね」
茎の根元にバーミリオンのリボンを巻き、蝶結びを作った。勿論、目に見える訳ではない。全ては架空の産物だ
ラモーヌは俺の腕から離れ、存在しないキャンバスを撫でている。しばしの沈黙が流れ、辺りが徐々に暗くなっていく
「冷えるよ」
「薔薇の棘が」
——?
「薔薇の棘が。何のために生えるのかご存じ?」
「……身を守るためだろう?」
動物や、鳥の襲撃から
「それだけではないのよ——野生の薔薇は……近くの木々や、壁や柱に"引っかかる"ために棘を伸ばすの。風に倒れてしまわないように」
長い蔦の重さを支えるために。その声は酷く静かだ

「ラモーヌ」
リボンでは足りなかっただろうか。もっと頼りになるよと言うべきだろうか?石柱のように
……違う。彼女は一人でも常に完璧だ
「っ」
気付いた時にはもう一度、俺は彼女を抱き締めていた。右腕はお腹に回し左手では肩と首を捕まえる。肌に触れてしまうが……大丈夫、大丈夫……
「ちょっとごめんよ」
「え?——きゃっ」
可愛い悲鳴は聞こえない振りをする。少し離れた茂みが"キャーッ!!!"とか"ほわぁ~?"とか"ああ……姉様のお姫様抱っこだなんて……"とか言ってるのと纏めて全部気のせいだ


抱え上げたラモーヌは初めて見る顔をしていた
「道理でだよ。君から離れられる気がしないところだったんだ」
「——私の所為と言うのかしら。貴方が踏み込んできたのよ」
そう。君が中心だ。それでいい、それがいい
「君の棘は……君の魅力そのものなんだ。誰もが君に目を奪われる。近づいて、チクっとして、その危険な魅力に絡めとられる。深く刺さったらもう抜けない」
だから弱さじゃない。メジロラモーヌは自分の足で立てるウマ娘だ
「そうよ……寂しくなんてないもの」
「ああ、ごめんよ。無礼を赦してくれないか」
「ただ少し退屈していただけだわ」
「いくらでも付き合うから」

「愛しているよラモーヌ」
「もう……。最初からそう言えばいいのに。意地悪な方」
不満げな口調とは裏腹に2本の蔦が伸びてきて俺の首に絡みついた。先ほどまでの儚さが霧散していく

「抱き上げるだけ?それとも私を抱えてどこかへ向かうのかしら」
「さあ……実はお屋敷が広すぎて道がわからないんだ。案内を頼めるかな?」
「あら、いいことを聞きましたわ。屋敷中連れまわしてしまうかも」
「どんとこい」
何時間歩こうと、どこに通されようと文句は言わない。食堂でも、彼女の部屋でも、物置でも。ラモーヌの行く場所が俺の行くところだ
そう伝えると彼女は目を閉じてふた呼吸だけ笑う。首にかかる重力が僅かに強くなるのを感じながら、俺はラモーヌの指示に従って足を踏み出した

ーーーーー

…………ちなみにこの後ラモーヌは本当にトレーナーをあちこち連れ回して散々にからかったのだが。最後までおばあさまのところに向かうか悩んでいたのは彼女だけの秘密である

ーーーーー

おしまい
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