ジェンティルドンナがトレーナーに耳を触られる話
作成日時: 2024-03-14 18:19:12
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桜が散って、ついに夏の訪れを感じさせるようになった5月。
しかし、今日は例年よりも少し肌寒く、身体を縮こませるウマ娘のちらほら見える。
そんなグランドにて、クラシック第二戦オークスに向けて、彼女は念入りな調整を行っていた。
三つ編みのドーナッツヘア、黒いリボンに真っ赤なハートを模した髪飾り、厚みと風格を感じさせる恵体。
担当ウマ娘のジェンティルドンナは、いつも通り、悠然と、そして高貴に、トレーニングを続けている。
「ふっ──!」
優雅でありながら剛毅な走り。
周囲のウマ娘達の注目を集めながら、ジェンティルは俺の目の前を駆け抜けていく。
それなりのメニューをこなしたにも関わらず、彼女は息も切らさないまま、俺の下へと歩み寄った。
「トレーナー、今の私の走りは、どうだったかしら?」
自信に満ち溢れた立ち振る舞いのまま、ジェンティルは俺にそう問いかける。
そこに、微かな違和感があった。
なんだろうか、少し、不本意そうと、そう感じられたのである。
「ああ、目標タイムもクリアしているし、何の問題もないよ、ないんだけど」
「……何か言いたそうね、いいわ、どうぞ遠慮なく、仰ってみてくださる?」
「……そっか、それじゃあ」
ジェンティルは、鋭い目つきでこちらをじっと見つめていた。
思わず怯んでしまいそうになるが、彼女はそういう態度を好まない。
だから彼女の言う通り、俺は遠慮することなく、素直に思ったことを口にする。
「ラップタイムに僅かな乱れがある、普通のウマ娘であれば、気にする差ではないけれど」
「頂点を、最強を目指さんとする私の走りとしては足りない────そういうことですわね?」
「そこまでは言うつもりはないけど、まあ、そういうことだね」
ジェンティルはパワーだけ注目されがちだが、それだけのウマ娘ではない。
下手なトレーナー以上に研究に研究を重ねた、技術に裏打ちされた走りこそ、彼女の本質。
彼女の本気の走りに魅せられた人間からすると、先ほどの走りは本調子とはいえなかった。
「ふふ、“さすが”というべきかしら? ええ、私も、今の走りには不満がありましたのよ」
嬉しそうに微笑むと、ジェンティルは何やら考え込み始める。
どうやら違和感を覚えてはいたものの、その原因などは彼女自身掴めていないようだ。
俺達との間に言葉がなくなり、周囲の喧騒が耳に入るようになる。
────先日、G1桜花賞を制したジェンティルは、全生徒の注目の的となっていた。
そして主な話題は、次走オークス。
クラシック1戦目を勝ったジェンティルが当然一番人気、ではなかった。
彼女は今まで1600mのレースでしか走っておらず、クラシックディスタンスは未知の領域。
東京レース場も初めてということもあり、前評判においては、下したはずのヴィルシーナにも劣っている。
その点においては、彼女も大して、気にしてはいない。
前評判などは、実際の結果で見せつけてやれば良い、彼女はそう考えるウマ娘だ。
俺も彼女の実力は信じているし、オークスでも栄冠を勝ち取れると考えている。
でもそれはそれとして────次走に向けて不安があるのならば、それは解消してあげたいとも思っていた。
「いやあ、今日急に寒くなってきたよねえ」
「そうなんだよー、夏服もしまっちゃったから、わたし靴下を重ね着してきちゃったよー」
「……それ、走りづらくない?」
「……」
通りががったウマ娘の、何気ない会話。
聞く気がなくとも耳に入ってしまうそれを聞いて、ジェンティルの耳がぴこぴこと忙しなく動いた。
ほんの僅かではあるが、眉もぴくりと、動いていたようにも見える。
そういえば、走る前も、そんな感じだったような気が。
そのとき、ふと閃いた。
これはジェンティルの走りに、活かせるかもしれない。
「ジェンティル、ちょっと良いかな!?」
「……そんな大声を出さずとも聞こえてますわ、どうかされまして?」
思わず大声を出してしまった俺に呆れた顔をしながら、ジェンティルは近づいてくる。
そんな彼女の────黒いカバーに包まれた両耳を、そっと掴んだ。
「……えっ?」
そのまま、指先でなぞったり、優しく揉んでみたりしながら、彼女の耳を確かめる。
「ちょっと貴方……っ! ひゃっ……んんっ……!?」
ふむ、耳自体の大きさは、平均的なウマ娘の耳の大きさとほぼ同じ。
耳の形は、ちょっと付け根の太めってところところだろうか。
カバー越しに感じる毛並みは柔らかめで、カバー自体もぴっちりめに作られているな。
となれば────と考えていた瞬間、彼女の耳が俺の手ごと、ぐぐっと後ろに伏せられた。
おお、さすがはジェンティルドンナ、耳のパワーも桁違いなんだな。
…………いや待て、耳を後ろに伏せたってことは、耳を絞ったってことで、つまり。
刹那、がしっと両腕が掴まれて、ぞわりと背筋が走った。
「────先ほどから、貴方は何をしていますの?」
鼓膜を、恐ろしいほどに圧を感じる声が震わせる。
目の前には、青筋を立てて、口角をヒクつかせて、ほんの少しだけ頬を染めた、ジェンティルの笑顔。
……この後、俺は彼女から滅茶苦茶怒られて、学園内では“切腹野郎”と噂されるようになった。
◇
翌日。
この日は、他のウマ娘達との模擬レースとなっていた。
ジェンティルと模擬レースをおこなってくれるウマ娘は少なく、貴重な機会。
ウォーミングアップも終わらせて、しばらくは他のウマ娘の準備を待つだけとなった。
桜花賞ウマ娘が参加する、オークス直前の模擬レースに、多数のウマ娘とトレーナーが注目している。
当然、それに伴って、周囲の騒がしさも増していた。
「ふあ」
「……寝不足かしら? あまり感心はしませんわよ?」
非難めいた目つきで、ジェンティルはそう指摘する。
一見するといつも通りの平然とした態度だが、その耳は、やはり忙しなく動いていた。
やっぱり、そうか。
「あはは、昨日はちょっとね…………ジェンティル、ちょっと良いかな?」
「…………耳に触れるつもりなら、丁重にお断りさせていただきますわ」
「いや、うん、昨日の件は本当にゴメン、どうかしていたよ──あのさ、これ使ってみない?」
「これ、は?」
俺が取り出したのは、赤いイヤーカバーであった。
昨日、実際に耳に触れて確かめた、彼女のサイズに合わせて作ったお手製の品である。
それを見て、ジェンティルは意外そうなものを見るように、目を丸くした。
「……私は、自前の特注品を今もつけておりましてよ?」
「ああ、もちろんわかっている、これはその上からつけられるように作ってあるからさ」
「重ね着をしろ、ということかしら? 一体、それに、何の意味が?」
「────周囲の音、気になるんだろ? これをつければ、大分マシになると思うけど」
「……──っ!」
ジェンティルはその両耳を立ち上げて、目を大きく見開く。
昨日から時折見せていた、彼女らしからぬ耳の動きと、僅かではあるが精彩を欠いていた走り。
その原因は、俄に増え始めた周囲の喧騒や物音に、彼女の気が散っているから、と俺は考えていた。
無論、その程度で動じる彼女ではない、
しかし、ほんの僅かな気の乱れが、ほんの僅かな走りの乱れを招き、数センチの差になることもある。
彼女のトレーナーとして、可能な限りの手を打つべきだ。
「……よろしくて?」
「もちろん、どうぞ」
そっと、控えめな手つきで、ジェンティルは赤いイヤーカバーを手に取った。
そしてそれを、自らの耳へ、丁寧に纏わせていく。
俺はその光景を、内心不安になりながらも、じっと眺めていた。
やがて、彼女の元々つけていた黒いイヤーカバーを、すっぽりと赤いカバーが覆ったのを見て、安堵のため息をつく。
良かった、これで実はサイズ合ってませんでした、とかだったらどうしようかと思った。
「……」
ジェンティルは目を閉じて、瞑想するかのようにしばらくの間、その場で佇んだ。
そして、ゆっくりとその目を開けて、満足気に頷いた。
彼女の耳は、落ち着いた動きを見せている。
「悪く、ありませんわ────少し、見た目が貧相ですけれど」
「そこは勘弁して、今度時間のある時に、ちゃんとしたところで作り直すから」
「いえ、これで構わないでしょう、これはこれで趣がありますもの……耳に触れたのはこのためだったのでして?」
「昔、そういうの作る店でバイトしててね、耳に触るだけで寸法がわかるようになったんだ」
「ふぅん」
「あっ、走る時になったら外してね、危ないし、それにそこまでの強度はないからさ」
話しながら、ジェンティルは自身の耳を、俺の作ったイヤーカバーを興味深そうに見つめる。
突貫で作ったものであり、彼女の趣味に合うかも不安だったが、とりあえずお気に召したようで良かった。
色々と安心して肩の力を抜いていると、彼女がにやりと悪戯っぽい笑みでこちらを見る。
「けれど、不躾に私の耳を触れたことは、帳消しになりませんわよ?」
「うっ……まあ、それは仕方ないな、わかった、罰ならいくらでも受けるよ」
「そうですわね、でしたら、貴方に一つ────とても大切な役割を与えてさしあげますわ」
◇
京都レース場の地下バ道。
クラシックレース最後の舞台に、ジェンティルは落ち着いた様子で向かっている。
史上四人目とトリプルティアラという快挙を目前にして、彼女には油断も、慢心もありはしなかった。
やがて彼女は、通路の途中で待っていた俺を見つけると、足早に近づいて来る。
そして、押し付けるように、そっと赤いイヤーカバーに包まれた耳を差し出して来た。
ともに走るウマ娘達の視線を感じながら、俺は苦笑いを浮かべる
「……もうこれ、必要ないんじゃないかな」
「あら、私は貴方の役目を奪うような無粋なことはしませんことよ?」
「…………そうですか、それはまあ、有難い話で」
「ええ、大いに感謝なさって、ねぇ?」
俺達は二人して、笑い合う。
傍から見れば、大一番を前にしているとは思えない、緊張感のない光景に見えるかもしれない。
しかし俺達にとってみれば、ここは大一番などではなく、頂点に向けての道中。
だから、いつも通りのまま、いつも通りに走り、いつも通りに勝ってみせるだけ。
そう考えながら、俺はジェンティルの耳に、手を伸ばした。
「……んっ」
触れた瞬間、ジェンティルの身体がぴくりと動くが、気にせずイヤーカバーをゆっくりと脱がす。
しゅるしゅると小さな音を立てながら、赤いイヤーカバーは剥かれ、黒いイヤーカバーが露になる。
これがあの時、俺が与えられた、大切な役目。
赤いイヤーカバーを付ける時、そして外す時は、俺の手で行うこと────ということだった。
もう、彼女はこれなしでも問題なく走ることが出来ると思うけれど、それでもこの習慣は続いている。
「よし、行っておいで、今日の君も、間違いなく“最強”だから」
「ふふ……ふふふ……おーっほっほっほ!」
ジェンティルの高笑いが地下バ道に響き渡る。
そして、彼女は誇り高く、自信に満ちた笑みを浮かべて、高らかに宣言してみせた。
「よろしい、この脚で、この耳で、全てを決してみせる────今日、頂点に立つのは、この私よ」
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