チリ婦人とドッペル婦人 part7 中編


「この町の焼き物、よい仕事をしていますよね」

「陶器だけではない。この町は満天の星空も名物でな。

いちど夜の天文台を登ってみるといい。ワタシでさえ息をのんだ」

「素敵……!でも、ミス・ゲンガーと見に行けそうにないのが残念です……」

「ちょっ……自分ら……なして……平気なん……!」

「(´`;) ホォォウ……」

広場で立ち木のポーズをとる5人の影。

涼しい顔で私語さえ交わしているナンジャモやキハダ、オモダカに対して、AとBチリの体幹は限界寸前だった。

Bチリに至っては、すでに立ち木ポーズの跡形もなく、フィギュアスケーターのような片足立ちになってヤジロンのごとく揺れているばかりだ。

ここ、ベイクタウンにジムチャレンジの類はない。

その代わり、リップの準備が整うまでの間、キハダによるヨガ教室が広場で開かれるのが恒例である。

「Aチリさん。腕の伸ばし方が甘いぞ。だから余計にふらつくんだ」

「コココココ!」

生徒と同じ4の字ポーズをとった、横ならびのキハダとチャーレムから激が飛ぶ。

「の……のばせたら……苦労せえへ……も、もうアカン……!」

「(>ω<;) モウダメ…… 」

2人のチリは、同時に尻もちをついた。

「ふふ。鍛え方が足りないようだな」

2人の派手な転び方に、口元をうっすらと吊り上げたキハダ。

「ふくらはぎが気持ちいいですね!」

「それから、二の腕も良い心地です」

「オモダカさんとナンジャモは正しく行えている証だな」

残りの3人(と1匹)は変わらず不動のまま。

「(*^^*) ヘイ!」

差し出されたBチリの手が、Aチリを引き上げた。

「お、おおきに」

黒い手袋の甲が、紺色の着物の袖が、同時に額をぬぐう。

「にしても……ハッサクさん、まだ戻らへんのかいな?」

空洞そばのポケモンセンター近くに停車するなり、「私用がある」と言い残したまま、ハッサクは姿を消したままだ。

「……おや、ミス・ドッペルゲンガー。ジム戦はまだでしたかね」

噂をすれば。

右に隣接する建物の影から、カールしたロングヘアーがヌっと現れた。

「ハッサク先生、お戻りですか」

立ち木のポーズを解き、軽くお辞儀をするキハダ。主に合わせて、隣のチャーレムもハッサクへ礼をした。

「ハッサクさん、一体どちらへ?」

「かまどまで。有名な陶工と写真を。

それから、ジョウト風のキュウスと湯のみが欲しかったので、いくつかオーダーして参りました」

「やはりそうでしたか。

私も以前、茶の湯に使う抹茶碗を頼みましたが、逸品とよぶにふさわしい最高の出来でした」

オモダカとナンジャモは、ハッサクと私語をかわしながらも律儀にポーズを保ったままだ。

「しかし、よく続きますねえ。小生なら5秒で飽きてしまいますよ」

両腕を組み、わざとらしく唸るハッサク。横のキハダが思わず苦笑する。

……もしかして、ヨガが嫌で逃げとったんちゃうんか?

邪推したAチリは、いたずらごころを発動した。

「あーあ!チリちゃん、ハッサクさんのヨガも見てみたいなあ!」

ツンと上を向き、これみよがしにAチリが叫ぶ。

彼女と並び立つオモダカとナンジャモが、4の字ポーズのまま「えっ」と横を向いた。

「ミス・ゲンガー。ハッサクさんは鍛える必要など……」

「せやかて総大将、四天王の長やで?4人の中でいっとう強いんやで?そら体幹も鬼つよ……」

「オモダカさん。Aチリさんは知らないんだろう」

神妙なキハダのトーン。

乗ってくるかツッコまれるか。どちらかを期待していたAチリの煽りが止まった。

「……おん?」

「……いいか、Aチリさん。

ワタシ達の世界では、以前、アカデミーの教師陣で相撲大会が開かれたんだ」

ありましたねえ……と目を伏せる4の字オモダカ。

「校長先生の思いつきで。むろん男性陣のみで、だが」

オモダカの相づちを受けながら、キリッとした口調でキハダの回想が続く。

「……サワロという教師がいる。身長は2m、体重は100kgを超える。

人気悪役レスラーと二足のワラジを履く、フィジカルの怪物だ」

Aチリの喉が、ゴクリと鳴った。

「決勝戦は、サワロ先生とハッサク先生。

取り組みが始まるなり、サワロ先生が全力のぶちかましを決めた……どうなったと思う?」

「そ、そら倒れる……わな……下手すりゃ吹き飛ぶ」

「そうだとも。吹き飛んだ。……サワロ先生がな」

「……へっ?」

「くの字に折れ曲がり、グラウンドの地面を転がったサワロ先生は、そのまま用具入れの小屋に叩き込まれた。

言っておくが、ここまでハッサク先生は仁王立ちのままだ」

「わたくし、サワロ先生も凄いと思います……。『ちくしょう!』って叫びながら、残骸から無傷で這い出てきましたから……」

「フン。くされ故郷での非効率きわまる鍛錬が、あのような形で功を奏すとはね」

「……あっ」

唖然としていたAチリは、ハッサクの憮然としたボヤきで思い至った。

「……竜の一族や」

1人1人の実力が、各地のジムリーダーや四天王に匹敵すると言われる修羅の集まり。その長の子……

「そ、そらヨガも要らんわな……」

呆気に取られているAチリをよそに、ハッサクが立ち木の2人を茶化しだした。

「ほらほら、先に足を着いたら負けゲーム。頑張れ、頑張れ」

「……ふふっ、た、大将……笑わせないで……いただけますか?重心が……!」

「わ、わたくしも流石に疲れてきました……」

オモダカとナンジャモの足が、同時に地面へ着いた。

「鼻の差でナンジャモくんの勝ちですかね。トップもなかなか……いかがですか、解説のキハダ先生」

「えっ?ああ、いや。ワタシには何とも」

「うふふ……大将ったら。ポニータレースじゃないんですから」

「わたくしの方が耐えてました!」

認めた相手たちにはおどけるらしいハッサク。ジョークに不慣れなのか戸惑うキハダ。

ジョウト撫子のように着物の袖を口にあてて笑うナンジャモ。フンスとそっくり返るオモダカ。

Bの世界の面々も、Aと形は違えど仲はいい。

Aチリがくすぐったげに鼻を鳴らしたのと同時に。

「準備がととのいました!天文台のバトルコートへ!」

ベイクジムの職員が広場にやってきた。

「まったく。ようやくですか」

「……リップ、プレッシャーに勝てるといいが」

「うふふ!大丈夫ですよキハダ先生!わたくしがおまじないをかけておきましたから!」

「お、おまじない?」

「( -ω-) yes、magic……」

おのおの独りごち、雑談しながら広場を去る6人。

「リップさんの切り札、確かフラージェスよな!」

「えー……それが……」

「おん?」

一同を先導しながら、バツが悪そうに職員がうつむいた。

「『切り札じゃないけど、とってもメンゴ』とリップさんから伝言が……」


バトルコートには、すでに観客が詰めかけていた。しかし、肝心のリップが見当たらない。

「……もしや、逃げ」

「リップは断じてそんな奴ではありません!」

「……失礼」

コートの外。ハッサクの不吉な言葉を、カミソリの剣幕でキハダがさえぎる。

「……」

コートに立っている紺色の着物も、腕を組んでリップを待ちかまえる。

だが、クセである貧乏ゆすり――ナッペ山にそなえて履かされた袴の下のブーツは、いっさい音を鳴らさない。

ポケモンと向き合いたい。

哀しみに振り回されたくない。

Aチリは、ボウルタウンで聞かされた彼女の決意を信じている。

「大丈夫大丈夫……おまじないおまじない……」

祈るように手を組み、つぶやくオモダカ。

すると。

「はい。キャッチコピーは『何も足さない、何も引かない』で……あっ、い、いったん切ります」

Aチリの背後から現れたリップ。キハダの顔が満開にほころんだ。

どよめきが歓声に変わった。スマホをしまい、急々とコートに入るリップ。

「ドッペルちゃん!お客さんも!待たせてメンゴ!頼まれてた案件、すっかり忘れてて!」

「ええってええって。こっちの自分も、やっぱ引っ張りだこやなあ!」

周囲にパチンと両手を拝んだリップは、Aチリの言葉に和らいだのか、合掌をといて「んふっ」と笑った。

「……それに、リップが今から出す子は切り札じゃないの。それもすっごくソーリー……。

だけど……」

Aチリの脳内は、AベイクジムやAブルーベリーでの記憶を頼りに、リップの手持ちを必死に反芻していた。

「だけど。リップにとっては、他の子に負けないくらい……いいえ。世界でいちばんラブリーな子!」

キハダが、まさか……と息を吐く。

「チャーレムちゃん!出番よ!」

「ココココ!」

Aチリは目を見はった。たしかに切り札ではない。そればかりか……

伝言を聞いた一行は、

知らず知らずのうちに「勝負用の手持ちの中から1体を選ぶ」と思い込んでいたのだ。

「ソ、ソイツは!」

刮目したキハダの叫び。

とともに、彼女の白衣の内側で、1個のモンスターボールが強く震えた。

「リップが、生まれて初めて捕まえたポケモン。キハダちゃんとお揃いの子」

キッパリとした口調で、リップのまつ毛が一行を見つめる。

「オモダカちゃん。リップにとって最高のハッピーは、キハダちゃんがいてくれた事!

今度はリップが恩返しする番!

このカイデーな想い、ドッペルちゃんとドオーちゃんにぶつけてみる!」

「お前……!」

キハダのクールな顔がくしゃりと歪んだ。

「なるほど」と唸り、ニヤリと笑うハッサク。

「リップさん!えいやっ!ですよ!!」

観客にまぎれ、頭たかくサムズアップしたオモダカの叫び声。

それにつられた観衆も、いっせいに叫びだした。

リップさああん!負けんなああ!ドオーなんて怖くないぜー!!

大きな声援を全身に浴び、長いまつ毛がAチリに向きなおる。

「この子、勝負には滅多に出さないけど、リップのボディーガードで慣れてるから油断はノンノンよ!」

立てた人差し指を口元で振る。ますますA世界のリップを思わせるふるまい。

アウェーの雰囲気に苦笑いしたAチリは、着物と袴を一回転させた。

「ドオーも出番やで!」

「ドォー!」

先手をとったのはドオー。ナンジャモのアドバイスを受け、せんせいのツメを持たせてある。

テラスタルしたドオーの、小手調べのアクアブレイク。が、数百kgはあるハズの身体が、胸板で受け止められた。

「ド、ドォ!?」

ダメージに耐えながら顔をしかめたチャーレム。その両手が、ドオーの側頭をわし掴む。

「チャーレムちゃん!しねんのずつき!」

「……んんん!ハァッ!!」

エコーのかかった雄叫び。

ズドン!!

振りかぶったチャーレムの頭部が、ハンマーのように勢いよく下ろされた。

ドオーの全身が、主の足元まで猛スピードでずり下がる。だが、こうかばつぐんはまぬがれ、何とか動けそうだ。

「自分、やるやんけ」

中かがみのAチリが、ジャリと地面に踏んばった。

「ほなら、ちぃーと揺らしたらなアカンな!」

「……来る!」

リップの合図。チャーレムが床を踏みしめる。

「ドオー、じしん!」

揺れる天文台。ドオーの全身が大地をしたたかに打ちつけるたび、チャーレムが呻いた。

「グ……グウゥ……!」

「耐えて!チャーレムちゃん!リップがついてるから!」

自身もよたつきながら、膝をつくチャーレムを鼓舞するリップ。

「耐えよったか……リップさん。チリちゃん、まだ本意気やないで!」

「クッ……!」

ギラリと睨むAチリの眼光。

キハダは思う。

少し前の彼女なら、悲鳴を上げてたじろいでいたはず。だが、今のリップは一歩もひかない。

「……リップはジムリだもん!グルーシャちゃんやライムさんに負けないくらいゴイスーなんだから!」

Aチリの気迫に負けじと、精一杯に鋭いまなざしで目を合わせるリップ。

その意気に応えるように、満身創痍のチャーレムが立ち上がった。

「キハダちゃん!見てて!チャーレムちゃんに贈る、とびっきりの超・マジックマキアージュ!!」

右手に掲げられたテラスタルオーブへと、光が満ちていく。

リップが祈るように額を当てて数秒。

まばゆい虹色の輝きが、チャーレムの頭上に高々と投げあげられた。

「ココココ!」

「チャーレムちゃん!じこさいせい!」

目をつぶり、精神統一したチャーレムのキズが癒えていく。体力は満タン。勝負はふりだしに戻った。

「……甘くみとったわ」

赤い瞳孔が狭くなる。

「じしん!」

天文台が再び揺れる。だが、じしんも収まらないうちに飛び上がったチャーレムの拳が、空中で弓のごとく振り抜かれた。

「れいとうパンチ!」

ドオーの眉間を撃ち抜く、重力にまかせた零下の殴打。きゅうしょにあたった!

「おもろなってきたな……!」

ナンジャモとぶつかった時と同じ、獰猛な笑み。間違いなくリップは強者だ。

「リップ……!最高に……キレイだ……!ワタシの人生の中で……いちばん……輝いている……!」

膝を折り、その場に泣き崩れているキハダ。

その姿を周りにみとめられ、リップへの声援は最高潮に達した。

じしん、じこさいせい、まもる、れいとうパンチ……

リップのチャーレムは、

5回のじこさいせい、そして主が持たせたひかりのこなによって、ドオーのじしんのppを0に封じ込めた。

「まっずいわ……!まもる!」

だがAチリも、まもるによる先読みとドオーの並外れた耐久力によって、チャーレムのれいとうパンチのppをあと1回にまで削っている。

「チャーレムちゃん!れいとう!パンチ!」

「アクアブレイク!こうなりゃ根比べや!」

空中で激突する身体と拳。床を滑って後退する両者。

「ド……ド……」

「ココココ……」

ドオーも、膝をついたチャーレムも全身で息をしている。両者の体力は、のこりわずか。

「ドオー、きばりや!アクアブレイク!」

「クッ……!リップもゲキヤバ……だけど!」

ツメの効果で、Aチリがせんせいを取った。しかし、彼女は失念していた。

「サイのコウよ。奥の手を出せるなんて!」

チャーレムの技には、出されていない枠が1つだけある。

「……チャーレムちゃん!きしかいせい!!」

「!!」

Aチリの目が皿のごとく開いた。

最後の力を振りしぼり、飛んでくるドオーへと駆け出したチャーレム。

「ドオオオオ!!」

「ッシャアアアア!!」

223kgの弾丸と、キレイな飛び蹴りが交差した。

位置が入れ替わり、地に立った両者。

「……ココココ……」

先に倒れたのはチャーレム。

「ド……」

ドオーも、それから数秒遅れで突っ伏した。

「チャーレムちゃん!」

「ドオー!」

「ド……」

互いの切り札にすがりつく2人。チャーレムは完全に昏倒している。だが、ドオーには辛うじて意識があった。

「…………」

ヨロリと立ち上がったリップは、かざしたボールにチャーレムを収めた。そして。

「う、う、うわあああああん!!」

「リップ!リップ!!」

ギャラリーをかき分け、キハダがバトルコートに踊りこむ。

「わた、わたし、また、負け、ちゃった」

「何を言ってる!お前は!負けてなどいない!!」

一人称も忘れ、少女座りでくずおれた幼なじみを、キハダは軋むほど抱きしめた。

「……リップさん。勝負はチリちゃんの勝ちかもしれん」

自身もドオーを収めたAチリが、泣きじゃくるリップにかがみ込む。

「せやけど。トレーナーとしてはリップさんの圧勝や。勝ちも勝ち。

チリちゃんホンマ、トレーナー失格やわ」

「そ、そんな事」

「最後、きしかいせい出したやろ。

あの時な、チリちゃんガッツリ油断しててん。力押しでいけるってな」

手の甲で涙をぬぐっていたリップの目が、ハッとAチリに向けられた。

「あの時のウチ、思いっきり叱ってやりたいわ。『チャーレムの技、もう1つ残っとるやろ!』『ドオーの打たれ強さにアグラかいてどないすんねん』ってな」

アカデミー生やチャレンジャーをさとす時のような、柔和な口ぶり。

「この調子できばりや。リップさんの強さ……四天王の一番手、チリちゃんのお墨付きや!」

四天王の一番手……を耳打ちしたAチリは、いたずらっぽくリップに微笑んだ。

キハダは、Aチリに背中を見せたまま、しゃくり上げて震えたままだ。

「……うん!」

んふっ、と細まった目から露がこぼれた。だが、リップの心から哀しみの雨は上がったようだ。

それでは!チリさんのご親戚?の勝利!そして、リップさんのご健闘をたたえ!

どこからともなく張り上げられた音頭。

ばんざーーい!ばんざーーい!!

昼の名残は消えさり、空は夕焼け一色である。

だが、Aチリたち一行にとっては、生まれ変わったジムリーダーを祝福する朝焼けに見えた。

そろって腕をくみ頷いているハッサクとナンジャモ。

「グスッ……チリ……ぎねんしゃぢゅえいは、だいじょうぶ……ですが……?」

「(*°ㅁ°) ハッ!」

涙と鼻水でつまり倒したオモダカに促され、Bチリは万歳の間をぬってコートに入った。

「(* ˊ꒳ˋ*) バンザーイ!」

「あっ、ドッペルちゃん!カメラカメラ!」

「ああ、せや!ほらほらキハダさん!シャッタータイムですよ!」

「……今は、このままにさせておいてくれ」

「(*^^*) チーズ!」

パシャッ!

左端と右側でピースを決めるAチリとリップ。

そして、幼なじみに抱きついたままの白衣の背中。


「いつもいつでも 上手く 行くなんて……♪」

午後6時15分。Aチリのタイムリミットまで、約4時間。ジム巡りも佳境だ。

「(* ˊ꒳ˋ*)ソリャ ソウジャ♪」

ベイクジムから借りた、分厚く黒いケープと手袋を身につけている5人。一同を乗せたミニクーパーは、ついにナッペ山へとタイヤを踏み入れた。

車内ですし詰めとなっている女性陣は、さながらお通夜帰りのような出で立ちだ。

「ミス・ゲンガー!チリも!お上手すぎませんか!?」

「ナハハ……おおきに!歌うまい自覚はあらへんのやけどなあ」

「さあさあ、次はどなたが行きます?」

「ワ、ワタシはパスだ……」

「キハダ先生、そんな事おっしゃらないで!それじゃあ、わたくしとデュエットしてみません?」

だが、そんなシックな服飾とは裏腹に、ミニの中では、5人による歌合戦が繰り広げられていた。

オモダカの童謡、Aチリ(とBチリの絶妙な合いの手による)アニメソング、リップのアイドル歌謡……

「歌えない……ことはない。だが、リップ以外の前では……歌唱の経験が……」

「キハダちゃん、おフルな歌謡曲がとっても上手いのよ!」

「なっ、コラ、リップ!」

「へえ……!ますます気になりますね!」

「(* ˊ꒳ˋ*) シング! ウタオウ!」

後部座席の真ん中へオモダカとBチリの催促が飛ぶ。

「貴様ら、もれなく上手かっただろうが!」

「なるほどお……ハードルが上がって緊張しているんですねえ……?」

「そ、そうではない!だから、その……人前で歌うのが小っ恥ずかしいんだって!」

ニヤつくオモダカに図星をつかれ、顔を赤く染めるキハダ。

彼女に助け舟をだそうと、右端のスラッとした着物の手があがった。

「……では、私が参りましょうか」

「おや!まさかのナンジャモさんが!」

「あまり上手くはありませんが……」

「ご謙遜なさらず!配信で拝聴していますよ!」

「やったぁ!ジャモちゃんの生歌だなんて!」

はしゃぐオモダカとリップを見ながら、後回しにされたキハダは内心でホッとした。

「……ええと。では、今回は素で歌いますね。小さい頃に観ていた児童アニメの主題歌なんですが……」

だが、キハダは知らなかった。

「……コホン。参ります……」

ハードルは更に上がり倒し、

自身も結局、有名歌手であるシンイチの「ミナモ岬」を歌わされる羽目になることを。

……♪切り裂いた 町が燃え 震えるジョウトに〜

「う、うんまあ……!」

Aチリも一同とともに唖然とする。もちろんキハダも。

♪闇を蹴散らして 大義をしめすの〜だ〜!

配信での萌え声とは一線を画す、透き通っていながら力強い音色。

口元をおさえたオモダカとリップは、早くも涙腺に来ている。

♪は・し・れ!音速の〜!

「「「セ・キ・エーイ過激団〜!!」」」

どうしよう、とうずくまるキハダと、運転に没頭するBチリを除く3人による合唱。

ミニから響くこもった歌声。

車を後ろから追いかけている普段着のハッサクは、短いマントをはためかせながら、

車内を譲ろうとするキハダを、異性を理由に断って本当に良かった……と、モトトカゲの上で安堵するのだった。

「……だから言ったじゃないか……」

逃げるように車外に飛びでたキハダは、両手で顔を覆った顔をフォレトスばりに沸騰させている。

フリッジの寿司屋そばで降り立ち、ジムを目指している一行。

「い、いえいえ!お上手だったじゃないですか!あのビブラートは誰にも真似できません!」

「……上がっていただけだ……!」

オモダカの慰めも逆効果らしい。憮然ともらし、キハダはますますうつむいた。

「あらまあ!いらっしゃい!お寒い中ようこそ!」

暗さが増しつつある空を照らすような、暖かなトーン。ジムの前で出迎えたライムは、一行が着くのを入口で待ってくれていた様子だ。

「ライムさん!?」

「ええ!ケープの下が黒いシャツ……じゃなくて紺色の着物みたいだけど、貴女がドッペルさんね!」

カールした太ましい横髪、品のいい紫のセーターに肌色のカーディガン。

「あ、ああ。ワケあっておジャンにしてしもうて……」

「あらまあ。でも、その格好もお似合いよ!

……オモダカさん。クラベルさんともども、わたしの姉がお世話になっておりますわね!」

Aチリは数えるほどしか見かけた記憶はないが、その容貌は、まぎれもなくアカデミー教師のタイムそのもの。

「いえいえ、わたくし達の方こそ!お姉さまの手腕には驚かされてばかりで……」

想像。あくまで想像であるが。

Aチリの脳裏には、

教科書を叩きつけて教壇をへし折ったり、

スマホで通話する生徒の髪の毛を、音速のチョーク投げで消し飛ばすラッパーの姿がありありと浮かんだ。

「……あら、いけない!早速ジムチャレンジにご招待するわね!リラックスして、幽々と!いきましょう!」

ライムが手先で指した、ジムの前にそびえ立つステージ。

そこにはアンプやスピーカーの代わりに、

金管の棒やトランペットを持った奏者たちが10名ほど。

タキシード姿で構える楽団が、今か今かとチャレンジの開始を待っていた。

「はっ、はっ、結構……しんどい……!」

ステージの上。、Aチリの口元から白いモヤが小刻みに上がっている。

「本物のトレーナーは、どんな時でも冷静に!幽々と対応しなくちゃいけないの!

それじゃあ、いよいよお待ちかね。次はわたしとの勝負ですよ〜!」

息を弾ませるAチリは、ジムチャレンジの難易度に思いのほか消耗していた。相手の切り札――ゴーストストリンダー(ロー)が、特別に手強いワケではない。

が、フリッジジムのチャレンジ内容は、「歌いながら勝負する事」。

それも、リズムに乗り遅れたり歌詞を間違えたら1ターン休み。

複雑なルールと意地悪なお題が、Aチリとドオーの忍耐と持久力を試す。

「わたしからのお題は童謡です!ドッペル婦人、『サッちゃん』の2番から先ってご存知?」

「!」

Aチリは、思いがけないツキに恵まれた。

ミニの助手席で、まさにオモダカが歌っていた「サッちゃん」。しかもフルコーラス!

『……ナナのみ、やんな!?』

まさに零れざいわい。

無言の口のランゲージだけで、オモダカへと問うAチリ。観客の中から、キラーメのような髪がブンブンと頷いた。

「それじゃあ、行きますよ!」

勝負に背中を向けた指揮者の棒が、きびきびと生オケを演奏させはじめる。


「……サッちゃんはね♪ ストリンダー、たたりめ!」

「……ナナのみ 大好き ほんとだよ♪ ドオー、じしん!」

「まあ……!だけど ちっちゃいから……」

運を手繰りよせればこちらの物。

「さびしいな♪サッちゃん♪ドオー、アクアブレイク!」

歌の終わりと同時に、Aチリはライムに快勝できた。


「お見事!まさか2番から先も知ってる人がいるなんて!」

「いやあ、総大将のおかげですわ!張っとった山が、たまたま当たっただけで……」

「ハッ!もしかしてオモダカちゃん……あの歌合戦、ジムチャレンジの練習だったとか?」

「えっ。ええ、も、もちろん!アハハハ……」

「……小生の顔に免じてそういう事にしてやってください、リップさん。ミス・ドッペルゲンガーも」

「ナ、ナハハ。さすがですわ、総大将!」

「……絶対にウソだ。100パーセントその場のノリだったじゃないか……」

「うふふ。皆さん賑やかで楽しいわ!」

ライムを加え、歓談しながら寿司屋のそばに戻る一行。だが、トラブルが発生した。

「(; ・`д・´) ワ、what !?」

「……どうしたんだろうか、チリさん……」

「分から、ないわ……。リップ、車の事なんかサッパリで……」

「ですが、エンジンはかかっておりますね」

「そもそも、雪山に車で登るのが無茶やろ……」

車の後ろで、2匹のモトトカゲに乗る4人も怪しそうだ。

Bチリがアクセルを何度ふめども、彼女の愛車は一向に前へと動かない。

鳴るのはエンジンの呻き声と、タイヤが雪を削るシャリシャリという音のみ。

Aチリがジムに挑んでいる間、ますます厚さを増した積雪。

アゴに拳を当て、助手席でソワソワと狼狽えているオモダカ。

地面にタイヤをとられたミニは、フリッジタウンの出口で立ち往生する羽目になったのだ。

「タイヤが空回りしとるんちゃう!?」

ミニの後ろ、ハッサクと2ケツするAチリの叫び。

「メイビー……」と唸ったBチリは、ミニの外に踊り出た。

「(゜д゜) ハッサン、プッシュ!」

グリーンのお尻に両手を添えながら、後ろのハッサクに催促するBチリ。

「およしなさいチリ。まさか、最後のジムまで手押しで行こう、などとは申しませんよね?」

「Σ( ˙꒳​˙ ;)」

モトトカゲの上から機先を制されたBチリは、テールランプの前でガックリとうなだれた。

今は午後6時45分。

愛車を押して向かおうとも、ナッペジム攻略には間に合うかもしれない。

だが、その後のお楽しみ――オモダカに耳打ちされたサプライズを楽しむ余裕がなくなる。

「普段はジムにチェーンがあるんだけど、同じように困ってたトラックの人にあげちゃったのよねえ……」

困ったように呟く後部座席のライム。しばし考える一同。すると、ライムの隣に座るナンジャモが、凛と声を上げた。

「兄様を呼びましょう」

『何だと!分かった!今ナッペ山に入った所だ!すぐ迎えに行くから待ってろ!うおおお……雪山でこそ、燃えろおおお……』

ミニの外でたむろする一行。

浮かんだスマホが、ナンジャモの袴のポケットに引っ込んだ。

スピーカーモードではないにも関わらず、一同に聞こえるほどの暑苦しい雄叫び。

「……こっちのグルーシャって、どんな子なん?」

訝しそうに顔をしかめたAチリは、彼を慕っているらしいナンジャモへ思わず聞いた。

「……ポケモンを愛し、手持ちを信じ、己に克つ……

勝負の道を究めんと、頂点をめざす男。それが兄様です!」

無言で空を見あげたAチリは、

来たるべきギャップに圧倒されまいと、Bグルーシャの人格を想像しはじめる。

「……チリちゃんらの反対。ってことは、相当な熱血漢?やったりしてな」

「そ、相当どころじゃないわ。あの子はリップたちみたいなパンピーの次元を超えてる!」

青ざめながら、かむりを振るリップ。

「ナンジャモくんが四天王を超える逸材だとすれば、彼はトップをも超えます。……実力『だけ』はね」

頭痛に苛まれるように、こめかみの凹みを左手で挟んだハッサク。

「……ほーん」

「とにかく、ものすっごく元気に満ちあふれた人ですよ!」

「そんな生ぬるい物ではありませんよ、トップ。アレは『パルデアの核弾頭』です。もしくは、歩く危険物」

「そないにヤバい奴なんですか……?」

こめかみを抑えたままのハッサクの言葉を、褒め言葉と解釈したのだろうか。

着物とおなじ桃色に顔を染めたナンジャモが、「兄様……」とウットリ呟いた。

沈黙に包まれた一行。通話から5分と経たないうちに、遠くから足音が聞こえてきた。

シャシャシャシャシャシャシャ……!

「兄様の靴の音……!」

めったに真顔を崩さないナンジャモが、乙女の微笑みでフリッジタウンから飛び出した。

一同もいっせいに町から歩みでる。

雪が舞う道の遠くから、人影がぐんぐんと近づいてきた。

「ウィンターアアア!!ヒート!!!」

謎の雄叫びをこだまさせ、一行の前で急停止した男。

「はあ、はあ、人命救助!!」

「( ゚д゚)」

この世界で初めて、Aチリの顔がBチリとシンクロした瞬間である。

目の前の男――十中八九まちがいなくグルーシャの、あまりの素っとん狂さ。

そして、自分が知る彼とのあまりの落差に、

理解不能へおちいったAチリは、とうとう壊れたように笑いだした。

「ナーハハハハハ!!ハハハ……!」

「おい、おい。Aチリさん……な、何がおかしいんだ……」

大粒の涙をボロボロ流し、苦しそうに腹を抱えるAチリを、さしものキハダも怯えた様子で気にかけている。

「た、た、助けてくれええ……!ナハハハハハ!」

「その通り!助けに来たぞ!」

雪山用の黄色いジャケット。赤と青のツートンで口を隠し、ワッペン付きのズボンと長靴。

だが、その姿は明らかに異質。

「ナハハハハハ!さ、さ、最後ぐらい、静かに終わらせてくれやああ!うわあああん!」

「き、気をしっかり持つんだ!ほ、ほら。あとひと息じゃないか!」

クラりと倒れかかったAチリを、キハダの胸が受け止める。

滝のような汗の湯気を顔中から昇らせているグルーシャ。

その背中には、スヤスヤと眠るツンベアーが紐でガッチリとおんぶさせられていた。


「ナンジャモ!速度は大丈夫か!!」

「はい兄様!もっと速くても良いぐらいです!」

ハッサクの後ろにまたがるAチリは、背後を見やりながら、開いた口が塞がらなかった。

ジグザグに入り組んだ山道を登る一行。モトトカゲは3匹に増えている。

オモダカとBチリ、その後ろにライム。

キハダとリップ。

ハッサクとAチリの2ケツ。

そして、そんな3匹のモトトカゲを後ろから追うのは、

ミニクーパーの底を背中にくくり付け、二人三脚でひた走るグルーシャとナンジャモであった。

「いいだろう!さすがボクの一番弟子!このままジムを目指すぞ!!」

「はい!兄様と一緒ならどこまでも!」

「どこまでも行ってもらっては困ります。大人しくジムで下ろしなさい」

前を向いたままのハッサクが、小気味よい呼吸を立てている背後をたしなめた。

もちろんだが、ミニは無人である。

しかしそれでも、Bチリが愛好する鉄の塊は1トンを超える重さだ。

「リップさんが言ったパンピーを超えとるって意味、分かった気するわ……」

「でしょ……?グルーシャちゃんってタフ過ぎて、リップ的にはヤヤコワなの……」

「でも、持ち前のパワーを人のために活かしてくれてるみたいだし、とっても良い子よねえ!」

「そうですね、ライムさん!グルーシャさんは、颯爽と駆けつけてくれるヒーローなんです!

この間も、オトシドリがわたくしに落としてきた岩を素足で蹴り返して、見事に追いはらってくれたんですよ!」

「強さと人間性は及第点……
そこに、スノーボーダー時分の落ちつきが加われば、もろ手を挙げて小生の後釜に推せるのですがね……」

ボヤくハッサクの後ろで、Aチリは想像してみた。

元の世界のサムい彼も、火がつけばBグルーシャのようなタフマンになるのだろうか。

ツンベアーをかつぎ、車をかつぎ、岩を裸足で蹴り返す……頼もしくはありそうだが、違う意味で近寄りがたい……

脳がショートしそうになったAチリは、いらぬ雑念を消そうと頭を振った。


ナッペ山の頂上へといたる最後の上り坂。

峰の合間から、モンスターボールを模した白いシンボルが光っている。

「さあて!ドッペル婦人、いよいよだな!!」

車を背中に目をほころばせ、汗だくのグルーシャが独りごちた。

広い坂を登りおえ、ジムを見下ろす高台にたどり着いた一行。

「よし!この辺りでいいだろう!

ドッペルくん、覚悟しろよ!ボクの勝負は真剣だ!ハッハッハッ!」

ポカンと見張るポケモンセンターの受付や店員など気にせず、雄々しく笑ったグルーシャは、

ナンジャモとともに身体のロープを解き、ゆっくりと背中の車を下ろした。

ズウン……という地鳴りが、ポケモンセンター近くの木々につもった雪をふるい落とす。

「いつ来ても、まるでシンオウにいるみたい……」

全身を包むほど長いケープのフードから、白い吐息を漏らすリップ。

ジムとバトルコートを見下ろす6名の全身を、山頂のこごえる風が強く打ちつけている。

「ごめんなさい、マフラーも用意してあげれば良かったわね……」

「い、いえ。お気になさらず!」

厚手のケープや手袋でも防ぎきれない極寒に、オモダカの声も、他のメンバーの身体も少しばかり震えている。

「ドッペル婦人。兄様との戦いに備えましょう!さあ、脱いで」

「うぇっ!?ちょっ、アカン!凍死してまう……って、ア、アレ?」

しかし。雪に慣れているライムや、日ごろから鍛えているナンジャモ。

そして、彼女にケープを外されたAチリは平然としていた。

「何やこれ!ちっとも寒くあらへん!」

「でしょう?その紺の着物には、防寒対策が施されているんです」

以前まではソレに頼っていました……と、しみじみ腕組みしたナンジャモ。

「:( ;´꒳`;): ウウゥ……サムサム」

「ハッハッハッ!チリさんも寒いか!」

一同の中でもひときわ震えるBチリに、グルーシャが豪快に笑いかける。

「でもねえ。この厳寒がねえ。ボクにとっては天国なんだよ!!」

グルーシャは、おもむろに上着のジッパーを外した。

「チリさん。コレを着ておくといい!」

「( ゚д゚)……サ、サムクネーノ?」

「いいんだいいんだ!
ボクは極度の暑がりでねえ、この上着は修行のために着ているんだよ!」

ジッパーを外してファサッと脱がれたジャケットが、Bチリにそっと掛けられた。

ホクホク顔のBチリ。

うらやましい……と、ちょっぴり眉をひそめるナンジャモ。

しかし、そんな彼女たちとは対照的に、Aチリは驚きを隠せなかった。

「グ、グルーシャ……それ、平気なん……?」

グルーシャのジャケットの下からは、リーグのマークが左胸に刻まれた白い道着。

「ボクの勝負服はコレだから!いやあ、爽やかな涼しさが身を切るよ!」

まごつくAチリを意に介さず、テキパキとベルトを外したグルーシャは、

あれよあれよとズボンを脱ぎ、長いマフラーを躊躇なく解いた。

「さあて。ドッペル婦人。少々、準備運動に付き合ってほしい」

残された防寒着である長靴、そして靴下までも脱ぎ捨てたグルーシャ。

「ア、ア、アホちゃうん……自分……」

やれやれ、と眉をへの字に首を振るハッサクとキハダ。

用意はバッチリみたいねえ、と微笑むライム。

ワクワクと胸の前で両手をにぎるオモダカ、ナンジャモ。

所在なくソワソワし始めたリップ。

そして、彼の強靭さを知らないAチリが、アゴが外れんばかりに呆れたのも無理はない。

脱ぎ捨てられた厚着の下から現れた姿。

それは、黒帯をつけた柔道家の正装そのものだったのだから。
お知らせ
実務でも趣味でも役に立つ多機能Webツールサイト【無限ツールズ】で、日常をちょっと便利にしちゃいましょう!
無限ツールズ

 
writening