チリ婦人とドッペル婦人 part7 中編
作成日時: 2024-04-11 17:05:01
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「この町の焼き物、よい仕事をしていますよね」
「陶器だけではない。この町は満天の星空も名物でな。
いちど夜の天文台を登ってみるといい。ワタシでさえ息をのんだ」
「素敵……!でも、ミス・ゲンガーと見に行けそうにないのが残念です……」
「ちょっ……自分ら……なして……平気なん……!」
「(´`;) ホォォウ……」
広場で立ち木のポーズをとる5人の影。
涼しい顔で私語さえ交わしているナンジャモやキハダ、オモダカに対して、AとBチリの体幹は限界寸前だった。
Bチリに至っては、すでに立ち木ポーズの跡形もなく、フィギュアスケーターのような片足立ちになってヤジロンのごとく揺れているばかりだ。
ここ、ベイクタウンにジムチャレンジの類はない。
その代わり、リップの準備が整うまでの間、キハダによるヨガ教室が広場で開かれるのが恒例である。
「Aチリさん。腕の伸ばし方が甘いぞ。だから余計にふらつくんだ」
「コココココ!」
生徒と同じ4の字ポーズをとった、横ならびのキハダとチャーレムから激が飛ぶ。
「の……のばせたら……苦労せえへ……も、もうアカン……!」
「(>ω<;) モウダメ…… 」
2人のチリは、同時に尻もちをついた。
「ふふ。鍛え方が足りないようだな」
2人の派手な転び方に、口元をうっすらと吊り上げたキハダ。
「ふくらはぎが気持ちいいですね!」
「それから、二の腕も良い心地です」
「オモダカさんとナンジャモは正しく行えている証だな」
残りの3人(と1匹)は変わらず不動のまま。
「(*^^*) ヘイ!」
差し出されたBチリの手が、Aチリを引き上げた。
「お、おおきに」
黒い手袋の甲が、紺色の着物の袖が、同時に額をぬぐう。
「にしても……ハッサクさん、まだ戻らへんのかいな?」
空洞そばのポケモンセンター近くに停車するなり、「私用がある」と言い残したまま、ハッサクは姿を消したままだ。
「……おや、ミス・ドッペルゲンガー。ジム戦はまだでしたかね」
噂をすれば。
右に隣接する建物の影から、カールしたロングヘアーがヌっと現れた。
「ハッサク先生、お戻りですか」
立ち木のポーズを解き、軽くお辞儀をするキハダ。主に合わせて、隣のチャーレムもハッサクへ礼をした。
「ハッサクさん、一体どちらへ?」
「かまどまで。有名な陶工と写真を。
それから、ジョウト風のキュウスと湯のみが欲しかったので、いくつかオーダーして参りました」
「やはりそうでしたか。
私も以前、茶の湯に使う抹茶碗を頼みましたが、逸品とよぶにふさわしい最高の出来でした」
オモダカとナンジャモは、ハッサクと私語をかわしながらも律儀にポーズを保ったままだ。
「しかし、よく続きますねえ。小生なら5秒で飽きてしまいますよ」
両腕を組み、わざとらしく唸るハッサク。横のキハダが思わず苦笑する。
……もしかして、ヨガが嫌で逃げとったんちゃうんか?
邪推したAチリは、いたずらごころを発動した。
「あーあ!チリちゃん、ハッサクさんのヨガも見てみたいなあ!」
ツンと上を向き、これみよがしにAチリが叫ぶ。
彼女と並び立つオモダカとナンジャモが、4の字ポーズのまま「えっ」と横を向いた。
「ミス・ゲンガー。ハッサクさんは鍛える必要など……」
「せやかて総大将、四天王の長やで?4人の中でいっとう強いんやで?そら体幹も鬼つよ……」
「オモダカさん。Aチリさんは知らないんだろう」
神妙なキハダのトーン。
乗ってくるかツッコまれるか。どちらかを期待していたAチリの煽りが止まった。
「……おん?」
「……いいか、Aチリさん。
ワタシ達の世界では、以前、アカデミーの教師陣で相撲大会が開かれたんだ」
ありましたねえ……と目を伏せる4の字オモダカ。
「校長先生の思いつきで。むろん男性陣のみで、だが」
オモダカの相づちを受けながら、キリッとした口調でキハダの回想が続く。
「……サワロという教師がいる。身長は2m、体重は100kgを超える。
人気悪役レスラーと二足のワラジを履く、フィジカルの怪物だ」
Aチリの喉が、ゴクリと鳴った。
「決勝戦は、サワロ先生とハッサク先生。
取り組みが始まるなり、サワロ先生が全力のぶちかましを決めた……どうなったと思う?」
「そ、そら倒れる……わな……下手すりゃ吹き飛ぶ」
「そうだとも。吹き飛んだ。……サワロ先生がな」
「……へっ?」
「くの字に折れ曲がり、グラウンドの地面を転がったサワロ先生は、そのまま用具入れの小屋に叩き込まれた。
言っておくが、ここまでハッサク先生は仁王立ちのままだ」
「わたくし、サワロ先生も凄いと思います……。『ちくしょう!』って叫びながら、残骸から無傷で這い出てきましたから……」
「フン。くされ故郷での非効率きわまる鍛錬が、あのような形で功を奏すとはね」
「……あっ」
唖然としていたAチリは、ハッサクの憮然としたボヤきで思い至った。
「……竜の一族や」
1人1人の実力が、各地のジムリーダーや四天王に匹敵すると言われる修羅の集まり。その長の子……
「そ、そらヨガも要らんわな……」
呆気に取られているAチリをよそに、ハッサクが立ち木の2人を茶化しだした。
「ほらほら、先に足を着いたら負けゲーム。頑張れ、頑張れ」
「……ふふっ、た、大将……笑わせないで……いただけますか?重心が……!」
「わ、わたくしも流石に疲れてきました……」
オモダカとナンジャモの足が、同時に地面へ着いた。
「鼻の差でナンジャモくんの勝ちですかね。トップもなかなか……いかがですか、解説のキハダ先生」
「えっ?ああ、いや。ワタシには何とも」
「うふふ……大将ったら。ポニータレースじゃないんですから」
「わたくしの方が耐えてました!」
認めた相手たちにはおどけるらしいハッサク。ジョークに不慣れなのか戸惑うキハダ。
ジョウト撫子のように着物の袖を口にあてて笑うナンジャモ。フンスとそっくり返るオモダカ。
Bの世界の面々も、Aと形は違えど仲はいい。
Aチリがくすぐったげに鼻を鳴らしたのと同時に。
「準備がととのいました!天文台のバトルコートへ!」
ベイクジムの職員が広場にやってきた。
「まったく。ようやくですか」
「……リップ、プレッシャーに勝てるといいが」
「うふふ!大丈夫ですよキハダ先生!わたくしがおまじないをかけておきましたから!」
「お、おまじない?」
「( -ω-) yes、magic……」
おのおの独りごち、雑談しながら広場を去る6人。
「リップさんの切り札、確かフラージェスよな!」
「えー……それが……」
「おん?」
一同を先導しながら、バツが悪そうに職員がうつむいた。
「『切り札じゃないけど、とってもメンゴ』とリップさんから伝言が……」
バトルコートには、すでに観客が詰めかけていた。しかし、肝心のリップが見当たらない。
「……もしや、逃げ」
「リップは断じてそんな奴ではありません!」
「……失礼」
コートの外。ハッサクの不吉な言葉を、カミソリの剣幕でキハダがさえぎる。
「……」
コートに立っている紺色の着物も、腕を組んでリップを待ちかまえる。
だが、クセである貧乏ゆすり――ナッペ山にそなえて履かされた袴の下のブーツは、いっさい音を鳴らさない。
ポケモンと向き合いたい。
哀しみに振り回されたくない。
Aチリは、ボウルタウンで聞かされた彼女の決意を信じている。
「大丈夫大丈夫……おまじないおまじない……」
祈るように手を組み、つぶやくオモダカ。
すると。
「はい。キャッチコピーは『何も足さない、何も引かない』で……あっ、い、いったん切ります」
Aチリの背後から現れたリップ。キハダの顔が満開にほころんだ。
どよめきが歓声に変わった。スマホをしまい、急々とコートに入るリップ。
「ドッペルちゃん!お客さんも!待たせてメンゴ!頼まれてた案件、すっかり忘れてて!」
「ええってええって。こっちの自分も、やっぱ引っ張りだこやなあ!」
周囲にパチンと両手を拝んだリップは、Aチリの言葉に和らいだのか、合掌をといて「んふっ」と笑った。
「……それに、リップが今から出す子は切り札じゃないの。それもすっごくソーリー……。
だけど……」
Aチリの脳内は、AベイクジムやAブルーベリーでの記憶を頼りに、リップの手持ちを必死に反芻していた。
「だけど。リップにとっては、他の子に負けないくらい……いいえ。世界でいちばんラブリーな子!」
キハダが、まさか……と息を吐く。
「チャーレムちゃん!出番よ!」
「ココココ!」
Aチリは目を見はった。たしかに切り札ではない。そればかりか……
伝言を聞いた一行は、
知らず知らずのうちに「勝負用の手持ちの中から1体を選ぶ」と思い込んでいたのだ。
「ソ、ソイツは!」
刮目したキハダの叫び。
とともに、彼女の白衣の内側で、1個のモンスターボールが強く震えた。
「リップが、生まれて初めて捕まえたポケモン。キハダちゃんとお揃いの子」
キッパリとした口調で、リップのまつ毛が一行を見つめる。
「オモダカちゃん。リップにとって最高のハッピーは、キハダちゃんがいてくれた事!
今度はリップが恩返しする番!
このカイデーな想い、ドッペルちゃんとドオーちゃんにぶつけてみる!」
「お前……!」
キハダのクールな顔がくしゃりと歪んだ。
「なるほど」と唸り、ニヤリと笑うハッサク。
「リップさん!えいやっ!ですよ!!」
観客にまぎれ、頭たかくサムズアップしたオモダカの叫び声。
それにつられた観衆も、いっせいに叫びだした。
リップさああん!負けんなああ!ドオーなんて怖くないぜー!!
大きな声援を全身に浴び、長いまつ毛がAチリに向きなおる。
「この子、勝負には滅多に出さないけど、リップのボディーガードで慣れてるから油断はノンノンよ!」
立てた人差し指を口元で振る。ますますA世界のリップを思わせるふるまい。
アウェーの雰囲気に苦笑いしたAチリは、着物と袴を一回転させた。
「ドオーも出番やで!」
「ドォー!」
先手をとったのはドオー。ナンジャモのアドバイスを受け、せんせいのツメを持たせてある。
テラスタルしたドオーの、小手調べのアクアブレイク。が、数百kgはあるハズの身体が、胸板で受け止められた。
「ド、ドォ!?」
ダメージに耐えながら顔をしかめたチャーレム。その両手が、ドオーの側頭をわし掴む。
「チャーレムちゃん!しねんのずつき!」
「……んんん!ハァッ!!」
エコーのかかった雄叫び。
ズドン!!
振りかぶったチャーレムの頭部が、ハンマーのように勢いよく下ろされた。
ドオーの全身が、主の足元まで猛スピードでずり下がる。だが、こうかばつぐんはまぬがれ、何とか動けそうだ。
「自分、やるやんけ」
中かがみのAチリが、ジャリと地面に踏んばった。
「ほなら、ちぃーと揺らしたらなアカンな!」
「……来る!」
リップの合図。チャーレムが床を踏みしめる。
「ドオー、じしん!」
揺れる天文台。ドオーの全身が大地をしたたかに打ちつけるたび、チャーレムが呻いた。
「グ……グウゥ……!」
「耐えて!チャーレムちゃん!リップがついてるから!」
自身もよたつきながら、膝をつくチャーレムを鼓舞するリップ。
「耐えよったか……リップさん。チリちゃん、まだ本意気やないで!」
「クッ……!」
ギラリと睨むAチリの眼光。
キハダは思う。
少し前の彼女なら、悲鳴を上げてたじろいでいたはず。だが、今のリップは一歩もひかない。
「……リップはジムリだもん!グルーシャちゃんやライムさんに負けないくらいゴイスーなんだから!」
Aチリの気迫に負けじと、精一杯に鋭いまなざしで目を合わせるリップ。
その意気に応えるように、満身創痍のチャーレムが立ち上がった。
「キハダちゃん!見てて!チャーレムちゃんに贈る、とびっきりの超・マジックマキアージュ!!」
右手に掲げられたテラスタルオーブへと、光が満ちていく。
リップが祈るように額を当てて数秒。
まばゆい虹色の輝きが、チャーレムの頭上に高々と投げあげられた。
「ココココ!」
「チャーレムちゃん!じこさいせい!」
目をつぶり、精神統一したチャーレムのキズが癒えていく。体力は満タン。勝負はふりだしに戻った。
「……甘くみとったわ」
赤い瞳孔が狭くなる。
「じしん!」
天文台が再び揺れる。だが、じしんも収まらないうちに飛び上がったチャーレムの拳が、空中で弓のごとく振り抜かれた。
「れいとうパンチ!」
ドオーの眉間を撃ち抜く、重力にまかせた零下の殴打。きゅうしょにあたった!
「おもろなってきたな……!」
ナンジャモとぶつかった時と同じ、獰猛な笑み。間違いなくリップは強者だ。
「リップ……!最高に……キレイだ……!ワタシの人生の中で……いちばん……輝いている……!」
膝を折り、その場に泣き崩れているキハダ。
その姿を周りにみとめられ、リップへの声援は最高潮に達した。
じしん、じこさいせい、まもる、れいとうパンチ……
リップのチャーレムは、
5回のじこさいせい、そして主が持たせたひかりのこなによって、ドオーのじしんのppを0に封じ込めた。
「まっずいわ……!まもる!」
だがAチリも、まもるによる先読みとドオーの並外れた耐久力によって、チャーレムのれいとうパンチのppをあと1回にまで削っている。
「チャーレムちゃん!れいとう!パンチ!」
「アクアブレイク!こうなりゃ根比べや!」
空中で激突する身体と拳。床を滑って後退する両者。
「ド……ド……」
「ココココ……」
ドオーも、膝をついたチャーレムも全身で息をしている。両者の体力は、のこりわずか。
「ドオー、きばりや!アクアブレイク!」
「クッ……!リップもゲキヤバ……だけど!」
ツメの効果で、Aチリがせんせいを取った。しかし、彼女は失念していた。
「サイのコウよ。奥の手を出せるなんて!」
チャーレムの技には、出されていない枠が1つだけある。
「……チャーレムちゃん!きしかいせい!!」
「!!」
Aチリの目が皿のごとく開いた。
最後の力を振りしぼり、飛んでくるドオーへと駆け出したチャーレム。
「ドオオオオ!!」
「ッシャアアアア!!」
223kgの弾丸と、キレイな飛び蹴りが交差した。
位置が入れ替わり、地に立った両者。
「……ココココ……」
先に倒れたのはチャーレム。
「ド……」
ドオーも、それから数秒遅れで突っ伏した。
「チャーレムちゃん!」
「ドオー!」
「ド……」
互いの切り札にすがりつく2人。チャーレムは完全に昏倒している。だが、ドオーには辛うじて意識があった。
「…………」
ヨロリと立ち上がったリップは、かざしたボールにチャーレムを収めた。そして。
「う、う、うわあああああん!!」
「リップ!リップ!!」
ギャラリーをかき分け、キハダがバトルコートに踊りこむ。
「わた、わたし、また、負け、ちゃった」
「何を言ってる!お前は!負けてなどいない!!」
一人称も忘れ、少女座りでくずおれた幼なじみを、キハダは軋むほど抱きしめた。
「……リップさん。勝負はチリちゃんの勝ちかもしれん」
自身もドオーを収めたAチリが、泣きじゃくるリップにかがみ込む。
「せやけど。トレーナーとしてはリップさんの圧勝や。勝ちも勝ち。
チリちゃんホンマ、トレーナー失格やわ」
「そ、そんな事」
「最後、きしかいせい出したやろ。
あの時な、チリちゃんガッツリ油断しててん。力押しでいけるってな」
手の甲で涙をぬぐっていたリップの目が、ハッとAチリに向けられた。
「あの時のウチ、思いっきり叱ってやりたいわ。『チャーレムの技、もう1つ残っとるやろ!』『ドオーの打たれ強さにアグラかいてどないすんねん』ってな」
アカデミー生やチャレンジャーをさとす時のような、柔和な口ぶり。
「この調子できばりや。リップさんの強さ……四天王の一番手、チリちゃんのお墨付きや!」
四天王の一番手……を耳打ちしたAチリは、いたずらっぽくリップに微笑んだ。
キハダは、Aチリに背中を見せたまま、しゃくり上げて震えたままだ。
「……うん!」
んふっ、と細まった目から露がこぼれた。だが、リップの心から哀しみの雨は上がったようだ。
それでは!チリさんのご親戚?の勝利!そして、リップさんのご健闘をたたえ!
どこからともなく張り上げられた音頭。
ばんざーーい!ばんざーーい!!
昼の名残は消えさり、空は夕焼け一色である。
だが、Aチリたち一行にとっては、生まれ変わったジムリーダーを祝福する朝焼けに見えた。
そろって腕をくみ頷いているハッサクとナンジャモ。
「グスッ……チリ……ぎねんしゃぢゅえいは、だいじょうぶ……ですが……?」
「(*°ㅁ°) ハッ!」
涙と鼻水でつまり倒したオモダカに促され、Bチリは万歳の間をぬってコートに入った。
「(* ˊ꒳ˋ*) バンザーイ!」
「あっ、ドッペルちゃん!カメラカメラ!」
「ああ、せや!ほらほらキハダさん!シャッタータイムですよ!」
「……今は、このままにさせておいてくれ」
「(*^^*) チーズ!」
パシャッ!
左端と右側でピースを決めるAチリとリップ。
そして、幼なじみに抱きついたままの白衣の背中。
「いつもいつでも 上手く 行くなんて……♪」
午後6時15分。Aチリのタイムリミットまで、約4時間。ジム巡りも佳境だ。
「(* ˊ꒳ˋ*)ソリャ ソウジャ♪」
ベイクジムから借りた、分厚く黒いケープと手袋を身につけている5人。一同を乗せたミニクーパーは、ついにナッペ山へとタイヤを踏み入れた。
車内ですし詰めとなっている女性陣は、さながらお通夜帰りのような出で立ちだ。
「ミス・ゲンガー!チリも!お上手すぎませんか!?」
「ナハハ……おおきに!歌うまい自覚はあらへんのやけどなあ」
「さあさあ、次はどなたが行きます?」
「ワ、ワタシはパスだ……」
「キハダ先生、そんな事おっしゃらないで!それじゃあ、わたくしとデュエットしてみません?」
だが、そんなシックな服飾とは裏腹に、ミニの中では、5人による歌合戦が繰り広げられていた。
オモダカの童謡、Aチリ(とBチリの絶妙な合いの手による)アニメソング、リップのアイドル歌謡……
「歌えない……ことはない。だが、リップ以外の前では……歌唱の経験が……」
「キハダちゃん、おフルな歌謡曲がとっても上手いのよ!」
「なっ、コラ、リップ!」
「へえ……!ますます気になりますね!」
「(* ˊ꒳ˋ*) シング! ウタオウ!」
後部座席の真ん中へオモダカとBチリの催促が飛ぶ。
「貴様ら、もれなく上手かっただろうが!」
「なるほどお……ハードルが上がって緊張しているんですねえ……?」
「そ、そうではない!だから、その……人前で歌うのが小っ恥ずかしいんだって!」
ニヤつくオモダカに図星をつかれ、顔を赤く染めるキハダ。
彼女に助け舟をだそうと、右端のスラッとした着物の手があがった。
「……では、私が参りましょうか」
「おや!まさかのナンジャモさんが!」
「あまり上手くはありませんが……」
「ご謙遜なさらず!配信で拝聴していますよ!」
「やったぁ!ジャモちゃんの生歌だなんて!」
はしゃぐオモダカとリップを見ながら、後回しにされたキハダは内心でホッとした。
「……ええと。では、今回は素で歌いますね。小さい頃に観ていた児童アニメの主題歌なんですが……」
だが、キハダは知らなかった。
「……コホン。参ります……」
ハードルは更に上がり倒し、
自身も結局、有名歌手であるシンイチの「ミナモ岬」を歌わされる羽目になることを。
……♪切り裂いた 町が燃え 震えるジョウトに〜
「う、うんまあ……!」
Aチリも一同とともに唖然とする。もちろんキハダも。
♪闇を蹴散らして 大義をしめすの〜だ〜!
配信での萌え声とは一線を画す、透き通っていながら力強い音色。
口元をおさえたオモダカとリップは、早くも涙腺に来ている。
♪は・し・れ!音速の〜!
「「「セ・キ・エーイ過激団〜!!」」」
どうしよう、とうずくまるキハダと、運転に没頭するBチリを除く3人による合唱。
ミニから響くこもった歌声。
車を後ろから追いかけている普段着のハッサクは、短いマントをはためかせながら、
車内を譲ろうとするキハダを、異性を理由に断って本当に良かった……と、モトトカゲの上で安堵するのだった。
「……だから言ったじゃないか……」
逃げるように車外に飛びでたキハダは、両手で顔を覆った顔をフォレトスばりに沸騰させている。
フリッジの寿司屋そばで降り立ち、ジムを目指している一行。
「い、いえいえ!お上手だったじゃないですか!あのビブラートは誰にも真似できません!」
「……上がっていただけだ……!」
オモダカの慰めも逆効果らしい。憮然ともらし、キハダはますますうつむいた。
「あらまあ!いらっしゃい!お寒い中ようこそ!」
暗さが増しつつある空を照らすような、暖かなトーン。ジムの前で出迎えたライムは、一行が着くのを入口で待ってくれていた様子だ。
「ライムさん!?」
「ええ!ケープの下が黒いシャツ……じゃなくて紺色の着物みたいだけど、貴女がドッペルさんね!」
カールした太ましい横髪、品のいい紫のセーターに肌色のカーディガン。
「あ、ああ。ワケあっておジャンにしてしもうて……」
「あらまあ。でも、その格好もお似合いよ!
……オモダカさん。クラベルさんともども、わたしの姉がお世話になっておりますわね!」
Aチリは数えるほどしか見かけた記憶はないが、その容貌は、まぎれもなくアカデミー教師のタイムそのもの。
「いえいえ、わたくし達の方こそ!お姉さまの手腕には驚かされてばかりで……」
想像。あくまで想像であるが。
Aチリの脳裏には、
教科書を叩きつけて教壇をへし折ったり、
スマホで通話する生徒の髪の毛を、音速のチョーク投げで消し飛ばすラッパーの姿がありありと浮かんだ。
「……あら、いけない!早速ジムチャレンジにご招待するわね!リラックスして、幽々と!いきましょう!」
ライムが手先で指した、ジムの前にそびえ立つステージ。
そこにはアンプやスピーカーの代わりに、
金管の棒やトランペットを持った奏者たちが10名ほど。
タキシード姿で構える楽団が、今か今かとチャレンジの開始を待っていた。
「はっ、はっ、結構……しんどい……!」
ステージの上。、Aチリの口元から白いモヤが小刻みに上がっている。
「本物のトレーナーは、どんな時でも冷静に!幽々と対応しなくちゃいけないの!
それじゃあ、いよいよお待ちかね。次はわたしとの勝負ですよ〜!」
息を弾ませるAチリは、ジムチャレンジの難易度に思いのほか消耗していた。相手の切り札――ゴーストストリンダー(ロー)が、特別に手強いワケではない。
が、フリッジジムのチャレンジ内容は、「歌いながら勝負する事」。
それも、リズムに乗り遅れたり歌詞を間違えたら1ターン休み。
複雑なルールと意地悪なお題が、Aチリとドオーの忍耐と持久力を試す。
「わたしからのお題は童謡です!ドッペル婦人、『サッちゃん』の2番から先ってご存知?」
「!」
Aチリは、思いがけないツキに恵まれた。
ミニの助手席で、まさにオモダカが歌っていた「サッちゃん」。しかもフルコーラス!
『……ナナのみ、やんな!?』
まさに零れざいわい。
無言の口のランゲージだけで、オモダカへと問うAチリ。観客の中から、キラーメのような髪がブンブンと頷いた。
「それじゃあ、行きますよ!」
勝負に背中を向けた指揮者の棒が、きびきびと生オケを演奏させはじめる。
「……サッちゃんはね♪ ストリンダー、たたりめ!」
「……ナナのみ 大好き ほんとだよ♪ ドオー、じしん!」
「まあ……!だけど ちっちゃいから……」
運を手繰りよせればこちらの物。
「さびしいな♪サッちゃん♪ドオー、アクアブレイク!」
歌の終わりと同時に、Aチリはライムに快勝できた。
「お見事!まさか2番から先も知ってる人がいるなんて!」
「いやあ、総大将のおかげですわ!張っとった山が、たまたま当たっただけで……」
「ハッ!もしかしてオモダカちゃん……あの歌合戦、ジムチャレンジの練習だったとか?」
「えっ。ええ、も、もちろん!アハハハ……」
「……小生の顔に免じてそういう事にしてやってください、リップさん。ミス・ドッペルゲンガーも」
「ナ、ナハハ。さすがですわ、総大将!」
「……絶対にウソだ。100パーセントその場のノリだったじゃないか……」
「うふふ。皆さん賑やかで楽しいわ!」
ライムを加え、歓談しながら寿司屋のそばに戻る一行。だが、トラブルが発生した。
「(; ・`д・´) ワ、what !?」
「……どうしたんだろうか、チリさん……」
「分から、ないわ……。リップ、車の事なんかサッパリで……」
「ですが、エンジンはかかっておりますね」
「そもそも、雪山に車で登るのが無茶やろ……」
車の後ろで、2匹のモトトカゲに乗る4人も怪しそうだ。
Bチリがアクセルを何度ふめども、彼女の愛車は一向に前へと動かない。
鳴るのはエンジンの呻き声と、タイヤが雪を削るシャリシャリという音のみ。
Aチリがジムに挑んでいる間、ますます厚さを増した積雪。
アゴに拳を当て、助手席でソワソワと狼狽えているオモダカ。
地面にタイヤをとられたミニは、フリッジタウンの出口で立ち往生する羽目になったのだ。
「タイヤが空回りしとるんちゃう!?」
ミニの後ろ、ハッサクと2ケツするAチリの叫び。
「メイビー……」と唸ったBチリは、ミニの外に踊り出た。
「(゜д゜) ハッサン、プッシュ!」
グリーンのお尻に両手を添えながら、後ろのハッサクに催促するBチリ。
「およしなさいチリ。まさか、最後のジムまで手押しで行こう、などとは申しませんよね?」
「Σ( ˙꒳˙ ;)」
モトトカゲの上から機先を制されたBチリは、テールランプの前でガックリとうなだれた。
今は午後6時45分。
愛車を押して向かおうとも、ナッペジム攻略には間に合うかもしれない。
だが、その後のお楽しみ――オモダカに耳打ちされたサプライズを楽しむ余裕がなくなる。
「普段はジムにチェーンがあるんだけど、同じように困ってたトラックの人にあげちゃったのよねえ……」
困ったように呟く後部座席のライム。しばし考える一同。すると、ライムの隣に座るナンジャモが、凛と声を上げた。
「兄様を呼びましょう」
『何だと!分かった!今ナッペ山に入った所だ!すぐ迎えに行くから待ってろ!うおおお……雪山でこそ、燃えろおおお……』
ミニの外でたむろする一行。
浮かんだスマホが、ナンジャモの袴のポケットに引っ込んだ。
スピーカーモードではないにも関わらず、一同に聞こえるほどの暑苦しい雄叫び。
「……こっちのグルーシャって、どんな子なん?」
訝しそうに顔をしかめたAチリは、彼を慕っているらしいナンジャモへ思わず聞いた。
「……ポケモンを愛し、手持ちを信じ、己に克つ……
勝負の道を究めんと、頂点をめざす男。それが兄様です!」
無言で空を見あげたAチリは、
来たるべきギャップに圧倒されまいと、Bグルーシャの人格を想像しはじめる。
「……チリちゃんらの反対。ってことは、相当な熱血漢?やったりしてな」
「そ、相当どころじゃないわ。あの子はリップたちみたいなパンピーの次元を超えてる!」
青ざめながら、かむりを振るリップ。
「ナンジャモくんが四天王を超える逸材だとすれば、彼はトップをも超えます。……実力『だけ』はね」
頭痛に苛まれるように、こめかみの凹みを左手で挟んだハッサク。
「……ほーん」
「とにかく、ものすっごく元気に満ちあふれた人ですよ!」
「そんな生ぬるい物ではありませんよ、トップ。アレは『パルデアの核弾頭』です。もしくは、歩く危険物」
「そないにヤバい奴なんですか……?」
こめかみを抑えたままのハッサクの言葉を、褒め言葉と解釈したのだろうか。
着物とおなじ桃色に顔を染めたナンジャモが、「兄様……」とウットリ呟いた。
沈黙に包まれた一行。通話から5分と経たないうちに、遠くから足音が聞こえてきた。
シャシャシャシャシャシャシャ……!
「兄様の靴の音……!」
めったに真顔を崩さないナンジャモが、乙女の微笑みでフリッジタウンから飛び出した。
一同もいっせいに町から歩みでる。
雪が舞う道の遠くから、人影がぐんぐんと近づいてきた。
「ウィンターアアア!!ヒート!!!」
謎の雄叫びをこだまさせ、一行の前で急停止した男。
「はあ、はあ、人命救助!!」
「( ゚д゚)」
この世界で初めて、Aチリの顔がBチリとシンクロした瞬間である。
目の前の男――十中八九まちがいなくグルーシャの、あまりの素っとん狂さ。
そして、自分が知る彼とのあまりの落差に、
理解不能へおちいったAチリは、とうとう壊れたように笑いだした。
「ナーハハハハハ!!ハハハ……!」
「おい、おい。Aチリさん……な、何がおかしいんだ……」
大粒の涙をボロボロ流し、苦しそうに腹を抱えるAチリを、さしものキハダも怯えた様子で気にかけている。
「た、た、助けてくれええ……!ナハハハハハ!」
「その通り!助けに来たぞ!」
雪山用の黄色いジャケット。赤と青のツートンで口を隠し、ワッペン付きのズボンと長靴。
だが、その姿は明らかに異質。
「ナハハハハハ!さ、さ、最後ぐらい、静かに終わらせてくれやああ!うわあああん!」
「き、気をしっかり持つんだ!ほ、ほら。あとひと息じゃないか!」
クラりと倒れかかったAチリを、キハダの胸が受け止める。
滝のような汗の湯気を顔中から昇らせているグルーシャ。
その背中には、スヤスヤと眠るツンベアーが紐でガッチリとおんぶさせられていた。
「ナンジャモ!速度は大丈夫か!!」
「はい兄様!もっと速くても良いぐらいです!」
ハッサクの後ろにまたがるAチリは、背後を見やりながら、開いた口が塞がらなかった。
ジグザグに入り組んだ山道を登る一行。モトトカゲは3匹に増えている。
オモダカとBチリ、その後ろにライム。
キハダとリップ。
ハッサクとAチリの2ケツ。
そして、そんな3匹のモトトカゲを後ろから追うのは、
ミニクーパーの底を背中にくくり付け、二人三脚でひた走るグルーシャとナンジャモであった。
「いいだろう!さすがボクの一番弟子!このままジムを目指すぞ!!」
「はい!兄様と一緒ならどこまでも!」
「どこまでも行ってもらっては困ります。大人しくジムで下ろしなさい」
前を向いたままのハッサクが、小気味よい呼吸を立てている背後をたしなめた。
もちろんだが、ミニは無人である。
しかしそれでも、Bチリが愛好する鉄の塊は1トンを超える重さだ。
「リップさんが言ったパンピーを超えとるって意味、分かった気するわ……」
「でしょ……?グルーシャちゃんってタフ過ぎて、リップ的にはヤヤコワなの……」
「でも、持ち前のパワーを人のために活かしてくれてるみたいだし、とっても良い子よねえ!」
「そうですね、ライムさん!グルーシャさんは、颯爽と駆けつけてくれるヒーローなんです!
この間も、オトシドリがわたくしに落としてきた岩を素足で蹴り返して、見事に追いはらってくれたんですよ!」
「強さと人間性は及第点……
そこに、スノーボーダー時分の落ちつきが加われば、もろ手を挙げて小生の後釜に推せるのですがね……」
ボヤくハッサクの後ろで、Aチリは想像してみた。
元の世界のサムい彼も、火がつけばBグルーシャのようなタフマンになるのだろうか。
ツンベアーをかつぎ、車をかつぎ、岩を裸足で蹴り返す……頼もしくはありそうだが、違う意味で近寄りがたい……
脳がショートしそうになったAチリは、いらぬ雑念を消そうと頭を振った。
ナッペ山の頂上へといたる最後の上り坂。
峰の合間から、モンスターボールを模した白いシンボルが光っている。
「さあて!ドッペル婦人、いよいよだな!!」
車を背中に目をほころばせ、汗だくのグルーシャが独りごちた。
広い坂を登りおえ、ジムを見下ろす高台にたどり着いた一行。
「よし!この辺りでいいだろう!
ドッペルくん、覚悟しろよ!ボクの勝負は真剣だ!ハッハッハッ!」
ポカンと見張るポケモンセンターの受付や店員など気にせず、雄々しく笑ったグルーシャは、
ナンジャモとともに身体のロープを解き、ゆっくりと背中の車を下ろした。
ズウン……という地鳴りが、ポケモンセンター近くの木々につもった雪をふるい落とす。
「いつ来ても、まるでシンオウにいるみたい……」
全身を包むほど長いケープのフードから、白い吐息を漏らすリップ。
ジムとバトルコートを見下ろす6名の全身を、山頂のこごえる風が強く打ちつけている。
「ごめんなさい、マフラーも用意してあげれば良かったわね……」
「い、いえ。お気になさらず!」
厚手のケープや手袋でも防ぎきれない極寒に、オモダカの声も、他のメンバーの身体も少しばかり震えている。
「ドッペル婦人。兄様との戦いに備えましょう!さあ、脱いで」
「うぇっ!?ちょっ、アカン!凍死してまう……って、ア、アレ?」
しかし。雪に慣れているライムや、日ごろから鍛えているナンジャモ。
そして、彼女にケープを外されたAチリは平然としていた。
「何やこれ!ちっとも寒くあらへん!」
「でしょう?その紺の着物には、防寒対策が施されているんです」
以前まではソレに頼っていました……と、しみじみ腕組みしたナンジャモ。
「:( ;´꒳`;): ウウゥ……サムサム」
「ハッハッハッ!チリさんも寒いか!」
一同の中でもひときわ震えるBチリに、グルーシャが豪快に笑いかける。
「でもねえ。この厳寒がねえ。ボクにとっては天国なんだよ!!」
グルーシャは、おもむろに上着のジッパーを外した。
「チリさん。コレを着ておくといい!」
「( ゚д゚)……サ、サムクネーノ?」
「いいんだいいんだ!
ボクは極度の暑がりでねえ、この上着は修行のために着ているんだよ!」
ジッパーを外してファサッと脱がれたジャケットが、Bチリにそっと掛けられた。
ホクホク顔のBチリ。
うらやましい……と、ちょっぴり眉をひそめるナンジャモ。
しかし、そんな彼女たちとは対照的に、Aチリは驚きを隠せなかった。
「グ、グルーシャ……それ、平気なん……?」
グルーシャのジャケットの下からは、リーグのマークが左胸に刻まれた白い道着。
「ボクの勝負服はコレだから!いやあ、爽やかな涼しさが身を切るよ!」
まごつくAチリを意に介さず、テキパキとベルトを外したグルーシャは、
あれよあれよとズボンを脱ぎ、長いマフラーを躊躇なく解いた。
「さあて。ドッペル婦人。少々、準備運動に付き合ってほしい」
残された防寒着である長靴、そして靴下までも脱ぎ捨てたグルーシャ。
「ア、ア、アホちゃうん……自分……」
やれやれ、と眉をへの字に首を振るハッサクとキハダ。
用意はバッチリみたいねえ、と微笑むライム。
ワクワクと胸の前で両手をにぎるオモダカ、ナンジャモ。
所在なくソワソワし始めたリップ。
そして、彼の強靭さを知らないAチリが、アゴが外れんばかりに呆れたのも無理はない。
脱ぎ捨てられた厚着の下から現れた姿。
それは、黒帯をつけた柔道家の正装そのものだったのだから。
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