ある子供の話②


「今日は何をする予定なんだ?」

 これから江戸城へ出仕する母からそう尋ねられた。ここ最近と変わらず家で書物を読む予定だと答えると、母は少し困ったような笑みを浮かべる。

「別に、無理してずっと家に篭っている必要は無いぞ?」
「え? でも、家の護り的に自分はしばらく外に出ない方が良いのでしょう?」
「……気づいていたか。全く、本当に聡いなお前は。そう云うところも──」

 言葉が、途中で途切れる。浮かべた表情から察するに、『父親にそっくりだ』とでも続けるつもりだったのだろう。だが、次の瞬間少し顔を青褪めさせた母の様子に、何やらいつもと違うぞと思い口を開く。

「母上? どうなさいましたか?」
「あ、いや……、……。ともかく、出来れば家に居てほしいと云うのは確かだが、それでお前が窮屈な思いをするのも偲びない。私が以前渡した礼装と、アサシンを護衛に付けることを約束するのならば、今まで通り江戸を自由に散策すると良い」

 お前は書物を読むよりも、人と関わる方が好きだからな。我慢せずとも良い。
 そう優しい笑みで頭をひと撫でしてから、母はそのまま出仕した。お出かけの許可を得たとは云え、母を心配させるのは宜しくないと思っているのだが、それでもやはり父のことを話した際にあんな表情をするのは初めてだっただけに少し気になる。

 と云うわけで、アサシンと呼ばれる不思議な気配を持つお爺ちゃんと一緒に浅草にやって来た。理由は勿論、父に会うためである。しかし残念ながら、父は留守にしていた。思いつきで触れも出さずに行動するのは良くなかったか、と肩を落としていると、アサシンが笑った。

「どうした坊、そう気落ちするとは珍しい」
「今朝母の様子がおかしかったので、何か知ってそうな人に会いに行ったら留守だったので」
「呵呵、用意周到なあの娘と違い、坊は思いつきで行動するのだな」

 子供らしくて良いと思うぞ、と頭を強く撫でられる。お爺ちゃんが云うほど母は用意周到なのだろうかと疑問に思ったが、それは口にはしないでおく。

「坊の予定が他に無いのであれば、少し寄り道しても構わんかな?」
「別に良いですけど、何か興味の惹かれるものでも?」
「うむ。この浅草でとても強い気を感じるのでな。少し見ておきたい」
「へぇ……それはまた興味深いですね、行きましょう」

 そうしてお爺ちゃんに連れられて向かった先は浅草の問屋街、少し前まで空き地だったはずの場所だった。派手な門構えに目を丸くする。赤い幕に書かれてある『巴比倫弐屋』という文字は店の名前だろうか、全く読めない。

「ほう、これはまた珍しい童が来たようだな」

 店の入り口に圧倒されていると、奥からお爺ちゃんと似た気配を持つ──しかし気配の強さは向こうの方が圧倒的に上──の、金色の着物を身にまとった異人のお兄さんがやって来た。

「初めまして、何か凄そうなお兄さん。ここは何のお店ですか?」
「ふはははは! 我をそう称するとは見所のある奴よ! 此処は縮緬問屋『巴比倫弐屋』、そして我はこの店の若旦那よ! 我のことは敬意を持って若旦那と呼ぶが良い!」
「はい、分かりました若旦那さん」
「ふはははは! 素直なのは善いことだ」

 そんなことを云われ、若旦那さんに頭を撫でられる。強烈な人だなぁと圧倒されながらそれを甘受して、お爺ちゃんが云っていたのはこの人なのだろうかと視線だけ隣に向けると、お爺ちゃんは愉しげな笑みを浮かべていた。

「ほう、逸れが店を構えるとはまた豪胆よな」
「逸れ? 何ですかそれ?」
「坊なら気づいておろうが、儂と似た気配を持つ者のことよ」
「ああ、成程。となると母が最近共にしている鎧武者の方も?」
「あれは主人持ちだ、逸れではない」

 ここ最近、お爺ちゃんみたいな不思議な気配を持つ人は若旦那さんを合わせて四人見たけど、主人持ちと逸れの二種類に分かれるのか。ならお姉さんの隣にいた虚無僧さんは何方なのだろうと思いを馳せていると、お爺ちゃんが若旦那さんへと声をかけた。

「して若旦那よ、無礼を承知で聞くがクラスは何かな?」
「何故貴様如き雑種に我のことを教えねばならん、客で無いのなら疾く立ち去れ!」
「あ、若旦那さん。お店の中を見ても良いですか?」
「大人しい見目して自由か貴様! 構わんがはしゃいで品物を壊してくれるなよ」
「はーい」

 若旦那さんの許可も得たので、早速お店の商品を確認する。縮緬問屋と云っていたが、売りに出している縮緬は質こそ高いものの数が少ない。それ以外の小物類や渡来品、そして魔術素材の方が多いくらいだ。

(あ、この素材は確か母上が探していたのだ)

 どれもこれも質が良いものばかりだから全部買いたいけど、家に置いてある分を含めてもひとつ買えるかどうかかと気落ちする。

「うん? そんなに暗い顔をしてどうした嬰児よ」
「え!? あ、えーっと……欲しいものがあったのですが、自分のお小遣いではひとつも買えないなと思いまして……」
「ふん、貴様のような幼子から金を巻き上げるほど困窮しておらん。それで、どの品だ?」

 尋ねられ、控えめに魔術素材を指せば、それか、と詰まらなさそうに鼻を鳴らされる。

「幼子が求めるにしては詰まらんが、まあ良い。特別に譲ってやる、持っていけ」
「え!? いやこれ程の品を無料で貰うわけには……」
「我が良いと云っている、素直に受け取れ」

 そう、強引に素材を渡される。どうしようと悩んでいると、不意に棚に陳列されている櫛が目に入った。

「若旦那さん!」
「む、どうした」
「あそこ! あの棚に飾ってある櫛はお幾らですか!?」
「うん? ああ、あれか」

 若旦那さんが告げた値段は今の手持ちでも問題なく買えるものだった。

「あれもください! 買います!」
「金はいらんと云っているだろう」
「人に贈る物なのでそうもいきません! ちゃんと! 売って! ください!」
「ええい分かった分かった! 分かったからしがみ付くでないわっ!」

 全く頑固者め、と呆れられつつお金と交換で櫛を貰う。遠目から見ても思っていたけど桔梗の柄がとても綺麗だ。

「その櫛、あの娘に渡すにしては少し好みが違うのではないか?」
「え? ああ、これは母への贈り物ではないですよ?」
「ほほう……と云うことは意中の女か。その齢で櫛を贈るとは、中々どうしてやり手ではないか」

 お爺ちゃんと若旦那さんが揶揄い交じりに笑いかけてくるのはどうしてだろう、思わず首を傾げた。

「これは異国の友人への贈り物です」
「……うん?」
「お姉さん商人だから、こういった日常に使える工芸品は喜んでくれると思うんですよね」

 まぁ、純粋に似合うだろうなと思ったのも嘘ではないけれど。数ヶ月前に友人関係になったお姉さんを思い出しながら、買ったばかりの櫛を撫でる。

(気に入ってもらえると嬉しいな)

 そんな自分の様子を見ていたお爺ちゃんと若旦那さんの表情に、気づくことは無かった。

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【息子くんが異国の商人のお姉さんに今まで贈ったプレゼント一覧】
・花菖蒲柄の便箋(品の良い便箋を探していると話題が出たためお店に連れて行って薦めたら満足気に購入してもらえた)
・梅柄の手拭い(一緒に猫を愛でていた時軽く引っ掻かれたため持っていた手拭いで応急手当てしてそのまま)
・真鯉の意匠の栞(手習いで描いた絵が良い出来だったから栞にしてプレゼント)
・鹿角の御守り(昔山で拾った鹿の角を首飾りに加工して水難除けの御守りとしてプレゼント)
・桔梗柄の櫛(今回購入)

なお、息子くんが明確に意味を持って贈ったのは鹿角の御守りのみである。
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