疲れた時に効く薬、そして薬を○○することによるその効果。


 夕刻、由井正雪が浅草にある長屋へ顔を出してみると家主が大の字になって倒れていた。刀が二振り、主の傍らに置かれている。
「……伊織殿!?どうした、何があった!?」
 慌てて近寄ると、草履も脱がずなんとか畳へと倒れ込んだ風の宮本伊織がうっすら目を開き、肺の空気を押し出すように云った。
「ああ……どうにも疲れた、だけだ」
 聞けば、今日の稼業は朝から休む間もなく忙しく走り回るものだったらしい。用向きがあって訪れた港町で血の気の多い漁師たちの喧嘩の仲裁に、借金の取り立て、それから正雪にも云えないような稼業と、常より覇気のない言葉で紡がれる一日の流れは余りにも過密で、聞いた正雪も溜息を漏らすしかなかった。内容を詳しく聞けなかった仕事に関しては特段後ろ暗い件ではなく、依頼人が口止めしてきた類の話だった。場所は吉原とくれば、痴情のなんとやらかと思えばそれはさぞ心労も溜まるだろうと察する。
「まあそういうわけでな……。精も根も尽き果てて帰り着き、横になっていたと云う訳だ」
 なんとか起き上がり、背を丸めて草履を解いた伊織はふう、と大きく息を吐いた。伊織に先んじて履物を脱いで隣で正座し話を聞いていた正雪は、ちらりと部屋の隅を見た。幽霊長屋の主は自堕落とは無縁なので、そこには布団が一組きちっと畳まれている。
 このまま寝かせてやった方がいいだろうか。
 それとも通りへ買い物に走り、何か食べさせてからの方がいいだろうか。
 思案する正雪の肩に、ふと重みがかかる。何事かと顔を向けると、思った以上に伊織の顔が近くにあった。どき、と心臓が大きく鳴る。
「伊織殿」
「すまない、少しでいい。貴殿の肩を貸してくれると助かる」
 寄りかかってきた伊織の憔悴ぶりに一度跳ねた心の臓がすっと落ち着く。代わりに心に浮かんだのは疲れをいたわる、労いの感情だった。
「……今日は本当に良く働いたのだな、貴殿は」
「まあ、貧乏浪人だからな。日銭を稼がねば明日の飯も食えん」
 目を閉じた伊織が応える。そういうことを云いたいのではないのだが、と心の中で呟き、正雪はそっと自分の膝上に乗せていた手を伊織を刺激しないように後ろへと抜く。
 そのまま静かに体を動かすと、力を抜いていた伊織が正雪の胸へとするりと落ちてきた。驚いたのか肩を跳ねさせた伊織を労りの気持ちを込めて優しく抱きしめる。
「ご苦労さま、伊織殿。貴殿に対して私にできることなどそう多くはないが……。してほしいことがあれば云ってほしい」
 云いながら、もうここでこのまま膝を貸せば良いだろうと考えた。草履は脱いだが布団に向かうのさえ億劫のようだから、いっそここで横にして仮眠させた方が一時の回復には早そうだ。幸いにして今は冷えが堪える冬の季節ではないし、寒そうであれば己の羽織でも掛けてやろう。
 腕の中に男を抱いたまま次の打ち手を思考していた正雪は、不意に自身の腰に這わされた手の感触に気づきひゃ、と小さく声を漏らした。羽織の裏に潜った不埒な手はそのまま袴にかかる。
「い、伊織殿!?」
 思わず手を離し、男を解放する。途端に機を伺っていたのか伊織によって正雪は畳の上に転がされていた。夕暮れに照らされた男の目に疲れではない熱を見て取り、慌てて伊織を止めようと声を上げる。
「貴殿……っ!疲れていたのではなかったのか!?」
「……まあ、そうだな。今も疲れているのには代わりないな。できれば無用なことで指一本動かしたくはないのが正直な所だ」
 云う伊織の手が正雪の袴、臍の上できつく結ばれた紐へかかる。元から器用に出来ている男の節くれた指は、いともあっさりと女の服の結び目を解いた。
「云っていることとやっている事がまるで違うのだがっ!?」
「……そうか?」
「そうだ!」
 僅かな間、伊織は考え込んだようだった。それもすぐ終わり、うん、と納得したように云う。
「いや、同じだ。疲れている、故に貴殿に――正雪に触れたい。してほしいことがあれば云え、と云ったのは正雪だったな。ならば確と言の葉にしてみるとするか。その通りしてくれるのだろう?」
「えっ、いや、待て、待ってほしい。如何に私でも予想が付く、それはあなたがますます疲れるだけでは――」
「往生際が悪いぞ、由井正雪。おまえが誘ったのだからおとなしくして貰おうか」
「だからあれは別に誘ったわけではな……、ん、っ」
 伊織の言を否定しようと開いた唇に口付けられて、つい応えてしまった。ふ、と聞こえた僅かな吐息が伊織の喜びを伝えてくる。
 そしてさっきまであった疲れよりもなお色濃く浮かぶ、正雪を求めているその顔を見てしまえば、抗う気などたちどころに奪われてしまった。
 これはもう、どうしようもない。求めに応えてやるのが、彼にとっての一番に善いことなのだ。
 男の下で力を抜いた正雪を見た伊織が目を細め、はっきりと笑う。
 それから耳元で囁かれた言の葉は、互いだけが知るところだった。
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