神話におけるヌオー


神話におけるヌオー

 ヌオーと呼ばれる妖精は神話においては、美の女神に関連するエピソードでの登場頻度が高い。
その中でも、ヌオーと女神という物語は、女神を各神話の該当者に置き換えたものが多数存在する。

 あらすじは要約すると下記の通りとなっている。
 
 遥か昔、神々の中でも一番美しいと自他ともに認める女神がいました。
彼女は傲慢で、一番美しい自分に相応しい、最高の装飾品を渇望していたのです。
そこで女神は、自分に魅了された神々やそれ以外の者達から、数多の装飾品を献上させたが、彼女が納得できるような品物は見つかりません。

 このままでは時間の無駄だと感じた女神は、最高の職人ならば自分の求める装飾品を作れるのではと考え、自身に魅了された者達に最高の職人とはだれかを尋ねたのです。
各々の評価軸が違ったためか、彼等の言う最高の職人は複数いたので、全員に装飾品を作らせたが、どれも彼女を満足させる出来ではありません。

 自身という最高の輝きに相応しい装飾品など、この世には無いのかと女神は嘆きました。
嘆く女神に職人の一人が「ならばヌオーに依頼されてはどうでしょうか? その仕事の遅さに耐えられるのでしたらですが」とささやいた。

 ヌオーとはなにかと、女神が聞くと、その職人いわくこの世で最高の品物を作れる職人だと答えました。
では、なぜ誰からも最高の職人と評価されないのかといえば、あまりにも仕事が遅く、それは「普通の職人が百の装飾品を作り終えた時、ヌオーは一個も作れていない」と称される程だというのです。

 とはいえ女神にとっては、千の評価に値しない装飾品より、一つの自身に相応しい装飾品のほうが価値があります。
ヌオーが本当にその通りの職人ならまったく問題がありません。
女神は職人からヌオーについて、聞けるだけの情報はすべて聞き、その職人に多大な褒美を渡すと、ヌオーの住処に行きました。

 ヌオーの住処は沼に近い洞窟でヒンヤリとしていてほの暗い場所でした。
ヌオーは物を作る時間以外は、沼の底でボーっとしているとのことでしたが、女神は性急だったので、ヌオーが住処に戻っているかどうかは確認しませんでした。
女神がヌオーの住処である洞窟を探索すると、奥に工房がありました。

 そこで女神は、太陽のように輝く装飾品を見つけたのです。
女神はその装飾品に一目ぼれし、ずっとその装飾品を眺めたり撫でたりしていました。
それは住処の主であるヌオーが帰ってくるまで、続けていたそうです。
 ヌオーは住処に戻ったら、美しい女神が自分の作品をうっとりしながら眺めたり、撫でたりしている姿に驚きましたが、気を取り直して声をかけました。
女神は驚きましたが、すぐに調子を取り戻すと、この装飾品を献上するように伝えたのです。

 女神の要求は傲慢なものでしたが、多くの場合は神々でさえもその要求に従うことがほとんどでした。
なにせ女神様は、この世で一番美しいので。
ですがヌオーは即座に断りました。

 女神は断られたことに驚愕すると、理由を問いました。
それと同時に褒美は望む物を与えることも付け足したのです。
ヌオーの返答は驚くべきものでした「その装飾品はあなたに相応しい品物ではありません。 それよりもずっと素晴らしい、あなたに相応しい物をおくりたいので、それを持って行くのは勘弁してほしい」と言ったのです。

 女神は驚きましたが、おそらくヌオーはこの装飾品を渡したくないから嘘をついているのだと判断しました。
理不尽ですが、女神にとっては、この輝く装飾品はすでに自分の物だという感覚だったのです。
女神はヌオーと交渉し「この装飾品より素晴らしい装飾品が出来るまで、この装飾品は預かります。 もしも、この装飾品より素晴らしい物が出来上がったのなら、どのような望みでも叶えましょう」

 これだけでも完全に無理難題かつ理不尽ですが、さらに女神はヌオーが自分のために作った物がそれ以下であれば、女神に嘘をついた罪で自分の奴隷にすることまで目論んでいました。
女神は傲慢でしたが強欲でもあったのです。

 ヌオーは女神の勢いに圧倒され、上記の理不尽な要求を呑みました。
こうして女神は渇望していた自身に相応しい装飾品を手に入れたのみならず、それらに匹敵しうる装飾品の数々まで手に入れる算段が付いたのです。
女神はかってないほどに上機嫌で、それは王が三人変るほどに続いたとされています。

 ですが、まってもまっても出来上がらない装飾品に女神は苛立ちを募らせます。
ひょっとして、女神の要求が達成できないと思って逃げ出したのか。
猜疑心と憤怒に駆られた女神は、単身ヌオーの住処に行きました。

 そこではヌオーが一心不乱に装飾品を作っていました。
その出来栄えは制作途中であるにもかかわらず、女神がヌオーより手に入れた装飾品とは比べ物にもならないほどに素晴らしい物でした。
女神はヌオーを内心で侮っていたことを詫びると、自発的にヌオーの手伝いを始めました。
二人で協力し合う光景は、仲の良い夫婦のようであったそうです。
 そしてついに、女神に相応しい装飾品が出来上がりました。
それは見た目も素晴らしく、宇宙の如く星々を内包したかのような輝きを放ち、身に付けた際には、女神は自身がその装飾品により自身のすべてが満たされたかのような満足感に心震えました。

 女神はヌオーに純粋な敬意と愛情を抱き、ヌオーに「報酬に何を望むのか」と聞き。
ヌオーは「これからも仲良くしていきたい」と答えました。
そして、ヌオーと女神は友情で結ばれたのです。

 以上で女神とヌオーは終わるが、残念ながら友情は多くの神話で長続きしなかった。
女神をイシュタル、アフロディテ、フレイヤ等とした場合においては、彼女達に最高の装飾品を作ったことで他の神々からも装飾品の依頼が殺到し、それに嫉妬した女神によってヌオーは女神の館に拉致監禁されてしまう。
その後はトリックスターの神や、女神を嫌う他の神の差し金で、ヌオーは救助されるも、ヌオーが行方不明になったことに半狂乱になった女神が地上を暴走したので、ヌオーが女神の下へ戻る悲しい終わりが多い。

 変化球としては、イシュタルの冥界下り後のエピソードも存在する。
エレシュキガルにより、イシュタルは装飾品をすべて奪われた後、槍で殺された。
その時、奪った装飾品に心奪われたエレシュキガルは、自分もヌオーに装飾品を作って欲しいと考え。
イシュタルの蘇生を、地上の神々が目論んだら代償にヌオーを貰うことにした。

 予想通り、エア神によりイシュタルの地上への返却要請が来たので、ヌオーをイシュタルの代わりに連れてくることを条件とした。
とうのヌオーが、イシュタルのために冥界に行くことを了承したので、話はすんなりと進むかに思われたが。
イシュタル本人がヌオーを諦めず、地上でヌオーの代わりになる相手を探しだして冥界に連れてくることをエレシュキガルと約束した。

 なお、エレシュキガルは見逃していたが、装飾品の材料が冥界には無かったので、残念ながらヌオーに装飾品を作らせるのは無理だった。
頭を抱え、役立たずになってしまったヌオーの扱いをどうしようか考えていたエレシュキガルだったが、ヌオーが意外な有能さを発揮したことで、事態は急変する。

 ヌオーは冥界に来ると、女主人であるエレシュキガルを筆頭にすべての住民が飢えと渇きに苛まれていることを知り、解決に動いたのである。
まずは粘土を材料に、壺を作った、その壺は常に水が満杯に満たされており、いくら飲んでも尽きずに冥界の住人の渇きを癒した。
次に粘土をこねて魚介類を形作ると、自身の血を垂らして、生きた魚介類に変化させ。
それをあらかじめ作った壺の中に入れることで、魚介類がその中で繁殖し、冥界の住人の食料となって彼等の飢えを満たした。

 ヌオーは農耕も試したが、残念ながらこちらは何の成果ももたらさなかった。
なにをしても種が発芽しなかったのである。

 上記の働きに大いに感銘を受けたエレシュキガルや冥界の住人達は、永遠にヌオーが冥界にいてくれることを願った。

 その頃、地上でイシュタルは夫のドゥムジを捕獲し、ヌオーの代わりにしようとしていた。
理由はドゥムジが自身の死を祝した宴を開いていたことに激怒し、「ヌオーは私のために冥界に行ったのに、あなたは私の死を祝ったのね……そんな夫ならいらないわ。 ヌオーを取り戻したら、代わりに私の夫にしてあげようかしら」と言って冥界に叩き込むことを決めたのだ。

 まがりなりにも権能を有する神であるドゥムジと、それらを有しないヌオーなら、交換は問題なく成立するはずだったが、エレシュキガルの大反対で交渉は難航することになる。
なぜなら、彼女のためにヌオーが造花(材料は粘土と岩)を贈ってくれたことで、すでにヌオーへの執着心は自身の責務にすら優先しかねないほどに大きな物となっていたからである。
それに冥界の住人達が賛同したことも問題の解決を難しくした。

 それにより、イシュタルとエレシュキガルの二度目の衝突が始まりそうな事態に発展する。
結果的には、ずっと冥界にいたくないドゥムジとその姉ゲシュティアンナ、姉妹の喧嘩を止めたいヌオー達と交渉の仲介をしたエア神の裁定により。
ドゥムジとヌオーは一年の半分を交代に地上と冥界で暮らすことで決着した。

 当然ながら二人の女神は納得せず、その後もヌオーの所有権を巡り対立することとなった。

という話も伝わっている。

 結局のところ、美の女神にとって自身の美を理解されるということは、死と同義である。
そのうえ自身に魅了されずに、より美しくなれるようなものを贈呈されれば、殺すか自分の物にする以外の選択肢は存在しないのである。

神話におけるヌオーは優秀過ぎた職人の末路を指しているとされる。
彼に傲慢さは無かったが、優秀過ぎたばかりに女神の物とされてしまった。
この事を、優秀であってもあまりにも愚鈍であったが故の悲劇とするか、一芸において神の座へと至った栄光の物語とするかは、賢者の間でも意見が分かれている。

 ソクラテスとその弟子たちは、ヌオーのことを偉大なる先駆者として称え、それに至るには未熟な自分たちを含めた人類をいかにすれば、先駆者に近付けることができるかを模索した。
 
 キリスト教においては、ヌオーは邪悪な怪物とされた。
その美しすぎる作品こそが悪魔である証拠とされ、ヌオーと女神は、傲慢な美女が悪魔の策にはまって餌食にされる物語に変わった。
ルネッサンス期になると、悪魔であることは変わらずとも、抗いがたい魅力的な存在として描かれることも多くなり、究極の芸術とは何かを語る時に登場することが多い。

 余談だが同じく女神に認められた芸術家であるピグマリオンは、ヌオーに対して敬意を抱き、後に自身の妻となるガラテアの製作に取り掛かる際には、毎日自作のヌオー像に祈りを捧げていたそうである。
お知らせ
実務でも趣味でも役に立つ多機能Webツールサイト【無限ツールズ】で、日常をちょっと便利にしちゃいましょう!
無限ツールズ

 
writening