Friday's suspects


副題「今なんでもするって言ったよね?」

※概要
高専弁護士×高専教師ifで酔っ払いボタン掛け違え系ひぐちょ
脹相視点
シリアスなし・エロなしのラブコメテイスト。ハピエンです
日脹語りたいスレ3の100・107・108辺りの内容を参考にさせて頂いております


※謎時空補足(他にも色々出てきます)
・日車:
東京呪術高専の担当弁護士。
元非術師の弁護士だったが、呪術の才能に目覚めてから呪術界でも仕事を請け負うようになった。主に高専生や術師の任務トラブル、術師同士の契約履行など、法律が絡んでくる時に呼ばれる。
30分5000円の相談料を取るか取らないかは人を見て決めてる。
学生の時からの知り合いで、トラブルに巻き込まれやすいお兄ちゃんから目が離せなくなった頃、何でもすると言われ情緒がぐちゃぐちゃになる。

・脹相:
東京呪術高専の教師。
元々教師志望だったわけではないが、自分が在学中、弟達が高専に進学することが決まり心配のあまり教師志願した。えそけちは卒業済み、悠仁が在学中(1年)。受け持ちの学年はなく、各担任の補助(副担任)をしている。
宿儺の無茶ぶり契約から悠仁を守ってくれた日車に恩義を感じている。
ちゃんと日車の事が好きだが、自分の辞書に恋愛という文字が無い人生を送っていたため自覚が亀並み。万さんが見たらブチ切れそう。

・悠仁:
東京呪術高専の1年生。
元々非術師だったが、すっくんがインして呪術師としての才能が開花。
宿儺から契闊を持ち掛けられた時「待って!弁護士にいったん相談させて!」とのたまい、日車介入によるガチガチの安心安全契闊を結んだことにより世界が平和になった。

・宿儺:
暇つぶしの達人。日車によって作られた契約書が分厚過ぎて枕にしている。
何とかして法の目を潜り抜け自由になりたいが、日脹が成立してしまうと天才弁護士が身内(?)に加わりめんどくさいことこの上ないので阻止したい。


※その他補足
・漫画では脹相の二人称は「オマエ」ですが、拙文だと浮いてしまうので「お前」表記にしてます
(他カタカナ二人称等は、同様の理由でひらがなや漢字表記に変換したりしています)
・赤血操術の独自解釈があったりします
・日車さんが酔っ払ってよく喋り、よく笑います。(酩酊度:日車>脹相)
・お兄ちゃんが悩みまくります。男前な脹相はいません、すいません
・脹相、壊相、血塗が受肉体かどうか等、書いてないところはぼんやり設定です。


上記の内容を許容できる方は本文へどうぞ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー






茜差す新宿駅は、どこもかしこも人で溢れていた。

気後れの念は消えたものの、都会の駅は未だに慣れない。西日をてらてらと反射するビル群を、思わず立ち止まって見上げた。
軽く首を振り、スマートフォンを確認しつつ歩き出す。
画面には、釘崎が分かりやすくピン止めしてくれた地図アプリが映し出されていた。
顔を上げた瞬間、足早な会社員と肩がぶつかり思わず口を引き結ぶが、それでもこの予定を取り消すという選択肢は自分に無かった。

だって、本当に久しぶりなのだ。こうして日車と会うのは。



ーーーーー



日車との付き合いは意外に長い。

一番初めは、俺が高専へ入って間もない頃。
地方へ2級呪霊の祓徐に赴いた折、術式で建物の一部を損壊してしまい、敷地の所有者でもある依頼人の逆鱗に触れてしまった時だった。呪霊の特性上どうしようもなかったと話すも、弁償しろ、報酬も渡さないの一点張りで取り付く島もない。
途方に暮れた補助監督が高専へ連絡すると、学長である夜蛾が1人の弁護士をよこしてきた。
「災難だったな。だが君に罪はない。心配するな」
数時間後やってきた黒スーツの男は、開口一番に俺の身を保証してくれた。
事実、その通りに事は運び、依頼人の主張は全面的に取り下げられたのだ。
それが日車との出会いだった。

この出来事を皮切りに、任務上のトラブルに巻き込まれるたび日車がやってきた。
「また君か、脹相」
一般に理解されにくい呪術師という職に加え、俺は特に問題に巻き込まれやすい性質だった。
家庭環境の話は長くなるので割愛するが、学校生活はおろか、社会とまともに関わったのは高専に来てからだ。そんな一般常識の乏しい弱者が人間社会でどう扱われるか、この時は良く分かっていなかった。
だがどんな不利な状況でも、こいつは手を差し伸べることを止めなかった。思い通りにならないことがあると、人間はえてして機嫌が悪くなるものだ。矢面に立つ日車が、俺の代わりに罵倒されることもざらだった。
それでも、この男が俺を見捨てることは一度として無かったのだ。

弟の悠仁が呪いの王とやらに憑りつかれ、妙な契約をふっかけられたときも、介入して便宜を図ってくれたのは日車だ。
悠仁が任務先から処置室へ運ばれたと聞いた時は心底肝を潰したが、着いた時にはすでに“裁判”は終わっていた。周りの術師はもとより、上層部もこの契約内容にひっくり返ったと聞いているが、具体的にどういう縛りを結んだのかは良く分からない。
ただ、たまに宿儺が悠仁と入れ替わっているとき、六法全書をめくるのを見かけるようになった。悠仁の眼が悪くならないかと密かに心配している。


そんなあいつの背中に、いつしか俺は温かいものを感じるようになっていた。
この感情は多分、はじめての感覚だ。弟達へ向ける親愛とは違っていて、うるさいほどの胸の高鳴りも経験がなかった。
だが、日車が俺にとっての恩人だということだけは確実だった。ならば、その恩に何か報いたい。

「…つまり?」
「お前は悠仁を救ってくれた恩人だ。感謝してもし切れない。何か俺に出来ることはないだろうか」
いつものように問題を解決し、にこりともせず去る後姿に思い切って声をかけた。
「……虎杖を助けたのは、高専の専属弁護人として正規に契約しているからだ。これが俺の仕事だ」
日車にしては、珍しく言い淀んだ返答だった。個人的な礼は迷惑だと思われているのだろうか。
「知っている。その上で、お前に礼がしたい」
「必要ない。その時間と金は大切な弟に使ってやれ」
にべもない返しに一瞬押し黙るが、数年の付き合いで日車の人となりは何となく掴んでいた。
法曹界きっての天才で、真面目で利他主義なロジカリスト。真正面の説得はまず勝ち目がない。
だが、そんな世評に上らぬ部分があると知っていた。慎重に会話の矛先を変える。

「そう、俺にとって弟達はかけがえのない存在だ。悠仁は、お前が居なければ命を落としていた」
この男は情だけでは動かない。正しい世界、澱みない摂理に根差した思考がある。
つまり、俺の道理が日車の正しさに叶えばいい。
「宿儺は簡単には諦めんだろう。この先必ず、お前の力が必要になる。俺は、お前を失う訳にはいかない」
最早言いくるめに近いのは承知の上だ。考え直される前に強引に踏み込む。


「その為なら、俺は何でもする。だからお前も、遠慮なく望んでほしい」


すっと、男の目が細められた。
ただそれだけなのに、気圧されるような感覚がある。
「何でも、か」
「そうだ」
言ってしまってから、具体的な内容を示した方が良かったかと過ぎるが、もう遅い。
だが俺の知る中で、日車は相当常識のあるタイプだ。比較対象に六眼の同僚が浮かんだが、あれと比べるまでもないと一瞬で頭の外に追いやる。
つまり、無茶な望みは飛んでこない。それよりも、ここで怯んで誠意を疑われる方が嫌だった。
じっと見つめると、日車は俯いて視線を外す。眼窩に影が差し、表情が読みづらい。

「君は不用意だ、その類の言葉につけこむ人間は多い。例えば、」
「例えば?」
「……」
不思議に思いながら言葉の続きを待ったが、沈黙が流れるのみだった。
ならばとこちらから口を開く。
「不躾だったら謝る。だが、軽率な嘘ではない。…俺は、たぶん、お前ともっと話したい」
ばっと、垂れていた頭(こうべ)が上がる。
目に入ったのは明らかな驚きの表情で、思わずまた間違ってしまったかと悲しい気持ちになる。
と同時に、俺は日車と関わりたかったのだと、口に出してはじめて気づく。断られたらどうする。嫌だと思われたくない。感情がぐるぐると渦巻き、またあの胸の高鳴りが俺を襲った。
何か言わなければ、何か。

「…俺も、君と話したいと思っていた」
何とか口を開こうとしたところで、予想外の発言に阻まれる。
真意を探るように男の顔を見つめた。少し、眉間にしわが寄っている。触れて伸ばしてみたかったが、俺達の関係ですることではないだろうと思い直した。
「一つ確認しておくが、君は誰にでもこういうことを言うのか」
どうやら、先ほどの申し出が相当引っかかっているらしい。
正しく言葉を選ぶのは難しい。けれど、どうしてかその時は誤解を解く事を諦めたくなかった。
「言わない。お前にだけだ。本当だ」
日車はこちらをまんじりと見やり、一つため息をついた。
そして、傍の鞄から黒い手帖を取り出す。
「来週の金曜日、夕方。空いているか」
質問の意味が分かりかねたが、来週は講義のみのスケジュールだと記憶している。首肯すると、男は手帖から目線だけをこちらに寄こし、こう告げた。

「今度、食事でもどうだ?良い店を知っている」



___そんな経緯があって、俺と日車の奇妙な食事会は今でも続いている。
親しい者同士の交流というには少なく、返礼というには回数の多いそれは、釘崎に言わせれば『今時珍しい清い交際』になるらしかった。

「で?今日はどこなのよ」
「新宿だ。美味い魚を出す店らしい。いつものように経路を頼む」
「はー、さっすが弁護士。金に糸目はつけないわね。本人にはイマイチ響いてないけど」
「お前が想像しているような高級店ではないぞ。それに、これは日車の労をねぎらう会だ。財布は出させない」
「でも『こちらが店を選んだから』とか言われちゃって、結局割り勘してるんでしょ?」
「む…」

高専1年、金曜日の最終コマは大抵自習だった。
担任の五条悟が受け持つこの時間は、本人の急な出張で講義が行われないことが多い。仕方ないとはいえ、生徒たちの育成に影響が出るのはあいつも望むところではないだろう。俺の手が空く限りは、こうして自習監督という形で顔を出していた。
そこまでは良かったのだが、ある日自主勉強に飽きた3人から近況を突っつかれ、つい食事会の話を出してしまった。
後悔先に立たずとはこのことだ。見る間に釘崎の目が輝きだし、伏黒が耳をそばだて、悠仁が頭を抱える。
いつしか金曜日のこのコマは、日車との交流を釘崎達に報告し、有り難い助言を受け取る時間になっていったのだ。

「あー聞きたくない、自分の兄貴の甘酸っぱい青春模様とか聞きたくない、宿儺代わってくんねぇかな」
「それは…なんか分かる」
男子2人の呟きを流しつつ、釘崎が俺の端末に今日の待ち合わせ場所を登録してくれる。
「はい、出来たわよ。店情報もみたけど、ちゃんと私服で行きなさいよ。じろじろ見られるのは嫌でしょ」
「それは抜かりない。この間、壊相が選んでくれた服がある」
「そ。じゃあ、あとは髪ね。ちょっとここ座って、軽くセットしてあげる」
釘崎が手際よく整髪の道具を出した。楽しそうに鉄の棒(ヘアアイロンというらしい)のコードをコンセントに差している。
「来週、日車さんの反応聞かせなさいよ!こちとらそれが楽しみでやってるんだから」
「承知した。…これで日車は喜んでくれるだろうか」
「あったり前でしょ。自分の為に装ってくれて嬉しくない人なんていないわよ」
「釘崎は優しいな。では、なるべく見目良く頼む」
にこりと笑うと、悠仁と伏黒がさっと"10"と書かれた札を掲げる。
「あ~~~、もう知らん、知らん!俺は日車の鋼鉄の精神力に賭ける!がんばれ日車!!」
「いや無理だろ。これで脈なしと思える方がやばい」
「あ”ぁ”~~~~~~!!」



ーーーーー



駅から歩いて10分程度。飲食店が立ち並ぶ通りの入口に到着する。
円形の敷地中央にオブジェアートが設置されているこの場所は、金曜の夜を謳歌する人々の待ち合わせとして使われている様だった。
こういう場所に来る機会はそうそうない。後で弟達に見せようと、手にしている端末でオブジェの写真を撮る。
2、3回撮り直し、やっと満足のいく出来になったとき、後ろから馴染みのある声がかかった。

「脹相?」
振り返ると、少し驚いた顔の日車が立っている。
戸惑いの意味が分からず固まっていたが、すぐにその疑問は晴れた。
「すまない、人違いかと思った。いつもと恰好が違っていたのでな」
「ああ」
ほっと息をつき、スマートフォンをしまいながら日車の傍に立つ。

『……こういうのは、無理な背伸びをしても似合いません。まずは清潔感のあるニットを、あとはスリムフィットのパンツ』
『日車さんはきっと仕事帰りで待ち合わせるのでしょう、あまりカジュアル過ぎても良くないですね』
『では、アウターはシックなオーバーコート。これに色味を合わせたチェルシーブーツにしましょう。これなら兄さんでも着こなせますよ、ふふ……』

改めて自分の服を見ると、洒落者で通る弟の楽しげな様子が思い出された。知らず笑みが浮かぶ。
「壊相の見立てだ。人に会うならふさわしい格好をしろと」
「…髪も、今日は下ろしているんだな」
「こっちは釘崎の仕立てだな。似合っているだろうか?」
いつもより指通りの良い髪に触れる。花の香りが漂うのが気になるが、髪が散らないのはこの香油と釘崎の手腕によるものだろう。
週明けに反応を教えろと言われているため、少々強引に感想を求める。
しかし、対する目の前の男は手を口に当て、しかめっ面を崩さず返した。
「あまり変わってはいないな」
「…そうか。変な格好になっていないなら、良い」
日車の心境は分からなかったが、特段続けたい話題でもなさそうだった。
店の話題を切り出し、2人で向かうことにする。

道中横目に観察すると、いつも通りの日車に見える。
きっと、先程の曇り顔は気のせいだ。
これからの楽しい時間に思いを馳せ、俺はこの小さな違和感を隅へ追いやった。



ーーーーー



店内は週末の夜にふさわしい盛況ぶりだった。

入口で日車が予約の旨を伝えると、流れるように案内係が会釈し歩き出す。
大人数の客が詰める広間を通り抜けていくと、奥は個室が並ぶフロアになっていた。その一角の扉を開け、店員が立ち去っていく。
照明が絞られた並びの2名席は、堀座卓になっているようだった。
靴を脱いで中に入ると、奥の壁に小さな水槽が埋め込まれているのが見える。中は白砂利と流木で飾られており、森林に見立てられた水草から鮮やかな熱帯魚が顔を出した。
こぽこぽと流れる水に合わせ、極彩色が舞う。興味深く眺めていると、横から日車の声がかかった。
「アクアリウムか。居酒屋にあるのは珍しい」
「ここは初めてなのか?」
「いや、クライアントと一度来たことがある。海鮮がどれも旨くてな。また来たいと思っていた」
広間の喧騒も既に遠く、静かな水音が心を和ませた。
「日車は良い店を見つけてくるのが上手いな」
「待て、まだ一口も食っていないだろう。評価は後にしてくれ」
もたもたとコートを脱ぐと、日車がそっと引き取りハンガーに吊ってくれた。そのまま奥の席に収まってしまった後で、やっと自分の至らなさに気づく。
この男のこういうところが少々苦手だ。本来、俺がもてなさねばならない場なのに、いつの間にか気遣いを受けている。
だが、折角良い店に来たのだ。此処はおとなしく受けて、後で"お返し"をしてやろうと考え直した。

テーブルに置いてある品書きを見て、それぞれ頼みたいものを決めていく。
この食事会が続いている一因でもあるが、俺達の食の好みは割と似通っていた。どちらも、こってりとしたものよりかは口当たりが良くあっさりしたものを頼むので、分け合って食べたい時にも都合が良かった。
たまに俺が未知の食材に挑戦したくなることがあるが、日車は意外とこれに付き合ってくれる。曰く『今まで食えないと思い込んでいたものにチャレンジしている』らしい。

「それで、飲み物はどうする?」
いくつか食べるものを決めたところで、日車がもう一つの品書きを見せてきた。
こちらはどうやら飲み物が書かれているらしい。見たことのない銘柄の酒が並んでいる。
「そうだな…」
悩んだふりをしているが、実は手筈は決めてあった。なるべく自然に聞こえるよう、言葉を選ぶ。
「今日は、呑みたい気分なんだ。付き合ってくれないか?」


___そう。これが今日、俺が画策している返礼方法であり、"お返し"だ。
なぜこんな企みを持つに至ったのか。それにはちょっとした訳がある。

この集まりを重ねるうち、俺は所々に疑問を抱き始めていた。
釘崎の言う通り、これは日車への返礼になっていないのではないか?と。

一つ目。店は日車が選び、予約していること。
これは俺が世相に詳しくないため、仕方ない部分がある。だが、店の傾向は全面的に俺の希望が反映されているようなのだ。おそらくだが、前回の食事会の折に俺が気に入ったものを日車が覚えていて、そこから店を決めている。
二つ目。金額を折半していること。
これもはじめは、あいつが全部払おうとしていたのを何とか押し留めたのだ。自分が行きたい店に行き、食いたいものを食っているからという言い分だが、それならこちらも同様だろう。しかも、最近は店を俺の希望に合わせていることが分かって来たため、この反論はかなり怪しい。
三つ目。帰りがけに土産を渡してくること。
おまけに、店に行く前は持っていなかった紙袋を『弟達に』と渡されるのには参った。最初はいつどこで手に入れたのかさっぱり見当がつかなかったが、包みの意匠を見るに、どうやら持ち帰り用の飯を土産として注文できる店もあるらしい。しかも、そういう文言は品書きに大抵載っていない。何だその裏技は。

結論から言って、俺は日車を全く接待できていない。
弟の命を救ってくれた大恩人に、奢られ、気を遣われている。これは長兄として由々しき事態だ。弟達の手本として前を歩き続けなければならん俺が、いつまでも半人前でいるわけにはいかない。
悪いが、今日は存分にもてなさせてもらう。

楽しんでもらうための段取りは、前々から考えていた。
有り体に言えば、酔い潰しだ。
日車のこれまでの酒量を見るに、ごく普通といった感じに見える。この程度であれば、俺の術式で優位に立つことが出来ると踏んだ。
先ずは2人して大いに呑み、俺は機を見て赫燐躍動・載で血中から酩酊成分を除去する。あとはほろ酔いの日車を介抱しつつ、勘定を済ませて土産を持たせる作戦だ。

頭の中でもう一度シミュレーションを行う。
俺の脳内に棲む日車は、既に幸せそうな顔で舟を漕いでいた。
フッ、世話が焼ける。


ほどなくして、酒と料理が席へ運ばれてきた。
日車の推薦通りに頼んだ刺身の盛り合わせは、大振りで身がきらきらと輝いている。
他にも焼き物、和え物、串に手毬寿司と、調子に乗って頼み過ぎてしまった。早々の追加は要らないかもしれない。
最後に、切子硝子が添えられた冷酒がテーブルに置かれる。

店員が去った後、どちらからともなくグラスを取る。
「日車、乾杯だ。今日は存分に楽しんでくれ」
杯を合わせると、小さく鈴のような音が響いた。
「ああ、君も」



ーーーーー




……
「くくっ、あの時の君の慌てた様子は見ものだった」
「まだ覚えていたのか…学生の時の話だろう?いい加減忘れたと思っていた」
もう何本目かになる徳利を持ち上げ、日車のグラスに注いでやる。
「仕事柄、記憶力はいい方でな」
「大体あの騒動はお前も一枚噛んでいるんだぞ。交渉に連れてきた弁護人が切れ者すぎると警戒されて、呪霊のいる座敷牢行きだ。なぜお前の頭の良さで、こちらが死なねばならない」
「ははは!だが、村ぐるみで討祓対象を囲っていたのは流石に驚いた。全員犯人というやつだ」
「そう言えば、入院中にそんな筋書きの小説を差し入れしてきた奴がいたな…」
わざとらしくちらりと見やると、隣の男が空の杯を片手にくつくつと笑いだす。
「ふふ、ほんの冗談のつもりだった。ちょっと嫌味な友人を演じてみたくてな」
「全くだ。落ちまで読んで、投げ捨ててやろうかと思った」
「だが面白かっただろう?」
「ああ。そういえば、これまでミステリーは読んだことが無かったな…あれは好きだ」
「君にやった小説なら、映画になっている。今度一緒に観てみるか」
目を細めつつ、日車が徳利を傾けた。
「いいのか?」
「構わない。君の感想には興味がある、ぜひ聞かせてくれ」
注がれた酒に口をつけると、喉に心地よい熱さが滑り落ちていく。


___相酌を重ねてどれくらい経っただろうか。
皿もあらかた空き、先ほど下膳されていった。
学生時代から知り合いである俺たちの共通話題は、意外と多い。
だが最近は、あえて仕事に関する話題を振らないようにしていた。

俺がこの作戦に酒を持ち出したのには、実はもう一つ理由がある。
それは、普段にはない顔を覗かせる日車が好ましかったからだ。

酒の入った日車は良く笑う。そして口数が増える。
堅物の代名詞のような男が、俺にだけ見せてくれる一面と思っていいだろうか。そうであって欲しい。
普段の鉄面皮が柔く綻ぶ様は、なぜか俺の心をひどく打った。
日車をもっと知りたい、その声が聞きたい。
酒特有の高揚感で、自制心が塗りつぶされていく。
その後に残った温かいどろどろが、不意に俺の中からあふれ出した。
「……本当に、一緒でも迷惑ではないか?」
「どうしてだ?」
「だって今日、あまり乗り気ではなかっただろう」

いつの間にか、零れ落ちる言葉を止められなくなっていた。
日車が一瞬言葉に固まった。自分でも、冗談に聞こえない声音だったと思う。
「待て、待ってくれ。俺がいつそう言った?」
「それは…言っていない。待ち合わせの時に、何となく…それだけだ」
追いやっていたはずの違和感。掘り返して責めるなど、大の大人がすることではない。なのに。
「あれは、」
「お前は…褒めてくれると、思っていた」
己の主張を抑える事が出来ない。言った後、じわじわと羞恥心で顔が火照っていく。
何故こんなことを口にしてしまうのか、自分でもわからなかった。
壊相や釘崎の厚意に報いるためかと考えたが、直ぐに打ち消す。2人共、そんなことで目くじらを立てる性格ではないとよく知っていた。
「すまない、そういうつもりではなかった。忘れてくれ」
醜態を晒し続けることに耐えられず、俯いて顔を隠す。
鼻梁の紋様に意識を集めようとしたとき、不意に声がかかった。
「脹相」
おそるおそる顔を上げると、予想に反した表情の男がそこにいた。
何かに観念したような、それでいて、少し浮ついたような。
訳が分からず、じっと男を見つめてしまう。
「…正直に言ってもいいか?」
頷くと、日車が一つ息を吐いたのち口を開いた。
「良く似合っている、似合い過ぎていて…少し、気に入らなかった。服も髪も、君の選んだものではないと分かったからな」
似合い過ぎて、気に入らない。
どういう感情の機微かうまく理解できなかった。日車に何が起こっているのだろうか。
きっと俺は訝しげな表情を浮かべたのだろう、男は尚も言い募る。
「最初に聞くべきだったと後悔している。ああ、クソ。乗り気じゃない?そんな訳がないだろう」
聞くべきとは何のことだ?あとお前、そんな悪態も付けたのか。初めて聞いたぞ。
日ごろの能弁家らしからぬ、雑然とした語り口だ。顔は紅潮しており、若干目が据わっている。
「待ってくれ日車、話が読めな、」
「つまり君は、俺の為にその恰好をしてきた。そういうことなんだな?」

今度は俺が固まる番だった。
見えていなかった、いや、見ようとしてこなかった部分を突き付けられた気分だ。
俺は、日車に喜んで欲しい。壊相と釘崎に協力してもらったのも、持て成すために一計を案じているのもそのためで、この動機がどこから来ているのかなんて考えたことが無かった。
何故この男に喜んで欲しいのだろう。笑った顔が見たいと思うのだろう。
弟達に抱く気持ちとはまた別の、これは。

「……そうだ」
何かが芽吹きかけている。
その予感だけが俺の縁(よすが)だった。

「日車がこれで喜んでくれれば、と」
少し視線を落とし、傍にあったグラスの縁を撫でる。
「そうだと信じて疑わなかった。だが今、何かが違うと感じた」
「俺は…きっと、お前に良く思われたい。弟達には、こんな気持ちにならない」
守り、背負い、手本になること。
弟達にはそれぞれの道があり、俺を通してより良い選択をすることが出来たならば、それ以上に求めることはなかった。
だが、この男に対しては違う。
俺だけを見て欲しい。顧みられたいと願っている。それも、ごく近い場所で。
「頭の良いお前なら、分かるのだろう」
俯き加減のまま、日車が目線だけをこちらに寄こしている。
そっと身を寄せると、瞳の中に俺の輪郭が映った。

この射貫くような三白眼にずっと収まっていたかった。
ああ。感情の名前はおそらく、きっと。


「俺に、教えてくれないか」


静かに顔を離すと、後頭部にこつりと水槽の壁が当たった。
近づく男の顔に、アクアリウムの蛍光が反射する。
頬を撫でる、蒼い揺らめき。
それが視界いっぱいに広がった瞬間、口元に柔らかな感触があった。

口付けをされたと気が付いたのは、数秒後だ。
固まった俺のこめかみに、日車の指が滑り抜けていく。
「………ぁ、」
言葉を紡ぐより先に、もう一度ゆっくりと口づけられる。
まるで口内が熱く茹だっているようだ。とろとろと触れ合う舌が気持ちいい。
背中にあたる冷たい水槽が、ぼやけそうな意識を何とか繋ぎ止めた。


「脹相」
重い瞼を何とか開き、ぼんやりと男を見上げる。
「…そろそろ、出ないか」
頬の赤らみはあるものの、囁く声も表情も俺の知る日車だ。
だが、それが薄く貼りつけた仮面だと気づいたとき、腹の底から重い疼きが走る。

男の内に潜んだものに誘われるように、俺は小さく頷いた。



ーーーーー



結局、いつも通りに店を出てしまった。
いや、何ならもっとひどい結果だ。コートを着せられ、会計もおざなりで足早に店を出た。
そして今、手を引かれ駅とは反対の方角へ歩みを進めている。

日車が何処へ足を向けているのかは、何となく察していた。
今からそういうところへ行き、これまでの関係が全部変わってしまうことをするのだと。
それでいて、俺は何も言わずついて行っている。

つまりこれは合意だ。
だが、心の準備が全く出来ていなかった。

焦がれるような想いを分け合いたい。
今俺を動かしているのは、明らかにそれへの期待と甘い誘惑だ。
でも、もし変われなければどうなるのだろうか。
今までの俺達も、これからの俺達も失ってしまうかもしれない。

怖くなり、男の手を少し強く握る。
今から引き返すという選択肢はあるのだろうかと、ぼんやり考える。
そこで初めて、俺は日車の気持ちを何も知らないのだと思い当たった。


しばらく歩いて入った建物は、住民の気配が全く感じられないマンションのようだった。
エレベーターから無人の廊下を抜け、男が手にしていたカードを差し部屋に入る。
扉が閉まると、どさりと重みのあるものが落ちる音がした。
それが男の鞄だと気づいたとき、壁に押し付けられ深く口付けられる。
「……ん、ぅ」
背中がびりびりと痺れるような快感だった。息が苦しい、でもやめたくない。
酔いも手伝って、ずるずると壁伝いにしゃがみ込んだ。やっと口が離され、大きく息をする。
「…っふ、はぁ……ぅ、あ」
「…初めてなのか」
「当たり前、だ…っ」
息も絶え絶えに返すと、男の口角が歪んだ。
性急にコートと靴を剥がれ、ベッドにごろりと転がされる。いつもの日車からは考えられないような無作法っぷりだった。
「キスをするときは、鼻で呼吸する」
上にのしかかってきた男が、開けろというように唇を舐める。
くすぐったくて口元を緩めると、熱くぬめった舌が滑り込んできた。
「ぁ、……ん、んぅ、……」
言われた言葉を必死に反芻して、与えられる快楽をやり過ごす。
うまく、できているのだろうか。
わからない、なにもわからない。
劣情の裏に隠された不安が、どんどん膨らんでいく。

やっと口を離すと、つぅと唾液が口の端から漏れた。
「まっ……ひぐるま、待ってくれ」
「いいや、待たない」
服に手をかけようとした日車の腕を慌てて掴む。
図体の大きな男2人が、ベッドを軋ませ取っ組み合っている。
淫らさの欠片もない奇妙な絵面だ。ぎりぎりと腕の擦れる音が、甘い空気を霧散させた。
「…脹相」
「頼む、言わなければならないことがある!」
少し首を傾げただけなのに、本当に様になる男だった。こんな場面なのに、どうしようもなく好きだと諦めにも似た気持ちが湧いてくる。
やがて根負けしたように日車が手を緩めたので、そっと口を開いた。
「俺が悪いんだ。このまま進んで、お前を傷つけたくない」
「……」
「…今日、お前を酔い潰そうと画策した。気兼ねなく楽しんで欲しかったんだ、弟を助けてくれた恩を果たしたかった」
すぅと息を吸い込んで、己の下策を吐き出した。
「ここに来たことは後悔していない。…だがすまない、やり方を間違えた」
言ってしまった。だがこの先はきっと、酒に流されてすることではないのだ。互いの為に。
だから日車がもし望んでいないなら、俺は引き返さなければならない。付随した胸の痛みにはそっと蓋をした。

「……それで?」
「それで、…それだけだが」
「それだけなのか」
日車の反応は思っていたどれとも違っていて、風船がしぼむように緊張が解けていく。
だが、それだけということは、まだ言えていないことがあるのだろうか。
回らない頭で何とか捻り出す。
「後は………ああ。俺がお前を好き、ということぐらいだ」
「はぁ?」
男の声が一段と低くなる。
「だがこれは関係ない、ついさっき気付いた。だから忘れ」
「待て、待て待て!!」
「ん?」
「それだ」
緩まっていた男の手が伸び、俺の顔を掴む。強く両手で頬を挟まれ、ふにと唇が尖った。
力の加減が出来ていない。こいつ、相当に酔っているな。
「なぜそれを先に言わない。いの一番に言うべきだろう」
ぐいぐいと頬を押される。ちょっと痛い。
「ほ、んなの、おまへのかっれらいいふんらろう!」
「勝手な言い分?ああそうだ。だが、こっちはどれだけ待たされたと思っている。限界だ」
日車の抗議は滅茶苦茶だ。段々腹が立ってきた。
そもそも分からない答えを求めておいて、一番も二番もないだろう。
酒の勢いも手伝って、ずいぶんと沸点が低くなってしまっている。
「…チッ」
両手首を掴んで引きはがし、体内の呪力を回し始める。
「この、酔っ払いが!離せ!!」
日車の両腕を掴み、足を折り曲げて腹に当てる。
そのままベッド脇に投げ飛ばしてやる算段だった。が、ズシリと身が重い。相手も抜かりなく呪力強化をしてきている。
背格好の似た術師2人。位置的には、馬乗りになっている日車が断然有利だ。
だが、体術なら俺に分があると知っていた。鼻梁の痣がざわめきだす。
「…君は前に言ったな。自分の術式は、水に弱いと」
「あ”?」
ぎりぎりと力比べが続く中、急に声をかけられ集中が途切れる。
急な切り出しに戸惑ったが、ごく最近の記憶にすぐ思い至った。任務で一度酷い怪我をして帰ってきたとき、自戒も込めて日車に話したことがあったのだ。
水性の適応が高い呪霊だった。水中に引きずり込まれ血液の体外操作が出来ず、苦労の末に討祓した。
「赤血操術は血中成分が不安定になれば、操作性を著しく損なう。それを聞いたとき思ったんだ。その弱点は、何も体外に限った話ではないのかもしれないと」
男が口の端を歪め、俺を見た。

「…脹相、酒を呑んでからどれくらい経っている?そろそろ全身に回ったころじゃないか」

そうだ。あの店で厠に立ってから、2時間以上は経過している。
その時に術式で酔いを覚ました後も、会話が盛り上がって再び杯を重ねていた。
こまめに席を外しても良かったのだが、奥の席から個室の外に出るためには、日車に避けてもらわねばならない。そんなことで何度も話の腰を折るのが忍びなかった。
「君が術式を使ったことは察している。俺を酔い潰す算段だったのも、そこで気づいた」
まさか、あの時からバレていたのか。
そうなれば取り繕う必要もなかった。すぐさま体内に意識を集中し、血中に溶け込んだアルコールを取り除こうとを試みる。
が、先ほどのようにならない。視界が回り、てんで操作が上手くいかなかった。
おそらく、血液内の酩酊成分が一定濃度に達してしまったのだ。

一度日車を睨んでやってから、呪力強化を徐々に収めていく。
この男の、呪術師としての才覚は本物だ。今の俺が術式なしで撥ね退けられる相手ではない。
勝ち目のない力比べはするだけ無駄だ。酔っ払いを腹に乗せ、出方を伺う。

「…さて」
火照ったままの顔を向けると、日車が呼吸を整えつつ俺を見下ろした。
先程の攻防で髪は乱れ、スーツのボタンが1つ飛んでいる。
「脹相。返礼は何がいいか、という話を覚えているか」
返礼。頭の中で反芻する。
それを再び持ち出すということは、やはり選択を間違えたのだ。
この食事会も、酒にかこつけた接待も、この男の満足たり得なかったということか。
「…俺の礼は不十分だったか」
気持ちを自覚する前なら笑って済ませられたが、今はどうやっても難しかった。
喉の奥が詰まり、視界がじわりと滲む。
自分の至らなさを突き付けられたぐらいで情けない。そう思っても、相手が日車だと考えるだけで駄目だった。
だが、俺の返答に男は少し首を傾げた。

「何を言っている。俺はまだ一度も返礼を要求していない」

「……は、」
ばっと逸らしかけた顔を戻した。
「勘違いをしているようだから、この際はっきり言っておく。俺は君と、ただ食事がしたくて誘ったんだ」
「馬鹿を言うな、お前は確かに!」
スーツの背中、眉間のしわ、黒い手帖。
過去の日車が頭を過ぎる。あの日の情景がありありと思いだされた。

『…俺も、君と話したいと思っていた』
『来週の金曜日、夕方。空いているか』
『今度、食事でもどうだ?良い店を知っている』

「……………言ってない」
愕然とした思いで呟く。
そうだ、こいつは返礼の話なんて一度も出していない。
だが、あの流れは誰だってそう思うだろう!そう考えたあたりで、此処が既に男の掌中であることに気が付いた。

「君から話を持ち掛けられた時から、ずっと考えていた」
ぱらりと落ちる髪を無造作にかき上げながら、男が告げた。
「そう、本当に色々な。だが、結局はシンプルに行くことにした」
馬乗りのまま、慣れた動作でスーツを脱ぎ棄てる。
そのままネクタイに手をかけつつ、粛然と言い放った。

「返礼は君にする」

「なっ」
「何でもすると言ったのはそっちだ。遠慮なく望め、とも」
煩いほどに心臓が鳴っている。全身を駆ける血の巡りを抑えられなかった。
きっと今の俺は、無様な赤ら顔を晒しているのだろう。
「俺なら、適当な条件で手を打つと思ったか?甘いな」
全くその通りで反論が出来ない。
正直、何度も助けられていて楽観的に捉えていたのかもしれない。無害で真面目で、俺が困る様な事は絶対にしないと。
でもそれが総て、この男の見せかけだとしたら___
焦りと共に日車の顔を見上げ、俺は息を止めた。
目の前の男が貼り付けた仮面を脱ぎ捨て、全く知らない狗の顔をしていたからだ。

「……本当に、君は不用意だ」
手首を押さえつけられたまま、男の顔がゆっくり近づく。
「その類の言葉につけこむ人間は多い。例えば、」

「俺の様な」

噛み付く様な口付けだった。尖った歯が唇に当たり、生暖かい血がにじみ出る。
己の血の特性に思い至り反射的に焦るが、日車はものともせずにべろりと舐めあげた。
反転術式か。確か、この男は使えた筈だ。
逃げ出す最後の言い訳すら封じられ、頭が真っ白になった。


シーツが波打ち、2人の身体が沈んでいく。
正直、その後のことはほとんど覚えていない。



ーーーーー



……
目を開けると、生活感のない天井が目に入った。
少し間をおいて、此処が自分の家でないことを認識する。

意識がじわじわと覚醒していく。
と同時に、昨日の事が断片的に脳内へ押し寄せてきた。
「………日車、」
想い人の名前を呟くと、隣のシーツの海がピクリと動いた。

一応、俺も人並みに慈悲というものは持ち合わせている。
昨日の乱痴気騒ぎは、俺にとって醜態に分類されるものだった。
だがそれは、隣の男も同じで。いや、酩酊の度合いで言えば、こいつの方が深く落ち込んでいるのかもしれない。
ふぅと一つ息をつき、静かに続けた。
「言ったはずだ。ここに来たことを後悔していないと」
そっと体を横寝にして、シーツの塊に話しかける。
「顔を見せてくれ。お前に会いたい」

ややあって、もぞもぞと白い固まりが動き、所在なさげな男の顔が現れた。
成人男性に使う言葉かはわからないが、可愛らしいと感じた。俺の知らない日車の顔が、またもう一つ増える。嬉しくて思わず笑みがこぼれた。
こちらの反応を見た日車は少し固まり、そして意を決したように呟いた。
「すまない、無理をさせた」
「っ、いや……」
昨日の情事が思い出され、咄嗟の言葉に詰まった。
色々…そう、本当に色々と初めての体験で。結果として今俺は、下半身の怠さに悩まされている。
もしかしてこういう時は、何かを言うものなのだろうか。慌てて上半身を起こし、口火を切る。
「すごかった。確かに苦しかったが、それ以上に気持ちよくて何度も気をやってしまった」
「……それは」
「様々な体位があるものだな。俺はやはり、お前の顔が見えるのが一番好きだ」
「脹相、」
「あと尻を叩かれたときはびっくりしたが、お前に与えられるなら痛みでも構わないと」
「脹相!!」
ばっと口を押えられた。見ると、今にも死にそうな顔をした日車が居る。
…これは間違いだったな。話すのを止め、ぽすりと枕に倒れ込んだ。
再び沈黙が流れる。

「事後になってしまうが」
しばらく天井を眺めていると、隣から静かな声が響いてきた。
「君のことが好きだった。ずっと」
首だけを男に向けると、確かに目が合う。
「……言えなくて、済まなかった」
「違う。馬鹿な企みをした俺のせいだ」
誠実な男だと知っていた。きっと、違う形で正しく伝えたかったのだろう。昨日の事さえなければ。
どう言葉で伝えればいいかわからず、そっと日車の方に身を寄せた。
ひくりと身体をすくめたのが分かった。少しあって、シーツごと抱きしめられる。
「すまない。本当に」
控えめな溜息と共に、つむじに小さく口付けられた。思った以上に消沈している。
さながら弟達が拗ねた時の顔のようだった。思わず微笑みそうになったが、実直な男は割と本気で落ち込んでいたため、そっとひっこめる。
そして、日車の為に差し出せる言葉があるだろうかとしばし考えた。

「……ああ、そういえば。俺を貰うと言ったな」
切り出すと、男は困ったような顔をした。
今度は我慢できず少し笑い、寄った眉根を優しく押してやる。
「では”肉1ポンド”だ」
読んだことのある、数少ない娯楽本。そういえばあれは、裁判の話だったか。
「俺を貰い受けるなら、お前を想うこの心もだ。身体とは切り分けてやれん」
「…随分と古典的なものを知っているんだな」
「まあな。それでどうする、反論はあるか?」
ずいと迫ると、ややあって男がフッと笑う。どうやら真意に気づいたようだ。
「…いいや。判決を聞くまでもないな」
俺の負けだ、と呟いて頬を撫でられた。
少々くすぐったいが、目の前の男が笑っているなら、俺もつられて機嫌がいい。

「日車、昨日言っていた映画が観たい。付き合ってくれ」
「了解した」




ーーーーー



___そういう訳で、俺は初めて 『恋人たちの週末』というものを存分に楽しんだ。
最初が最初だっただけに、いささか初々しさに欠けているのは認めるが、俺は日車を散々我慢させたらしいので、この形に何の不満もない。

だが、この時の俺は知らない。
月曜日の朝、悠仁の身体を乗っ取った呪いの王が、嫌がらせよろしく爆弾発言を残していくことも。

「ハッ、青臭くてかなわん。まるで盛りのついた獣だ。ああ、相手は日車寛見か?」

その後、身体の戻った悠仁と釘崎の絶叫が高専中に響き渡ることも。
話を聞きつけた他の教師生徒にまで存分に弄られることも。
ついでに夜蛾学長に日車と呼び出され指導を受け、色々と長い一週間が始まるということも。

全ては次の金曜日、疲れた顔でグラスをかち合わせるまでの零れ話なのだ。







「Friday's suspects」 終
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※最後の補足
Q.何で尻たたいた?
A.ひぐちょのスパンキングえっちが見たかったから(欲望)。
 あと日車さんの方が先に好きを自覚しているんですが、お兄ちゃんが気持ち全然自覚しないので年単位でめちゃくちゃ焦れているという背景があり、それが表面化しました。

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