ロー一人勝ちメリバifSS


 おろかにもおれは期待していたのだ。

 あの日、世界中からつまはじきにされたおれに手を差し伸べて拾い上げ、居場所を与えてくれた所なら、この可哀相な子どもにも救いの手を伸べてくれるのではないかと。
 この半年、ローを取り巻く世界がいかに残酷で無慈悲なものか、おれは見て知っていたはずなのに。
 見通しの甘すぎたおれの浅慮の報いを、よりにもよってがローが受けるハメになったことを、帰ってきた子どもの外套を染める赤色におれは思い知らされることになる。



「ロー! しっかりしろ! いま手当てを……っ!」
 抱き上げたローの体はじっとりと重く濡れて、ぞっとするほど冷たかった。
 小さな体のそこかしこに鉛玉の貫通した痕が覗いている。今ひゅうひゅうとか細くも呼吸していることが奇跡に思えるほどの傷だった。
 おそらくこの気温の低さが血管を収縮させ、結果的に大量の出血を防いでくれたのだろう。
 それでも流れ出た血は全身をしとどに濡らし、濡れた体は外気に熱を奪われて凍えているのに震えすら止まっている。
 このままでは凍死しかねないと腕の中に抱き込み体温を分け与えながら、温めたことで新たな出血を引き起こさないよう傷口を躍起になって塞いでいると、細い喉が小さく咳き込んだ。
「! ロー!」
「……っ、コラ、さん……」
 力なく閉じていた瞼が重たげに持ち上がる。その奥に隠れていた目が少しの間虚空をさまよって、おれの顔を認めてゆるゆると目元を和らげた。
 現状にそぐわないその穏やかな表情に息が詰まる。
 かける言葉を見失ったおれに気づいているのかいないのか、ローが口を開いた。
「ごめ……ん、おれ、はくえんびょ……って、ばれ……」
「っ、いい、無理に話すな! あ、でも寝るなよ、絶対に! 起きてろ! いいな!」
 開口一番の言葉が謝罪だったことに、せき止められていた声を張り上げる。この子どものいったいどこに謝るような非があるというのか。責められるべき非はすべておれにこそあった。
 だというのに、ローはひたすら穏やかに苦笑する。慌てるおれをなだめて落ち着かせるような、病と怪我とを一身に負った子どもにふさわしからぬ表情。
「でも、な、ちゃんと……あの筒、渡して……きた、から……」
 それなのに、へへ、と少し得意げに笑うその顔は、まるきり大人の言いつけを守って使いを無事にすませてきたような、褒められることを期待する年相応の子どもの顔で、ぐっと唇を噛みしめる。
 こんな状況でさえなければ、その顔はずっと見たかったはずのものなのに。
 こんな状況だからこそ、その顔はひどく痛々しくて、世の理不尽になりふり構わず叫びだしたくなる。

 ――こいつがいったい、何をした!?
 ――ただでさえ病に蝕まれた体に更に銃弾を撃ち込まれる、そんな仕打ちをされるほどのことをしたっていうのか!?

 ふつふつと腹の底から沸き立つような激情をどうにか鎮めようと黙りこくっていれば、傷口を押さえるおれの手にそっとローの手が重ねられた。
 その指の冷たさにぎくりとする。
「コラさ……」
「だから、無理するなって……! ……ちゃんと、渡してくれたんだな。ありがとう、ロー……」
 とっさにその手を握り込み、祈るようにさすりながら紡いだ感謝の言葉は自分でもひどくそらぞらしい響きをしていた。
 だってそうだろう、こいつがこんな風に傷つくくらいなら、あの文書のことなんて忘れていれば良かっただなんて今更になって思っているのだ。
 一つの国の今後を左右する、極めて重要なものだと他の誰でもない自分がよくわかっているのに、その引き換えにローがこんなにも傷つかなくてはいけないとわかっていたならあんなことを頼みはしなかったと、そう思ってしまう。
 そんなおれがどの面を下げて「ありがとう」などと言えるのか。
 内心の葛藤をよそに、ローはその言葉にふわりとあどけなく笑んでみせた。
 ひどく優しく、ひどく穏やかで、ひどく静かな笑みだった。その笑顔にざわりと胸中がざわめき、喉元に白刃を押し当てられているかのような心地がした。
「よか、た……ちょっとでも、……かえせた、かな、おれ……」
「ロー……?」
「コラさん……。……おれ、さ、うれしかったよ、あんたが……おれのために、泣いてくれたの……」
 ぽつぽつと落とされる言葉に、ざらざらとノイズじみた喘鳴が被さる。抱いた体も、握りしめた手も、ひやりと冷たいままちっとも温かくなる気配がない。
 耳の裏側で自分の鼓動の音がどくどくと嫌に響いていた。これ以上ローの話を聞いていたくないと心のどこかが悲鳴をあげ、耳をふさぎたがるのを今のおれにできることはローの声を残らずすべて拾い上げることだけだと頭のどこかが冷徹に戒める。
 ローは変わらず笑んだままだ。全身痛くて仕方がないだろうに、少しも苦しくないとばかりに微笑んでいる。
 その顔が、その気配が、おれはもう死ぬんだと捨て鉢に吐き捨てていた時よりも、治るどころかつらいと嘆いていた時よりも、ずっと自身の死を受け入れてしまっているのが肌身で感じ取れてしまった。
「ふたりで、逃げようって……言ってくれたのも……。……海兵じゃねェ、なんて、おれのために……嘘ついてくれたのも、さ……」
「っロー、お前……」
「……ずっと前から、しってたよ、あんたほんと……ドジだよな……」
 ふ、ふ、とローが吐息で笑う。おれの手の中で冷たい指先がほんの僅かに丸まって、それが今のローにできる精一杯なんだとわかった。
 やめてくれ、と胸の内側が軋んだ音を立てる。ローの一挙手一投足が、まだなにか手立てがあるんじゃないかと往生際悪くあがこうとするおれをていねいに追い詰めて折り取っていく。
「なァ、コラさん……」
「ま、って、くれ、ロー、まだ……」
「あんたが、海兵でも……、…‥おれは……」
「頼むよ、ほんとに……っだめだ、ロー、ロー!」

「コラさん……、……だいすき、だ……」

 ローだけが、春の陽だまりにいるかのようだった。
 しぱしぱと瞼を緩慢にまたたかせて、ぽかぽかとした陽気に包まれる心地よさに頬を緩ませている内にふと寝入ってしまったような、そんな軽やかさでローは目を閉じる。
 ふ……と蝶のはばたきほどもない小さな呼気が吐き出されて、そのままローから何の音もしなくなった。
 どっ、と自分の心臓だけが一際大きく嫌な音を立てた。
「――ロー!!!」
 震える指先をローの首筋に押し当てる。呼吸による気道の動きも、鼓動による脈拍も何も感じられなかった。
「ロー、ロー、ロー、だめだ、いやだ、お願いだ、いくな、ロー、ロー!」
 呼びかけ、揺さぶる。心肺蘇生を試みる。自分の身長の半分もない小さなその体に、恥も外聞もなく縋りつく。
 考えつく限りの何もかもを試しても――ローはもう、目を開けなかった。



 気づけばおれは動かなくなったローの体を抱え込み、ただ呆然とその場にうずくまっていた。
 思い返せばおれ自身ひどい怪我を負っていて、でも痛みはどこか遠い所にあった。血が足りないせいか、頭がくらくらとしているのに不思議と意識は途切れる気配もなくはっきりとしている。
 皮肉なほどに明瞭な思考の中、どうして、なんでとそんな言葉ばかりがぐるぐると空回りし、おれのせいだと過程式をすっとばした結論がただただおれを責める。
 おれが文書を渡してくれだなんて頼まなければ。おれがオペオペの実を盗む時にドジらなければ。ローをこの島に連れて来なければ。半年前にドフラミンゴの下から連れ出さなければ。
 ローはこんな終わりを迎えずに済んだのだろうか。
 何もかもが今さらで、何もかもが手遅れだった。
「……ロー……」
 腕の中のローを見下ろし、その最期の言葉を思い出す。大好きだ、と好意を伝えてくれる言葉。
 この半年のいつからか、ローに嫌われることが一番怖かった。一番怖いと思っていた。けど今は、いっそ嫌われていたかったと思った。
 嫌われたって憎まれたっていいから、ただローに生きていてほしかった。
「ロー……っ」
 どこにも力の入っていない脱力しきった体を強くかき抱く。穏やかな表情もあいまって、ただ眠っているかのようですらあった。
 それなのにその心臓がもう動いていないという事実が痛くて苦しくてたまらない。
 呼吸をやめたローを抱きしめていると、遠くから複数の雪を踏む音が近づいてくるのが聞こえた。

「――見つけたか?」
「いや、まだだ」
「どこに行ったんだ……ホワイトモンスターめ」
「死んでいるならいいが」
「いや、死体は回収して適切に処分しないと。そのままだと新たな感染源になるかもしれないだろう」
「迷惑な……」
「なんだってまだ生き延びてたんだ?」
「とにかく珀鉛病患者は駆除だ」
「サッサと見つけて終わらせよう」

 そろいの外套、白いキャップの目立つ一団が、銃を手に、くちぐちに言い合いながら歩いてくるのが見えた。
 キャップの正面には、翡翠の地に青の糸で、「MARINE」の刺繍が、されていた。



「――……」



 ぷるぷるぷる。
 ぷるぷるぷる。
 がちゃ。

「もしもし。ドフィ、おれだ」
『あァ……ヴェルゴか。どうした?』
「コラソンを見つけた。……海軍相手に暴れ回っている」
『……なんだと?』



 ミニオン島で多くのものが失われたその日、ひとりの怪物が生まれた。





・この後ドンキホーテファミリーに"コラソン"として戻ることになるコラさん。色々なものが壊れてしまった。
・兄上にローそっくりの人形作ってもらって常に抱えてたらいいよね…と思ったけどローの遺体そのものが珀鉛の影響で腐らなかったりしたら素敵じゃんと思い直した。何も知らなければ常に人間そっくりの精巧な人形を抱えている3mピエロメイクの大男(ドジっこ)(ただしローだけは意地でもドジに巻き込まない)。
・このコラさんはリポップしたオペオペの実が見つかったら、「ロー、やっとお前の所に行ける」って笑顔でオペオペ食べて爆散すると思う。
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