京都大学と清掃


この記事は、木端桶によるKumano dorm. Advent Calendar 2020(https://adventar.org/calendars/4930)の10日目の記事です。




去年の7月から今年の3月いっぱいまで京大工学部の掃除をするバイトをやっていた。京大が入札を行い、関西のとある清掃業者が落札して、その業者が京大生を雇ったわけだ。ある種の迂遠さがここにはある。5回連続くらいバイトに落ち続けていた僕は、そんなしょぼい新自由主義みたいな現場で拾われ、週3で働き、悪くない稼ぎを得た。時給は高いというわけではなく、本部構内の工学部はご存知のように北から南まで点々と建っていて移動距離は大きく楽な仕事ではない。あとトイレは汚い。それでも半ば義務感のように掃除をせねばと思っていた。というのも、僕は小中高と掃除の時間が好きだったからだ。あの時間は無駄だという議論があって、一部の私立学校では業者が清掃しているところもあるようだが、自分で自分のいるところを掃除するのは気持ちがいいし、何よりみんなで掃除するのは楽しい。けれど大学はそうではなかった。自分たちで汚しているのに掃除するのは別の人、今までより簡単にものを汚す自分がいるような気がしていた。自分はあの人たちと一緒に働くべきなのではないか、と思っていた。この感覚はあまり共有できないものかもしれないけれど、もうちょっと高級そうで、偽善的で、あるいは自己満足的な理由づけをすれば、大学生という特権的な地位の人間が汚したものを、安い時給の非正規職の人間が掃除している、そのことによって「自治」とか「自主管理」とかのたまう大学が成り立っているということのグロテスクさが目について仕方がなかったのだった。

さて、これから話そうとするのは清掃業の詳しい中身というわけではなく、控室についてだ。仕事をしない人間が何人かいて、真面目な人に労力が偏ってはいたけれど、怠け者たちは憎めない性格で本気で怒る人はなかった。人間関係がいいと言えば良いのか、それとも注意するほどの関係を築けていなかったのか。まあともかくそんな集団が駄弁ったり、昼ご飯を食べたり涼んだり、着替えたり、日報を書いたり、用具を置いておくのが控室で、何社かある業者がそれぞれ別の部屋を与えられていた。はじめ我々にあてがわれたのは総合研究9号館という建築、工化、地球工、電電事務室のある建物の南棟の地下であった。京大の建物にはよくある構造だけれど、建物の周囲に幅1メートル位のお堀のようなものがあってそこから直接地下の部屋と行き来できるような空間がある。このような空間はドライエリアと言われていて、名前に反して水が溜まりやすくとてもじめじめしている。南棟にもドライエリアはあり、苔むして足を滑らせそうになる階段でそこにおりると控室に入れるようになっていた。入るとぶわっと饐えた匂いが鼻につく。各所から回収したゴミ袋を一時的に控室に保管しているからだ。部屋にはエアコンがあり、地下なのでじめじめはしているが夏の間快適に過ごせた。臭いのにはそのうち慣れるから大丈夫だ。掃除するトイレの方が臭い。

引越しの話が出たのは秋口だったか。南棟に工事が入るというので、移動することになったのだ。地下という空間が嫌いな僕は結構喜んでいた記憶がある。しばらくして、掃除が終わって残業として新しい控室に諸々の掃除用具の移動をした。その先が旧建築学教室本館(下記のマップで39)と坂記念館(同41)の間にある、構内マップには名前さえ付されていない建物である(京大マップhttps://www.kyoto-u.ac.jp/ja/access/campus/yoshida/map6r-y)。天井は5メートルくらい、入ったところには巨大な装置があって、細部は忘れたが大きな鉤がぶら下がっていた。工学部の実験で使われていた建物なのだろうが、長年使われてはいないようで床には埃が積もり、窓は罅割れて開けにくく廃墟の様相を呈していた。エアコンももちろんない。しかも漏電の危険があると言う。心配になったので京大の施設の耐震について調べてみた。このページ(https://www.kyoto-u.ac.jp/static/ja/profile/safety/aseismatic/documents/070327_12.pdf)を見て欲しい。この報告書では控室ある建物は耐震化が必要な建物となっている。これは2007年のもので他にも耐震化が必要な建物が多くある。一番最近のものはこれ(https://www.kyoto-u.ac.jp/sites/default/files/embed/jaaboutfoundationsafetydocumentstaishin_160722.pdf)で、耐震化の必要な建物は随分減っているが、この建物は「利用頻度の少ない小規模な施設」とされている。だから耐震化の必要はない、とでもいうのだろうか。僕らは去年の秋から今年の春まで平日5日間ずっと使っていたのに。耐震と言えば京大は吉田寮に対して「寮生の安全」を理由として立ち退きの訴訟を起こしている。その裏側で耐震が必要な施設に僕らを押し込めるのか、とこれを見たときに思った。一方では学生との話し合いを放棄して、訴訟を起こし、一方では何も知らない清掃員を押し込めておく。当局の言う「安全」とは何なのだろうか。清掃員の安全はどうでもいいけれど、学生の安全は大事なのだろうか。それとも、両方どうでもよくただ自分の都合のいいように、寮自治を潰したいとか、生ごみ臭い清掃員控室をなるべく汚い部屋に押し込めたかったとか。もちろん、耐震化の必要があるからといって、それが逼迫性のあるものなのかどうかは分からない。けれど清掃員の控室が、一度は耐震化の必要があるとされて、その後使われないようになって、だから耐震の必要なしとされた汚くて寒い建物に置かれたことは事実なのだ。

命の選別とかそのような大げさな話をする訳ではない。職員の中には多分僕らを嫌っていた人もいただろうけれど、そこまで露骨な人もいなかった。だから差別の問題でもない。けれど、みんなが楽しく、忙しく、しんどくキャンパスの中を行き交っている間、僕らはひっそりとあの建物の中で冗談を言って、雑巾を冷水で洗って、掃除機のフィルタのほこりを払って、饐えた匂いを味わっていたのだ。
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