名残雪と有明月


その日、宮本伊織はカルデアに召喚されて初めての自由時間を貰いこの場所を把握しようとするべく当てもなく歩き回っていたときのことである。

「久しぶりだな、宮本伊織。あの時の儀以来か」

後ろから聞こえてくるその声は生前のほんのひと時に聞いた異邦の者であった。慌てて振り向いた先、己の眼前にいるのは絡繰のごとき蛇を連れた白と金の衣装を身にまとう細身の青年。彼を見て伊織が元から有していた記憶と、座からの記憶が一つに融けあい纏まってゆく。
「アスクレピオス殿……?」
「ああ、そうだ。召喚されたてとはいえ頭は確かなようだな」
口端だけ動かすどこか皮肉っぽい笑みの持ち主は、かつて伊織と妻の正雪が生きていた頃に巻き込まれた盈月の儀にて妻が召喚したキャスターのサーヴァント、ギリシャの医神と名高いアスクレピオスであった。

「そうか、あれから雪……当時の僕のマスターとお前の子は無事に成長したか」
「ああ……貴殿のおかげでな。ありがたいことに全員元服を迎えることができたよ」
あれから積もる話もあるが、どこの誰が聞いているかわからないと、アスクレピオスに伊織が医務室に引きずり込まれた後、彼の手により出された珈琲なる飲み物で口を潤しつつ共通の話題である妻の話をすることになった。

「あの時腹にいた子は、アスクレピオス殿の影響を受けたからなのか医学に興味を持ってな。武士の子ゆえ、生業とさせてやることはかなわなかったが……人生の役には立てていた」
「医療とはそういうものだ。知らないよりは知っている方がずっとマシだ、……妙なものでなければな?」
「ははは、これは手厳しいな」
医学に対してはどこまでも真摯な姿もあの頃のままで、今この場にいないのはかの儀で伊織が召喚しカルデアでもまた巡り合うこととなったヤマトタケルと……伊織の妻、雪であった。
いや、雪はいないわけではない。並行世界の彼女は『由井正雪』という名を名乗り、あの儀と名は同じであれど顛末は全く異なる戦いを経てここに呼ばれていた。己はまだ、彼女とどう向き合っていいのかが――

「考え事か?」
「すまない、話の途中だったな」
「気にするなむしろ急激な意識の低下か?それなりに興味深いすぐにでも診察しよう」
「い、いや体調は全くもって問題はないアスクレピオス殿」
「なんだつまらん……それとも『由井正雪』のことか?」
伊織は頭の中身を覗かれたような気分になった。実際に彼女のことを考えていたのだから間違ってはいないのだが背筋に何やら氷の如く冷たい雫が流れこんだような気になる。しかし重たい口を開いて言葉にするは肯定の意だ。

「いや、……合っているよアスクレピオス殿」
開き直って認めてしまえば至極単純なことなのだ。ここカルデアに来てからずっと心の片隅にいたのは愛おしい妻のこと。血と嘆きに溢れた騒乱の中であった島原で拾い上げ養女となり、義父に妹、主君までもが携わり夫婦として結ばれ、最後は、伊織と子供たちの目の前で彼岸へとたった一人で旅立たさせてしまった彼女のことを。人でもホムンクルスでも、雪が時折自嘲していた肉の絡繰でも伊織はなんでもよかったのだ、ただ雪の傍にいて、あの手を握ってやりたかったのだと人理の影法師となった今でも想う。
そんな妻とまるきり生き写しで、――だというのにあまりにも悍ましく労しい最期を迎えてしまった存在を見てしまった。気にしないというのが無理があろうというもの。

「そうか、気にするな……と、言ってしまうのは簡単だ」
「…………」
「僕ら英霊は多かれ少なかれ、生前と縁があったモノの末路、また並行世界の可能性を覗くなんてのはしょっちゅうだ」
インド異聞帯の僕の記録でも見せてやろうか?とカップに残された珈琲を一気飲みしながらアスクレピオスは嗤う。伊織はまだ底に残された黒い液体をぼんやりと眺めて彼の言葉の続きを待つ。

「だが、僕は医者だ。医者は精神的に参っているのを見るのも仕事だ。ここでならいくらでも吐き出せ」
「……なる、ほど?」
「つまりは、僕も抱え込んでいるのが癪だ。かつて己を呼び出した人物の並行世界の存在とはいえ伯爵に『由井正雪』が弄ばれたのが我慢ならないのもある。だから話させろ」
「そうか、そういうのであれば。分かった、所用の合間を縫って話をしよう」
「それにあちらの彼女なら……、もう一人のお前もついていて目をかけているだろう」
珈琲の最後の一口を飲もうとした先に言われたそれの衝撃のあまり、口の物を噴き出そうとするのを何とかこらえた。
そう、雪に並行世界の自分がいるのであれば……自分にもいない道理は無く。何の因果か生まれた場所も年すら違う『宮本伊織』が既にカルデアに呼ばれていた。
若き頃の未熟で至らぬ自分がそっくりそのまま在ること、その若い伊織は剣の道を究めんとし仕官せず浪人のままでいたという事実を知ったときの頭を締め付けるような痛みが伊織に蘇ってきた。

「おい、今度こそ何かしらの症例か?水分が気道に入り込んだのか?心因性の頭痛なら、この薬があるぞ」
だが、それに構う暇は今目の前にいて意気揚々と治療を開始しようとする医神の前では皆無なのであって。諦めたように伊織は薄く苦笑いを浮かべた。こうなったら長いのはよくよく知っていたので。


――――――――――

前スレのSSでタケル神性持ちなので記憶持ち込み前提ネタあったけど
仮に儀で正雪召喚鯖が医神前提だとして、その呼び名通り彼も神性持ってるのでこれカルデアに儀を体験した汎伊織殿が召喚されたらワンチャン覚えてるんじゃね?から発展したネタです。
オチに使ってすまない医神、推しなので君の医学にまつわるスタンスはわかり切っているんだけど文章だと便利なんだ
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