愛【エゴ】


「俺は、レースと。メジロラモーヌのレースに懸ける愛を愛している」

…魔法の言葉。だって、そういうものだろう。彼女の走りをずっと見ていたい。
だから、【これ】は秘めておくものだろう。無意識下で、そう決めてしまった。

焦がれていた。ターフを走り抜けることに。焦がれていた。凌ぎを削り、闘志を燃やし…周り全てを巻き込んで熱狂を起こすレースに。
でも俺はウマ娘じゃない。俺はあくまで傍観者。
…報われる事のない愛への一人芝居。
彼女が勝手に背負って、走り抜けてくれるまでは。

シンボリルドルフ。ミスターシービー。そしてあとひとり。三雄が集った伝説のレース。その…歴史の特異点とも言えるようなレースで勝ってしまった俺の担当ウマ娘、メジロラモーヌ。
…感謝している。けれど、彼女は…俺の愛だけを見ているのだから。数多の愛に真摯な彼女が、他の愛と同じように俺のレースへの愛を掬い上げただけ。

事実。

「俺の事はあくまでレースの一部でしかない」
「俺の事は、レースを語らう以外に知ろうともしなかった」

と、そう言われている。彼女らしい告白。
俺もそうだ。報われる為に動いてるわけではない。単なるエゴで、彼女へ愛を向けている。彼女の走りを見ていたいから。その愛は循環して、彼女はターフへの愛を以てそれを俺への報酬にしている。
利害の一致というヤツだ。
この関係を永く続けていたいのなら。彼女の終わりを見届けたいのなら。そうするべきなのだ。


が、それは。突如、終わりを告げる。


トゥインクル・シリーズを駆け抜けて数年。彼女の本格化も衰退の一途を辿っている。が、彼女は未だにレースで輝いている。
…本当に、凄いウマ娘だと思う。まさに、奇跡の存在と言ってもいい。

ただ。なんというか、最近は。物憂げにターフを眺める事が多くなっている、気がする。
やはり──思うように愛をぶつける事が出来なくなりつつあるが故の苦しみ、なのだろうか。

ラモーヌの愛はラモーヌにしかわからない。ここ数年で…彼女のことはある程度は分かるようになってきた。意図くらいは、まぁ…大丈夫な…はず。
こういう時は、一人にしておくのが───

いや、ダメだ。何故かは分からないけれど、その時のラモーヌの背はとても小さく見えて。消えてしまいそうで。足早にラモーヌの元へ向かう。

…そしたら。

からだが、なぜか。その小さな女の子を抱きしめていて。自らの行動に、まどう。

「……あー…。蹴らないでくれると、助かるかな」
「…抱きしめておいて…それだけ、かしら。つれないのね」

よく聞く台詞だ。俺を揶揄う時によく口にする、そんな慣れ親しんだ言葉。でも。ここの選択を誤ってしまえば、取り返しのつかない断絶が起こる、そんな気がして。
今にも泣き出しそうな君は見ていたくないから、なんて、そんな気障ったらしい言葉は出てこずに…ぽろりと。思っていたことが、溢れる。

「ラモーヌ。君を愛している」
「…愛している。それは、私の愛をでしょう?」
「…そうだな。それに何が問題があるのか?」

…なんで、そんな声で返すんだ。
諦観を含んだこえ。冷たく突き放すようなこえ。その中で、ほんの僅かに…期待を孕んだ色が混じっている。
だって、君がそういう風に在ったからじゃないか。

俺には興味が、なかった…筈だろう。/いや、あのクリスマスより、もっと前から──

それは、自惚れだと頭を冷やす。

いつものように、そう…揶揄ってくれよ。頼むよ。

「初めは──それで満足していたの。でも、分からなくなった」
「私を見ているようで、私を見ていない。そんな愛が、貴方の愛。何も変わっていない。けれ、ど」
「だからこそ、なればこそ」
「…貴方の愛は私には向かない。それを痛いほどに味わった、から。」
「…君が始めた物語だと思うんだが」
「……それ、は」
「俺に興味はないんじゃなかったのか。…俺が『君』の事を愛しているという事を理解していた筈だろう?それで、廻っていた筈だ。俺たちの愛は」
「やめ…て」
「君の愛はターフへ。俺の愛はレースと『君』へ向かっている。今までも、これからも」
「…おねがい」
「なんで…変わってしまうんだよ」
「……ごめん、なさい」

青栗毛の尻尾が俺の足に纏わりつく。幼子が親から離れぬよう手を握りしめるような、そんな辿々しい愛の提示。
俺が捲し立てる言葉を、絞り出す様なこえで拒絶している。駄々をこねる様な、小さな小さな反抗。

…本当に、目の前にいる少女はメジロラモーヌなんだろうか。あまりにも弱々しく、縋る様に。そんな風に謝っている彼女に呆然としてしまう。それを、放っておけるはずもなく。

「…わかった。改めて言うよ。君を、愛している」

ああ。ダメだろう。その先を言ってしまえば…もう、戻れない。…けれど。その愛を彼女が求めているのなら、応えねばなるまい。

「…君のターフに懸ける愛だけじゃない。君の総てを、愛している」
「─────。」
「どう受け取って貰っても構わないよ。これが俺の愛なんだから」

ああ。そうか。そう、か。俺は───メジロラモーヌという女を、愛してしまっているのか。
抑えていた筈だ。封じ込めていた筈だ。彼女の愛と俺の愛は交わる事はない。そう決めつけて、自らを納得させていた。
自覚してからはもう、壊れるまでが早かった。酷いものだ。抑圧の後の反発。溜めに溜めていた…彼女と紡いできた総てが俺を呑み込んでいく。燻っていたものが、一瞬で燃え広がっていく。不可逆の変質を遂げてしまった。
心の中はぐちゃぐちゃになっているのに、頭はこの状況を完全に理解して正常に作動する。
…………愛【エゴ】を囁けと。

「証を、くださる?」
「足りないわ。貴方の愛が」

俺も、そう思っていたところだ。こんなんじゃ全然足りない。

「テクニックに頼ったことを恥じて、フィジカル強化の為に沢山の食事を摂ろうとするところが可愛くて好きだ」
「まだ」
「ファンレターの火花の愛を自身の熱として焚べる君が神々しくて好きだ」
「もっと」
「俺の語るレース論やトレーニングプランに目を輝かせる君が子供のようで好きだ」
「足りない」
「ターフに立つための『当たり前』を。自らの愛の為にそう言ってのけた強くて完璧な君が好きだ」
「ええ」
「その完璧を貫く為に、共に歩んで練り上げた君の躰が好きだ」
「……ふふ」
「メジロアルダンとの距離の取り方が割と下手なのが可愛くて好きだ」
「………」
「…俺の夢を。愛を。背負ってくれる優しい君が好きだ」
「…もっ、と」
「俺の愛を信じ切れなくなるくらいに、弱くなってしまった君が────、堪らなく、可愛らしくて。好きだ。」
「……貴方のせい、なのだけれど。まぁ、いいわ」
「ええ」
「─まだ、全然。足りませんわ」

そうして。過去を攫って──思いつく限りの愛を淡々と彼女に告げていく。彼女の返答は変わらない。

「足りない」「まだ」「全然ね」

望むところだ。まだまだあるんだ。伝えたいコトが────

「…過ぎ去った愛ばかり。飽きてしまったわ」

な、んッ────

「次で最後。私を満足させられなかったら、私。何処かへ行ってしまおうかしら」

…それ、は。困る。あんまり、じゃないか。
焚き付けておいて、俺を壊しておいて。
というか先程まで、君は泣きそうになっていたというのに。なんつー我儘な……

いや、考えろ。…過去からの引き出しはもう使えない。未来の話…未知の話は彼女の望むところではないだろう。
…思い浮かばない。諦めるしかない。今浮かぶ愛を、真っ向から告げるしかない。

手詰まりの俺の…間際の一撃。

「…だったら。君が何処にも行かないように、捕まえおかなくちゃね」
「…………」

ウマ娘の膂力であれば振り解ける意味のない拘束を…彼女の胴に絡めた腕の力を強める。
縋るような、引き留めるような。そんな情けない言の葉。俺の太腿に巻き付いていた尻尾は、しゅるりと力なく解けていく。
…やはり、ダメか。

「…ええ。及第点よ」

え、マジか。わからないなー…ラモーヌのこと。まだまだ…理解ったつもりでしかないのだろう。まぁ、これから知っていけばいいんだ。もっと、もっと。

「…冷えて、きたわね。ここでは、何ですから。場所を…移しましょう」
「貴方の愛を、受け止めてあげる」

なんか…立場逆転してないか?
ま、まぁこれで…首の皮一枚繋がった…のかなぁ……うーむ…
でも、これで、また。愛を告げれる。まだ、彼女の戯れに付き合うことが出来るのだから。
あぁ。愉しみだ────



─愛に狂った俺は気付かない。
時折こちらを覗いていた灰簾石の瞳が、陽炎のように揺らめき、潤んでいたコトに。
─愛に狂った俺は気付かない。
彼女の白磁のような肌に朱が差し、宝石の様な髪がその肌に貼り付いていたコトに。
─愛に狂った俺には気付けない。
彼女の溢す吐息は既に、桃色に染まっているコトに。冷えてきたと言ってきた彼女の躰は、途方もない熱を帯びているコトに。



愛に狂って淡々と愛を吐く男と、その愛に晒されて乱れる女。まだ離れる事がないその2つの影だけが、夜の帳を下ろし始めた景色の中に辛うじて残っていて。
それも、ゆっくりと闇に溶けていく。

お互いを貪るために。
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