劇場愛歌 自己解釈


※決して個人の解釈を否定するものではありません。一個人の解釈としてご理解ください。


これは自分の「過去」と向き合う話です。

動画の登場人物は二人。塞ぎ込んで動こうとしない「今」と、それを誘導する「過去」。水面下に沈む表現は、深層心理へ潜っていくという意味合いがあります。

1番では、「今」が「過去」に手を引かれ、自分の過去に触れます。少し苦しそうに沈むのは、過去と向き合うことの嫌悪を表しています。
幕を自分の手で開けると、そこには綺麗な青空の絵が。あの絵は、彼女のわずかな楽しかった思い出をかき集め、そこに「あの頃に戻りたい」という願いを混ぜたものです。また、彼女が絵の道を目指していたことも指しています。「切り取って笑っていたいのに」に呼応するように「君のせいだ」と「過去」の幻影が呟きます。
そんなこと。声を振り切るようにもう一度、あの綺麗な絵に向き直り手を伸ばします。塗りたての希望は指に付きますが、それが情けない現実逃避だと気づいてしまい、思い出は途端に色褪せてしまいます。「あぁ、変わっちゃった」。指に付いた希望も同時に褪せ、彼女の乾いた笑いだけが響きます。

2番は、それでも少し期待を捨てきれない「今」が再び「過去」の幻影を見ます。
「言いたい」とか「見返したい」という声は自分の深層心理の中のものです。奴らは行く当てもなく、「今」の彼女のようにただ彷徨っています。
「笑って流してしまえたら」、彼女にはできません。立ち上がり、奴らの雑踏の中に紛れてまた彷徨い始めます。奴らが自分の夢だったもの(=青空の絵)を踏みつぶしていたって見て見ぬふりです。
「嘘みたいに僕をわかんないで」奴らの一部が過去に彼女を否定してきた者達に変貌します。「媚び笑ったあの時の僕も死んじゃえばいいよ」彼女が夢を妥協してしまった時の光景です。絵を生業にしたい、そう言った彼女に、周りの目は。
思い出したくない過去に触れ、彼女はより一層深く自分の深層心理に入り込んでいきます。「ほら、ピンスポットも外れたシートに座ってさ」奴らからの視線を避けるように、二つの席のうちライトが当てられていない席に腰を下ろします。

「あぁ、今思い出して見たって 僕らは すぐ それを淘汰していく」
舞台上で「過去」が楽しそうに笑います。「僕等」は「今」の彼女へ向けられた言葉です。これだけ過去を見せても、やっぱり君は目を逸らすのか。揶揄うように「過去」はくるりと舞います。
「どうにも眩しすぎた舞台照明も 全部 」
君がそうしていたように、私も舞台上でしゃがみ込む。そう、これは今までの君だ、私だ、「過去」だ。私は本来ここに立っていてはいけないんだ。君のための照明だって眩しくて仕方ない。だから。
「きっと君のせいだ」
ここからは君が、舞台の主役だ。


差し出された手を取るため、「今」は立ち上がり階段を上り、「過去」と入れ替わるように舞台に上がりました。「誰か信じたいだけの僕らの劇場愛歌」。舞台には、夢を信じていた頃の絵が飾られています。眩しい、とても惨めだ。無邪気な過去なんて見ていられたものではない。
でも。目を背けてはいけない。
彼女は大きく地を蹴り、観衆に向き直ります。


「違う」

自分がうずくまっているのは、前に進めないでいるのは、「過去」のせいではない。「今」が、僕が、進もうとしていないから。過去への羨望と期待と願望が、進むことを足止めしているから。
「『僕のせいだ』全部そうなんだ」
観衆へ飛びこむと、「過去」が現れ水面へと引き上げてくれます。
「足して引いて出すだけの感傷も君のせいだ」
責める風でもなく、どこか嬉しそうに「過去」は泡に消えました。「またね」

「今」は「過去」に握られた左手を見ます。あのくすんだ希望は溶けて消えていました。
「馬鹿みたいだ 忘れないなんて またねなんて ねぇ 今ならもういいかい?」
手を握りしめ、立ち上がります。彼女は、自身を舞台に立たせてくれた過去のことを忘れないでしょう。
そして、忘れぬまま、”未来”を歩んでいくでしょう。幕は上がったばかりなのです。
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