ある悪女の顛末


 アグリッピナは当初、ヌオーを愛嬌のある可愛らしい容姿の、愛玩するのに最適な動物扱いだった。
しかし神話に伝わる、物造りの能力や”てんねん”ゆえの本質を見抜く洞察力等をヌオーが持っていることに気が付き、政治闘争に利用する。

 ただ、その過程でアグリッピナ自身も、ヌオーの提供する食事や衣服、装飾品に医療に耽溺していた。
また、ヌオーと一緒の時は、謀略や毒殺等を考えずにすむ穏やかな時間に癒しを感じ始めていたのである。
『ふむ、あなたはまさに魔性です。 
美食家気取りの元老院議員は多いですが、あなたが造り出したガルム(ローマ帝国時代の代表的調味料、現代で言う魚醤に近い)やワインで今まで篭絡に苦労した輩もたやすく駒に出来ました。
しかし、欠点を言えば、あなたの造り出す物はなんであれ、麻薬であるということです。
代替品でも誤魔化しが効きませんしねえ。
まあ、良いでしょう。 あなたがわらわに従順ならば、ネロにこれ以上手は出しません。
……ああ、安心してください。
ネロがちゃあんとお人形していれば、わらわも殺したりはしません。
ええ、あれだけ時間をかけて、育(つくっ)てきたのですから。
(まあ、ネロもそなたさえ無事なら従順になると、わらわに誓っておりました。
いやはや、誑しですねえ、あなた)
ふふふ、わらわに説教ですかぁ。
あなた以外なら、殺していますが、まあそういう刺激も人生には必要ですしね。
でも、気をつけてくださいね。
私は毒婦ですから、気紛れに、あなたに飽きて殺してしまうかもしれませんよ?
……自分の命では脅しにならないなんて、本当に呆れた方です」

 とはいえ、ヌオーを政治利用したことで、他の有力者達にも彼の価値を周知してしまった。
有力者たちは、アグリッピナの無理矢理のネロ即位を見ていたのもあり、ヌオーさえ手に入れれば、自分に都合の良い皇帝を即位させられるのではと考え始めた。
その結果はより仁義の無い政治闘争であり、ローマの国政はおおいに荒れた。

 だが、アグリッピナもそれと争う有力者も気が付いていなかった。
ネロ帝は、ただの傀儡では無かったということに。

 結論を言えば、ヌオーを手に入れたのはネロ帝だった。
アグリッピナ達が争っているあいだに、ネロ帝はセネカを通じて地盤固めをしていたのである。
ヌオー争奪戦に参加できない元老院議員を、ネロとセネカはあっさり手懐けた。
そして、元老院の整理が始まった。
国政を疎かにした有力者達に憤っていたローマ市民たちの支持もあり、
整理は驚くほど順調に進んだ。

 そして、自分がネロに殺されるのを待つだけと悟ったアグリッピナは、
事前に遅効性の毒を呷ったうえでヌオーと最後の一時を過ごした。
『ああ、憎らしいヒト。 あなたは、わらわを救おうとしましたね。
わらわの助命をネロに懇願し、ネロもそれを受け入れて、わらわを流刑にしようとした。
(まあ、あの子のことだから、適当なところで、わらわを始末するだろうけど)
……あなたは選択を間違えた。 わらわと一緒に生きるつもりなら、
わらわはネロもあなたも許したのに。
だから、これは、あなたへの罰、わらわは死ぬのです。
あなたのせいでね。
ああ、憎らしいヒト。 わらわの物にならず、わらわを救おうなどと。
なのに、なんで、あなたの涙はこうも甘いのでしょうねえ。
……さようなら、“私”を見つけてくれたヒト』
それがアグリッピナの最後の言葉であった。

アグリッピナの遺体は壮絶なまでに美しく、まるで無垢なる乙女のようであったという。
ネロ帝はその姿に『母君は、死してなお、なんて美しいのだ』と言ったとされる。
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